紅い侵入 一帯一路の陰で ◎パキスタンの商業港に巨額投資

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◎パキスタンの商業港に巨額投資
中国マネー「風の門」一変
  
 パキスタン南西部グワダル港に着くと、アラビア海から強い南風が吹き付けてきた。グワダルが、地元バローチ語で「風の門」を意味するとされる理由だ。
 この地は日頃、周辺の不安定な治安状況などを理由に外国人の立ち入りが規制されている。昨年12月、当局の特別な許可を得て入る機会を得た。
 何世紀にもわたって小さな村にすぎなかうたその景観は、中国の巨額マネーで一変しようとしていた。習近平政権が推進する現代版シルクロード経済圏構想 二帯一路」の戦駱的要衝のひとつだからだ。
 「ここに隠しているものは何もない。すべてを見てほしい」。地元港湾局のドスタインージャマルディニ代表はこう説明した。
 穏やかな漁村や市場の風景が広がる中、港付近には高さ20長ほどの大きなクレーンがいくつも立ち並ぶ。
中国語の看板に「中巴友誼」(中国とパキスタン友好)との文字も見えた。

 中国は、西部の新禧ウイグル自治区カシュガルからグワダルに至る約3千kmに沿う地域を一帯一路のもとで「中国・パキスタン経済回廊」(CPEC)として開発支援し、中国からパキスタン全体に落ちるカネは、約600億ドル(6兆7千億円)といわれる。
 「この1年半で港の風景が急速に変わったのは、中国からの投資のおかけだ。CPECによって、われわれは電力危機からも解放された」とジャマルディニ氏は断言した。今後は診療所や職業訓練センターも設けられ、「地元は大いに発展していく」という。
 港側は”バラ色の未来”を強調する。ただし、今後の発展は未知数だ。整備対象となる海岸線51kmのうち、完成しているのは港のほんの一部の500mほどで、巨大クレーンも活発に稼働している様子は見受けられない。船の着岸も2週間に1度程度だという。
 何より目に入るのは配備された警備員だ。地元バルチスタン州で続発するイスラム過激派などによるテロ事件を反映してか、全員が銃を抱えて周囲を警戒する。港に出入りする船も海上警備艇がほとんどだ。現状は活気よりも、ものものしさが漂う。
 グワダル港側は一貫して「純粋に商業的な港一であることを強調している。
 「グワダルに安全確保名目で中国軍が展開する可能性がある」(インドのPTI通信)、「中国はジブチに続き、グワダル港近くに海軍基地を建設する計画だ」 (香港紙サウスチャイナ・モーニング・ポスト)…。こうした報道が相次いでいることを念頭に置いた発言だ。
 「ここに基地が造られるわけではない」。ジャマルディニ氏は語気を強めるが、既に2015年11月に中国国営企業が港中心部帝約40年間管理する権利を獲得しており、パキスタン側の説明通りに推移するかどうかは不透明だ。
「パキスタンは中国に占領されようとしている」。地元記者はこう嘆息した。

 グワダルの東に位置するパキスタン最大の商業都市カラチの環状鉄道も、中国の存在感を示している。かつては地元住民の足だったが、経営が悪化したため1999年に運行が停止。今や線路に近隣住民が不法に住み着いている。
 日本の国際協力機構(JICA)が10年の工期で再建させる計画があり、調査まで行っていた。だが、最終的には昨年10月に中国が事業費2075億パキスタンルピー(2225億円)の大半をCPECの一部として支払うことで合意した。
 「それについては、われわれは選択の余地はなかった。投資してくれるところが中国だったということだ」と地元シンド州のフサイン・シャー鉄道相は説明する。支援国が中国になった内幕は定かではないが、関係者は「シャリフ前政権時代に流れが変わった。
(JICAが関わることに)中国から相当な横やりが入ったようだ」と明かす。

?パキスタンを基点に中央アジアに伸長し、インド洋や中東、アフリカヘの海の玄関口を得たい中国。CPECは、カシミール地方のパキスタンとインドの紛争地域も縦走し、インドをいらだたせる。中印は、カシミール地方の別の地域や印北東部アルナチャルプラデシュ州の領有権を争ってい
る。対インドで蜜月にある中パの一層の連携は、核武装する3力国の危険な。火薬庫”に火種を与えている。
 地域で存在感を保ちたいインドは、グワダルに対抗するように昨年12月、イラン南東部チャバハルに5億ドル(約560億円)を投資して港を開いた。グワダルから距離にしてわずか100km。中央アジアヘの物流活性化を狙っており、CPECに対抗する意図が透けてみえる。
 日本も通関設備やコンテナ装置などで資金協力を行っており、周辺地域は安倍晋三首相が米印とともに推進する「自由で開かれたインド太平洋戦略」と中国が真正面からぶつかり合っている場所とも言える。
 パキスタンのある研究者は、苦しげにこう話した。「本音で言えば中国は信用できない。投資の先にあるのは支配かもしれない。それでもインフラが立ち遅れたこの国にカネを出してくれる。何かよく、どこに付くのが正解か誰にも分からない」

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紅い侵入 一帯一路の陰で ◎人民解放軍ジブチに拠点

紅い侵入 一帯一路の陰で
◎人民解放軍ジブチに拠点
「玄関口」の基地真意は

 国際海運の要衝、アフリカ東部ソマリア沖のアデン湾に面する小国ジブチ。港に向かうゲートから脇道に入ると間もなく、荒れ地の中に高さ 3mほどの壁と鉄条網が姿を現した。
「そろそろ戻ろう。これ以上は行かないほうがいい」。地元の労働者の姿が消えると、タクシー運転手が不安げに言った。
 灰色の壁に囲まれた広大な敷地のあちこちに監視塔が建つ。正門からは中国の国章が入った堅牢そうな建物が見える。一帯はひっそりと静まり返り、内部の雰囲気はうかがえない。
 昨年8月1日、ジブチ市街から西へ約10kmのこの場所で正式稼働した中国人民解放軍の基地だ。

 中国軍が外国に長期的な駐留拠点を設けたのは、1958年に北朝鮮から撤退して以来とされる。中国政府は基地建設の目的について、艦船などの停泊や物資供給のほか、国際軍事協力や緊急救助などを挙げる。
 中国軍系シンクタンクの研究員によれば「中国は2015年、8千人規模の平和維持部隊を発足させた。数年以内に3万人規模に拡大する構想がある。この基地はその拠点で、戦略的に大きな前進だ」という。
 アデン湾近海は日本関連商船も年間約2千隻航行。
日本にも航行の安全に関わる重要な航路だ。海賊対処活動を展開するため、日本もい11年からジブチ国際空港北西の敷地12鉛を借り上げ、自衛隊初の本格的な海一外拠点として運用している。
 中国も国際的な海賊対策に名を連ねる一員であり。
 現地の自衛隊幹部は「必要なら情報交換などを行うべき間柄だ」と語った。しかし、中国軍の基地建設をめぐっては、さまざまな臆測が飛び交っている。
 中国軍は昨年11月、ジブチで火力演習を実施した。
 対戦車装甲車両も加わり、砲弾も発射された。軍幹部は中国英字紙チャイナーデリーに「戦闘能力を確かめ、現地情勢への適応能力を高めることが目的だ」と述べ、軍備増強との見方を否定したが、自衛隊関係者は「基地建設の理由が中国のいう通りであればなぜ実弾を使った軍事演習が必要
なのか」と首をかしげた。
 アフリカで獲得した膨大な天然資源を中国に運び込むため、ジブチ周辺の航行の安全を確保するとの主張は一見理にかなっている。
 実は自衛隊の活動拠点に隣り合うように、米軍のレモニア基地がある。基地は米軍がアフリカに有する唯一の常駐施設。中国軍の基地とは車で30分の近さだ。
 欧米メディアは中国軍が盗聴やドローン(小型無人機)によって、米軍基地の様子を探ろうとしていると疑う。長期的には、スエズ運河に通じるこの海域一帯で軍事的影響力を強化するのではーとの観測もある。
 中国軍系シンクタンクの同研究員は「周辺地域に対する影響力も、国際社会での中国の発言権も大きくなる。イエメン、オマーン、ケニアでも基地の建設を準備している」と指摘した。
 そうした状況は、米国が日本、インドと「自由で開かれた海」を目指すインド太平洋戦略と相いれない。東アフリカと歴史的に結びつきの強いインドや米国と連携を強める日本にとっても、ゆゆしき事態となる。
      ◇
 ジブチは中国の習近平政権が掲げる現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の欧州やアフリカヘの玄関口。】帯一路のルートに沿って、パキスタンやカンボジアなど、各地で水が入り込むように影響力を広げる中国の策略を探った。

◎要衝の小国 米中基地が近接
港湾、鉄道中国主導でインフラ整備
 ジブチはスエズ運河に至る紅海の南の入り口に位一置する。インド洋と地中海、いわばアジアと欧州の懸け橋であるアデン湾は、世界の船舶の3割が通過するといわれる要衝に当たる。
 ほかにアデン湾に面する国は、内戦が続くイエメンと、イスラム過激派が暗躍するソマリアだ。沈静化の傾向にあるものの、海賊の商船襲撃が続き、国内情勢が安定している国はジブチしかない。
 四国の1・3倍程度の小国に、米中が基地を置く理由の一つはここにある。

 ジブチ市街に近い米軍のレモニア基地には、海軍主導の4千人余りの人員が配置されている。米軍はここを拠点に、中東・アフリカのイスラム過激派に対して、ドローン(小型無人機)を活用して反テロ作戦を展開している。
 一方、中国軍の基地にも数千人が駐留するとみられている。基地に入ったことがある現地男性(29)によると、中の施設は9割がすでに完成している。残る1割の建設にジブチ人が従事しているという。
 「軍服姿の中国の軍人が多数活動している。基地の外周に車が止まったら、30秒もしないうちに警備担当者が数人飛んでくる」。厳しい警戒態勢は、地元の人々も近づくことをためらうほどだ。
 中国の「一帯一路」と、その対抗軸として日米印が連携する「インド太平洋戦略」が交錯するジブチ。至近距離に出現した中国軍の基地について、米紙ニューヨークタイムズは「ライバルのアメリカンフットボールチームが隣り合う練習場を使うようなものだ」と懸念する専門家の談話を紹介している。

 ジブチの国内総生産(GDP)は2015年で約17億ドル(約1900億円)と推定されている。欧米メディアによると、中国はジブチの経済改革のため、実に10億ドル以上を貸与する方針を示している。
 1人当たりの国民所得は推定約1800ドル(約20万円)にとどまる。市街を離れれば、荒れ地の上にトタンやシートで造られた粗末な家が並んでいる通りもある。
 中国はこの国でエネルギー開発などを手がけるほか、基地に隣接するドラレ港の開発にも関わっている。街中では「中国鉄建」 「中国土木」などの中国企業のロゴがいくつも目に留まる。
 「中国人はここにたくさん住んでいる」。中国雑貨の店や中華料理店が入った低層ビルの前に通りかかると、タクシー運転手が指さした。
 中国は経済支援でインフラ整備などを進め、雇用を創出していると主張する。
ただ、その恩恵を受けるのはジブチの人々ではない。送り込まれた中国人が仕事も奪ってしまう。アフリカにおける「中国式外交術」は、ジブチでも踏襲されている。

 ジブチと隣国エチオピアの間では昨年、中国主導で鉄道が建設された。内陸国のエチオピアの総貿易量の大半がジブチ経由とされる。
 将来、この鉄道をセネガルまで延長し、アフリカ大陸の東西を結ぶ「大動脈」にする計画もささやかれている。
 「中国が造った道路も建物も完璧だ」
 「中国が来たおかけで経済がよくなる」
 ジブチ市街で話した大学生たちは一様に、中国を歓迎し、警戒感はみじんも感じられない。
 中国軍基地の土地賃借料は年間2千万ドル(約22億円)という。数年前に跳ね上がった米軍の賃借料の6300万ドル(約70億円)の3分の1以下に抑えられている。
 こうした優遇ぶりからは、ジブチ政府もまた、隠された思惑に気付かず、中国の”浸入”を許していることがうかがえる。

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【実録 韓国のかたち 番外編】

【実録 韓国のかたち 番外編】産経ニュース / 2017年12月28日
なぜ日韓合意検証 左派政権、底流に反日…反日は善、方便、自己肯定手段

日韓合意骨子

 慰安婦問題をめぐる日韓合意の検証結果が発表されたが、「問題の再燃は避けられない」と否定的な見解が盛り込まれたのは予想通りだった。それにしてもなぜ検証は必要だったのか。左派政権の底流に反日姿勢があるからだろう。
 韓国の左派にとって反日は善であり、方便でもあり、自己肯定の手段であるともいえる。それは韓国という国の成り立ちをめぐる論争と関係している。
「建国は1919年」
 左派は日本統治下で独立を目指した「三・一運動」が起きた1919年3月1日が、大韓民国政府が樹立された日であると主張。保守派は民主的な手続きにのっとって政府樹立を宣布した1948年8月15日としている。 
 大統領の文在寅(ムン・ジェイン)は就任直後、「大韓民国の建国は1948年」と記述した朴槿恵(パク・クネ)政権時代の「国定教科書」の廃止を発表した。
 左派勢力が「1948年8月」を否定する理由はおもに2つある。
 ひとつは韓国で建国の主体となったのは日本の植民地統治に協力した官僚、資本家らだったという事実だ。しかし、北朝鮮では親日勢力を人民裁判で裁いた後、国をつくったので正当性があるとみる。左派の一部が北朝鮮に連帯感を覚える理由はここにある。
 もうひとつは、1948年樹立の韓国政府は米国や反共主義など「外部勢力」に依存してきた政府という主張だ。一方の北朝鮮は「民族・自主」を国是とする。左派にとって今の保守勢力の多くは親日派の子孫であり、独裁政権に“寄生”してきた人々。清算すべき「積弊(長年積もっと弊害)」対象は「親日」に集約されている。
 左派政権の正当性を文はかつて上海フランス租界に拠点を置いていた「大韓民国臨時政府」にあると言ってきた。
 1919年3月、上海でつくられた臨時政府が中国各地を転々としながら重慶にたどりつき拠点を構えたのは1940年。蒋介石の国民党政府は臨時政府を正式には認めなかったが、主席の金九(キム・グ)をはじめ独立運動家らと家族に居場所を提供、活動資金を提供した。
 12月13日からの訪中の締めくくりに文は重慶市の臨時政府庁舎跡を韓国大統領として初めて訪れた。文は、金九が使ったとされる筆や机、寝具を見て回ったあと独立運動家の子孫らとの懇談会でこう話した。
 「ここに来てみてわが先烈たちが中国各地を転々としながら抗日独立運動にささげた血と涙、魂と息吹を感じました。(中略)臨時政府はわが大韓民国の根っこです」
 韓国経済新聞の主筆、鄭奎載(チョン・ギュジェ)は「臨時政府は領土、国民、主権を持っていなかった。左派が建国を1919年だと強弁するのは政治的な意図がある」と主張する。
 しかし、左派政権は反日を国内的には保守崩しに、対外的には植民地統治を受けた側の「道徳的優位性」を示す手段に利用する。
 それは、今回の訪中での「中韓は近代史の苦難をともに経て克服した同志だ」「韓国人は中国人が経た苦しく痛ましい事件に深い同質感を持っている」との文の発言によく表れている。
 このような文政権の価値観は慰安婦合意の検証作業だけでなく、朝鮮半島有事の対応にも暗い影を落としている。
半島有事に影
 文は訪中で日米韓の安保協力を軍事同盟に発展させないと中国側へ「約束」した。これも半島有事の際の国益より左派的な価値観を優先した言動といえる。
 韓国には、旅行者も含め約5万7千人の日本人が滞在しているが、半島有事の際の日本人の退避方法などについて、文政権は日本との事前協議に応じていない。 
 半世紀近く韓国現代史を研究、数多くの歴史書を執筆した元大学教授はこう嘆く。「文政権は現実誤認、歴史誤認がはなはだしい。これでは未来はない」
              =敬称略
         (龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(9・10)】

【実録 韓国のかたち 第3部(9)】2017.12.28
左派メディア、「詐欺常習犯」の告発掲載 清廉潔白候補の“フェイクニュース”、選挙戦左右

「息子二人の兵役逃れの事実を隠蔽」の偽情報
 左派政権の継続を阻止すべく野党ハンナラ党は清廉潔白でクリーンなイメージを持つ元最高裁判事、李会昌(イ・フェチャン)を大統領選の公認候補に選んだ。金大中(キム・デジュン)の側近や親族の腐敗が国民の怒りを買う中、対照的な李を出して勝負に出たのだ。
 李はソウル大在学中に司法試験に合格。空軍将校として兵役を終えた後、最高裁判事などを経て金泳三(キム・ヨンサム)政権では国務総理を歴任したエリート。盧武鉉(ノ・ムヒョン)とは対照的な経歴と経験を有するうえ、公職に就いていた40年間、賄賂を受け取ったこともなかった。軍政下でも原則を曲げない判決を出したことでも有名だった。
 02年5月21日、市民参加型の左派メディア「オーマイニュース」は、李に関する衝撃的な記事を掲載した。「兵役不正専門捜査官」(後に詐称が判明)と称する金大業(キム・デオブ)の告発によれば「李は、息子二人の兵役逃れの事実を隠蔽するため対策会議を開き、関連資料を破棄した」というのだ。
偽造テープも 後に判明も支持率ガタ落ちのまま大統領選は終わり…
 一報が出たあと盧陣営は「特権層の代弁者、李会昌を審判せよ」との論評を発表する。

その後、金は「李候補の夫人が息子の兵役を免除させるため兵務庁職員に1000万ウォン以上を渡した」「その時交わされた会話を録音したテープがある」とと暴露した。
 後にテープは偽造したものだったことが判明するが、“物証”が出たことで一部メディアは、李はそういうことをしないかもしれないが、夫人ならありうるかもしれないとの論調をはる。実はこのテープは、テープ製造日が会話を録音した日より後だったことが判明するが、それは大統領選挙が終わったあとのことだった。
 裁判記録によれば金は、詐欺の常習犯で軍病院に在職していた1985年に診断書を偽造する方法で約20人から賄賂をうけとったとして懲役一年の実刑判決を受けていた。
 李の息子は二人とも体重が規定に達していないとの正当な理由で兵役が免除されたが、有権者にはそのような説明は通用しなかった。
 結果的に金の「世紀の偽暴露」は選挙の行方を大きく変え、李の支持率は二桁近くも落ちた。
金大中政権の組織的、陰湿な裏工作 政治は下手だが宣伝術に長け
 当時、ハンナラ党選挙対策委員長を務めた徐清源(ソ・チョンウォン)は、こう振り返った
 「2002年の大統領選は金大中政権が組織的に陰湿な裏工作を繰り広げた選挙だった。(中略)工作選挙に対してわれわれが未熟だったのは事実だ」

李を熱烈に支持した国会議員、イ・ウォンチャンは「盧を支持した左派勢力は、政治は下手だったけれど宣伝術にはたけていた。新聞に『戦争か平和か』と広告を出し、李会昌が大統領になれば戦争になるという高度な宣伝術を展開して一般庶民を攻略した」
 選挙戦の途中までリードしていた李は終盤にきて失速、金大中の路線を継承する盧が僅差で大統領に当選した。李の得票率は46・59%、盧の得票率は48・91%だった。
 大統領に当選したものの盧は、前任者の金大中のように「派閥」をもっていなかった。与党公認候補になったときは現役議員でもなかった。
 盧の支持基盤は政治圏外にいる「ノサモ」に加え、学生運動出身者、湖南地域の有権者に限られていた。彼らは政治的に分け合える権力や権益がなかった分、政治的理想を共有しており、結束力も強かった。
 このような「アマチュア政権」に保守勢力は当初から拒否反応を示した。盧は回顧録「成功と挫折」で「政権をスタートさせてみると、私を認めてもくれないし、いろいろ努力しても対話を開く(反対層との話し合い)のがむずかしかった」と振り返っている。
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(10)】2017.12.29
盧武鉉、偽りの「親米」-金正日を呼び捨てにしたブッシュに「敬称」を使えと要求、信頼得られず

寝室まで監視されたことへの鬱憤

 大統領に就任してまもない2003年5月11日、盧武鉉(ノ・ムヒョン)は米国を訪問するが、それまでの反米姿勢とは打って変わって親米的な発言を連発し世間を驚かせた。

 ニューヨーク滞在中の13日、「53年前(朝鮮戦争時に)米国が助けてくれなかったら、私は今ごろ政治犯収容所にいたかもしれません」と発言、さらに「米国に来るときは頭の中で好感を持ったが、来て2日のうちに心で好感を抱くようになった」とまで述べた。

 翌日には「米国は他人のために犠牲を払った人々が生活する国だ。自由と正義が常に勝利してきた国、本当にうらやましい。良い国だ」と絶賛した。

 これに「ノサモ(盧武鉉を愛する集い)」と左派団体は一斉に反発した。後日、一連の発言について、盧に近い人物はこう擁護した。「大統領には金日成の思想を信奉する側近らが同行していた。大統領の一挙手一投足はもちろんのこと寝室まで彼らに監視されていることへの鬱憤を(親米発言という形で)吐きだしたのだと思う」

 盧自身は初訪米での親米発言の理由を回顧録でこう記した。「南北問題を解決するためには親米もし、親北もし、親中も、親ロ、親日、すべてやらなければならない」

しかし、初訪米後は当初のように北朝鮮を擁護する発言を躊躇(ちゅうちょ)せず繰り出した。

 04年11月、南米歴訪の途中で立ち寄った米ロサンゼルスで盧は「北韓(北朝鮮)の核保有は体制の安全を保障しようという理由がある。理にかなう」と理解を示した。

「何を考えているかわからない」「反米的で少しクレイジー」

 チリで行われたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の合間の米韓首脳会談でブッシュは「私は、本当に金正日を信頼しません」と切り出し、その理由をこう語った。「彼(金正日)は私の前任者に嘘をつきました。わたしは自国民を飢え死にさせるいかなる人も信頼しません」。

 盧は、ブッシュの説明に納得するどころか北指導者の名を呼び捨てしたことに反感を持ち、後に「(ミスターなど)敬称を使ってほしい」と要求した。

 05年9月、米財務省は北朝鮮によるマネーロンダリング(資金洗浄)の疑いでマカオの銀行、バンコ・デルタ・アジア(BDA)への制裁を発動、北朝鮮関連口座を凍結した。これは現在に至るまで北に最も打撃を与えた制裁となった。

 同年11月、韓国南部の古都、慶州で米韓首脳は再び会談を行う。側近によると、盧は不満を隠さず、BDAに対する制裁を解いてほしいと強く要請した。

そのような盧を米国政府が信頼できるはずはない。ブッシュ政権で国務長官を務めたコンドリーザ・ライスは、回顧録のなかで盧を「到底何を考えているかわからない人だった」と酷評。国防長官を務めたロバート・ゲーツも回顧録で「彼は反米的でおそらく少しクレイジーだと結論づけた」と記した。

 盧は回顧録で自身についてこう記した。「私は教養もありません。私なんかが大統領になることがわかっていたら前もって練習すればよかったのですが、体質的に腰をよく曲げるほう(権力にこびるという意)なので、上座に座ると不安でならない」

国内政治でも失敗

 在任中に盧は対外政策だけでなく国内政治でも失敗を重ね、任期を1年余り残した06年末の「国政運営支持度調査」では、5・7%の最低支持率をたたきだした。金大中(キム・デジュン)同様、親族や側近の不祥事が相次いで明らかになり、国民の非難を浴びた。

 退任後に捜査が始まり、家族が取り調べを受けている最中、故郷の村の岩山から飛び降りて自ら命を絶った。大きなダメージを受けた左派勢力の復権は当面困難とみられていたが、保守系の前大統領、朴(パク)槿(ク)恵(ネ)の失政で「盧政権2期」と呼ばれる文在寅(ムン・ジェイン)政権が2017年に誕生した。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(6・7・8)】

【実録 韓国のかたち 第3部(6)】2017.12.25
「金で買った」南北首脳会談 金大中政権、金正日秘密口座に4億5千万ドル、軍事費転用の疑惑

政権とるや対北朝鮮政策を大幅修正、融和政策へ
 4度目の挑戦で大統領の座を手に入れた金大中(キム・デジュン)はすぐさま、それまでの対北朝鮮政策を大幅修正した。南北間の交流を増やし、経済支援を拡大、ひいては平和統一を実現するとの融和政策へとかじを切ったのだ。
 1998年4月には「南北経済協力活性化措置」を発表、企業の対北朝鮮事業を積極的に奨励する。
 そこに一番乗りしたのが、北朝鮮南東部、江原道生まれの鄭周永(チョン・ジュヨン)が率いる現代グループだった。北朝鮮は金剛山観光など7つの大型事業の独占的な権利を現代に与える代わりに巨額の見返りを要求した。
 投資効果の疑わしい現代の事業を金大中政権は資金面の融通などで支え、同時にこれを南北首脳会談の足掛かりに利用した。 
 現代の仲介で史上初の南北首脳会談が実現するのは2000年6月。ところが、世界の注目を浴びたこの会談は2年もたたないうちに、「金で買った」との疑惑が持ち上がる。
「送金疑惑」、有力紙は報道を拒否、やむなくとった策は…
 保守系雑誌「月刊朝鮮」は、02年5月号で米国議会調査局が作成した「米韓関係報告書」をもとに「南北会談のため、政権は国家情報院を使って金正日(ジョンイル)の海外の秘密口座に4億5千万ドルを送金した」と報じた。

韓国国会で疑惑が追及されるのは報道から4カ月後。保守系の野党ハンナラ党議員の嚴虎聲(オム・ホソン)と証人として出席した韓国産業銀行元総裁、嚴洛鎔(ナギョン)との間でこんなやり取りがあった。
 議員 「米議会の報告書によれば、現代グループは北に事業代価として支払ったお金の他に、秘密裏にさらに4億ドル余(米議会報告書では5億ドル。現金4億5千万ドルと、5千万ドル相当の現物)を支払った。これが軍事費に転用された可能性があるとの指摘があったが、追跡の結果事実と判明した。(中略)産業銀行が現代商船(現代の子会社)に4億ドルを貸した当時、あなたはまだ総裁職にはいなかったですね」
 証人 「はい」
 議員 「総裁就任後、(4億ドルを回収しようとすると)現代側は『このお金はわれわれではなく、政府が責任をもつべきだ』と返済を拒否したというが」
 証人 「その通りです」
 議員 「では、そのお金は誰がどこへ使ったか」
 証人 「それはわかりません。ただ、『政府が返すべきお金だ』という説明がありました」
 実は、この国会質問は疑惑を暴露するため、2人が計画したものだったことが最近明かされた。
 今年3月に出版された回顧録で嚴洛鎔は、「現代グループの資金の流れをみたがとても混乱していた。こんな状況でまた資金要請があった。私は使途不明の支援要請に対し『口頭ではなく文書で要請しろ』と突っぱねた。すると、政府関係者らが激怒していると聞いた。結局、私は公職(総裁)を去るしかなかった」

暴露したのは「隠したままだと、心のがんになりそうだったから」という。
 そのきっかけは、02年6月、韓国の延坪島付近で起きた南北艦船の軍事衝突で韓国軍兵士6人が戦死したことだった。
 「延坪海戦で北朝鮮が使った装備にわれわれが提供した資金が使われたかもしれないと思うと黙っているわけにはいかなかった」
 嚴洛鎔は有力紙の記者に連絡をとり、資料を渡して送金疑惑を暴露してほしいと頼んだが、記者は「今はまだその時期ではない」と断ってきた。
 このため、旧知のハンナラ党議員、嚴虎聲に国会での追及を依頼したのだ。
南北会談の半年後、金大中がノーベル平和賞 対北政策への“お墨付き”
 首脳会談の直前、現代が北に支払った巨額の現金の他に、金大中政権が金正日の秘密口座に4億5千万ドルを送金していたという事実はその後、韓国の特別検察の調査でも明らかになる。
 南北首脳会談から半年後。金大中は見事にノーベル平和賞を受賞した。金の支持勢力からすれば、それは対北政策に対するお墨付きでもあった。
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち 第3部(7)】2017.12.26
金大中3人の息子全員が不正…左派の牙城での大会、ヤジが飛ぶ中、空気変えた「盧武鉉演説」

保守勢力に渡った場合の政治報復恐れ、素早く動く
 左派政権もまた、腐敗とは無縁でなかった。金大中(キム・デジュン)は政権末期に連続して起きた側近と家族の不正事件に悩まされた。任期1年を切った2002年5月、三男弘傑(ホンゴル)が36億円にのぼる賄賂を受け取った疑いで、6月には次男、弘業(ホンオブ)が脱税などの疑いで逮捕された。国会議員だった長男、弘一(ホンイル)も人事をめぐって賄賂を受け取ったとして金の退任直後に在宅起訴された。
 次男の逮捕直後に金は声明を発表し次のように謝罪した。「生涯さまざまな苦難を経験しましたが、こんなに悲惨なことが起きるとは思っていませんでした。これはすべて私の間違いであり、至らなかったからです」
 3人の息子全員が不正に関与しているとの噂は逮捕前からあった。週刊誌「時事ジャーナル」は、01年12月30日、「金大中の3人息子」の疑惑を報じる記事で「世間では、『これから大統領を選ぶときは子供がいないか未成年者を選んだほうがいい』という言葉がはやっている」とつづった。
 次期政権が保守勢力に渡った場合の政治報復を恐れたのだろう。金の与党、新千年民主党の動きはこれらの報道よりも早かった。
 01年8月、金の支持基盤であり、左派の牙城として知られる韓国南部の都市、光州で新千年民主党は「国政弘報大会」を開いた。

「地域感情」に火をつけ…会場は歓呼のるつぼに
 この大会には党内の次期大統領候補とみられていた韓和甲(ハン・ファガップ)、鄭東泳(チョン・ドンヨン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)らが顔をそろえた。
 真っ先に演説に立ったのは金の側近中の側近で「リトルDJ」(DJは金の略称で小さい金大中の意)と呼ばれる韓だったが、会場からはヤジが飛んだ。
 金をうまく補佐できなかったとの不満の表れだった。次に立ったのは、キャスター出身の鄭だったが感動のない演説だった。
 しらけた空気のなか、登場したのが盧だった。盧はこう口火をきった。
 「私は何より義理を大事にする人間です。DJに巡りあったおかげで損をしたこともあります。それでも私は義理を守ります」
 会場の空気が変わり始めた。盧はこう続けた。 「DJが失政をしたとして多くの人が罵(ののし)っていますが、そんなことをしたらDJも終わりです。他のところでDJを罵倒するのは仕方ないですが、ここ光州市民は絶対そんなことをしてはなりません。私は釜山(湖南地域)のヤツだからこんなことを言うんです」
 そのとき会場にいた現首相、李洛淵(イ・ナギョン)はこう振り返る。「盧の演説が終わった途端、会場はひっくり返りました。ひとことでいうと歓呼のるつぼでした。そのとき、私は彼の可能性を感じました」
 盧の演説は韓国の「地域感情」に火をつけたのだ。

金大中、予備選始まる前から盧武鉉に好感
 盧は1946年、韓国南部の慶尚南道金海で生まれたが、本籍は金大中とおなじ全羅道だ。学縁、地縁を大事にする韓国ではどこの生まれで、本籍がどこかは重要だ。
 66年に釜山商業高校を卒業して農業協同組合の就職試験をうけるが不合格。定職につけず日雇い労働をしながら9年間の独学の末に司法試験に合格した。盧は当時の気持ちを「その瞬間ほど幸せを感じたことはなかった。妻は私の膝に顔を埋め、ワンワン泣いた」。
 02年の大統領選を取材したソウル放送記者、オム・グァンソクは著書、「大選(大統領選)陰謀」で「金大中は予備選が始まる前から盧武鉉に好感を抱いていた」と記した。
 オムによれば、金は「保守系候補に勝てる人、自分を裏切らない人を選んだ」。湖南地域の支持は必須だった。与党の予備選には7人が立候補したが、02年4月、盧が公認を射止めたのだった。
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(8)】2017.12.27
盧武鉉「突飛な行動」 虐殺荷担の左翼活動家の義父問題に開き直り?「親北」隠さなくなり…

直球発言に熱烈ファン 「愛する会」まで
 与党公認の大統領候補になるまで盧武鉉は左派系列の政党でも主流に属していなかったが、突飛な行動に出る政治家として有名だった。
 1988年、国会議員に初当選した盧は、翌年秋に行われた国会聴聞会で全斗煥(チョン・ドゥファン)政権の不正を調査する特別委員会の委員として現代グループ会長の鄭周永(チョン・ジュヨン)を追い詰めるが、その場面がテレビで生中継され一躍有名になった。
 国会議員の多くが畏敬の念をもって質問にたつなか、盧は鄭を厳しく追及した。強い訛りに、庶民的な言い回し。直球を好む盧の熱弁に熱烈なファンができた。
 さらに盧は突飛な行動に出た。当選の可能性の高いソウル鍾路(チョンノ)区の公認を拒否して釜山から出馬したのだ。盧の落選直後、ネットでは「落選に涙が止まらなかった」という書き込みが殺到、市民参加型のニュースサイト、「オーマイニュース」は、その現象を「鬱憤が豪雨の如く降り注いだ」と報じた。
 その後、光州地域を中心にインターネットを通じて結成されたのが「ノサモ(盧武鉉を愛する会の頭文字)」だ。200人で始まったが瞬く間に全国に広がり、7月には、有名俳優のミョン・ゲナムを代表に選出。「盧武鉉を大統領に」とのスローガンを掲げた。
「愛する妻を捨てろと言うのか」
 一方で盧だけは駄目だという人々も多かった。保守派が問題にしたのは彼の「対北朝鮮観」だった。義父の権五石は1949年に南朝鮮労働党に加入、朝鮮戦争中に慶尚南道昌原郡労働党副委員長として一般市民の虐殺に加担したとして殺人などの疑いで逮捕歴のある左翼活動家だった。
 2002年4月6日、光州から始まる予備選挙に立った盧は義父の経歴を問題視して攻撃してくる人々にこうまくし立てた。
 「私は、義理の父が左翼活動前歴のあることを承知のうえ、妻と結婚しました。妻は子供たちも立派に育てたし、私たちは愛しあいながら生活してきました。そんな妻を捨てろと言うんですか? そうすれば大統領の資格があって、妻を愛し続ければ資格がないと言うんですか?」
 この演説以降、盧は親北姿勢を隠そうとしなくなる。5月の仁川地域の遊説で「(私は)南北対話だけ成功させられたら、他のことはすべてダメにしても構わないと思っている」と発言した。
北対応批判する他候補には論点すりかえ
 韓国では、北朝鮮という壁、地域という壁をうまく乗り越えなければ大統領にはなれない。この選挙では特に対北方針が重要な判断基準となっていた。

当時の米大統領、ジョージ・W・ブッシュはこの年の一般教書演説で、国際原子力機関(IAEA)査察団を追放し、国際条約を破棄して核開発を続けようとする北朝鮮を「悪の枢軸国」と非難した。韓国国内では、保守勢力を中心に「カネとモノ」を北朝鮮に「貢いだ」左派政権に反感が広がっていた。
 盧は選挙遊説中に北をめぐって批判してくる他の候補に「ならば戦争をするつもりなのか」と強く反論して論点をうまくすりかえた。
 韓国では全羅道を中心とする湖南地域の票だけでも、慶尚道を中心とする嶺南地域の票だけでも大統領にはなれない。忠清道の票をだれが取るかが肝心だ。 02年の選挙では、嶺南地域の支持を得ている野党ハンナラ党候補の李会昌、忠清道が支持する与党系の李仁済が出馬したが、過剰な自信に陥っていたハンナラ党は忠清道出身の李仁済を積極的に抱き込もうとしなかった。
 この選挙を取材したソウル放送のオム・グァンソク記者は「李候補がもう少し李仁済を取り込んでいたら結果は違っていたのに」と話した。
=敬称略
(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち 番外編】

【実録 韓国のかたち 番外編】なぜ日韓合意検証 左派政権、底流に反日…反日は善、方便、自己肯定手段
産経ニュース / 2017年12月28日

日韓合意骨子

 慰安婦問題をめぐる日韓合意の検証結果が発表されたが、「問題の再燃は避けられない」と否定的な見解が盛り込まれたのは予想通りだった。それにしてもなぜ検証は必要だったのか。左派政権の底流に反日姿勢があるからだろう。
 韓国の左派にとって反日は善であり、方便でもあり、自己肯定の手段であるともいえる。それは韓国という国の成り立ちをめぐる論争と関係している。
「建国は1919年」
 左派は日本統治下で独立を目指した「三・一運動」が起きた1919年3月1日が、大韓民国政府が樹立された日であると主張。保守派は民主的な手続きにのっとって政府樹立を宣布した1948年8月15日としている。 
 大統領の文在寅(ムン・ジェイン)は就任直後、「大韓民国の建国は1948年」と記述した朴槿恵(パク・クネ)政権時代の「国定教科書」の廃止を発表した。
 左派勢力が「1948年8月」を否定する理由はおもに2つある。
 ひとつは韓国で建国の主体となったのは日本の植民地統治に協力した官僚、資本家らだったという事実だ。しかし、北朝鮮では親日勢力を人民裁判で裁いた後、国をつくったので正当性があるとみる。左派の一部が北朝鮮に連帯感を覚える理由はここにある。
 もうひとつは、1948年樹立の韓国政府は米国や反共主義など「外部勢力」に依存してきた政府という主張だ。一方の北朝鮮は「民族・自主」を国是とする。左派にとって今の保守勢力の多くは親日派の子孫であり、独裁政権に“寄生”してきた人々。清算すべき「積弊(長年積もっと弊害)」対象は「親日」に集約されている。
 左派政権の正当性を文はかつて上海フランス租界に拠点を置いていた「大韓民国臨時政府」にあると言ってきた。
 1919年3月、上海でつくられた臨時政府が中国各地を転々としながら重慶にたどりつき拠点を構えたのは1940年。蒋介石の国民党政府は臨時政府を正式には認めなかったが、主席の金九(キム・グ)をはじめ独立運動家らと家族に居場所を提供、活動資金を提供した。
 12月13日からの訪中の締めくくりに文は重慶市の臨時政府庁舎跡を韓国大統領として初めて訪れた。文は、金九が使ったとされる筆や机、寝具を見て回ったあと独立運動家の子孫らとの懇談会でこう話した。
 「ここに来てみてわが先烈たちが中国各地を転々としながら抗日独立運動にささげた血と涙、魂と息吹を感じました。(中略)臨時政府はわが大韓民国の根っこです」
 韓国経済新聞の主筆、鄭奎載(チョン・ギュジェ)は「臨時政府は領土、国民、主権を持っていなかった。左派が建国を1919年だと強弁するのは政治的な意図がある」と主張する。
 しかし、左派政権は反日を国内的には保守崩しに、対外的には植民地統治を受けた側の「道徳的優位性」を示す手段に利用する。
 それは、今回の訪中での「中韓は近代史の苦難をともに経て克服した同志だ」「韓国人は中国人が経た苦しく痛ましい事件に深い同質感を持っている」との文の発言によく表れている。
 このような文政権の価値観は慰安婦合意の検証作業だけでなく、朝鮮半島有事の対応にも暗い影を落としている。
半島有事に影
 文は訪中で日米韓の安保協力を軍事同盟に発展させないと中国側へ「約束」した。これも半島有事の際の国益より左派的な価値観を優先した言動といえる。
 韓国には、旅行者も含め約5万7千人の日本人が滞在しているが、半島有事の際の日本人の退避方法などについて、文政権は日本との事前協議に応じていない。 
 半世紀近く韓国現代史を研究、数多くの歴史書を執筆した元大学教授はこう嘆く。「文政権は現実誤認、歴史誤認がはなはだしい。これでは未来はない」
              =敬称略
         (龍谷大学教授 李相哲)

韓国のかたち 【李相哲氏講演詳報】

【李相哲氏講演詳報(1)】2017.8.30
北朝鮮ミサイル“標的”は韓国 権力闘争…金政権「3つの本質」とは

 日本上空を通過するミサイルの発射など、度し難い挑発を北朝鮮はなぜ続けるのか-。アジア近代史などが専門の李相哲・龍谷大学教授は、北朝鮮の本質は「3つの要素」に分類できると指摘する。中国という社会主義国で生まれ育ったからこそ深く理解できる金ファミリー政権の「かたち」を8月23日に大阪市内で行われた講演会(主催・ウェーブ産経)から読み解く。(発言はすべて23日時点)



■北朝鮮に核兵器を放棄させる、国際的圧力…カギ握るのは結局、金正恩委員長

 8月21日から韓国では米韓合同軍事演習「乙支(ウルチ)フリーダム・ガーディアン」を実施しています。兵器を実際に動かしての演習ではなくて、戦争が起こった場合のさまざまな場面、約35パターンを想定して、対応をシミュレーションする訓練です。

 31日までやるのですが、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、この10日間に金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が何もしなければ、対話局面に入るのではないかと述べていた。

 つまり金委員長が今までいろんなことをやってきたが、それは不問にして10日間だけ静かにしてくれたらわれわれは話し合う用意があると言ったのです。

 これは非常に問題です。今まで米国や国際社会が金委員長に求めてきたのは、核兵器を放棄しなさいということです。少なくともその意志があれば話し合いには応じると言っていた。

 それがなかなか上手くいかないので、ならば核兵器とミサイル開発を凍結すれば話し合っていいのではないかと。しかし、なお金委員長は聞く耳をもたないので、ミサイルや核実験などの挑発をしなければ話し合ってもいいとなった。

 そして今回の文氏の発言です。「10日間何もしなかったら話し合う」と。ずるずるとトーンダウンしていて、金委員長が思う通りに展開しています。米国のティラーソン国務長官も最近、「さらなる挑発をしなければ話し合う用意がある」とハードルを低くしています。

 残念ながら、この局面をコントロールするというか、キーを握っているのは金委員長なのですね。

金委員長は1週間ほど前に、韓国の最も西の延坪(ヨンピョン)島から1キロしか離れていない場所で軍の部隊を視察し、その映像が流されている。つまり米国がここまで圧力をかけても、金委員長は全く恐れていない、という大胆さをアピールした。

 こうした金委員長の行動パターン、また北朝鮮が一体何を考えているのかということを多くの方たちが疑問に思っていると思う。そこで、金正恩政権とはどのような政権かを中心にお話をしようと思います。

 この政権の本質は3つあると僕は想定しています。その3つの基準で、金委員長の行為を見ています。

 まず北朝鮮という国は「力」しか怖がらないという国です。これは社会主義国の哲学でもあり、中国もそうです。毛沢東はかつて「権力は銃口から生まれる」と言いましたが、(北朝鮮の)金正日(キム・ジョンイル)総書記も全く同じことを言っている。力から政権が生まれるし、力がなければ政権は維持できないと。

 北朝鮮の場合は、国家目標として70年間、軍事力増強に邁進(まいしん)し、力を蓄えています。経済建設はないがしろにして首都の平壌(ピョンヤン)をショーウインドーと見なし、ここには大きな建物などがあるが、国民は非常に惨めな生活をしている。経済は全て軍事力に注いでいる。

 金正日総書記の著作には「私の力の源泉は軍事力にある」とあります。彼は長らく「先軍政治」、つまり軍がすべてに優先するという政治をやってきた。それは彼の父の金日成(キム・イルソン)国家主席のころからです。

 金日成主席は、朝鮮戦争で1950年6月25日に韓国を一気に制覇しようとして韓国に攻め込み、わずか3日で韓国の首都ソウルを占領するのですが、ここからが問題でした。

最近、旧ソビエト連邦(現ロシア)の3大資料館のひとつ、社会政治史資料保管所から見つかった資料から、なぜ金日成が一気に韓国南部の都市、釜山(プサン)まで攻め込まなかったかが分かりました。一言で言うと、当時の北朝鮮にはそこまでの力がなかった。

 当時、北朝鮮が頼りにしたのはソ連の武器であったのに、ソ連の最高指導者のスターリンは武器を約束通りに送らなかった。これに関して、金日成は後に直筆の文書を残しています。その3日間が自分の人生で痛恨のミスだったと。一気に釜山まで攻め込み韓国全土を占領していたら、米国は以後、朝鮮半島に介入できなかったのに、と。

 さらに、こうも記しています。ソ連はなんでもわれわれに対価を求めて支援をしてきた。日本が撤退したあとソ連が入ってきて発電所や製鉄所の設備を全て撤去し、設計図面まで奪っていった。鉄道のレールまで奪っていこうとしているのを私が阻止した、というのです。

 そこから金日成は悟ったのでしょう。国家の方針を国防建設に全て注ぎ込むことを決めます。

■「社会主義の優等生」正当化…韓国ソウル五輪に対抗し“借金”

 北朝鮮の歴史を概観してみると、内部での権力闘争は国防・軍備を優先するか、国民生活を優先するかで起こっている。

 金日成は1912年生まれなので1972年には還暦を迎えました。韓国、朝鮮の人たちにとって60歳の還暦はとても大事な節目の年なのです。彼は常に周辺に「72年の還暦祝いはソウルでやる」と言っていた。

 当時、米国はベトナム戦争で苦戦し、ニクソン大統領はアジアから軍備を縮小するとの方針を打ち出していた時期です。朝鮮戦争後金日成は中国の周恩来首相と何度も話し合い、もう一度ソウルに攻め込みたいと主張していた。

 北朝鮮は国民経済の30%以上をつぎ込んで武器をつくり、ソ連からも武器を買ったが、1970年代後半から80年代にかけて経済状態が韓国と逆転し、このままでは韓国に負けるのではないかという状況になった。

 決定的なきっかけは1988年のソウル五輪です。それまで北朝鮮は社会主義経済の優等生とされ、韓国と競う国とみられていた。そこで、豊かさで韓国に勝っていることをアピールするため、金日成は1989年に「世界学生青年祭典」というものを首都の平壌で開催します。金日成は、とにかくソウル五輪より大きくしろということで、15万人を収容できるスタジアムを造ったり、凱旋(がいせん)門を造ったり、世界190以上の国・地域から1万2千人以上を無料で招待した。推定で約50億ドルを使ったといわれています。

 北朝鮮経済は当時、国民総生産(GNP)が300億ドルもない国です。なのに50億ドルもの現金を祭典につぎ込んだため、一気に経済が悪化してしまった。これ以降、経済発展は完璧に韓国に負けます。

 このため、韓国に勝ってきた武器システム-潜水艦や戦車の数、戦闘機の質などでも、勝ち続けるのは到底無理になった。

 そこで彼らが注力したのが非対称武器、つまり生物化学兵器です。これは貧者の武器といわれる、とても恐ろしい兵器です。そして核兵器とミサイルの開発に邁進する。

 今日の北朝鮮の問題の根源は、韓国に優位に立とうと突っ走ってきた結果です。北朝鮮のミサイル開発は米軍に対抗するためのものだというような一部の評論家の声がありますが、これは全く間違っています。 1にも2にも3にも、ミサイルの目標は韓国です。

 ではなぜ長射程の大陸間弾道ミサイルを開発するかというと、彼ら北朝鮮は、自分たちのやり方で韓国を軍事的に制覇できるのに、米国が邪魔をするとみている。だから米国をこの朝鮮半島問題から切り離すために弾道ミサイルを開発、実験しているのです。

 関与すればミサイルを打ち込まれる可能性があるぞと。米国は駐留軍を韓国から撤収することもありえる岐路に立っている。

 そういう意味で彼らは核開発をしてきたが、政権の力の源泉もまた核兵器にあるともいえる。だから金委員長が命綱である核兵器を放棄することは全くない。


 【プロフィル】李相哲(り・そうてつ) 中国黒竜江省生まれ。中国で新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院博士課程修了(新聞学博士)。主な著書に産経新聞に「秘録金正日」として連載した「金正日秘録 なぜ正恩体制は崩壊しないのか」(産経新聞出版)、「朴槿恵の挑戦」(中央公論新社)。


【李相哲氏講演詳報(2)】2017.8.31
人命軽視の北朝鮮…「国民3年分の食費」で金日成の遺体保存施設を改修、その裏で200万人餓死

 日本上空を通過するミサイルの発射など、度し難い挑発を北朝鮮はなぜ続けるのか-。李相哲・龍谷大学教授が読み解く北朝鮮の本質「3つの要素」とは。



 北朝鮮をみるときに看過できない2番目の特質は、人命を大切にしないということです。これは社会主義国に共通することでもあります。

 北朝鮮の歴史を振り返ればよくわかるのですが、1994年に(国家主席の)金日成(キム・イルソン)が亡くなり、その1年後くらいから北朝鮮は洪水や災害に見舞われ、苦難の行軍といわれる大変な時期を迎えます。この96年から99年までの間に約200万人の国民が飢え死にした。北朝鮮の人口のほぼ10%です。

 この数字に関してはいろいろな議論があり、97年に北朝鮮から韓国に亡命した(朝鮮労働党書記の)黄長●(=火へんに華)(ファン・ジャンヨプ)は、当時北朝鮮の権力構造のなかで序列21番目の党の幹部ですが、彼の見積もった数字が200万人です。

 また、彼と一緒に亡命した秘書の金徳弘(キム・ドッコン)という人。私は直接会って話を聞いたこともあります。彼は亡命するまでに北朝鮮の党中央資料室という、党の秘密資料を扱う部署の室長をやっていました。そこで見た資料ではだいたい250万人が飢え死にしたと証言している。

 国民が数百万人単位で亡くなっている、そういうときに北朝鮮政権は何をしたか。(総書記の)金正日(キム・ジョンイル)は父親の遺体を安置する太陽宮殿という宮殿を改修するんです。そこに推定9億6千万ドルをつぎ込んだ。9億ドルという金額は、北朝鮮の2400万人の国民が3年間、延命できるだけのトウモロコシなどの食料を買える額です。北朝鮮の国民は国にお金がなくて死んだわけではありません。

北朝鮮という国は人の命を大事にしない。これは彼らの論理からすると強みでもある。例えばわれわれはいま北朝鮮を包囲し、制裁を科して追い込もうとしていますが、困るのは一般の人たち。周辺の人たちから飢え死にするわけです。北朝鮮の中枢部にいる人たちに影響が来るのはじわじわとであって時間がかかる。ですからいま制裁があまり効かないのはそういった面もある。

■国民を51の身分に割り統治、強制収容所…

 普通の国では、国際的な制裁が科されて餓死者が出れば、その政権は倒れる。でも北朝鮮では必ずしもそうではない。北朝鮮に国家安全省という、日本でいえば警察組織があるんですが、数年前にあるルートから、その国家安全省が出している秘密資料を入手して読んだことがあります。

 資料によれば、北朝鮮は国民を51の「出身成分」に分類します。これをさらに3階層にわける。まず、政権を支える核心階層というものがあります。これは軍属や抗日闘争で貢献した抗日パルチザン家族で、こうした人々はほとんど首都の平壌に住んでいます。

 それから動揺階層が地方に住んでいる。敵対階層というものもある。この敵対階層はだいたい隔離地域、韓国との国境の38度線近くや炭鉱がある地域、山間の僻地(へきち)に隔離している。少しでも政権に不満を表出しそうな人たちは、強制収容所に監禁します。

 北朝鮮の強制収容所を撮影した衛星写真から分析すると、推定で16万人から25万人が強制収容所にいるといわれています。

 敵対階層は彼ら北朝鮮指導部にとっては国民ではないというか、死んでも心が痛むわけではない。彼らの階級闘争論からすれば、敵対階層は淘汰(とうた)する対象であって国民ではない。

 ですから北朝鮮は人権といった概念からはほど遠い国であって、人命を尊いとは思わないのです。そうすると何が起こるか。

例えば、核戦争で金正恩が核兵器の発射ボタンを押すのではないかと私に質問する人もいるのですが-私は正直なところ想像もしたくないが-、社会主義の階級闘争論や敵対階層に対する哲学からすると、あり得るんですね。

 核兵器にまつわる中国でのこんなエピソードがあります。米国の高官が中国の最高指導者の●(=登におおざと)小平に会って米国の軍備状況を誇示したところ、●小平は平然とした態度で「中国は米国など全く怖くない。中国人を1日200万人殺してみなさい。1年間続けても6億人だ。つまり中国人の半分も殺せないのだから、全く怖くない」と言ったという話があります。

 また金正日は韓国に対する野心を捨てず、こんなことを言っています。「韓国に攻め込めば、韓国人のうち1千万人は逃げるだろう。逃げなかった者のうち、1千万人は粛正する。残りの2千万人と、北朝鮮の2千万人とで国家を建設する」。

 一般の国民に対する感覚はわれわれの感覚とはこれほど違うんですね。彼らの論理からすれば怖いものなし。彼らの強みでもあります。北朝鮮を人権問題で追及したとしても意味はないのだ、と認識したうえであの国とつきあわなければならないということです。 =(3)に続く

(李教授の発言は、8月23日、大阪市内で行われたウェーブ産経主催の講演会の時点)



 【プロフィル】李相哲(り・そうてつ) 中国黒竜江省生まれ。中国で新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院博士課程修了(新聞学博士)。主な著書に産経新聞に「秘録金正日」として連載した「金正日秘録 なぜ正恩体制は崩壊しないのか」(産経新聞出版)、「朴槿恵の挑戦」(中央公論新社)。


【李相哲氏講演詳報(3)】2017.9.1
手段を選ばぬ北朝鮮…約束を破り核実験、逃げ癖、2代目の誕生神話も嘘

 日本上空を通過するミサイルの発射など、挑発を続ける北朝鮮。アジア近代史など専門の李相哲・龍谷大学教授が読み解く北朝鮮の本質「3つの要素」とは。



■日本が忘れやすい点…「国際情勢は、どれだけ自国の国益を考えて行動するかが全て」

 3番目の彼ら(北朝鮮)の特徴は、これも社会主義国の共通点ですが、目的達成のためには手段を選ばない。一言で言うとルールを守らない、約束を守らないのです。

 北朝鮮が歩んできた道、米国と交わした約束、韓国と交わした約束、それらの内容とその後を照らしてみると、約束はほとんど守られていないんですね。例えば1994年10月にジュネーブで米朝枠組み合意が交わされました。その内容は北朝鮮が核兵器開発を放棄し、代わりに米国が軽水炉を作ってあげるというもの。軽水炉が完成するまでは毎年50万トンの重油を提供するという約束でした。

 しかし後になって北朝鮮はウラニウム型の核兵器をずっと開発しているということがわかったんですね。ここで合意は破棄されましたが、その後も2005年9月19日、これは919合意と言いますが、(米日中露と北朝鮮、韓国の)6カ国で話し合い、北朝鮮が核兵器を放棄する、その代わり米国は「敵対行為」を止める。

 例えば米韓軍事演習の中止です。また将来的な平和協定などの含みを残していたんです。ところが、皆さんご存じの通り北朝鮮は翌年に第1回の核実験を行いました。

 北朝鮮は、敵が怖いとき、自分の力が尽きたとき、へとへとになったときには約束を交わします。そして時間をかせぎ、状況が好転するとまた挑発し、約束を破るのです。

 私は中国で育ったので、中国という社会主義国のやり方と北朝鮮のやり方を照らし合わせるといろんなことがわかるのです。毛沢東はかつて「持久戦を論じる」という論文を書いていまして、私は大学時代に読みました。その戦術と全く同じです。敵が怖いときは逃げる、敵が弱いところを捕らえて攻撃する、困ったときは話し合う、というものです。

 ですから、彼ら北朝鮮が話し合いに出てくるときは、もう困って困り果てて出るしかないという状況にある、と見た方がよい。

国際関係論や国際政治では、この国は良い国とか、この国は悪い国という考え方はない。国際情勢のなかで、自国の国益をどれだけ考えて行動するかが全てです。でも北朝鮮の問題というのは、国民の利益を優先するのではなく、政権を維持するためにどうすべきかということを最優先している点にあります。

 北朝鮮、この国の成り立ちは1945年9月、日本が終戦で撤退したあとソビエト連邦(当時、現ロシア)が北朝鮮に進軍したときに始まります。北朝鮮に続々と戻ってきた政治勢力の中には、延安で毛沢東たちと一緒に革命に参加した人たち、韓国国内で日本に反抗して活動していた民族主義者、ソ連から戻った社会主義派がいた。

 金日成(キム・イルソン、後の北朝鮮国家主席)は1940年くらいからソ連のハバロフスクの近郊にあるビャツッコエという遊撃隊訓練キャンプで大尉の階級にいたソ連兵です。当時33歳の若い金日成の周りに人材を集めなければならないので、個人崇拝を始めた。

 近年になってソ連の資料館から発掘された資料から、ソ連の進駐軍将軍たちが金日成をどうやって偉い英雄に仕立てたかという工作の過程がありありと描かれています。

 それは金日成がかわいいからではなくて、ソ連が北朝鮮という国(の国民)を思い通りに動かすためです。ソ連が操る金日成の言う通りに北朝鮮国民を動かすためには、金日成を偉大な将軍に仕立てなければならない。

 そこから、北朝鮮は、一人の英雄がいて、「この人の周囲に団結すれば全てうまくいくよ」というストーリーを作っていく。その次に後継者になる金正日(キム・ジョンイル)は1942年生まれですから抗日も何もしていないため、英雄譚(たん)がない。朝鮮戦争にすら参加していない。そこで何をしたかというと、神話を作るんですね。

例えば金正日が生まれたのは(本当は1941年)ソ連なんですが、北朝鮮は白頭山という、金日成が日本軍と戦った戦火の中で生まれた子供だと、しかも彼が生まれた場所に近い山の高さが216メートル、彼の誕生日の2月16日とぴったり一致する。山の麓にあった金正日が出生した丸太小屋と山の距離は42メートル、つまり生まれ年と一致したらしい。

 現在の金正恩(キム・ジョンウン)は、そういう神話がなかなか作りにくいようだ。彼の母親が在日朝鮮人だということは誰もが知っている。

 多くいる妻の中の一人で、彼女は踊り子だった。朝鮮のしきたりや文化からすれば、踊り子は昔、少し下にみられる風潮があったので、このことからも明らかにできない。そこで彼らが言い出したのは、金正恩は血筋がいいんだと、「白頭山血筋」を受け継いだのだとしました。こうして後継者にはなったが、金正恩にとっては「自分は偉い」とみせる必要がある。

 大胆で戦略家だというストーリーを作るため、大胆にも朝鮮戦争後初めて韓国の領土、延坪島(ヨンピョンド)に砲撃を加えた。北朝鮮の魚雷攻撃で46人の韓国人兵士が亡くなった哨戒艦・天安の事件(2010年3月)も金正恩の指示といわれている。これは北朝鮮国内では彼の英雄譚として残ってます。

 1回目の長距離弾道ミサイル発射を行ったときも、北朝鮮の宣伝では、偉大な将軍様がアメリカの陰謀を砕いたと書き立てた。かように彼は実績作りに一生懸命です。

(李教授の発言は、8月23日、大阪市内で行われたウェーブ産経主催の講演会の時点)



 【プロフィル】李相哲(り・そうてつ) 中国黒竜江省生まれ。中国で新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院博士課程修了(新聞学博士)。主な著書に産経新聞に「秘録金正日」として連載した「金正日秘録 なぜ正恩体制は崩壊しないのか」(産経新聞出版)、「朴槿恵の挑戦」(中央公論新社)。


【李相哲氏講演詳報(4)】2017.9.4
北朝鮮問題、長期化の背景は…韓国を狙う核・ミサイル、開発資金は韓国から

 日本上空を通過するミサイルの発射など、度し難い挑発を北朝鮮はなぜ続けるのか-。アジア近代史などが専門の李相哲・龍谷大学教授は、北朝鮮の本質は「3つの要素」に分類できると指摘する。中国という社会主義国で生まれ育ったからこそ深く理解できる金ファミリー政権の「かたち」を8月23日に大阪市内で行われた講演会(主催・ウェーブ産経)から読み解く。(発言はすべて23日時点)


■金正恩政権…いずれ決着、この際に問題となるのが「韓国」

 しかし北朝鮮には変化が生じています。昔の北朝鮮は全てを国が与えていました。食べ物、洋服の生地など配給券を配っていた。小学生は鉛筆からかばんまで国が与える。新学期が始まる際は子供を集め「偉大な将軍様が皆さんに文具を与えるのです」というような儀式を行い、子供は皆、涙ぐんで受け取る。そうして忠誠心を植え付けていたのですが、これが最近できなくなった。

 1994年に金日成(キム・イルソン)が死去し、経済がどんどん悪化したことで、地方から配給が少しずつなくなっていった。今は一部の特権階級を除いてこの制度は崩壊してしまった。その代わりに生まれたのがチャンマダンという野外市場です。

 その市場で、お金も物もない人は何をするかというと、北朝鮮では上下水道が完備されていないので、川に行って水をくみ、市場で金持ちに売ってその日を延命する。チャンマダンがあるため国民はかろうじて飢え死にしていない。現在は衛星写真で確認した場所だけで、北朝鮮全土にだいたい700カ所くらいあります。

 経済学者の統計によると、北朝鮮は経済の8割方をチャンマダンに依存していると。そうすると、これまで金日成や金正日(キム・ジョンイル)のために、つまり一人のために頑張れば何でもあるし、国も問題ないんだと思っていた人たちが、「市場にいったらもっといいことがある」と思うようになり、お金が全てだと思うようになる。

 ただ金正恩(キム・ジョンウン)も若いですし、周辺に若いスタッフもいるので、やはり改革の試みは行っている。従来、工場などの生産物は全部国が買い取って分配していたが、金正恩政権では30%は国に納め、残りは自分たちで売りなさいと、そういうことをやっています。

 しかし金正恩政権のジレンマというのは、改革はしても開放はできないという点にある。

開放なしに北朝鮮は立て直せない。電気がまずない。上下水道もそうですし、生活の基盤施設がほぼ壊滅状態にある。資本や技術を韓国から取り入れなければならないが、それでは情報が入ってくる。金一族の一人のためにやってきた北朝鮮の政治体制が良くないとわかってしまう。

 最近特徴的なのは、金正恩の統治体制というのは国民が勝手に自給自足をしているため、上層部は集中してミサイルと核の開発に注力しているということだ。

■制裁が“金正恩のカネ”直撃、困ってる北朝鮮

 国際社会もそれがわかってきたため、金正恩に入るおカネに焦点を合わせて制裁を始めた。

 私は以前から中国を頻繁に訪ね、北朝鮮と貿易している業者たちとよく話をします。半年前までは、北朝鮮の貿易関係者たちは全く困らないんだと言っていると聞きました。北の貿易業者が中国の銀行で口座を作るのは非常に簡単で、数年前はパスポートを持っていけばどこの銀行でも口座を作れたんですね。

 ですから北朝鮮は稼いだカネは全部中国にプールして、その口座(のカネ)から中国で必要なものを買って北朝鮮に運ぶ。北朝鮮の銀行口座が制裁で取引できなくなっても問題はなかった。

 それが今年の6月から金融実名制となり、世界的に誰のお金でどれだけのお金があるか全部見られるようになった。北朝鮮はいま、お金を全く動かせなくなっています。

 3週間ほど前に同じ貿易関係者に話を聞くと、北朝鮮は本当に困っているといいます。「希望が見えない、どうすればいいんだ」と。これが政権内部でじわじわと広がっているわけです。

 私は国際社会の制裁を続けていけば、金正恩政権は間違いなくどんどん悪くなって、決着が付くと思います。

ただ、ここで問題になるのが韓国です。北朝鮮問題がここまで長引いている背景には韓国の問題があるのです。韓国が毅然(きぜん)とした態度で北朝鮮問題を解決する強い意志を持っていれば、とっくに解決していた。

 韓国の保守政権も左派政権も含めて、韓国の政権というのは、かつての朴正煕(パク・チョンヒ)大統領時代と違い、5年間の政権の安全を考えてきた。北朝鮮を韓国に編入させるいう方針で北朝鮮問題に取りかかるのではなく、分断したままの朝鮮半島を管理するという発想でやってきた。問題が起こらなければいい、ということです。

 1992年の金泳三(キム・ヨンサム)大統領のころからほぼ20年間、金大中(キム・デジュン)を通して、盧武鉉(ノ・ムヒョン)まで、韓国は北朝鮮をなだめるために、約8兆ウォン(約8千億円)を支援しています。北朝鮮が核兵器とミサイルを開発するには巨額の資金が必要だが、その資金は韓国から渡っているんですね。

 本当に皮肉な話ですが、韓国を狙っている核兵器とミサイルは、韓国が助けて作ったと言っても過言ではない。



 【プロフィル】李相哲(り・そうてつ) 中国黒竜江省生まれ。中国で新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院博士課程修了(新聞学博士)。主な著書に産経新聞に「秘録金正日」として連載した「金正日秘録 なぜ正恩体制は崩壊しないのか」(産経新聞出版)、「朴槿恵の挑戦」(中央公論新社)。

2017.9.5 11:00
更新

【李相哲氏講演詳報(5)】
北朝鮮とあの国は「唇と歯」、米国が中国に問題解決を期待するのは間違いだ

 日本上空を通過するミサイルも発射、度し難い挑発を北朝鮮はなぜ続けるのか-。李相哲・龍谷大学教授が北朝鮮の本質を読み解く。

■北朝鮮の核兵器を認めるか、あるいは力ずくで…
 現在、これほど国際社会が北朝鮮を包囲して金正恩の態度を変えさせようと努力しているなかで、(韓国の)文在寅(ムン・ジェイン)大統領は8月21日、韓国を訪問した米国の上下院議員団に会って、(南北協力事業の)開城(ケソン)工業団地を再開するという意志を表明した。
 開城工業団地とは金大中(キム・デジュン)政権の2000年に着工して、60平方キロくらいある、北朝鮮領内に造った工業団地です。それが稼働し始めたのが2005年で、韓国から150社くらいの企業、加工業者が入って、毎年だいたい1億ドルくらいのお金が北朝鮮に渡っていたんですね。
 そのお金はもちろん金正恩(キム・ジョンウン)の統治に使われる。また金剛山問題もある。金剛山は北朝鮮側にある、朝鮮半島で最も美しいとされる観光地なんですが、当初は入山料だけで1人300ドルも払っていた。これは高いから半分は国(当時は金大中政権)が補助金を出していた。このお金も当然ながら金正恩の懐に入っていた。
 最近、話題になっているように、北朝鮮の1年間の貿易収入がだいたい30億ドルですね。今回の国連制裁で10億ドルは減るのではないかと計算しています。こうした数字を見れば、開城工業団地での1億ドルは、北朝鮮にとって大きな金額です。いまだに北朝鮮の国民総所得は300億ドルくらい。そんな国に(開城工業団地だけで)年1億ドルは渡っていた。
 そのお金で北朝鮮の一般国民の生活が向上したり、北朝鮮が少しでも開放的になったりすればいいことです。しかし一向に北朝鮮の一般国民の生活が改善したという話はきかないですね。それは北の政権が核兵器開発などに使ったからではないか。

加えて少しだけ。恐らく皆さん気になっていると思うんですが、北朝鮮問題が一向に解決しないのは韓国が毅然(きぜん)とした態度を見せなかったからだと申し上げましたが、根本的にはやはり中国が北朝鮮を支えているということがあります。
 中国の影響力がどれだけあるかというと、北朝鮮の人たちが使っているありとあらゆるものが中国から入っている。
 彼ら(中国)の言い方からすると、民生に関わる制裁は避けるべきだと言っています。最近ミサイルに使われているといわれるコンピューター部品についてもそうです。コンピューターは一般の人たちが使う物でもあるけれども彼らはそこから部品を解体して軍事産業に転用するわけですから、なかなか中国が本気にならないと北朝鮮は止められない。
 北朝鮮と中国の国境は1400キロくらいあり、そのなかに税関が6カ所くらいある。税関だけ止めても北朝鮮は大変な状況に追い込まれるんですが、中国はそれをしないんですね。

中国には「唇がなくなると歯が寒い」ということわざがあるんです。つまり中国にとって北朝鮮は唇のような大事な存在であって、この70年間、中国からすれば北朝鮮の100万を超える軍人(推定の総兵力は119万人)が良くも悪くも米軍の北上を阻止しているわけです。だから中国にとってはとてもありがたいことで、それを中国がなくすということはあり得ないわけです。
 なので、中国に期待してこの問題を解決しようとする米国の考えは間違っていると思います。
■「米トランプ政権の選択肢2つ…戦略3段階、今は…」
 そこでいまトランプ米大統領がどうしようとしているかを見ると、米国はテーブルの上にはさまざまなオプションがあり、そのなかには軍事的なものも含まれると言っていますが、私は2つしか残っていないとみているんですね。
 北朝鮮の核兵器を認めるか、あるいは力ずくでそれを奪うかということなんです。
 米国の今の戦略は3段階くらいあって、最初は世論を作り制裁を強めるというものですが、中国が積極的に参加しないと効果がないということがわかったので、中国を巻き込み、中国がさらに圧力をかければ変化があるんじゃないかと、そこまでやってみたが駄目だった。そこでいまやっているのはセカンダリー・ボイコット。つまり中国に強制的に(制裁を)させる手段として、万全の軍事的準備を進め、中国に圧力をかけているのが現状なんですね。

私が聞いた韓国の高官の話では、いま釜山港にこの半年間、毎日のように米国からすごい量の軍事物資が入ってきている。最近話題になっている米国の現場指揮官の3人、太平洋司令官と戦略軍司令官、防衛システムを管轄する局長の3人が韓国に来た。
 そのなかでも私が注目しているのは、戦略軍のトップが韓国に来て演習に参加したということです。これが何を意味するかというと、戦略軍とは簡単に言うと核兵器を扱う部隊です。爆撃機や原子力潜水艦など核兵器を使う部隊の司令官です。この人が来たというのは、恐らく金正恩(キム・ジョンウン)に対し「妙なことはするな」と(いうメッセージ)。
 北朝鮮は言葉でいつでも核で何かやりそうなことをチラつかせるんですね。それに対する警告があります。さらに、こういうことは万分の一の確率もないかもしれませんが、核兵器を使わざるを得ない場合のシミュレーションをしてるのではないかと思っています。

そのような状況下でいま、危機は高まっているんですが、全ては金正恩が10日間の演習と、そのあとどれくらい静かにしてくれるか、つまり残念ながら金正恩が朝鮮半島のキーを握っている。そこに文在寅政権が金正恩を応援するかのようなことをしているので、金正恩は安心しきっていろんなことをやっているという状況です。 =完
(李教授の発言は、8月23日、大阪市内で行われたウェーブ産経主催の講演会の時点)
▼再び(1)韓国ソウル五輪に対抗し“借金”、ミサイルやっぱり発射…から読む

 【プロフィル】李相哲(り・そうてつ) 中国黒竜江省生まれ。中国で新聞記者を経て1987年に来日。上智大学大学院博士課程修了(新聞学博士)。主な著書に産経新聞に「秘録金正日」として連載した「金正日秘録 なぜ正恩体制は崩壊しないのか」(産経新聞出版)、「朴槿恵の挑戦」(中央公論新社)。

【実録 韓国のかたち】第二部

【実録 韓国のかたち】第二部(1)
 晴れの日の演説 弾劾の材料に

 2014年3月28日。この日は韓国大統領(当時)、朴(パク)槿(ク)恵(ネ)の人生でもっとも輝かしい一日となった。国賓としてドイツを訪問した朴は、「エルベ川の真珠」と呼ばれる旧東独の古都、ドレスデンで「韓半島(朝鮮半島)統一のための構想」と称する「ドレスデン宣言」を発表したのだ。

 ドレスデン工科大学で行われた演説で朴は、「ドレスデンはドイツの分断克服と統合の象徴。ドイツ民族はここ、ドレスデンを自由な空気が満ち、豊かさあふれる希望の都市に作りあげました」と切り出した。同大から名誉博士号を授与され、黒いガウンに身を包んだ朴は「ドイツは統一という大きな夢をかなえ、さらにはヨーロッパの未来すら変えた」とたたえた後、3項目からなる対北朝鮮基本政策を打ち出した。

 それは(1)南北分断により苦痛を強いられる離散家族再会の定例化(2)農業支援など民生インフラ構築への協力(3)南北統合のための交流拡大-だった。ただし、「北韓(北朝鮮)が核を捨てる決断をすれば」という前提つきだった。

 宣言に北朝鮮は激しく反発した。「海外に出かけ、ふしだらな女のように化粧までして女気をふりまいた」と攻撃。朴が追求する統一は「わが制度を壊す体制統一だ」(14年4月1日付「労働新聞」)と非難した。

 演説の達人として知られるオバマ米前大統領が、文章の格調の高さを絶賛したという「ドレスデン宣言」は、後に朴の対北基本政策として定着するが、この演説文が、朴弾劾の引き金をひく材料に使われるとは当時誰が予想し得ただろうか。

ドレスデン宣言から2年9カ月後の16年10月24日、韓国の左派系有線テレビJTBCは、ドレスデン宣言文を含め朴の演説文の多くは、「秘線実勢(影の権力者)」で長年の友人の崔(チェ)順(スン)実(シル)が直したものと“暴露”した。

 JTBCの看板番組「ニュースルーム」は、「崔はおおよそ44にのぼる演説文を大統領が公表する前に受け取っていた」と報道、キャスターはこう続けた。  「いわゆるドレスデン宣言。朴槿恵政権の国政哲学がもっともよく反映されたと評価される文章ですよね。この演説文は、本当は極度の保秘を要する資料だったのです。なのに、この宣言文も、やはり崔氏が1日前に事前に閲覧したことが確認されたわけです」

 JTBCは、崔氏が常に持ち歩き、朴の演説文を直したとするタブレット端末が「偶然崔のオフィスから見つかった」と説明。手直しの赤字が入ったドレスデン宣言文の画面をを視聴者にみせ、「崔氏のタブレット端末は大統領府の各種書類でいっぱいでした。ファイルは200にも上ります」とも解説した。

 この日のニュースルームは有線テレビのニュース番組視聴率としては異例の高さである8%を記録した。
韓国の有線テレビJTBCのスクープに刺激された韓国メディアは、一斉に朴槿恵への攻撃を開始した。「朴は一般人女性(崔順実)に魂を売った。しかも怪しげな宗教家の娘だ」、「われわれは、実は、崔順実という女に支配されていたのではないか」。

 事態の深刻さに気づいた朴は翌25日、「対国民談話」を発表、「大統領選挙中(崔順実氏は)私の選挙運動が国民にどのように伝わるのかについて、個人的な意見や感想を伝達してくれる役割をしたことはあるが、(大統領府の)補佐体制が完備されてからは辞めた」と釈明した。しかし、談話は報道内容を認めたものと解釈され、国民の憤怒を呼び起こした。

 人々はデモに繰り出し、巨大な断頭台の模型には朴に見立てた人形がつるされた。韓国の歴史ドラマに登場する宮女の格好をした女性らが朴に賜薬(毒薬)をのませる合成写真を手にもつ人々もいた。

 子供たちもデモ隊に紛れこみ、朴の頭部にみたてて作られたボールを蹴る姿まで見受けられた。

 それからほぼ1年が経過した今年9月、検察は問題のタブレット端末の通信履歴や保存データなどを調べた報告書を裁判所に提出。そこには「端末には意味のある内容は何にもない」から鑑定の必要はないとの意見書がつけられていた。

 「朴槿恵大統領公正裁判のための法律支援団」(有志の弁護士を中心に発足)が、報告書を分析して発表したのは9月17日だ。

 支援団によれば、検察は、端末を入手した翌日の2016年10月25日にすでに報告書を作成していたという。事実なら1年ものあいだ隠し通したことになる。

 報告書から分かった事実は驚愕すべきものだった。端末は13年1月から16年10月までネット回線につながれた痕跡はなく、別人名義のものだった。

中に入っていた1800枚以上の写真、その他ファイルに国政介入をうかがわせるものは皆無だったとされている。

 しかし、なぜか「ドレスデン宣言文」だけは、端末に入っていた。

 「JTBCが端末を拾った」(JTBCの説明)後、検察に証拠として提出するまでの間に流し込んだ可能性が濃厚という。

 しかも端末には、文書を修正する際に使うソフトも入っていなかった。

 逆にJTBCが端末を手に入れた後は40回ほどネットに接続されていたことが判明、検察も手を加えた痕跡があるという。

 「支援団」は、「国政介入報道は事前に徹底的に操作され、弾劾に使用された妖物だった」「国政監査と特別検察の任命を強力に要求する」との声明を発表したが、左派系の文在寅政権下でその要求が聞き入れられる見込みはほぼない。

 韓国憲法裁判所で弾劾の是非が審議されていた最中に朴はメディアのインタビューにこう話した。

 「この騒ぎは誰かが私をはめようとして企画した気がする」

 しかし弾劾必至の空気のなかで彼女の言葉はむなしく響くだけだった。

=敬称略(龍谷大学教授 李相哲)

    ◇

 大統領という絶対権力者を通してみる「韓国のかたち」。第2部は同国初の女性トップとなりながら、刑事裁判の被告に転落した朴槿恵の誤算を取り上げる。


2017.10.17 17:30
【実録 韓国のかたち】
第二部(2)独房前ですすり泣いた前大統領…弱点「崔一家との関係」に報道の嵐

 韓国前大統領、朴槿恵(パク・クネ)が逮捕、拘束されたのは韓国の左派系有線テレビJTBCの報道から約5カ月後の3月31日だった。

 ソウル拘置所で朴に与えられたのは、トイレと洗面台などをいれてわずか12・1平方メートルの独房だった。

 「房に入るまえに前大統領はすすり泣きをし、しばらく入ろうとしなかった」(韓国日報)

屈辱の拘置所

 65歳になる彼女がこのような屈辱を味わうのは生まれて初めてだった。元大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)の娘として「お姫様」のように扱われ、韓国憲政史上初の女性大統領として権力の座にいた彼女が、強盗や殺人犯らが収容される拘置所に入れられたのだから動揺するのも無理はない。

 朴にかけられた容疑は職権乱用、秘密漏洩(ろうえい)、収賄など10を超えたが、世間の関心は、朴がなぜ崔順実(チェ・スンシル)一家と縁をきらずに関係を保ち続けたのかに集中した。韓国メディアの嵐のような報道は、瞬く間に朴を「崔に魂まで奪われた人物」に仕立て上げた。

 「朴は『永世教』というカルト宗教にはまり、(崔順実の父で宗教家の)崔太敏(チェ・テミン)の信徒だとの疑惑がある」「青瓦台(大統領府)でグッパン(シャーマニズムの儀式)までやっていたとの疑惑もある」(JTBCなどの報道)

 朴は再び対国民談話を発表。「青瓦台でシャーマニズムの儀式を行ったという報道は事実無根」と釈明したが、興奮した韓国国民には「弁明」にしか聞こえなかった。

大統領が崔に操られてきたとするJTBCの報道は、朴の弱点を実に正確に射ぬいたものだった。朴にとって崔一家はアキレス腱(けん)だった。朴の生涯を概観してみれば、それが唯一といっていい「闇の部分」であったことがわかる。

冷静な小学生

 朴は、小学生時代までは腕白(わんぱく)坊主のような女の子だったという。学校の成績は常に全科目で「秀」をもらった。

 小学時代の朴がどんな子供だったかは彼女が通った長忠洞初等学校の学籍簿に残された「性格評価欄」を見ればわかる。

 低学年のときは「親切、礼儀、社会性、正直性、正義感」などすべての項目で最高の評価をもらっているが、高学年になるにつれ、変化が生じる。評価欄には「若干冷静すぎる」「自尊心の強い生徒」と書かれるようになった。

 軍人になる前は小学校教師だった父、正煕と元教師の母、陸英修(ユク・ヨンス)は長女の朴に厳格な教育を心がけた。

 1964年1月に陸は、韓国メディアのインタビューに、「大人っぽくなってきた6年生の長女(槿恵)は、自分の不注意と過ちが両親に影響を及ぼすことを頭に入れているらしく、すべての面において気をつけ、努力しています」と語っている。

 朴も後に「私が失敗でもしようものなら両親の顔に泥を塗るかもしれないという心配でいつも緊張して過ごすのが癖になっていた」と語っている。
独裁体制で政敵も多かった正煕に比し、国民からも広く慕われ、「国母」と呼ばれた陸が凶弾の犠牲になったのは74年8月15日。当時フランスに留学し、韓国では味わうことのできなかった自由を満喫していた朴は母の死を知らされた瞬間をこうつづった。

 「全身に数万ボルトの電流が流れるような衝撃を受けた。心臓に鋭い刃物を深く刺されたような痛みを感じ、目の前が真っ暗になって何も見えなかった」

 そんな彼女に「あなたのお母さんが私の夢に出てきた。娘を助けてほしいと言われた」と近づいてきたのが宗教家を名のる崔太敏だった。=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

2017.10.18 16:40
【実録 韓国のかたち】
第二部(3)父の死後、側近は去り…韓国政治の「非情さ」誰よりも知りながらなぜ政界へ?

背筋がぞくっとしながら、発した言葉は「前線は大丈夫ですか」

 1979年10月27日の未明。朴槿恵(パク・クネ)は電話のベルの音に起こされた。受話器の向こうからは父、朴正煕(チョンヒ)の秘書官の震える声が聞こえた。「早く支度をしてください」

 朴は背筋がぞくっとした。母が亡くなったときの記憶が稲妻のようによみがえった。しばらくして大統領府秘書室長がやってきた。

 「閣下(朴正煕)が亡くなられました」

 まだ、完全に目がさめないまま、彼女が発した第一声は「前線(南北軍事境界線)は大丈夫ですか」だったという。

 16歳の誕生日を2週間後に控えた68年1月、北朝鮮特殊部隊員31人が青瓦台(大統領府)近くまで侵入してきたことがあった。74年に北朝鮮に思想教育された在日韓国人の銃撃で母を失っていた朴は、今度もまた北朝鮮の仕業だと思ったのかもしれない。

父の遺体の前で凍りつく そして1カ月もたたないうちに…

 朴正煕は、青瓦台近くの安家で側近中の側近だった中央情報部長に撃たれ死亡した。朴はその日のことをこう回想する。

 夜明けごろ、父の遺体は青瓦台に移された。ひつぎの前にはびょうぶをたてた。「私は凍りついた。誰かが私の背中に短刀を突き立てたとしてもなんの痛みも感じなかったことだろう」「子供のように泣いて取りすがりたかった。目の前には泣きじゃくる妹と弟がいた。泣き声が漏れないように口を結んで泣く弟の姿に胸が引き裂かれそうだった」 

事件から1カ月もたたない11月21日。朴が妹と弟の手を引いて青瓦台を去るとき、父の側近の多くはすでに彼らから離れていた。

 こうした中でも、いやこうした状況下だったからこそか崔親子は朴のそばに居続けた。

国家破綻の危機、「自分だけが安易な生活をおくることはできなかった」

 韓国政治の非情さをだれよりも知る朴はなぜ政治の世界に入ったのだろうか。

 彼女を動かしたのは97年に韓国を襲った通貨危機だった。国家破綻の危機に見舞われた韓国は国際通貨基金(IMF)の管理下に置かれたが、愛国心から多くの人が金の指輪やネックレスを国に差し出し、大人からもらった小遣いを献金する子供もいた。

 自叙伝で朴は「青瓦台を離れてから私は悲しさを忘れ、心の平和を手に入れようとした。しかし国の根幹が揺らいでいるのに私だけが安易な生活をおくることはできなかった。私は“政治家・朴槿恵”の道を歩む決心をした」

 97年12月。大統領選投票日を8日後に控え、朴は保守系政党ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の支持を宣言、応援演説を始めた。

 翌年2月、朴はハンナラ党に入党、大邱市の国会議員補欠選挙に立候補した。長い沈黙を破って政治の世界に現れた朴は、メディアの話題を独占し続け、行く先々には人だかりができて彼女を取り囲んだ。「アイゴ(あら)、こんなに立派になって。よく耐えてきたね」と慰める人や千ウォン(100円相当)札を小さく丸めて朴の手に握らせるおばあさんもいた。多くが朴正煕を知っている高齢の世代だった。朴は相手候補に24%の差をつけ勝利した。

 父の存在は彼女にとって力の源泉であると同時に弱点でもあった。

 朴が大統領選挙に立候補を表明したとき、左派系のハンギョレ新聞はこう書いた。「わが国の現代史が歪曲されずに教えられていたら、こんなめちゃくちゃな現象(朴槿恵人気)が現れただろうか! 朴正煕が親日派であった事実が教科書に記され、クーデターを起こし、人権を蹂躙(じゅうりん)したという事実が知らされていたなら、その娘が大統領候補になることなどあり得るだろうか?!」

 朴と左派との戦争は、朴が政治家を目指した日から避けられないものだった。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

2017.10.20 11:13
【実録 韓国のかたち】
第二部(4)亡き父の“亡霊”に悩まされ…「朴槿恵だけはだめだ」と主張する左派の抱き込みを優先 

凶弾で倒れた「朴正煕の娘」を売り物にしている-左派の攻撃

 2012年8月、朴槿恵(パク・クネ)は保守系セヌリ党(当時)の大統領候補に確定した。

 出馬宣言で朴は「私の人生は大韓民国と一緒でした」と語り始めた。「母は凶弾に撃たれて亡くなりました。耐えがたい苦痛と困難を私が克服できたのは、母が残した空白を埋めなければという責任感と使命感があったからです。そして国民の皆さんが一緒にいてくれたからです」

 党内予備選で84%の票を獲得。圧倒的な強さを見せたが、対立する左派陣営は「凶弾で両親を亡くした、朴正煕(チョンヒ)(元大統領)の娘を売り物にしているからだ」(ハンギョレ新聞)とこきおろした。

 この日朴は父についても口を開いた。「父を亡くし苦痛に耐えていた私は平凡な生活を望んだが、(父の世代が汗と涙でつくった)国家が危機にさらされるのを座視できなかった」

 ところが、選挙期間中に朴を悩ませ続けたのは、ほかならぬ「父」であった。左派陣営は、朴正煕が日本の陸軍士官学校に通い、関東軍支配下の満州軍将校として服役した「親日経歴」や、軍事クーデターをおこした前歴を問題にし、朴に「立場の表明」を迫った。

革命前夜の混乱 父の軍事クーデターは「不可避、最善の選択だった」

 予備選挙を1カ月前に控えた12年7月、ソウルのプレスセンターで開催された討論会でも朴に集中した質問は「父に対する立場」だった。

 「1961年に朴正煕が起こした軍事クーデターをどう思うか」という記者の質問に朴はこう答えた。
「当時を振り返ってみてください。わが国民は、草や木の皮を食べながら飢えをしのぎました。世界で下から2番目に貧しい国で、安保的にもとても危険な状況にありましたので、父としては不可避の最善の選択をしたと思います」

 朴正煕がクーデターをおこしたのは、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)が不正選挙の責任をとり下野を余儀なくされた約一年後のことだ。李退陣後の韓国は革命前夜を迎えたかのように混迷の度合いを深めていた。

 米中央情報局(CIA)報告書など米国が近年公開した資料を基に書かれた「韓国での国づくり」(グレッグ・ブレジンスキー著)によれば、当時警察幹部の多くが組織を離れた結果、社会秩序は乱れ、治安は悪化の一途をたどっていた。 

 左派系の学生民族統一連盟が北朝鮮との直接対話を唱え、軍事境界線を目指してデモ行進するなど過激な行動にでた。保守団体がそれに反発、両陣営は熾烈な攻防を繰り広げた。まさに内戦状態だった。

誤算だった左派の取り込み

 選挙に詳しい漢陽大学教授、李英作(イ・ヨンザク)博士によれば、韓国の有権者は保守系、左派・進歩系、無党派に3分される。保守系は朴正煕を肯定的に評価するが、左派・進歩勢力は朴正煕の経歴のみならず、経済発展の実績も否定する。

 「誰が大統領になっても構わないが、朴槿恵だけはだめだ」(12年6月10日付「ハンギョレ新聞」)というのが左派の主張だった。

朴が大統領選に勝つためには無党派層のみならず左派・進歩勢力の一部を取り込む必要があった。

 朴は「理念、階層、世代、進歩と保守を区分けせず、100%の大韓民国を作るつもりだ」と公約に挙げ、遊説では左派系の抱き込みを優先した。 

 政敵であった盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領(09年5月に自殺)のお墓まいりをして献花し、未亡人のグォン・ヤンスクを訪ねた。

 12年12月の大統領選で朴は51・6%の票を獲得。韓国憲政史上初めて過半数の票を得た大統領、東アジア初の女性大統領と国内外の期待を一身にあびたが、左派系までを取り込もうとした政治姿勢は誤算であったことがすぐに判明する。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

第二部(5)朴VS文ら左派の死闘-TV討論会で「血はごまかせない」と面罵、スパイ映画並み世論操作疑惑も


敵意むき出しで「覚えておきなさい、私はあなたを落選させるために出た」

 2012年の韓国大統領選挙は左派・進歩勢力と保守勢力がそれぞれの存在をかけた戦いとなった。

 当初、左派・進歩系からは民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)、進歩正義党からは沈相●=女へんに丁=(シム・サンジョン)、統合進歩党からは李正姫(イ・ジョンヒ)、無所属の安哲秀(アン・チョルス)らが立候補したが、土壇場で野党側は候補一本化へ傾いた。

 12月4日、大統領候補者による第1回目のテレビ討論がおこなわれた。朴槿恵(パク・クネ)は裏では文との候補一本化を進めながら討論会に出てきた李にこう言った。

 「候補一本化を口にしながら討論会に出た理由が理解できない」

 すると李は「これだけは覚えておきなさい。私はあなたを落選させるために出たのよ」と敵意を露わにした。そしてこう続けた。「あなたの父は日本軍将校になった(正確には満州軍)高木正雄こと朴正煕(チョンヒ)ではないか。血はごまかせないのよ」

 討論会の視聴率は34・9%を記録した。

 事実上、朴と文の一騎打ちとなった12年の大統領選は最後の最後まで結果が読めない状況が続いた。

“秘密工作”暴露劇、テレビで中継

 投票日が近づき、両陣営とも予期せぬミスが起きるのではないかと戦々恐々としていたところへ「(情報機関である)国家情報院(国情院)が朴を当選させるため世論操作をしている。朴への投票を促す“テックル(インターネット上の各種サイトに書き込んだ文をさす)″を組織的に大量に流布している」という内部告発が文陣営に寄せられた。

 民主統合党が疑惑を「暴露」したのは12月11日。大統領選挙は8日後に迫っていた。

 情報源は元国情院幹部を名乗る金(キム)某だった。後に明らかになるが、国情院内部にも3人の協力者がいた。

 金某は国情院の心理戦部門で“テックル”を専門とする女性職員の身分を割り出して尾行。マンションを特定した後、駐車場に止めてあった職員の車とわざと接触事故を起こす方法で、部屋番号まで特定して通報したという。スパイ映画の秘密工作を連想させるやり方だ。

 11日夜、民主統合党所属の国会議員らが取材陣をつれ、職員の家を急襲。職員が逃げられないよう35時間にわたって出入り口を封鎖した。マスクで顔を隠し、ドアを開けようとする職員を押し込み、部屋の中に突進しようとする国会議員と女性がもめる場面はテレビ中継を通じて有権者に伝えられた。

16日夜、文と朴の最後のテレビ討論が行われた。選挙戦は事実上、二人の一気討ちだった。

 朴 「文候補は、自ら人権派弁護士を名乗りながら、国情院女性職員の件について一言も謝罪の言葉がない」

 文 「女性だろうが男性だろうが選挙法を違反したか(しなかったか)が問題だ。

 テレビ討論が終わってから1時間後の同日深夜、警察は“テックル事件”に関する中間捜査結果を発表、「(女性のパソコンには)“テックル″などの痕跡はなかった」と明らかにした。

“テックル事件”再調査

 しかし、文陣営は反発。朴の当選が確定した後も国情院長、捜査を指揮した警察関係者らを選挙法違反などで告発、左派・進歩系市民団体は「朴槿恵下野(退陣)運動」を開始した。

 「朴政権発足後ずっとその正当性に疑問を抱かせるものとなった」(17年3月10日付「韓国日報」)テックル事件は朴政権に影のようについてまわった。

 そして文政権は今年8月、テックル事件に関連したとされる30数人に対する再調査を開始した。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち】2017.10.24
第二部(6)親北国会議員が内乱計画、チラつく文在寅の影…朴槿恵は左派排除のためルビコン川を渡った

一度“いや”と言ったら融通が利かない朴槿恵の性格

 朴槿恵(パク・クネ)が大統領に就任した2013年、北朝鮮は米韓合同軍事演習に際し、例年になく厳しい態度をとった。3月30日、北朝鮮は「政府・政党・団体特別声明」を発表して「この時刻より南北関係は戦時状況に突入する」と宣言、南北の和解と協力を象徴する事業として元大統領、金大中(キム・デジュン)時代に造った開城(ケソン)工業団地を「容赦せず閉鎖」すると威嚇、10日後には5万人に上る北の労働者全員を工業団地から撤収させた。

 発足したばかりの朴政権に揺さぶりをかけるのが狙いとみられたが、朴は「(北朝鮮が)危機をあおって脅しをかけると(われわれは)妥協し、支援するという悪循環を繰り返した」と述べ、断固としてあしき「慣習」を断ち切る意向を表明した。

 しかし7月に入って、北側は開城再開について話し合いたいと提案してきていた。北側が「折れた理由」について当時の韓国統一部高官は筆者に「一度“いや”と言ったら融通が利かない朴槿恵の性格を北が知ったからではないか」と解説した。

「基幹施設破壊を」国会議員の特権利用し機密資料を閲覧

 南北の緊張は高まり、軍事衝突が心配されるなか、韓国国内では「内乱」を企てる集会が秘密裏に開かれていたことが発覚した。

韓国の情報機関、国家情報院(国情院)の関係者が、現職国会議員が率いる地下革命組織RO(Revolutionary Organization)が南北間で戦争が勃発した場合、韓国国内の基幹施設を破壊する準備をせよ、と指示を出していたことを突き止めたのだ。

 国情院が入手した録音記録によれば、5月10日から12日の間、左派・革新系の統合進歩党(統進党)所属の国会議員、李石基がRO組織員約130人を集めて次のような指示を出した。

 「戦争が勃発したら大韓民国体制を転覆し、自主的民主政府を樹立して統一革命を完遂する」「そのために首都圏(ソウル)地域にある電話局2カ所を攻撃する計画と京畿道平澤(キョンギドピョンタク)にある油貯蔵庫など主要基幹施設を攻撃できるよう準備せよ。私製爆弾をいつでも作れるようインターネットの爆弾製造の内容を熟知するように」

 集会で李は、米帝国主義、宗派分子といった北朝鮮式言葉を多用しながら、「いま、(朝鮮半島情勢は)危機だ、危機だ、というが何が危機だ。戦争なんだ」と気勢を上げる一幕もあった。

 李は国会議員の特権を利用して、電力供給が中断された場合の放送通信産業の対応マニュアルや使用済み核燃料処理方法に関する研究状況などの機密資料を関係当局に提出させ、閲覧していた。

盧武鉉政権、公安事件で異例の「特別赦免」、被選挙権も回復…

 李は1990年代、北朝鮮の指示で創設された韓国最大級の親北地下組織「民族民主革命党」の地方幹部を務めた。2002年5月に逮捕され、懲役2年6月の実刑判決を受け服役したが03年、元大統領、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の「特別赦免」を受けた。公安事件での赦免は異例だった。しかも、その2年後には被選挙権回復を果たす。盧政権の大統領秘書室長を務めた文在寅(ムン・ジェイン)の措置だったとされる。

 国情院が李に対する内部調査を始めたのは元大統領、李明博(イ・ミョンバク)時代の10年だったが、野党勢力の反発を恐れたことや決定的な証拠がなかったため、李が国会議員になるのを座視するしかなかった。朴が大統領に就任した後、国情院は「盗聴許可」をとりつけ、ROに対する捜査網を狭めていった。

 国情院と検察が行動に出たのは8月28日。ROの幹部および統進党関係者の家宅捜索に乗り出した。

 朴が李の逮捕同意案に署名したのは9月2日。国会本会議で投票が行われ、賛成多数で可決された。

 左派の排除に乗り出した朴はルビコン川を渡ったのだった。

=敬称略(龍谷大学教授 李相哲)



【実録 韓国のかたち】2017.10.25
第二部(7)巨大左派団体に戦争を仕掛けた朴槿恵 傘下にマスコミ、教員労組、73万人組合員…

韓国をむしばむ「がんのような存在」

 内乱を扇動した極左政党、統合進歩党(統進党)議員、李石基(イ・ソクキ)に対する逮捕同意案には野党の重鎮であった文在寅(ムン・ジェイン)を含む国会議員のほぼ1割が反対または棄権に回った。

 統進党代表、李正姫(イ・ジョンヒ)は抗議の断食を始めたが、朴槿恵(パク・クネ)は「従北」勢力を「大韓民国をむしばむがんのような存在。早く取りのぞく必要がある」と断固とした姿勢を示し、統進党の解散請求にも署名した。

 「統進党の綱領は、党内の核心勢力、RO(地下革命組織)が内乱陰謀を企てたことからもわかるように北韓(北朝鮮)の対南革命戦略を追従するもの、すなわち“従北″姿勢が明確になったから」というのが主な理由だった。

 李正姫は朴退陣運動を展開すると宣言した。李正姫の呼びかけに真っ先に応じ、援護射撃をしたのは「全国民主労働組合総連盟(民労総)」だった。

 民労総は韓国プレスセンターで記者会見を開き、「朴政権は民主・進歩勢力に対する弾圧を即刻中断せよ。統進党に“従北″のレッテルを貼ることで弾圧に成功すれば、労働者の権利を主張する労働組合、民主と進歩を主張する市民が弾圧の対象になりかねない」との声明を発表した。

「進歩」政党、市民団体のとりで「民労総」

 民労総が激しく反発するのには理由があった。統進党は、金大中(キム・デジュン)時代の2000年に発足した「民主労働党」の流れをくむ政党だが、民主労働党の母体となるのは民労総の傘下組織だった。

 韓国でいわゆる「進歩」を自任する政党は例外なく民労総と持ちつ持たれつの関係にある。李石基が「私の心のなかの同志たち」(12年4月20日の李のツイッター)と称した「韓国進歩連帯」とする組織もそうだ。

 進歩連帯の正体について保守系紙、朝鮮日報の元記者はこう説明する。

 「国家保安法撤廃、米軍撤収、(北朝鮮との)平和協定締結、連邦制統一を唱え、反米デモを主導した団体だ。彼らのいう連邦制統一はひとことでいえば北韓による吸収統一だ」

 この団体は年間800回以上の集会、デモ、記者会見を主催する政治闘争を専門とする組織でもある。

 民労総はこのような「進歩」政党、市民団体のとりでと言ってよい。

 傘下に数千人に上る大手テレビ局、新聞社の記者、編集者からなる言論労組(労働組合)、7万余人が所属する小中高校教師の全国教員労組(全教組)、15万人の公務員を有する公務員労組を含む73万人あまりの組合員を抱える巨大組織でもある。

 大統領に就任した朴は「勇敢」にも、真っ先に民労総に戦争を仕掛けた。

「李明博前大統領が左派を排除をしなかったから国がこんなざまになった」

 李石基の検挙に続いて間もなく、民労総の核心的な組織ともいえる全教祖を非合法団体に指定。組合の不法デモには厳正に対処する姿勢を見せた。

 朴政権で政務首席秘書官をつとめた朴俊雨(ジュンウ)によれば2013年12月、朴槿恵は与党議員との晩餐(ばんさん)でこう述べたという。

 「李明博前大統領が左派の摘発や排除をしなかった。だから国がこんなざまになった」

 同じころ、民労総は激烈なデモ行進を敢行、大規模ストライキに踏み切ったが、朴は5千人に上る警察官を動員してストライキを主導した民労総幹部の強制拘引に乗り出した。

 韓国憲法裁判所が統合進歩党の解散決定を下したのは、朴が当選2周年を迎えた14年12月19日だった。

 その翌日、朴は「民主主義を確固として守ってくれた歴史的な決定だ」とのコメントを発表した。しかし、「従北」勢力がそれで完全に排除されたわけではなかった。

 奇しくも決定から2年3カ月後、朴は同じ憲法裁判所から罷免を言い渡されることになる。   =敬称略   (龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(1~5)

【実録 韓国のかたち 第3部(1)】2017.12.18
◆“法治破壊”する文政権-「積弊清算」の美名の下、盧武鉉自殺への政治的報復・保守壊滅作戦
文政権の法治破壊、「黙認できない」 国会副議長の訴え

 「“積弊(長年積もった不正腐敗)”清算という美名のもと、占領軍の如く国家機密に接近し、標的を決めて過去を蒸し返す。それを根拠に検察に捜査を指示、検察が従うという事態が発生している」

 11月27日。韓国国旗と国会の旗に囲まれた演台に立った国会副議長、沈在哲(シム・ジェチョル)は神妙な表情を浮かべていた。沈は大統領の文在寅(ムン・ジェイン)、大統領秘書室長の任鍾●(=析の下に日)(イム・ジョンソク)、情報機関である国家情報院(国情院)院長の徐勲(ソ・フン)、ソウル中央地検長のユン・ソクヨルを、法治破壊など「内乱の罪」で刑事告発せよと呼びかけた。

 沈は、大学在学中の1980年5月、ソウル大学総学生会長として全斗煥(チョン・ドゥファン)の軍事政権に反対するデモを主導したとして逮捕、投獄されたが、90年代に転向。2000年に保守政党ハンナラ党から国会議員に立候補して5選を果たした保守系の重鎮だ。

 沈は、政府の各部署に各種の「過去史真相調査委員会」が作られ、適法な手続きなしに大統領府をはじめ国情院の機密情報まで勝手に荒らされていると批判、次のように述べた。

 「文政権の法治破壊を黙認できない」

「明らかに憲法と刑法違反」の朴槿恵裁判

 与党「共に民主党」は「(朴槿恵=パク・クネ=前大統領の)弾劾に不服で文大統領を認めようとしない傲岸不遜な行為だ」と即刻反発、沈に副議長辞任と謝罪を要求した。

 沈は続いて次のような声明を出した。「与党は私の真意を歪曲すべきでない」「文在寅の半年の国政運営を概観する限り、内乱の罪から自由ではいられない」

 拘束中の前大統領、朴については、週4回の公判が半年間も開かれた。弁護人が裁判の進め方に抗議して辞任するなど結審のめどは立っていない。朴の拘束はさらに半年間延長された。

 朴槿恵裁判を1回も欠かさず傍聴してきた「月刊朝鮮」元記者、ウ・ジョンチャンはこう憤る。

 「明らかに憲法と刑法違反。推定無罪の原則にも反する不当な拘束だ。韓国国民は、政権ににらまれたら誰であれ、いつでも逮捕され、証拠がそろうまで監禁されるのだろう」

「日韓合意」立役者が逮捕

 文在寅政権下で拘束されているのは前大統領の朴槿恵だけではない。サムスングループの事実上のオーナーである李在鎔(イ・ジェヨン)、元大統領秘書室長の金淇春(キム・ギチュン)、最近では朴政権で駐日大使や国情院院長などを歴任した李丙●(=王へんに其)(ビョンギ)が逮捕された。

 李丙●(=王へんに其)は2015年の慰安婦問題をめぐる日韓合意を実らせた立役者としても知られる人物だが、国情院長時代に「特殊活動費」を大統領府に「上納」したとの疑いがもたれている。

韓国政府の特殊活動費はおおむね9000億ウォン(900億円)。その半分が国情院に配分される。しかし、特殊活動費をめぐって国情院長が罪に問われるということはこれまでなかった。 

「過去のどの政権も前政権に報復をこんなふうにはしていない」

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2007年7月、韓国政府はイスラム原理主義勢力タリバンに人質として捕らえられた23人(うち2人は殺害)を釈放するため2000万ドルを特殊活動費から払った。

 しかし、国情院が実際に引き出した金額は3000万ドル。韓国紙中央日報(07年11月6日付)は、そのうち1000万ドルはこの年の10月に開かれた南北首脳会談の代価として北朝鮮に渡されたと報じた。

 しかし、この1000万ドルに関しては追及もなく、今回も調査対象からは除外されている。

 当時、首脳会談準備委員長を務めたのは大統領秘書室長、文在寅だった。

 野党の自由韓国党は、文政権が現在やっていることは「盧武鉉の自殺に対する政治的報復、保守壊滅作戦だ」と批判する。

 特定犯罪加重処罰の対象として10月に拘束された国情院の元心理戦担当官は、逮捕される直前にメディアにこう語った。

 「積弊清算の名目でつくられた民間人からなる国情院改革委員会は国情院のメインサーバーを開けている。メインサーバーには国情院のすべての情報活動に関する文書が入っている。過去のいかなる政権も前政権に対する報復をこんなふうにはしていない」野党議員の一人は険しい表情で筆者にこう語った。 「韓国は完全に左派・従北(北朝鮮同調勢力)勢力の世になってしまった。文政権がこんな無理筋を行っているのは、保守・右派の再起を封じ込み、左派政権を永続させるためだ。積弊清算の各種委員会には従北勢力が含まれている。事態はとても深刻だ」
(龍谷大学教授 李相哲)
     ◇

 文在寅政権は、保守政権時代の高官らを「積弊清算」として相次いで逮捕している。しかし左派政権には何の積弊もないのだろうか。左派政権の実像に迫る。


【実録 韓国のかたち 第3部(2)】2017.12.19
◆日韓合意も処罰の対象に 文在寅政権「近衛兵」による“韓国の文化大革命”の無慈悲

 韓国の与党「共に民主党」は11月、今後徹底的な調査が必要だとする「積弊(長年積もった不正腐敗)リスト73件」を文書にまとめ、121人の所属議員に回覧した。

 聯合ニュースによれば、清算すべき積弊対象には慰安婦問題をめぐる日韓合意も含まれている。外交部(日本の外務省に相当)内に設置された特別委員会の活動結果を土台に関連した者を“処罰”するという。

左派政権の問題には蓋をしたまま…

 韓国野党議員の一人は「革命政権を看板とする文(在寅)=ムン・ジェイン=政権は、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権時代の“不正”をあぶりだし、恥をかかせ、保守勢力が復権できないようにするつもりだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)、金大中(キム・デジュン)の左派政権の問題には蓋をしたままだ」と話す。

 保守系の論客、趙甲済(チョ・カプチェ)は韓国で起こっている現象を中国の文化大革命に例え、文大統領を支持する元学生運動家ら「運動圏」の勢力を「紅衛兵」と呼ぶ。

 1966年より10年あまり中国全土を席巻した文化大革命の狂風のなか、中学、高校生らで組織された「紅衛兵」は、国家主席、劉少奇をはじめ多くの共産党幹部を捕らえ、市中を引きまわし、殴り殺すこともあった。政権各部署には最高指導者、毛沢東の庇護をうける「革命委員会」と称する組織が進駐、無慈悲な粛清を敢行したのだ。

韓国経済新聞主筆の鄭奎載(チョン・ギュジェ)は、「文政権が進める“積弊清算”は腐敗を一掃し、正義を実現するためではない」と断言する。

「北朝鮮が一番怖がる軍人」を拘束

 11月11日、韓国検察は李・朴政権で国防長官を歴任、後に大統領府で国家安保室長をつとめた金寛鎮(キム・グワンジン)を拘束した。2012年の大統領選期間中、朴に有利な世論を形成するためサイバー司令部傘下530心理戦団に“テックル(インターネット上の書き込み)”工作を指示したという疑いだった。

 野党院内代表(国会対策委員に相当)の鄭宇澤(チョン・ウテク)は「彼は北朝鮮が一番怖がる軍人だった」とし、こう続ける。「金国防長官がサイバー司令部を大幅に強化したのは、当時、北韓(北朝鮮)が電子戦兵士3万人を育成していたからだ」

 2015年、南北軍事境界線の韓国側に北朝鮮が地雷を埋設して韓国軍兵士2人が大けがを負う事件が起きたとき、金は北朝鮮向けの拡声器放送を再開するよう命じた。金を憎んだ北は、金に見立てた人形を猛犬が噛みちぎる映像をテレビで流した。

 韓国紙中央日報は「金正日(ジョンイル)・金日成(イルソン)時代をふくめ、金寛鎮ほど北韓指導者にストレスを与えた長官はいない。そんな人が拘束された。金正恩(ジョンウン)が快哉(かいさい)をさけぶだろう」(11月13日付)と嘆き、こう続けた。

「罰は罪の重さに比例してはじめて正義となる。正義が度をすぎると残忍になる。金寛鎮を監房に送った本当の理由が李明博元大統領を拘束するためであるとすれば、政治報復、標的捜査だとの批判を受けても仕方ないだろう」

鬱憤晴らしか、政治報復か…

 金が拘束された翌日、李は「“積弊清算”という名目でやっていることが(文の)鬱憤晴らしなのか、それとも政治報復かと疑うようになった」と発言。

 李の側近とされる元高官は「政権を握って半年しかたっていない彼らが李前大統領のことを知っていると言っても限界がある。私たちは5年間も政権にいた。われわれのほうが、盧政権(の積弊)について知っていることは多い。(中略)先にけんかを売るつもりはないが、検察が無理筋の捜査をするなら対応するしかない」と語った。

 これらの発言から一週間後、金は保釈された。

 韓国の左派と右派の対決は今に始まったものではない。そのルーツは金大中という、左派・進歩勢力の元祖にさかのぼる。   =敬称略(龍谷大学教授 李相哲)

     ◇
【実録 韓国のかたち 第3部(3)】
◆左派政権スキャンダル、秘密資金3千億ウォンはどこへ 金大中政権幹部告発を韓国メディアは黙殺

「3千億ウォン」指示下したのは青瓦台

 韓国検察が朴槿恵(パク・クネ)・李明博(イ・ミョンバク)政権時代の高官を次から次へと逮捕している最中の今月8日、金大中(キム・デジュン)政権(1998年~2003年)で国家情報院(国情院)2次長(次官級、大統領が任命)を務めた金銀星(キムウンソン)が左派政権にまつわる前代未聞のスキャンダルを暴露した。

 金銀星は、金大中政権時代の2001年、当時の国情院長、辛建(シン・ゴン)の指示で6つの市中銀行から総額3000億ウォンの秘密資金を工面したが、それがどこへ使われたかは知らないと明かしたのだ。金銀星によれば、3千億ウォンの指示を下したのは青瓦台(大統領府)だった。

 金の証言はかなり具体的だ。「2001年上半期のある日だった。辛院長が青瓦台で週例報告を終えた後の午後3時半から4時の間に私に電話をかけてきました。『市中銀行を使って3千億ウォンを準備しろ。青瓦台の会議で決まった』との指示でした」。

 金によれば当初国情院は、ひとつの市中銀行で3千億ウォンを工面しようとしたが、一銀行だけでは難しいことが分かり、6つの銀行から集めることにした。

金は部下を直ちに某銀行に派遣した。しかし、頭取は「一つの銀行で用立てるには金額が大きすぎる」と難色を示した。「これは青瓦台の指示だ」と言うと、6つの銀行で500億ウォンずつ借りられるよう仲介してくれたという。

 青瓦台から戻ってきた辛に金が、「銀行からは誰が(お金を)取りに来るのかと聞かれましたが…」と尋ねると、辛は「青瓦台がやるだろう。私たちの仕事はここまでだ」と答えた。

巨額の金、いったい何に使ったのか

 数日後、金はソウル市中心部の光化門近くのレストランでこの件を取り仕切った中心人物とされる金大中の側近に会い、次のような会話を交わしたという。

 金 「政権後半期に銀行からそんな巨額のお金を引き出せば政治問題になる。6つの銀行が関与しているので秘密保持も難しい。頭取以下の担当者らも知っているはずだ」

 側近 「私一人でやったことではない」

 金 「大統領も知っているか(大統領の指示か)」

 側近 「…」

 最大の疑問は、金大中政府が3千億ウォンを何に使ったかだ。

 金銀星にインタビューした『週刊東亜』はつぎのように記す。

 「3千億ウォンを工面する1年ほど前、金大中政権が(2000年7月の)南北首脳会談のために約5千億ウォンを工面したという事実を思い起こせば、3千億ウォンも北朝鮮と関連のあるお金ではないかという推測が可能だ」

2万人の記者、多くが左派寄り言論労働組合に牛耳られ…

 01年当時、金大中政権は北朝鮮に対する融和政策に腐心していた。

 金大中政権末期に韓国産業銀行総裁をつとめたオム・ナギョンは、回顧録で「当時(01年ごろ)、金大中政権は財閥企業のSグループにも対北朝鮮事業に参加せよと圧迫していると聞いた」と話す。

 金が、秘密資金疑惑を暴露してから10日近くたったが、韓国大手メディアはこぞって沈黙を貫き、野党も問題提起をせずにいる。

 韓国メディア事情に詳しい大学教授は匿名を条件にこう話した。「韓国には2万人ほどの記者がいるが、多くが左派寄りの言論労働組合に牛耳られている。金大中という名前を触りたくないんだ」

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(4)】2017.12.21
左派のルーツ・金大中 「不屈の闘士」、一方で「アカ」のレッテル、「北から秘密資金」の証言も

金大中ほど韓国人に憎まれ、愛された政治家はいない

 韓国の左派・進歩勢力は頻繁に離合集散を繰り返したため理念や主義主張だけでその系譜をさかのぼるのは至難の業だが、今日の政権与党「共に民主党」のルーツが金大中(キム・デジュン、1924~2009)にあることは間違いないだろう。

 金大中ほど韓国人に憎まれ、愛された政治家はいない。独裁権力と戦った民主化の闘士とたたえられる一方、“大統領病患者”と呼ばれたように権力の亡者だったとの批判も絶えない。金大中に対する支持不支持は韓国では左派と右派、進歩と保守を分けるリトマス試験紙にもなっている。

 韓国南部全羅南道出身の金が政治の世界に足を踏み入れたのは朝鮮戦争休戦翌年の1954年だ。以後、複数回の落選などさまざまな曲折を経て、63年の選挙でようやく安定した国会議員の地位を手に入れた。

 71年に大統領選に出馬するが、当時では考えられない選挙公約を打ち出した。北朝鮮と交流を始めること、郷土予備軍を廃止すること、大衆が参加する福祉分配政策を実施するとの内容だった。

 東西冷戦の真っただ中、北朝鮮を擁護するような発言で金には「アカ」のレッテルがはられる。

ベールに包まれた「民主化闘争」の実態

 大統領選で金は朴正煕(パク・チョンヒ)と熾烈な戦いを展開した。二人の戦いは、金の出身地の全羅道(湖南)地域と朴の出身地の慶尚北道(嶺南地域)との対決の様相を呈し、この選挙を機に湖南地域は左派・進歩、嶺南地域は右派・保守の牙城となり、地域間対立は左派と右派との対立へと発展するのである。

 再選を果たした朴は翌年10月、非常戒厳令を発令、国会を解散して憲法を停止することを骨子とする「大統領特別宣言」、いわゆる「維新」を発表した。 

 当局に仕組まれた交通事故の後遺症治療のため日本を訪問中だった金は、朴政権を非難する記者会見を東京で開いたあと米国への亡命を決意。73年7月金は、ワシントンで韓国民主回復統一促進国民会議(78年に韓国では反国家団体に指定)を結成、8月に日本支部結成のため訪日した。

 金の秘密資金を追跡しつづけた国際ジャーナリスト、孫忠武はこの時期の前後、金は北朝鮮から秘密裏に資金提供を受け、国外の親北朝鮮団体・人物との連携を強化したと証言する。金日成(イルソン)と親密な関係にあった音楽家の尹伊桑(ユン・イサン)らと連帯していたというのだ。金の国外における「民主化闘争」の実態についてはベールに包まれた部分が多く、真相は北朝鮮の資料が公開されるのを待たねばならないだろう。

 73年8月、金は都内のホテルから拉致された。「金大中拉致事件」だ。

 いったんは死のふちに追い込まれながら生還したこの事件によって金大中は瞬く間に「独裁政権と戦う不屈の闘士」として名をとどろかせた。

拉致事件に朴大統領は関与せず

 朴の司正秘書官などを務めた元側近の董勲(ドン・フン)は筆者にこう証言した。

 「朴大統領は拉致事件に関与していない。部下の忠誠競争によるものだ。大統領はわれわれに『余計なことをして、彼を有名にしてしまったのだ』とおっしゃったことがある」

 その後、数々の政治の修羅場をくぐりぬけた金は87年、91年の大統領選挙に新党を結成して挑むが落選。

 直後に「私は今日をもって国会議員職を辞退し、普通の市民に戻ります」と政界引退宣言した。

 ところが97年に引退宣言を翻し、3度目の正直ならぬ4度目の大統領選に出馬、当選を果たした。

 このときは政治生命をかけて戦ってきたはずの朴の支持勢力と手を組み、連立政権樹立を持ちかけたことが功を奏した。

 韓国に左派・従北勢力が跋扈(ばっこ)するようになるのは、これ以降のことだ。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち 第3部(5)】2017.12.22
韓国「民主化」、市民団体「左傾化」の影に北の工作 光州事件“首謀者”金大中は死刑を宣告され…

「南南葛藤」の対南戦略 北と韓国の市民団体は持ちつ持たれつの関係

 韓国の市民団体が北朝鮮寄りの姿勢へ傾き、「左派」へと変質していくのは、北朝鮮の工作によるところが大きい。北朝鮮の対南戦略の基本は「南南葛藤(韓国人同士の葛藤、政府と市民団体との対立)」を誘発し、決定的な時期をとらえて一気に韓国を乗っ取ることだった。

 そのため、北は韓国の「民主化運動」を積極的に支持、支援する。市民団体は北朝鮮の支援を闘争の動力にする。両者は持ちつ持たれつの関係にあり、金大中(キム・デジュン)はこの両者から頼りにされ続ける存在だった。

 北朝鮮が待っていた「決定的な時期」は意外とあっけなく訪れた。1979年10月26日、16年もの間絶大な権力を握っていた大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)が部下の中央情報部(KCIA、現国家情報院)長に暗殺された。

 南北の体制競争で北朝鮮の敗色が色濃く出始めた70年代末期、北朝鮮の対南工作はより大胆になっていった。秘密裏に対南工作活動を繰り広げる一方、77年に統一戦線部を作り、堂々と韓国の著名人、市民団体の抱き込み攻勢を始めた。

 日本人拉致事件が頻発するのもこの時期と重なる。日本人になりすまして堂々と工作活動を行うためだった。

激化するデモ、労働者による炭鉱占拠事件、「北が攻めてくる」の噂…

 朴暗殺後、大統領代行に就任したのは首相の崔圭夏(チェ・ギュハ)だったが、力の空白を埋めることはできず、政局は混乱の渦に吸い込まれていった。崔は、従来の憲法の規定により実施された12月の選挙で大統領に当選するが在野勢力は新憲法を制定してからの大統領選挙を求めた。

 翌年2月、崔は朴政権時代に逮捕・拘束された政治犯を赦免、金らに政治への参与権を与え、事態の沈静化を図るが各種集会やデモはますます盛んになった。

 時を同じくして労働争議も増え、のべ20万人あまりの労働者がデモに参加。5月にはいると韓国北部、江原堂東原炭鉱で4千人余りの炭鉱労働者とその家族が4日間にわたり炭鉱一帯を占拠する事件がおこった。巷では北朝鮮が攻めてくるとの噂でもちきりだった。

 こうした状況に危機感を募らせ、クーデターで軍の実権を握った全斗煥らを中核とする新軍部は、5月17日午前に全軍主要指揮官会議を招集し、戒厳令を強化(戒厳令の全土拡大)することを決議、非常戒厳令拡大措置(それまで済州道は対象外であった)を発表した。 

 政治活動を禁止し、全国の大学は休校措置が採られた。そして金を戒厳令布告違反で逮捕、金鍾泌や李厚洛(元中央情報部部長)ら朴政権の主要政治家も不正蓄財容疑で連行した。

光州事件は本当に民主化のための平和デモだったのか

 金の出身地の湖南地域では、光州を中心に激烈なデモがおきる。5月18日、デモを鎮圧するため光州に進駐した陸軍空挺部隊は大学を封鎖するが、それに抗議する学生との間でもみ合いとなった。

 武装した市民に鎮圧のために軍隊が投入された。27日まで続いた光州事件は「民間人165人が死亡した」とされる。(5・18事件、検察捜査記録による)

 「5・18」は韓国が民主化へと大きくかじをきる契機を提供した一方、左派・進歩勢力に大きな政治的な空間をつくるきっかけとなった。

 全は回顧録で当時の状況をこう記す。「多くの人々が知らないことは、光州事件が本当に民主化のための平和デモだったかという点だ。デモ隊は、軍需業者の自動車工場を襲撃して戦車と軍用車両を奪い、4時間のうちに38カ所の武器庫を襲撃して銃器5400余丁、弾薬28万8千発、爆薬2180トンを奪取した」

 この事件の首謀者とされた金は、軍事裁判で死刑を宣告され(2004年に無罪)、82年12月再び米国亡命への途に就くが、民主化運動はむしろ勢いを増していく。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

「フィリピン慰安婦像」現地ルポ 日本側に動き察知されぬようステルス化する中華系団体

「フィリピン慰安婦像」現地ルポ 日本側に動き察知されぬようステルス化する中華系団体 大統領府も「寝耳に水」
【歴史戦】2017.12.16

 フィリピンのマニラ湾に臨む約3キロの遊歩道には、元大統領や人気俳優らの銅像が立ち、市民に親しまれている。そこに唯一、実在した人物ではない像が加わった。中華系団体が、フィリピンの人権団体を巻き込みひそかに準備を進め、マニラ市や政府機関の“お墨付き”を得て、8日に除幕した「慰安婦像」だ。設置までの工作には、日本側に事前に動きを察知されないようにする手法の“ステルス化”が浮かび上がる。(マニラ 吉村英輝)

◆責任のなすり付け合い
 台座正面の碑文には「日本占領下の1942~45年に虐待を受けたフィリピン人女性犠牲者の記憶」などとある。タガログ語で書かれ表現は穏当だ。「慰安婦」の言葉もない。政府機関であるフィリピン国家歴史委員会が作成した。
 ある委員は、慰安婦像作製は現地の人権団体「リラ・ピリピーナ」などが2014年から始め、今年10月に碑文作成を要請してきたとした。1990年代の韓国での慰安婦運動をフィリピンに導入した団体だ。
 歴史委員会は、年間約30件の碑文を全国の歴史建築物などに設置しているが、新設の銅像が対象となるのは「異例」という。「マニラ市からの協力要請」を受け、歴史家らからなる委員6人で決めたと強調した。
 この委員は、日本政府の反発に「銅像は民間団体からの寄贈で、私たちの責任は碑文のみ。除幕式も招かれただけだ」と困惑した。6日にホームページで除幕式を公表したが、その後「騒ぎを受け削除した」。
 だが、遊歩道を管轄するマニラ市側の担当者は、慰安婦像の設置や除幕式を行政的に主導したのは、歴史委員会だと反論した。エストラーダ市長宛てに11月16日付で届いた除幕式の招待状は確かに歴史委員会から出されており、「招かれた」との説明とは食い違う。
 市長代理として除幕式に参加した幹部は、日中間の懸案事項に関わる式典に違和感を覚え、用意された祝辞の代読前に「問題になりませんように」と挨拶。歴史委員会の担当者に外務省の承諾を確認したが、「即答がなかった」と説明しているという。委員会と市側が責任をなすり付け合っている。

◆「慰安婦」を知らない現地市民
 フィリピンの慰安婦像の台座裏には、寄贈者の5個人・団体名が刻まれている。ほぼ全て華人だ。英語で「フィリピン人慰安婦の像」と記され、フィリピン人作製者名もある。もっとも、慰安婦像前で足を止めた市民数人に聞いたが、「慰安婦」を知る人はいなかった。
 慰安婦像を警備していた男性によると、像の建造が始まったのは今夏。銅像のはす向かいにある「アロハ・ホテル」に雇われているという。同ホテル経営者は台座裏に名がある華人、マニュエル・チュア氏。「マニラ市役所にも人脈を持つ」(地元記者)という。
 関係者によると、除幕式出席者らは、同ホテルに待機して式典に向かった。呼ばれたメディアは、中国国営新華社通信など中国系のみ。式典を報じたのも中国系だけで、現地メディアはほぼ伝えていない。当事者であるはずの元慰安婦や日本も“除外”された。
「日本メディアの取材は受けない」
 ほかの寄贈者名には、日本占領期に抗日ゲリラだった華人のほか、比華人団体「トゥライ財団」も。同財団は路上孤児救済などで実績がある。なぜ急に慰安婦問題に関与したかは不明だが、「日本メディアの取材は受けない」という。最後の「ワイ・ミン(惠明)慈善基金有限会社」は、香港が拠点で、創設者の鍾惠明氏は、中国本土の慰安婦救済や日本への賠償請求支援を行ってきたとされる。
 「慰安婦」をキーワードに海外の華人ネットワークを駆使する中国の反日プロパガンダは、オーストラリアでも2015年に行われたが、公共の場への慰安婦像設置の嘆願は、当該市が地方自治体の判断の範囲外だとして認めなかった。

豪州では問題が表沙汰になったこともあって日本政府も動き対抗した。だが今回、在フィリピン日本大使館は、除幕式翌日の9日の報道で動きを知った。連絡を密にしている大統領府や外務省へ問い合わせたが「向こうも寝耳に水」(幹部)で、後の祭りだった。

◆日比の友好に中国がくさび
 隠れて既成事実を積み重ね開き直る中国の手法は、南シナ海の人工島の軍事拠点化でも実証済みだ。
 人権派弁護士として慰安婦問題にも携わってきた、フィリピンのロケ大統領報道官は11日、今回の慰安婦像について「支持もしないし、反対の立場もとらない」と述べた。
 日比が戦後に築いてきた友好関係に、中国の新たなくさびが打ち込まれた。

【用語解説】フィリピンの慰安婦問題
 日本とフィリピン両政府は、先の大戦の賠償問題などはサンフランシスコ平和条約で解決済みとしているが、フィリピンで、日本軍占領下(1942~45年)に慰安婦だったという女性らが90年代に名乗り出た。村山内閣当時の95年に発足した「アジア女性基金」が「償い金」などとしてフィリピンの元慰安婦211人に1人320万円を支払った。これを拒否し日本政府に「公式な謝罪と賠償」を求める動きもある。

「中国の尖閣攻撃」 中国が用意する3つの軍事作戦はこれだ

【古森義久の緯度経度】2017.12.16
「中国の尖閣攻撃」に日本の備えは? 中国が用意する3つの軍事作戦はこれだ

 中国が日本の尖閣諸島を軍事攻撃で奪取する作戦計画を進めているという警告が米国議会機関から発せられた。日本にとっての真の国難は北朝鮮の核の脅威よりもむしろ中国の尖閣攻撃の危険ともいえるようだ。

 この警告は米国議会の超党派の「米中経済安保調査委員会」が11月に公表した2017年度報告書に明記されていた。同委員会は上下両院の共和、民主両党議員が指名する12人の専門家の委員を中心に「米中経済関係が米国の安全保障に及ぼす影響」を精査して政府と議会に政策勧告することを目的とする。このためとくに中国の軍事動向を広範に調査する。

 尖閣問題について同報告書はまず中国が現状を日本側による不当な支配とみなし、軍事力を使ってでも自国領にしようとしていることが日中緊迫の最大要因だという見解を記していた。その当面の証拠として中国海警の大型武装艦艇が4隻の艦隊を組み、毎月平均2、3回、日本側の領海や接続水域に一方的に侵入してくる事実をあげていた。

 同報告書は中国側がすでに尖閣諸島の日本側の施政権を骨抜きにしたとみなしているようだ、と述べ、その根拠として中国人民解放軍の国防大学戦略研究所の孟祥青所長による最近の「中国側は日本が長年、主張してきた尖閣諸島の統治の実権をすでに奪った」という見解を示していた。

 同報告書はさらに尖閣への中国のこの軍事がらみの攻勢が米中全面衝突にまでエスカレートする潜在的な危険をも強調していた。だが同報告書は中国が日本から尖閣を物理的、軍事的に奪う作戦を少なくとも3種類、実際に立案しているとして、その内容を米海軍第7艦隊の諜報情報部長を務めたジェームズ・ファネル大佐らの証言として発表していた。その骨子は次のようだった。

 ▽第一は「海洋法規の執行作戦」と呼べる中国海警主体の尖閣上陸である。この方法は中国海警が尖閣を自国領とみなしての巡視や陸地接近を拡大し続け、日本の海上保安庁巡視船を消耗戦で疲弊させ、隙を突き、軍事攻撃ではなく視察や監視という形で上陸する。

中国側は近くに海軍部隊を配備させておくが、あくまで戦闘は避ける姿勢をみせ、尖閣諸島に中国側としての公共施設などを建て始める。日本側はその時点で中国のその行動を許して、尖閣を放棄するか、軍事的行動でその動きを阻止するか、という重大な選択を迫られる。

 ▽第二は「軍事演習の偽装作戦」である。第一の方法が成功しなかった場合の作戦で、中国軍は尖閣近くで中国海警を含めて大規模な陸海空の合同演習を実施し、日米側にはあくまで演習と思わせ、その意表をついて一気に尖閣に奇襲をかけて占拠する。実態は「短期の鋭利な戦争」とする。

 ▽第三は「水陸両用の正面上陸作戦」である。台湾侵攻のような正面からの尖閣上陸作戦で、中国軍は尖閣規模の離島への上陸用舟艇も、空挺作戦用の戦略的空輸能力も、ヘリでの急襲能力もみな十分に保持している。その総合戦力を正面から投入し、尖閣の完全占領を図る。日米両国部隊との正面衝突も辞さない。

 中国側には以上のような準備があるというのだ。では日本側にはどんな準備があるのだろうか。(ワシントン駐在客員特派員)

歴史戦・第19部 結託する反日(上・中・下)

【歴史戦・第19部 結託する反日(上)】2017.12.12
「南京」の嘘、カナダで拡散 慰安婦像の増殖が止まらない 女性議員、大虐殺信じ「ネバー・アゲイン」


【「慰安婦」日韓合意】
 「80年前、旧日本軍はおよそ2万~8万人の中国人女性や少女をレイプし、30万人余りが殺害された。当時南京にいた欧米人の目撃者はこの世の地獄のような虐殺だったと証言している」

 11月30日のカナダ連邦議会下院。西部ブリティッシュコロンビア州選出で香港出身の女性議員、ジェニー・クワンの熱のこもった発言に議場から拍手が起きた。

 クワンはこう続けた。

 「南京大虐殺の後、旧日本軍の軍性奴隷システムは急速に拡大した。韓国、フィリピン、中国、ビルマ、インドネシアやその他、日本の占領地域から20万人ほどの女性がだまされたり、誘拐されたりして、売春施設で強制的に『慰安婦』として、旧日本軍兵士のために働かされた」

 クワンは国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に「南京大虐殺文書」が登録されたことも紹介したうえで、ある団体に言及し発言を締めくくった。

 「カナダALPHAの献身に感謝したい」

 クワンは連邦議会での発言について、産経新聞の取材に「いかなる歴史的な残虐行為も記憶にとどめるべきだと信じている。『ネバー・アゲイン』の精神だ」とメールで回答した。

 南京事件と慰安婦。嘘と知らずに聞けば、その衝撃は強烈に違いない。

日中戦争時の昭和12(1937)年に旧日本軍による南京占領で起きたとされる「南京事件」から80年となる12月13日を控え、中国系住民が170万人を超える移民大国のカナダで「反日運動」が近年に例を見ないほど盛り上がっている。

 その運動の中心にいるのが、クワンが語った反日団体「カナダALPHA」(第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)だ。

 1997年に、香港出身の医師、ジョセフ・ウォンが東部オンタリオ州トロントで設立したのが最初で、カナダ各地に支部を持つ。米西部カリフォルニア州に本部を置く反日団体「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)の下部組織としても知られる。

 ウォンはこの年に、「南京大虐殺」の嘘を世界に拡散した『ザ・レイプ・オブ・南京』の著者で中国系米国人ジャーナリスト、故アイリス・チャンをカナダに招待し、同書を宣伝した。チャンは抗日連合会の支援を受けて同書を執筆した。

 ウォンは70年代後半、ベトナム難民の受け入れに尽力。現在は複数の老人ホームを運営する「慈善家」としての顔を持ち、地元トロントでは尊敬を集める。だが、日本への“追及”は容赦ない。

「ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に対するユダヤ人の努力に感銘を受けて中国人は今まで何をしてきたんだと突き動かされた」

 ウォンは周囲にALPHA設立の理由をこう語っているという。

× × ×

 「カナダALPHA」が近年、力を注いでいるのは、中国などアジア系議員を動かし、12月13日を「南京大虐殺記念日」として制定する活動だ。オンタリオ州では昨年12月、香港系女性議員、スー・ウォンが法案を提出した。ウォンはALPHAとともに頻繁に集会を開き、計9万人以上の署名を集めた。

 法案は日本側の働きかけもあり、可決は難しくなった。代わりにウォンは10月26日、法的拘束力のない動議を提出し、出席議員わずか15人ほどで採択された。

 東部マニトバ州でもフィリピン系女性議員が記念日制定に奔走したが、賛同は広がらなかった。それでも記念日制定の動きが収まったわけではない。

 ALPHAは中国系住民が4割を占めるトロントのスカボロー地区で「アジア太平洋平和記念館」の建設計画を進める。「アジアの第二次大戦の歴史を学ぶ機会を提供する」とうたう記念館は、2019年の開館を目指す。無料で地元の学生らを招待する計画という。トロント教育委員会とは歴史資料の提供などを盛り込んだ覚書を結ぶなど、嘘の刷り込みに余念がない。

× × ×

 米国だけでなくカナダにも慰安婦像がある。トロント市中心部から北東に約25キロ離れた「韓国カナダ文化協会」会館の正面玄関前に15年11月、設置された。除幕式にはALPHA設立者のウォンをはじめ、国会議員らも出席したが、現地日本人は「反対運動をする時間もなく、設置されてしまった」と憤る。

 関係者によると、この慰安婦像は、15年春にブリティッシュコロンビア州バーナビー市での設置が失敗したため、トロントに移送された。人通りがない私有地で注目されない慰安婦像だが、協会側は市街地の韓国系店舗が並ぶ地区にある公園に、移転させようと水面下で動いているとされる。

 オンタリオ州では韓国系議員、レイモンド・チョーが、毎年10月を「韓国の遺産月間」とする法案の成立を目指している。チョーは「慰安婦問題に焦点を当てるのではなく、韓国の文化全体をたたえるものだ」と説明する。

 同時に「日本人ももっと日本以外のことを考えた方がよい。同じ歴史を繰り返さないよう、子供たちに伝えるのは、われわれの共通の利益だ」と繰り返した。
海外での中国や韓国の歴史戦の主戦場となっている米国には12基の慰安婦像・碑が立っている。今年に設置されたのはサンフランシスコやジョージア州ブルックヘブンなどの4基で、10年に最初の慰安婦碑が設置されて以降、単年では最多となった。

 今年は米連邦議会下院が慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める決議を採択してから10年になる。下院決議をきっかけにニューヨーク、ニュージャージー、イリノイの3州議会、イリノイ州シカゴ市とカリフォルニア州サンフランシスコ市の議会などが相次いで同趣旨の決議を採択した。慰安婦に関する嘘や誤った認識は10年前より確実に米国内で浸透しているといえる。

 米国内の慰安婦像は、13年にカリフォルニア州グレンデール市に初めて設置された。翌年に現地在住の日本人らが撤去を求める訴訟を起こしたものの敗訴した。政府は訴訟と距離を置き続けたが、2月に米連邦最高裁に原告を支持する意見書を提出した。しかし、訴訟の流れを覆す決定打にはならなかった。

 今年は北米だけでなく、ドイツでも慰安婦像設置を目指す動きが顕著になった。3月には南部バイエルン州ウィーゼントの公園に慰安婦像が設置された。韓国の市民団体が欧州にも広げようと設置を進めた。
こうした反日活動を支える日本人も少なくない。今月3日にカナダALPHAがトロントで開催した行事には1980年代末から「南京大虐殺」の調査活動をすすめてきた「日本の有名な学者で70歳の元教師」(華僑向けメディア)という松岡環が参加した。

 松岡は自ら制作したドキュメンタリー映画「太平門 消えた1300人」を上映した。南京の太平門で「虐殺」があったとの証言を記録したものだ。

 松岡については、「南京大虐殺はなかった」と主張する勢力、「あった」と主張する勢力の双方から「事実誤認が多い」との指摘が出ているが、ALPHAは関心がないようだ。(敬称略)



 世界各地で「反日運動」が止まらない。日本の「責任」を追及する共通テーマは南京事件、慰安婦問題、徴用工問題だ。運動は拡大し定着化し、先鋭化している。第19部では日本を含め各地での動きを追う。


【歴史戦・第19部 結託する反日(中)】2017.12.13 07:16
「徴用工」に注がれる科研費 前文部科学事務次官の前川喜平氏は韓国と同調


 「KAKEN」という題字が書かれたデータベースがある。文部科学省および同省所管の独立行政法人・日本学術振興会が交付する科学研究費助成事業(科研費)により行われた研究の記録を収録したものだ。

 ここには次のような情報が掲載されている。

 「市民による歴史問題の和解をめぐる活動とその可能性についての研究」(東京大教授 外村大ら、経費3809万円)、「戦時期朝鮮の政治・社会史に関する一次資料の基礎的研究」(京都大教授 水野直樹ら、同1729万円)、「朝鮮総動員体制の構造分析のための基礎研究」(立命館大准教授 庵逧〈あんざこ〉由香、同286万円)=肩書は当時。単年度もあれば複数年にまたがる研究もある。

 外村、水野、庵逧の3人に共通しているのは、3月25日に長野県松本市で開かれた「第10回強制動員真相究明全国研究集会」で「強制連行・強制労働問題」について基調講演などを行ったということだ。

 この場で外村は平成27年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録された長崎市の端島(通称・軍艦島)を含む「明治日本の産業革命遺産」について論じた。

 「ごく一部の新聞、産経新聞だが、(軍艦島で)楽しく暮らしていた。朝鮮人とも仲良くしていた(と報じた)。個人の思い出は尊重するが、朝鮮人は差別を感じていた。強制かそうではないかの議論は不毛だ。本人が強制と考えたらそれは強制だ」

研究会は徴用工問題に取り組んでいる「強制動員真相究明ネットワーク」などが主催した。同ネットワークは11月末、韓国の市民団体「民族問題研究所」とともに「『明治日本の産業革命遺産』と強制労働」というガイドブックを作成した。産業革命遺産の登録申請は従来の文化庁主導と違って「官邸主導ですすめたという点が特徴」としたうえで、こう指摘した。

 「誇らしい歴史だけを記憶するという、反省のない歴史認識は、再び日本を戦争ができる国にするためのプロジェクトと連動しています。『明治日本の産業革命遺産』の物語もこの一環とみられます」

 文科省関係者によると、科研費の審査は3人一組で行い、総合点で上位の申請が選ばれる。「自然科学分野と違い、歴史学はどうしても思想的な偏りがある」とこの関係者はもらす。

 28年度には九州大教授、三輪宗弘の研究「第二次世界大戦期の労働力動員ー朝鮮人の炭鉱への徴用を中心にして」(377万円)が認められた。徴用問題について長年研究している三輪は「炭鉱現場などで制度上、日本人と朝鮮半島出身者の間に差別はなかった」と語るなど、外村らとは立場が異なる。

 「KAKEN」にあるデータのなかで、三輪の研究のようなケースは少数である。むしろ、韓国や同ネットワークに同調する人物が今年1月まで文科省の事務方トップだった。

11月28日付の韓国紙、東亜日報に前文部科学事務次官、前川喜平のインタビューが掲載された。見出しは「安倍首相側、文科省の反対にも『情報センターの東京設置』で押し切った」。

 情報センターの設置は、一昨年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会で、日本政府が「徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」と表明した。平成31年をめどに東京都内に設置する方針だ。労働者の賃金記録などの1次史料や元島民の証言などの公開を検討している。

 インタビューによると、前川は次官時代の昨年9月、首相補佐官、和泉洋人に呼び出された。官邸に行くと、和泉から東京・六本木にある国立新美術館に情報センターを建設するのはどうかと聞かれたという。いったん持ち帰り、文科相、松野博一(当時)らの意見も踏まえ、「東京ではなく、遺産の大半が位置する九州に建設するのが良いというのが文科省の意見」と伝えたとしている。

 そもそも前川は「明治日本の産業革命遺産」をユネスコの世界文化遺産として申請することに反対だった。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を候補とするよう働きかけてきたが明治日本に先を越された。

前川は「遺産の肯定的、否定的な面を正しく説明しなければならない。日本政府は今からでも(情報センターについて)韓国と議論しなければならない」と強調。さらに、来年以降、小中学校で道徳の授業が本格実施されることについても「個人よりも国が重要であるという国家主義的な方向に動いている。危険だと感じる」と批判した。

   
× × ×

 前川同様に情報センターの東京設置に反対しているのが韓国政府であり、韓国の「民族問題研究所」と日本の「強制動員真相究明ネットワーク」などの市民団体だ。

 両団体は今年7月、他の市民団体とともに共同で声明を出し、「犠牲者を記憶するための情報センターの設置」を求めた。

 両団体が作成したガイドブック「『明治日本の産業革命遺産』と強制労働」には、「明治日本の産業革命遺産」に含まれた山口県萩市の松下村塾について、こう記述している。

 「日本は、松下村塾を、産業化をすすめる人物を育てた場所として、『明治日本の産業革命遺産』に組み込みました。しかし、松下村塾は、アジア侵略の思想と歴史を正当化する歴史観が形成されたところであり、産業革命遺産ではありません」

 両団体とともに、松下村塾を開いた吉田松陰批判を展開したのが「日本の加害責任」を訴え、戦後補償を実現しようと活動し、4月に死去した長崎大名誉教授の高實康稔だった。高實は昨年1月の論文「長崎と朝鮮人強制連行」(大原社会問題研究所雑誌)でこう記した。

 「近代日本の侵略思想の原点は吉田松陰と福沢諭吉にあるといって過言でない。(中略)松下村塾を世界文化遺産にふさわしいとすることは、これを推薦した日本政府が松陰の侵略思想を肯定することであり、ユネスコにしても『人類の普遍的な価値を保護する』(世界遺産条約)使命に反して不見識かつ重大な過ちを犯した」

 そのうえで、高實は松下村塾を「(ユダヤ人収容所の)アウシュビッツやリバプール(奴隷貿易港)のように、教訓とすべき負の世界遺産として位置づける可能性は追求されてよい」との考えを示した。ガイドブックでも「歴史の反面教師とするべき遺産を『負の遺産』と呼ぶ」とした。

   
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 高實が理事長を務めていたのが、長崎市内にある「岡まさはる記念長崎平和資料館」(以下、資料館)だった。この資料館は朝鮮人被爆者問題を取り上げた岡正治の遺志を継いで平成7年に設立された。

 資料館では友好館として提携している中国・南京の「南京大虐殺記念館」から提供された写真も展示している。旧日本軍の関東軍防疫給水部(通称731部隊)に関する資料を展示しているハルビン市の「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」とも友好館となった。

資料館では展示だけでなく、講演活動も積極的に行っており、11月には陳列館館長の金成民を招いた。

 10月に上映したのが映画「太平門 消えた1300人」だった。映画の監督は松岡環。11月下旬にカナダの反日団体ALPHAの招待でトロント大で同じ映画を上映した松岡だ。資料館の近況案内には上映会についてこう記してある。

 「猛々しい言葉が飛び交う現在、あらためて大虐殺生存者の貴重な声に耳を傾け、共に知り、考えていきましょう」(敬称略)
     


【強制労働】端島など「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界文化遺産登録をめぐり、韓国側は「強制労働」という言葉を盛り込もうとした。徴用は国民徴用令に基づいており、当時有効であった国際法上違法ではなかった。そもそも請求権問題は、1965年の日韓請求権協定で最終的に完全に解決済みである。ただ、日本側は韓国に配慮し「朝鮮半島などから多くの人が意思に反して連れてこられ、厳しい環境で労働を強いられた」と表明した。


【歴史戦・第19部 結託する反日(下)】 2017年12月14日
「南京」に「慰安婦」絡め…欧米巻き込み対日包囲網 華僑ネット数千万人、世界208カ所で式典


 「国家主席も出席する見通しで、大使が参列すれば追悼式典の後に非公式の面談を行う可能性がある」
 複数の関係筋によると、中国政府の外交当局は11月下旬から12月初旬にかけ、米英仏独など欧米諸国、タイやシンガポール、韓国などアジア各国、ロシアやベトナムも合わせ、少なくとも16カ国の北京駐在の外国大使らに、「南京大虐殺記念館」での13日の追悼式典へ出席を招請したという。
 国家主席、習近平と直接、面談できる場は各国の中国大使にとっても数少ない機会だ。
 結果的に何カ国の大使らが13日の式典に参加したか判明していないが、中国中央テレビ(CCTV)が映し出した中継映像では、外交団とみられる複数の人物の参列が確認された。当然のことながら、日本は招待されていない。
 日中外交筋はこうした動きを「歴史問題に関する“対日包囲網”の構築と共闘を急ぐ中国の作戦の一環」とみなしている。
× × ×
 海外との「共闘作戦」は外交以外でも多面的に進められている。「南京大虐殺記念館」が中心となって11月に行われた「南京国際安全区」跡地をめぐる歴史散歩もそのひとつだ。
 1937年12月の旧日本軍による南京占領では、米国人宣教師や英国人らに加え、ドイツ人までもが、南京市内にあった各国の領事館や、金陵大学や金陵神学院、金陵女子文理学院などの学校、医療機関を含む約4平方キロメートルのエリアを「南京国際安全区」として、旧日本軍の攻撃から中国人を保護したとされている。
 江蘇省南京市のテレビ局の取材によると、跡地を巡る散歩には、南京市内の大学などに留学中の外国人約150人が招かれた。外国語が話せる地元住民らと合わせて約300人が参加し、「約25万人の“難民”がこの国際安全区で救われた」との説明を受けた。
 南京大に留学中というポーランド出身の女性は同テレビの取材に「中国の大衆を救った当時の人々に感謝の念を抱いた」と答えた。
 80年前の南京事件をめぐり、中国と海外の連帯を印象づけるイベントとして、内外に報じられた。
 匿名を条件に応じた中国の歴史研究家は、「国際安全区で保護された約25万人の多くの命が守られ、大虐殺が始まってから数日後に南京から上海に船で逃れた米国人や英国人の記者によって、世界に事件が報じられた」と話した。
 虐殺されたという人数30万人に、保護されたという25万人を加えると55万人になる。当時の南京の人口を大きく超えるとの指摘もある。もっとも中国にはそうした「事実関係」にこだわりはない。
 「南京大虐殺記念館」によると、南京と同様の追悼式典は米国やカナダ、台湾も含む世界9カ国・地域の208カ所で行われた。いずれも「海外の華僑団体」が関与したという。海外移住者や子孫など数千万人に上る華僑と華人のネットワークが、対日包囲網に使われている。
 香港や台湾を経由し、中国当局から水面下の資金が海外の華僑団体に流れているとの情報もある。
× × ×
 江蘇省南京市の「南京大虐殺記念館」が約10年ぶりの改修を経て14日から再び公開される。
 「南京の慰安婦が日本軍に使用させられた避妊具や浴室の道具など“鉄証(動かぬ証拠)”を数多く展示する見通しだ」
 匿名を条件に取材に応じた中国の歴史研究家は、新たな展示は南京事件に「慰安婦」を密接にからませた内容になる、と指摘した。以前は「軍人に妊娠させられた」とする慰安婦が困惑した表情を浮かべている写真や、慰安所の入り口をかたどった模型など付属的で小さな展示のみだった。
 この歴史研究家は南京事件から80年という節目の年に慰安婦問題を結びつけるねらいについて、次のように説明した。
 「南京での日本軍の虐殺は(1937年12月13日から)40日間に及んだ。その後の8年間、南京占領時に強制された『慰安婦』問題が深刻化したため、両者は切り離せない」
 2015年12月に南京市内の慰安所跡地に資料を集めて作られた陳列館や、16年10月に上海師範大学キャンパスに置かれた中国慰安婦歴史博物館は、いずれも「南京大虐殺記念館」の分館扱いとなっている。
 展示だけではない。中国中央テレビ(CCTV)は13日の南京事件の追悼式典に合わせて、「日本軍による“慰安婦”への制度暴行を暴露する」と題した5回の特集番組の放映を11日に始めた。
 旧日本軍が強制的に朝鮮半島、中国各地などから若い女性を集めて慰安婦に仕立て、軍医が感染症など健康面を管理し、将兵らに“性奴隷”として提供した、とする非人道的な“組織ぐるみ”の暴行とする一方的な番組だ。
 中国はかねて「30万人の中国人女性が強制的に慰安婦として旧日本軍に連れ去られた」と主張している。被害者数として、なぜか符合する「30万人が虐殺された」との「南京大虐殺」と関連づけて内外に訴え、日中戦争の被害を誇張する戦術を一段と強めている。
× × ×
 南京事件80年をめぐっては、北京に本部を置く民間団体「中国民間対日賠償請求連合会」(会長・童増)が産経新聞の取材に対し、日本政府に謝罪と賠償を求める書簡を、12月7日付で北京の日本大使館あてに送ったことを明らかにした。
 書簡では南京事件について、「日本のファシストは人間地獄の製造者だ」と激しい言葉遣いで批判。「30多万人」との表現で、30万人を超える中国人の命が南京で奪われたとした。
 さらに、「憲法改正によって来年夏に日本は軍国主義を復活させようとしている」と的外れな論旨も展開した上で、「日本政府に南京大虐殺への謝罪と被害者への賠償を強烈に要求」との文面で締めくくった。
 この民間団体は戦時中に強制連行されて労働させられたという中国人や遺族を集め、日本企業に対する訴訟を相次ぎ起こしている。関係者は「生存者が100人を切っている南京大虐殺の生存者や遺族、元慰安婦や遺族に代わり、民間で訴訟を起こすことも検討していくだろう」と明かした。
 中国国営新華社通信は14年4月、1972年の日中共同声明で中国が放棄した戦争賠償請求に「民間や個人の請求権は含まない」との論評を配信している。この民間団体を通じて被害者や遺族らが、個人として賠償を請求する裁判を中国国内で起こす懸念もある。
× × ×
 南京事件を“象徴”とする対日批判のエスカレートぶりについて、冒頭の歴史研究家は、「昨年12月に首相、安倍晋三が日米戦争を引き起こしたハワイの真珠湾を慰霊に訪れたが、南京大虐殺については謝罪どころか否定する動きも日本にある」と不満を口にした。
 別の関係者は、「日本は対米和解を演出したつもりだろうが逆に中国人被害者の感情を傷つけたことに気付いていない」と、安倍の「真珠湾慰霊」こそが反発を招いたとする中国人特有の「理屈」を展開した。
 2015年10月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は中国などが申請した南京事件の資料を世界の記憶に登録したが、今年10月には、中国による慰安婦関連資料の登録を先送りした。歴史研究家は「双方あわせてユネスコに登録してもらうよう中国人は最大限の努力を続ける」と語気を強めた。
 中国などが官民連携で仕掛ける日本との「歴史戦」は激しさを増す一方で、静まる気配はまったくない。(敬称略)

 この連載は有元隆志、上塚真由、河崎真澄、田北真樹子、時吉達也、原川貴郎が担当しました。

相撲界のヤラセ疑惑

◆週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<相撲篇/葬られた「確執」>(1)北の富士「横綱昇進ヤラセ告発」で関係者が急死

 大相撲を揺るがせた最大のスキャンダル──。八百長告発をした親方と後援者が同じ日、同じ病院、同じ病名で死亡した「疑惑の事件」である。
 事件の原因となった大鳴戸親方(元関脇・高鐵山)の八百長告発は、週刊ポスト誌上で96年に連載され、「元大鳴戸親方 相撲協会一刀両断」のタイトルで、単行本としても発売された。
 その書き出しからして衝撃的である。

〈料亭「おきみ」に一同が会したのはそれなりの理由があった。前場所、昭和44年11月の九州場所、北の富士は優勝した。昭和45年1月の初場所。ここで優勝すれば、横綱昇進のための連続優勝という条件を満たす。「我々の手で北の富士を横綱にしようではないか」と提案している面々は「今場所こそ勝負だ」とばかり気合十分。その結束を固めるための会合でもあった〉
「おきみ」には北の富士、北の富士の名古屋後援会副会長で相撲界の闇将軍として君臨した橋本成一郎氏、そして大鳴戸親方と栃王山、四季の花、龍虎、睦奥嵐の面々が集まった。北の富士以外の力士は、八百長力士の「仲間」として北の富士を迎え入れようという勢力である。
 そこで「兄弟盃」を交わすと、本場所とともにさまざまな「裏工作」に走り回った。結果、北の富士は2場所連続優勝し、横綱審議委員会から「文句なく横綱昇進の条件を満たした」のお墨付きをもらう。
 大鳴戸親方の告発連載は反響を呼び、外国人記者クラブで講演する予定だった。ところが、講演を12日後に控えた4月14日、事態は急展開を迎える。大鳴戸親方と、その告発を証言者として側面支援した橋本氏が、愛知県内の藤田保健衛生大学病院で、ともに帰らぬ人となったのだ。死因もそろって、肺の機能が低下するレジオネラ菌による重症肺炎ということだった。
 ちなみに、死の前日、2人は連れ立ってゴルフに出かけているが、体調不良を訴えて入院。わずか1日で2人とも謎の死を遂げたことになる。
 大鳴戸親方の弟子で、現在は東京・吉祥寺でどりんくばぁー「維新力の店」を経営する維新力はこう証言する。
「あの時はね、自分もプロレスに転向し、大鳴戸親方も武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)に株を売却し、協会を離れていた。僕自身は元後援者と『こんな不可思議なことはない』と話していたけど、結局、事件は闇から闇へと葬られた。真相と言われても、わかりませんね。ただ、自分の師匠がこんなことになるなんて、まさに青天の霹靂だったことは事実ですよ」
 世間は「2人とも殺されてしまった」と受け止め、マスコミは騒ぎ立てた。「やはり相撲協会は怖い。暴力団を使ったのか」と詮索もされた。
 相撲ジャーナリストの中澤潔氏が言う。
「偶然にしてはできすぎている気はします。今から思えば、あの時、相撲協会が姿勢を正していれば、(11年に発覚した)十両力士の八百長騒動もなかったはずです。私は大関の魁皇と千代大海の対戦をしばらく記録したことがあるんです。奇妙なことに、一方がカド番になると、もう一方が負けてやるという結果がはっきり出ていた。大関同士の助け合いはひどいものでした。はっきり意識して負けてやったわけではないかもしれないが、十両の力士からすれば、大関がやっているのだから自分たちもと、八百長がエスカレートした可能性はあると思いますね」
 とすれば、大鳴戸親方が告発を開始した時期は、力士たちに八百長根絶の警鐘を鳴らす時期だったとも言える。
 もしあの時、「臭い物には蓋」式の対応を取ることなく毅然と対応していれば、もっと風通しのよい相撲協会になったはずである。


◆週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<相撲篇/葬られた「確執」>(2)「若貴絶縁」を決定づけた親方の「わかってるな」命令

 昭和63年の春場所で初土俵を踏んだ力士は95人いる。その中から3横綱1大関を含め11人の関取を輩出したため、その年デビューした力士を「花の63組」と呼ぶ。この同期会に一度も現れない人物がいる。元横綱・若乃花こと花田虎上である。元力士が言う。
「お兄ちゃんはアレを気にして、金輪際、顔を見せない。若貴の絶縁は『あの一番』が原因。永遠に復縁なんてないでしょうね」
 大相撲を揺るがせた歴史的スキャンダルの一つに、この力士が言う「あの一番」がある。元力士が続ける。

「95年、九州場所千秋楽の前夜、師匠で父親でもある二子山親方(元大関・貴ノ花)が4連覇を狙う横綱・貴乃花を宿舎の自室に訪ねた。そして『光司(貴乃花の本名)、明日はわかってるな』と念を押したんです」
 相撲界では珍しい、兄弟対決が目前に控えていたのである。
「貴乃花は一瞬、何のことかわからず、『ハイ?』と答えましたが、親方は承諾したものと受け取った。意味を聞こうとした貴乃花が付け人から、親方が去ったあとで、『光司、負けてやれって意味だよ』と言われ、愕然としたんです。そしてこの親方命令によって、貴乃花の中の父親像がガラガラと崩れていった。二子山親方は若乃花に『光司も承諾したから』と伝えたといいます」(前出・元力士)
 勝負はファンの熱戦の予想を裏切り、四つに組んでから若乃花が左からしぼり、右四つに。
「土俵際に寄りたて、左から下手投げを打つと、貴乃花は右膝からあっさり崩れ落ちた。若乃花の2場所連続優勝で、兄弟横綱誕生を決めた瞬間でした」(相撲ライター)
 あまりにあっけない勝負に、「片八百長」ではないかと指摘された「疑惑の一番」である。これを機に、2人の間柄は、マスコミで大きく報道された「若貴兄弟絶縁騒動」へと発展。兄弟の確執が大きくなるにつれ、沈黙を守り続ける若乃花に対し、貴乃花はマスコミで積極的に発言した。
 そして兄弟対決から10年が経過した05年6月の「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)の番組上、貴乃花は漫画家のやくみつる氏の質問に「片八百長」を事実上認めたとも言える発言を行ったのだ。
やく「軋轢の原点は、ハタ目に見てもちょっと力が入っていない一番に見えたが、あそこだったのか」
貴乃花「それは間違いじゃあないですね」
 すかさず、他の出演者が畳みかける。
「(あの一番が兄との)相撲観の差を決定するに至ったのか」
貴乃花「そうですね。私の至らなさだと思っています」
 相撲人生でただ一度、力を抜いてしまった大一番。ベテランの相撲記者が解説する。
「二子山親方は情が厚いどころか、むちゃくちゃ濃い人でしてね。相撲にも全身全霊で打ち込むが、我が子の若乃花に訪れた優勝のチャンスを何とか引き寄せられるよう援護したかったということだと思いますよ」
 しかし当時、平成の大横綱と言われた貴乃花も、まだ23歳。正面から受け止めるには重い事実だった。
「父親の性格や相撲道を最も強く受け継いだのが貴乃花。が、彼は天才で難なく横綱に昇進したというのは間違いです。素質だけで取っていたのはむしろ、若乃花。貴乃花は死ぬ思いと不断の努力で頂点に立った」(前出・ベテラン相撲記者)
 2人のこの差が「相撲観」の違いになって表れたと言えなくもない。そしてそれが、兄弟の確執に──。後年、貴乃花は部屋に集まった報道陣を前に、こう語っている。
「“若貴兄弟”と取り上げてくれるのはうれしかったが、あまりにもきれいに映りすぎていた。必ずこういう時が来るなと、幼心にもわかっていた」

真の敵は「日本人」だった

真の敵は「日本人」だった
(門田隆将ブログ 2017.09.04※一部抜粋)
 いよいよ北朝鮮情勢に対するアメリカの「決断の時」が近づきつつある。多くの専門家が「6回目の核実験こそ、戦端が開かれるトリガー(引き金)になる」と、くり返し述べてきたが、その「6回目の核実験」の壁は、あっさりと取り払われた。
 北朝鮮が初めて核実験をおこなったのは、2006年10月である。11年後の今、北朝鮮は、核技術を供与してきたパキスタンをも驚かせる、この分野での目覚ましい発展を遂げたことになる。核と弾道ミサイルの開発を同時に押し進める北朝鮮は、確実にアメリカの「脅威」となったのだ。
 今から24年前の1993年6月、週刊新潮のデスクをしていた私は、〈東京を睨む北朝鮮核ミサイルに怯える「第九条」〉という記事を書いた(6月24日号)。旧ソ連製の戦術弾道ミサイル・スカッドを北朝鮮が独自に改良・生産した「ノドン1号」が日本海で試射され、500キロ離れた目標物に命中したことが明らかになったことを受けての記事だった。
 戦後50年が近づき、“平和ボケ”した日本に突きつけられたこの問題を〈東京を睨む北朝鮮核ミサイルに怯える「第九条」〉と表現した記事は当時、かなりの話題を呼んだ。しかし、今、この記事を読み返すと、これを明日出しても、そのまま通用するのではないか、という錯覚をしてしまう。それは、“平和ボケ”は今も「まったく変わらない」という点だ。今朝、各紙に目を通していたら、朝日新聞の「天声人語」に目を吸い寄せられた。そこには、こう書かれていた。
 〈迷惑千万な隣国への「怒り」は、尽きることがない。それでも「冷静さ」は併せ持ちたい。始めなくていい戦争を始めてしまった経験が、人類にはいくつもある〉
北朝鮮の軍事パレードを観閲した張成沢氏(左)と金正恩氏(右)=2012年2月、平壌(共同)
北朝鮮の軍事パレードを観閲した張成沢氏(左)と金正恩氏(右)=2012年2月、平壌(共同)
 「冷静さ」は、もちろんアメリカを含めて国際社会の側は持っている。持っていないのは、これまで叔父の張成沢氏ばかりか、実兄の金正男氏、さらには、多くの軍の幹部たち、果ては罪のない人民を無惨な方法で処刑・粛清してきた金正恩当人である。33歳の若きこの領袖が「もはや正気ではない」と各国が分析しているのは周知のことだ。その人物が核ミサイルの発射ボタンを持つことの「意味」を言うまでもなく、トランプ大統領だけでなく、国際社会が認識している。だからこそ、北朝鮮核ミサイル問題は極めて深刻なのである。
 しかし、この24年間、父・金正日時代から国際社会の「対話」による解決への模索は、ただ核開発のための「時間稼ぎ」に利用されただけだった。その結果、北朝鮮は、ついに、アメリカの「殲滅」を公言するに至ったのである。
 天声人語は、「対話」の陰で、ついに「起爆装置の開発」が成されたら、それでも同じことを言うのだろうか。2013年4月に労働新聞紙上で宣言した「東京」「横浜」「名古屋」「京都」「大阪」の5都市に向けた核ミサイルの発射ボタンを、いつでも押すことができる状況下で、どんな主張をするのだろうか。これまで何度も書いてきたように、日本人は、ほぼ全員が平和を望んでいる。日本は、平和主義者の塊(かたまり)と言える。しかし、その平和主義者は、二つに分かれている。「空想的平和主義者」と「現実的平和主義者」だ。
 平和を唱えていれば平和が保たれると思う“ドリーマー(夢見る人)”と、あらゆる現実的手段を執って戦争を防ごうとする“リアリスト(現実を見る人)”である。ドリーマーの特徴は、なんでも「悪いのは日本」で、日本が戦争を起こすのを「どう防ぐか」とばかり考えていることだ。
残念ながら、マスコミには、このドリーマーが非常に多い。彼らは自分たちを“リベラル”と称して、「私たちはペンで戦争をしたい人たちと闘っている」と思い込み、自己陶酔に浸っている。
 彼ら彼女らにとっては、「北朝鮮は守らなければならない国」なのである。自然と発想が「北朝鮮寄り」になり、北の利益になるようなことばかり「代弁」するようになる。彼らがいかに北朝鮮の力強い味方だったかがわかる。彼らは、日本人が「拉致」されるという最大の「主権」と「人権」の侵害に直面しても、決して北朝鮮を糾弾せず、「核開発」のための時間稼ぎに大いに力を貸した。大多数の日本人にとっては、彼らこそ「敵だった」のである。

「領土買収は武器なき戦争」 

 【栃木『正論』友の会】宮本雅史編集委員が講演 2017.11.19
 栃木から日本のあるべき姿を考える「栃木『正論』友の会」の第10回講演会が19日、宇都宮市陽西町の県護国会館で開かれた。産経新聞東京本社編集局の宮本雅史編集委員が「爆買いされる日本の領土~他人事ではすまされない中国の経済侵攻」と題して講演。中国資本に土地が自由に買われ、規制する法律がないまま、主権が脅かされている実態について指摘した。

 講演会には、産経新聞社の「正論」路線に賛同する読者ら約100人が参加。

 宮本編集委員は取材した北海道での中国資本の進出状況を説明。「土地を買われ、拠点作りをされ、教育現場まで進出され、最終的には主権まで脅かされる可能性がある。武器を持たない戦争を仕掛けられている」と強調。外国資本による土地売買に対する法規制がないことを最大の問題として、「国際協調が大事だと言っても、ルールがあって初めて成り立つ。(日本は)何でもありの丸腰だ。少しずつ浸食されているのが現実で、一日でも早く対応しないといけない」と警鐘を鳴らした。

 講演の詳報は次の通り。

 ◆領土問題は他人事?
 憲法改正は絶対実現しないといけないと思っているが、素晴らしい憲法ができても、国土がなくなってしまう、あるいは国民がいなくなってしまうとなると憲法をつくる意味がない。早急に、領土問題は対応しないといけない。ただ、(日本人は)どうしても自分のこととして捉えない。政治家も同じで、口では大変だと言うが誰一人動かない。

 ◆過疎化につけこむ?
 先月、長崎・対馬に行ったが、日本語が聞こえず、韓国語ばかりだった。土地も買われている。佐渡や北海道も取材して回ったが、背景に過疎化や高齢化がある。誰が悪いかではない。国が悪い。お年寄りが増え、跡継ぎがいない。仕事がない。どうやって食べていくかというところに巨大な外国資本が入ってきて、土地を売ってくれとなったら売ってしまう。全ての地域に共通する話。それに対して日本政府は何もしていない。売った人を責めるわけにはいかない。生きていくためにはしようがない。

 平成27年に北海道で外国資本に買われた場所は26市町村で1878ヘクタール。東京ドームにすれば400個分。28年末には、2411ヘクタール、東京ドーム500個分になっていた。1年間で100個分買われている。そのうちのほとんどが中国資本だ。

 最初は温泉地とかリゾート地をスポット的に買っていたが、最近は100ヘクタール単位で買うような傾向がある。素晴らしいリゾート施設をつくるとか説明するが、買った後はなしのつぶて。何のために買ったのか分からない。その後何年も放置しているケースが結構ある。ゴルフ場や農地も買っており。外から中は全然見えず、何をしているか分からない。

 27年に中国資本に買収された北海道の有名なホテルでは、付近を再開発して村ができていた。単にスポット的に観光地を買うのではなくて、買い方が大まかになり、従業員が増えている。疲弊した地域に外国人の観光客が来るのは素晴らしいことだが、中国人の従業員が増えると、チャイナタウンが現実化しかねない。

 ◆本当は怖い住民投票条例
 住民投票条例があり、住民が手を挙げると、即住民投票ができるケースがある。18歳以上の外国人もOKという地域もある。住民投票条例は首長をリコールできる。地方自治体の事業を反対しようとすればいくらでもできる。地方行政が根本的にゆがめられ、地方参政権問題よりも怖いことが起きる可能性がある。

 ◆観光ビザで永住権獲得
 中国資本の不動産買収で懸念されるのは永住権獲得だ。北海道で土地を買い、永住権を取ろうというのは、北海道の中国系の大手企業や大手不動産の合言葉となっている。観光ビザで土地を買えるからだ。民主党政権時代に中国人の観光ビザは緩和され、90日間滞在できる。滞在中にまず法人をつくる。段取りをつけるのは、北海道にある中国系の大手不動産で、銀行もバックアップしている。資本金500万円以上、常勤社員2人以上で会社ができる。その名義で土地を買える。90日すると本国に帰る。ところが、資本金500万円以上、常勤社員2人以上で中長期型のビザに替えることができる。1、2年と更新でき、10年たつと永住権を申請できる。法務省に取材したら、永住権を取ったケースはまだないというが、法的には永住権申請はできるという。日本の法律はそういうふうになっている。

 観光ビザで土地が買えるなんて知らなかったが、中国人は知っており、着々と形にしている。

 ◆教育現場にも浸食
 中国の一連の行動をみていると、最初に観光客が来る。その次に土地を買い始め、拠点作りをする。次は何か。北海道釧路市近くの漁村の小中学校では、中国語の勉強をしている。そこの道立高校では年に何十時間と中国語の授業がある。中国人の講師が来て、中国の文化、歴史を子供たちに教えている。最終的には教育の場まで、中国人は何年もかけて出てきている。

 次は何かというと、主権だ。中国のこうした行動の意図は別にして、客観的に言動行動をみていると武器を持たない戦争を仕掛けられている。

 北海道が狙われる理由は、津軽海峡を通過して太平洋に出たいからだ。北朝鮮で使用権を得た港湾を拠点に、佐渡があり、対馬があり、津軽海峡がある。空母を配置されると日本海は内海になる。苫小牧や釧路など全てに中国の資本が入っている。いつでも寄港できることになりかねない。日本人は1年、2年先のことを気にするが、中国は、100年先まで見ている。現実に形になって動き始めている。対馬を押さえ、佐渡を押さえ、津軽海峡を押さえ、北海道を押さえ、日本海は中国人の手の中に入ってしまう。中国人はそこまで考えている。

 ◆法律なしで手立てなし
 何で手を打てないかというと、日本には法律がないからだ。北海道富良野町で自由に土地が買えると中国人が宣伝している。実際そうで、日本には外国資本を規制する法律がない。誰でも買える。太陽光発電所もそうだし、ゴルフ場もそうだし、農地もそう。他の国はどうか。米国の場合は、政権内に委員会をつくり、安全保障上やエネルギー関係で問題があるところは、外国資本が買収する場合に調査をして、危なかったら大統領が拒否できる。連邦法や州法でもチェックしている。韓国やタイなどアジア太平洋のほとんどの国は、チェックをして最終的にノーと言える。全く誰でも買ってよいのは日本だけだ。

 グローバル化とか国際協調が大事だといわれるが、それはルールがあって初めて成り立つものだ。ルールもなく、法律もない。(日本は)何でもありの丸腰だ。そこで国際協調はありえないし、やられっぱなしだ。憲法改正は大事だが、(領土問題は)それと同等に身に迫った問題だ。
 (楠城泰介)

中国による紅い統一工作(上中下)

【紅い統一工作(上)】
「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」 暴かれた習近平指導部の計画 「尖閣諸島奪還は2040~45年」

 今年10月、米国で出版された一冊の書籍によって、中国の習近平指導部が準備を進めている「計画」が暴かれた。
 「大規模なミサイル攻撃の後、台湾海峡が封鎖され、40万人の中国人民解放軍兵士が台湾に上陸する。台北、高雄などの都市を制圧し、台湾の政府、軍首脳を殺害。救援する米軍が駆けつける前に台湾を降伏させる…」
 米シンクタンク「プロジェクト2049研究所」で、アジア・太平洋地域の戦略問題を専門とする研究員、イアン・イーストンが中国人民解放軍の内部教材などを基に著した『The Chinese Invasion Threat(中国侵略の脅威)』の中で描いた「台湾侵攻計画」の一節だ。
 イーストンは「世界の火薬庫の中で最も戦争が起きる可能性が高いのが台湾だ」と強調した。その上で「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」と指摘し、早ければ、3年後に中台戦争が勃発する可能性があると示唆した。
 衝撃的な内容は台湾で大きな波紋を広げた。中国国内でも話題となった。
 「具体的な時間は分からないが、台湾当局が独立傾向を強めるなら、統一の日は早く来るだろう」
 国務院台湾弁公室副主任などを歴任し、長年、中国の対台湾政策制定の中心となってきた台湾研究会副会長、王在希は中国メディアに対し、イーストンの本の内容を半ば肯定した

 その上で「平和手段か、それとも戦争か、台湾当局の動きを見てから決める」と踏み込んだ。近年、中国の当局関係者が台湾への武力行使に直接言及するのは極めて異例だ。
 10月24日に閉幕した共産党大会で、党総書記の習近平(国家主席)は「3つの歴史的任務の達成」を宣言した。「現代化建設」「世界平和の維持と共同発展の促進」とともに掲げられた「祖国統一の完成」とは、台湾を中国の地図に加えることにほかならない。
 党大会終了後、北京市内で開かれた政府系シンクタンクが主催するシンポジウムで、軍所属の研究者が「中国近未来の6つの戦争」と題する発表をした。
 その研究者は、習近平指導部が隠してきた、中国が主権を主張する領土を奪還するための2050年までの予定表を明かした。台湾統一の時期は20~25年。イーストンの指摘と一致する。
 習近平は、東シナ海や南シナ海、インド、ロシアとの国境周辺などにも版図を広げる心づもりだという。同発表では、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を奪還する時期は40~45年とされている

 心は大中国」台湾軍をスパイ侵略
 中国の情報機関はここ数年、台湾軍の内情を探るため深く潜り始めている。
 「台湾の蔡英文政権が2016年5月に発足して、中国国内の各情報機関の台湾担当部署の予算も人員も大幅に増加した」
 ある中国共産党関係者は、こうした変化も台湾への軍事侵攻に向けた準備だととらえている。
 今年5月、台湾軍中枢の参謀本部ミサイル防衛指揮部(当時)の前指揮官、謝嘉康(少将)が、中国側に重要な軍事情報を漏らしたとして、「国家安全法」違反容疑で拘束された。
 同指揮部は陸上配備のミサイル部隊を統括しており、米国製の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)などの防空網や、上海を射程に収めるとされる自主開発の巡航ミサイル「雄風2E」の情報が漏れた可能性がある。
 謝嘉康を中国側につないだのは退役後、旅行業を営んでいた元上官の男だった。男は、中国の国家安全部門に籠絡されて、その手先となっていた。09年と10年、元上官からタイやマレーシアへの家族連れの無料旅行に招待された謝嘉康は、たくらみに気付かず、誘いに乗ってしまった。
 11年には、陸軍少将の羅賢哲が、指揮通信情報(C4ISR)を統合するシステムの情報を漏洩(ろうえい)した疑いなどで逮捕された。

 羅賢哲は武官として駐在したタイで、歓楽街での買春現場を中国の工作員に撮られて脅された。04年から情報提供を始め、毎回10万~20万ドル(約1120万~2240万円)の報酬を受け取っていた。羅賢哲は12年、無期懲役となった。
 台湾当局はスパイ事件の詳細や判決を公表していない。それ自体が手の内を明かすことになるからだ。
 台湾軍内部には中国側の協力者が数多くおり、明るみに出たのは氷山の一角と指摘する声がある。ある現役将校は「中国側や軍内部の協力者に見せつけるため、逮捕案件自体を選別している可能性がある」と指摘した。
 台湾軍幹部の中には、中国大陸から来た「外省人」とその子孫が多い。特に年齢層の高い退役軍人や高級幹部は「大中国」意識が強い。退役・現役軍人の中には「台湾人意識」を支持基盤とする民主進歩党に反感を持つ者も多く、もともと中国に利用される素地があるという。
 昨年11月には、北京の人民大会堂で開かれた孫文の生誕150周年記念式典に、台湾の退役将官32人が出席した。中国の国歌斉唱時に起立し、国家主席、習近平の演説を神妙に聞き入る姿が問題となった。

 危機感を抱いた蔡英文政権は今年7月、改正法案を提出し、退役した軍高官が中国で政治活動に参加することを禁じたが、後手に回っていることは否めない。
 「世界一流の軍隊」の建設を目指す習近平は共産党大会で、20年までの「機械化、情報化の実現による戦略能力の大幅な向上」を宣言した。台湾軍は「内と外」からの脅威にさらされている。
    

 「習近平は中国が領有権を主張する領土を取り戻すことで、歴史的英雄になろうとしている」-。ある共産党関係者が習近平の“野望”を看破した。台湾を紅く染めるため、すでに始まった「一つの中国」への工作の実態を探る。
    

■「一つの中国」 台湾は中国の不可分の一部であり、中華人民共和国が中国唯一の正統政府であるとする中国の主張のことを示す。台湾はこの主張を受け入れていない。中国は台湾の問題を核心的利益と位置付け、米国などに対して干渉しないよう要求。1972年の日中共同声明では、日本は「一つの中国」に対して同意を避け、「理解し、尊重する」との立場にとどめている。


【紅い統一工作(中)】
習政権、台湾孤立へシフト 札束外交で友好国奪取 独立派への暴力「よくやった」

 米大統領ドナルド・トランプがアジア歴訪最後の訪問国、フィリピンに到着した11月12日、中国国営新華社通信傘下の中国紙、参考消息の電子版に短いニュースが掲載された。

 〈中国がドミニカ共和国に8・2億ドルを投資し、水力発電所などを建設する〉

 たったそれだけの記事だったが、台湾の外交関係者は大きな衝撃を受けた。「北京の新しい外交攻勢が始まった」-。

 習近平政権は昨年から、台湾と外交関係のある国を奪い取り、国際社会から蔡英文政権を孤立させる工作をはじめた。

 今年6月には長年の友好国パナマが、中国に奪われた。今や、台湾が外交関係を持つ国は20カ国しか残っていない。ドミニカ共和国はその一つだ。

 「次はドミニカではないか」。警戒する台湾は、7月に外交部長(外相に相当)の李大維を、8月と10月に外交部次長(外務次官)の劉徳立を、相次いでドミニカに派遣。10月下旬には、ドミニカの国防相を台湾に招待し、総額3500万ドルの軍用物資を提供することで双方が合意したばかりだった。

 「最近3、4カ月、中国側に目立った動きがなかったので安心していたのだが…。今思えば、共産党大会とトランプ訪中の準備をしていただけかもしれない」

 台湾の外交関係者がつぶやいた。

 台湾にとって、8億ドルはとうてい払える金額ではない。巻き返す手立てはない。「ドミニカと中国の国交樹立は時間の問題だ…」。外交関係者が顔を曇らせた。

 11月8日に訪中したトランプにとって、米中首脳会談の優先課題は北朝鮮問題だった。それに対し、中国国家主席、習近平がもっとも重要視していたのは台湾問題だ。習近平は会談中、何度も台湾問題について言及し、米国による台湾への武器輸出を牽制したという。

 米中首脳会談後、中国外務省の外務次官、鄭沢光は中国メディアに対し「トランプが会談で、一つの中国政策を継続すると表明した」と語った。大統領当選直後、「一つの中国政策」を疑問視したトランプだが、すっかり中国に丸め込まれてしまった。

 10月24日に閉幕した中国共産党大会で、習近平は「両岸(中台)の同胞と共同で一切の国家分裂活動に反対する」と宣言し、台湾の内政への干渉を公言した。

 党大会後に決まった人事に、その布石がうかがえる。国連大使などを務めた大物外交官で、習近平から厚い信頼を得ている劉結一が、閣僚級の次期台湾事務弁公室主任に内定した。新しい政治局員には習氏の福建省勤務時代の部下が多く登用された。いずれも第一線で対台湾工作に携わった経験者だ。

 「2期目の習近平政権は台湾シフトの政権だ。統一工作はこれから本格的に始まる」。こう証言する共産党幹部もいる。
     ◇
 「台北を中国の一都市にしようとする試みだ」「中国の統一戦線は受け入れない」

 9月24日、台北の台湾大学の運動場に設置されたステージ周辺は、抗議に詰めかけた百人を超す学生や「台湾独立」派の怒号で異様な雰囲気に包まれた。中国・上海市との交流の一環で行われた、中国の歌謡オーディション番組「中国新歌声」の収録現場。激高した学生らがステージになだれ込み、収録は中止となった。だが、騒動は、対抗する中年の男らが現れて4人を棒で殴りつけ、1人が流血する事態に発展した。

 男らは、中国との統一を掲げる政治団体「中華統一促進党」の構成員だ。中国の国旗「五星紅旗」を堂々と掲げ、日本統治時代の銅像やこま犬を破壊するなどの違法行為も平然と行う。一部が「黒道(やくざ)」であることは周知の事実。「党総裁」の張安楽(69)自身が暴力団「竹聯幇」の元構成員で、中国で逃亡生活を送ったことがある。張安楽は事件翌日、メディアの前に姿を現し、「よくやった」と暴力を正当化した。

 事件5日後の台湾紙、自由時報は中国当局が台湾の暴力団を「操っている」と報じた。記事は、中国で対台湾政策を担当する国務院(政府)台湾事務弁公室が福建省アモイに置く出先機関の「外聯弁事処」が、実際には情報機関「国家安全省」の工作拠点であり、竹聯幇などに指示を出していると指摘した。

 台湾当局が中国の関与を疑うのは急進統一派だけではない。1993年に中国国民党からの離党者で結成された政党「新党」もその一つだ。立法院(国会)で21議席を占め「第三勢力」と呼ばれた時期もある。現在は地方議会の2議席にまで勢いは衰えているが、2016年の立法委員選には候補者を擁立した。

 主席の郁慕明(77)は産経新聞の取材に「統一促進党とは目標が同じ。われわれは兄弟だ」と話す。郁慕明は上海生まれで、中台分断で台湾に移った「外省人」。何度も訪中して中国共産党のイベントに参加している。「台湾と中国大陸は運命共同体。中華民族の一員として統一を望まない方がおかしい。政治体制は重要ではない」と語る。郁慕明は20年の総統選に候補者を出す準備を進めている。目的は当選でなく「中台統一の宣伝のため」という。

 郁慕明のような高齢世代の外省人だけでなく、戦前から台湾に住む「本省人」の若年層にも中国との統一を主張する声が出始めている。いわゆる「南京大虐殺」をモチーフにした楽曲で名前を売ったシンガー・ソングライター、張穆庭(38)は3月、政治団体「民生党」を発足させた。統一を目指す理由を「経済のため」と断言する。張穆庭によれば、与党、民主進歩党も野党、中国国民党も大企業重視で、労働者や若者向けの政策を打ち出していない。「台湾経済は中国大陸に頼らなければ立ちゆかない。台湾独立を主張して腹一杯になるなら、独立を主張しますよ」

 民生党は18年末の統一地方選に参戦する方針だ。候補者は40歳以下に限定し「中間票を狙う」。すでに中国の台湾事務弁公室からの接触があるという。(敬称略)

【紅い統一工作(下)】
 クリミア併合を研究せよ 台湾支配へハイブリッド戦争

 7月、中国広東省東莞で開かれた台湾の学生向け就職説明会。約190人のために広大な会場が準備された(台湾誌「商業週刊」)

 中国の習近平指導部が昨年春、中国社会科学院など複数の政府系シンクタンクや対外交流団体などに、内部指令を出した。
 「ロシアによるクリミア併合を研究せよ」
 中国共産党総書記、習近平(国家主席)とその周辺は、2014年にロシアがクリミアを実効支配した経緯や国際社会から受けた制裁の実態、露大統領ウラジーミル・プーチンの支持率の推移などを、詳しく知りたがった。
 当局指定のプロジェクトであるため、研究には潤沢な経費がついた。研究成果は外部に発表せず、内部資料として党中央に提出するよう厳命された。
 ある中国のシンクタンク関係者は、内部指令に隠された目的を読み解いた。
 「指令が下った時期は、台湾独立志向の蔡英文政権の発足とほぼ重なる。習近平は台湾をクリミアのように併合することを念頭に置いている」
 習近平指導部は、ロシアがクリミア併合で用いた「ハイブリッド戦争」にも高い関心を示しているという。「ハイブリッド戦争」とは、特殊部隊や民兵を駆使し、情報操作や政治工作、経済的圧力など、さまざまな非軍事的手段で相手を攪乱する新しい作戦形態を指す。
 ある台湾の外交関係者は「中国が本格的に台湾にハイブリッド戦争を仕掛け始めている」と指摘し、3種類の実例を挙げた。
 中国は今年5月、世界保健機関(WHO)総会への台湾代表の出席を阻止した。11月18日に閉幕した国連気候変動枠組み条約第23回の締結国会議(COP23)でも、会議事務局に圧力をかけ、台湾の閣僚の参加を阻んだ。
 これらは、政治力を行使して台湾を国際会議から締め出し、孤立させようという外交面での工作だ。
 軍事面での挑発も増えている。中国は1月に空母「遼寧」を台湾周辺で航行させた。中国の軍用機による台湾の防空識別圏への侵入も急増した。台湾の民衆に心理的圧力を加える目的がうかがえる。
 そして最近、執拗に行われているのが、ロシアがウクライナに頻繁に仕掛けたサイバー攻撃だ。
 台湾の「国家安全局」の統計によると、同局が昨年受けたサイバー攻撃は前年の30倍以上の約63万回に上った。そのうち約61万回は、蔡英文政権が発足した昨年5月20日以降に集中している。「蔡英文政権になってから、サイバー攻撃の傾向は情報の盗み出しからインフラ破壊へと変化している」と分析する台湾の専門家もいる。
 台湾は中国の攻撃を防ぐため、国防部(国防省に相当)に6千人規模のサイバー部隊を立ち上げた。6月の編成式典では、総統の蔡英文が「有形の国土を守り抜く。サイバー空間でも決して譲歩しない」と宣言した。
 しかし、中国による台湾へのサイバー攻撃はまだ、実験段階にすぎない。中国人民解放軍のサイバー部隊は少なくとも十数万人とされる。「将来、台湾攻略を念頭に本格的な攻撃を仕掛けられたら、今の力ではとても対応できない」。台湾の専門家の口から悲観的な言葉が漏れた。
就活の費用全額負担で若者懐柔
 台湾の若者への懐柔も中国の統一工作の重要な一環である。
 「私は台湾独立派だけど、中国大陸はチャンスが多い。機会があれば中国で就職したい」
 台北大学4年の葉依●(21)は、あっけらかんと話した。7月に中国広東省政府と中台の起業家らが共同で開いた、台湾の学生向け就職説明会に参加した。副総統などを務めた野党、中国国民党の蕭万長が団長を務め、大学や高等専門学校20校から学生約190人が広東省東莞を訪れた。
 2泊3日で高級ホテルに宿泊。東莞の国際展示場では、家電大手ハイアールや大手銀行、航空会社など中国企業約280社が訪問団のためだけにブースを準備した。滞在中の費用は主催者が全額負担した。
 葉は民主化後の台湾で育ち「天然独(生まれながらの台湾独立派)」を自任していた。台湾人は中国当局や中台統一派が主張するような「中華民族の一員」ではなく、「文化、価値観から生活習慣まで全て異なる、中国人とは別の民族」とまで言い切る。それでも説明会には「心を動かされた」という。
 北京で企業研修を体験した台湾大学4年の李政軒(21)は「中国にいくことにリスクはあるが、能力さえあれば給料が上がるのが魅力的だ」と語り、真剣に就職を検討しているという。
 中国とのサービス貿易協定に反対する台湾の学生らが立法院(国会に相当)を占拠した2014年春の「ヒマワリ学生運動」は、中国当局に衝撃を与えた。学生らを突き動かしたのは、中国一辺倒の国民党・馬英九政権への反発だけでなく、協定で自分たちの就職先が失われるという焦燥感だった。若年世代の反中感情は昨年の政権交代の原動力ともなった。
 これを受けて共産党は今年3月、対台湾工作の重点を「一代一線(青年世代と末端の民衆)」とする方針を発表。10月の党大会前後には、台湾政策を主管する国務院台湾事務弁公室トップの事実上の更迭を明らかにした。総書記の習近平は政治報告で、学習、創業、就業、生活の4分野で「大陸同胞と同様の待遇を提供する」と述べ、中国で暮らす台湾住民の「内国民化」を宣言した。
 台湾のシンクタンク「国家政策研究基金会」の研究員、盧宸緯によると、中国当局は台湾の若者の起業をワンストップで支援する「青年創業基地」を2015年6月から設立し始め、わずか1年間で53カ所まで急増させた。昨年10月には、台湾人の大学入学基準を現地の学生と同水準に緩和。「一つの中国」を認めることを条件に台湾人向けの奨学金も拡充した。こうした優遇策は「(台湾側に)何かを強制する度合いが小さく、台湾社会への影響が少ない」と盧は指摘する。習政権が「ヒマワリ」から学習した成果だ。
 台湾人の若者を「吸収」する一方で、中国は台湾への留学生を減らしている。今年度、台湾の大学に留学を申請した中国人学生は以前と比べ約半分の1千人以下に減った。盧はこうした“輸出超過”が続けば「台湾から優秀な人材が流出してしまう」と懸念する。(敬称略)

 この連載は産経ニュース田中靖人、矢板明夫が担当しました。
 ●=雨かんむりに文の旧字体

防人の島・対馬 家も土地も…「もはや韓国領」

【異聞 防人の島・対馬(上)】 産経新聞2017.10.29
対馬で増える韓国人観光客、不動産買収も「有事の避難用か」 家も土地も…「もはや韓国領」


【緊迫 朝鮮半島】
対馬と韓国・釜山を結ぶ高速船の出航を待つ韓国人観光客でにぎわう比田勝港国際ターミナル =長崎県対馬市

 「朝鮮半島情勢が緊迫して以来、韓国人観光客がさらに増え、不動産買収にも拍車がかかっているようだ。有事の際、難民であふれ、島民の居場所がなくなる…」。長崎県対馬市の観光業者からこんな情報が届いた。対馬で何が起きているのか。対馬の現状を報告する。 (編集委員 宮本雅史)


 対馬の北の玄関口・比田勝(ひたかつ)港から釜山港までは約75キロ。JR九州など3社が、1日1、2往復、直航便を運航、高速船だと片道1時間半前後で行き来できる。対馬を訪れる韓国人は年々増加し、昨年は前年比121・6%の約26万人で、このうち約70%は比田勝港から入国している。

 観光客の増加は、町並みを大きく変貌させた。初めて訪ねた9年前と比べ、比田勝港国際ターミナル周辺には、レンタルサイクル店やカフェ、飲食店など韓国語の看板が並ぶ。新築中の建物は韓国人目当てのホテルだという。歩いているのは韓国人だけで、日本人の姿はない。若いカップルや短パンにサンダル履きという軽装の家族連れも多い。観光バスが着くたびに韓国人の団体が大きく動く。

◆飲食店経営者によると、週末には韓国人であふれかえるという。

 観光名所、三宇田海水浴場も、至る所に韓国語の説明が。ここも、韓国人だけで、日本人の姿はない。近くに建つバンガローは韓国人専用。日本海を望む温泉「渚の湯」は、1日200人から300人の韓国人が来ることもあるという。

 地元の不動産会社社長は「観光客の増加と同時に民宿や釣り宿などはほとんど韓国資本に買われとっと。比田勝は今、韓国一色だ」と話した。

 対馬市の中心、厳原(いづはら)町も韓国語が飛び交う。今年1月から7月までに対馬を訪れた韓国人はすでに21万人を超え、昨年同期と比べて7万2千人増加、年内には30万人を優に超す勢いだ。

 飲食店やホテルが並ぶ川端通りは、韓国人が道路を占拠、路地裏の居酒屋では、日本人がひっそりと杯を重ねている。飲食店経営者は「島民は3万人だからおるのは韓国人だけ。川端通りはすでにアリラン通りだ」と話し、こうぼやいた。

 「観光バスは90台以上あるが、全て韓国人観光客御用達。韓国人観光客は、韓国人が経営する飲食店や免税店には行くが、日本人の店には金を落とさない。対馬は場所を貸しているだけ」


◆観光客の増加と並行して、不動産買収がこれまで以上に活発化している。

 「シャッターが開いている所は韓国人が買った所。飲食店も半分以上は韓国人が買収して経営している。数年後には川端通りは全て韓国人に買収されてしまうだろう」とホテル関係者。一戸建ての民家や民宿も激しい勢いで買収され、広い土地を買って建物を建てるケースも目立ってきているといい、複数の不動産関係者は「ここ3、4年で買っている量は半端ではない。対馬の土地が全部、韓国資本に買われてしまうのは時間の問題」と口をそろえる。市議会関係者も「韓国資本が増えてきたからこっそり買う必要がなく、堂々と買い始めた。島民も慣れてきて、昔のように厳しい目で見ないようになった。時代の流れに逆らえなくなってしまった」という。
市は、韓国資本による不動産の買収件数を把握していないというが、実数は想像をはるかに超え、韓国資本は今や名実共に島民の生活に深く浸透し、“市民権”さえも得ているのだ。

 韓国人相手の免税店の女性店員は「家も土地も買われて、人口より観光客の方が多い。対馬はもはや韓国領です。そのうち韓国の国旗が立つのでは」とまで言い切った。

◆韓国資本による大規模な不動産買収は、新たな不安も生んでいる。

 前出の観光業者は、朝鮮半島情勢に触れながら危機感をあらわにした。

 「朝鮮半島で何かが起きた場合、避難するために土地や建物を買っているふしもあり、買収がスピードアップしているように感じる。有事の際、数十万人の難民が押し寄せてくると、われわれ島民の居場所がなくなる。想像を絶することが起きそうで不安だ」

◆コリアンタウン増殖「点と点結ばれたら」

 美津島町竹敷地区は、9年前、海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接する土地が韓国資本に買収され、リゾートホテルが建設されたことで、国民の注視を集めた。

 訪ねると、くだんのリゾートホテルは今も営業しており、住民によると、韓国の政治家がお忍びで来ることもあるという。その先の道路は行き止まりになっていて、浅茅湾に面してプレハブのロッジが十数軒新たに営業している。韓国人が島民から土地を買収、建設したという。韓国語でロッジの説明が書かれているが、日本語の記述はない。

防備隊本部に隣接する広大な土地が2カ所買収されて、韓国人専用のホテルやロッジが建つ。さらに、そばには10年ほど前から韓国人が経営している民宿が1軒ある。

 防備隊本部の金網には韓国語で「立ち入り禁止」という注意書きがあるが、地元住民は「観光客は、ほぼ毎日、数十人単位で来て、3軒合わせると月に1千人ぐらいにはなる。大型バスで来て宿泊場所まで歩いて行くが、自衛隊の敷地内に入りそうになったこともあった」と話した。

 竹敷地区では、このほか民宿が5カ所買収され、いずれも韓国人専用。日本人が営業する民宿はないという。「観光バスから、200人、300人と、竹敷の人口より多い韓国人が降りてきて歩き回るばい。乗っ取られたようになる」と住民の表情は暗い。

 竹敷地区はもともと軍港。旧海軍の施設が置かれた“要衝”だが、その地域が韓国資本に買収され韓国人専用の施設が並ぶ。不動産業者らによると、浅茅湾の民宿はすべて韓国人が経営しているという。自衛隊施設を監視するかのように建てられているだけに、住民からも「無線が傍受されない保証はない」と不安の声がもれる。


 竹敷の反対側の浅茅湾の一角、洲藻(すも)湾では、韓国人専用の民宿が5棟建てられ、さらに2棟の建設工事が進んでいる。地元建設業者やホテル関係者によると、200人は宿泊できるという。

 古参の建設業関係者は「韓国人が島民から土地を買収、2億円ぐらいかけて建てているらしい。最終的には11棟になると聞いている。昔はホテルや民宿を買って改造していたが、今は土地を買って建物を建てるようになった」といい、こう付け加えた。

 「厳原と比田勝の間の地域でも、民宿や一軒家が手広く買われていて、きりがない。5年以内にはあちこちにコリアンタウンができるだろう。最終的に点と点を結ぶとどうなるのか。それを考えると不安だ」

韓国資本の買収後の対応も変化してきているという。厳原町の不動産業者はこう解説する。

 「例えば民宿をリフォームするとき、建築基準法や消防法上の規制がある。韓国人はそれが分かってきたようで、日本人の左官や大工、電気屋を使わず、韓国から職人を連れてきて工事をするようになった。大胆になってきている」

 不動産の売買情報の入手方法も少しずつ明らかになってきた。不動産業者らの話を総合すると、対馬に住む韓国人が情報を韓国のスポンサーに流し、スポンサーと島民の間で直接、売買話を進める。最終段階や交渉が込み入ったとき、日本語が話せる韓国人の行政書士が仲介、売買をとりまとめるという。

 土地勘、人脈のあるガイドも当然、情報収集の一翼を担っているが、前出の不動産業者によると、知人の韓国人ガイドはこうも話していたという。

 「10回、20回と来るリピーターは、島民の知人が増え、空き家情報や不動産の売買情報が簡単に入ってくるようになる」

 観光業関係者によると、韓国人ツアーが港に着くと、韓国人ガイドはまず「対馬はもともと韓国領。いずれきっちり韓国の領土になる」と話し、観光案内を始めるのが恒例になっているという。対馬は韓国領だから買って当然という思いが植え付けられているのだろう。観光客の増加は不動産買収の温床にもなっているのだ。

 9年前、当時の財部能成市長は「10年かかるか20年かかるか分からないが、島全体が韓国色に染まってしまう可能性がある」と危機感を示していた。今、まさに現実味を帯びてきている。

【異聞 防人の島・対馬(下)】
「日本海の要塞」対馬に中国の影 不動産爆買いは時間の問題「韓国も中国も対馬欲しい」


 「新しいホテルが建ってよかったばい。観光客をいっぱい連れて来られるけん」

 「一時ですよ。中国人が来だしたら、韓国人は来られなくなってしまう。私たちの仕事もなくなる。すでに福岡に中国人が押し寄せているから、対馬も時間の問題です」
 「中国人と一緒に来ればいい」
 「中国人が来だすと、対馬中全部押さえてしまう。韓国人の出番はありません」

 今春、対馬の玄関口、厳原(いづはら)港の近くに国内の大手ホテルチェーンが進出した。増加する韓国人観光客を狙ったものだった。ところが、50歳代の建設会社社長によると、それ以降、韓国人観光客を相手に通訳をしている韓国人ガイドとの間でこんな会話が頻繁に交わされるようになった。

 韓国人ガイドは慣れた日本語で「すでに中国人の出入りがあります。今日も中国人を何人か見ました。中国人は対馬に興味を持っているようで、厳原で土地と建物を買ったという話を聞きました。下見に来ているようでした」とまくしたてたという。中国人の対馬進出に危機感を持ち、ぼやく韓国人ガイドは一人や二人ではなかった。

 「『韓国も中国も対馬が欲しいのです。しかし中国人が乗り出してくると、韓国は太刀打ちできない』と暗い表情で話していた」

このガイドの言葉を裏付けるように、厳原町のタクシー運転手は「中国人観光客はすぐに分かる。大きなかばんや袋を持っていて、爆買いするから。韓国人と買い物の仕方が違う」という。

 厳原町のホテル事情に詳しい男性は「全国展開するホテルの関係者から、中国人観光客の増加を見込んで宿泊施設を建てる-という話を聞いた」と明かし、「中国が本格的に出てくるのは時間の問題だ」と断言した。
                 
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 対馬の表玄関・厳原港は大規模な改修工事の真っ最中だ。長崎県によると、現在国内フェリーの接岸工事をしている段階で最終的な改修規模は検討中だという。

 だが、対馬の複数の財界関係者の話を総合すると、3年をめどに水深を掘り下げるなどして大型豪華客船が停泊できるように改修する計画が進められているという。県は、この点について「検討対象」というにとどめているが、ある観光業者は、博多港に中国の豪華客船が入港、2千人から3千人の中国人観光客が上陸していることを挙げ、「改修されると、韓国人観光客だけでなく中国人観光客も大挙してやってくるだろう。そうすると、北海道のように、韓国資本が押さえている不動産をすべて中国人が買収にかかる可能性が出てくる」と指摘する。

 十数年にわたって対馬で韓国資本の進出を注視している男性は「対馬には中国人に売ってもいいと考えている人もいる。韓国人も中国人が不動産を売れと言ったら売るでしょう。中国と韓国が重なって対馬を買いあさり、その後、韓国が買い占めた土地を中国が買うということも十分にありうる」と危機感を表す。

 こうした危機感はじわじわと広がりつつある。厳原町のある財界幹部は「対馬自体が要塞。対馬を押さえると、日本海を押さえることにもつながる。日本海を内海にして自由に航行できることを目指す中国は当然、対馬を狙ってくる」と話した上で、「私はすでに韓国資本の裏で中国資本が動いて、不動産を買いあさっているのではないかと疑っている」と不安を口にした。

 こうした危惧を裏付けるように日本に帰化した中国ウオッチャーは「要衝である対馬は中国にとってはのど仏のような存在で、どうしても拠点にしたい場所。すでに韓国人名義や島民名義で買収している可能性は高い」と、警告した。

◆止まらぬ過疎・高齢化 「日本守る国民守れ」
 対馬が韓国資本の標的にされる理由は、歯止めが利かない過疎化と高齢化にある。
 対馬の不動産業者はこう話す。
 「過疎化がスピードアップしている。住民票は対馬にあるが、誰も住んでいない家も増えてきた。夜9時頃、車で走ると、電気がついていない家が多く、その数の多さに驚く」

 総務省によると、対馬の人口は平成12(2000)年に約4万1千人だったのが平成27年には約3万1千人に減少。だがこれは住民登録している数字で実数はさらに低いという。減少率は28年10月現在で全国1741市区町村中120番目だ。また、27年現在で、総人口に占める65歳以上の割合は33・9%で、全国平均(26・6%)より7・3ポイント高い。2040年までには10・7ポイント上昇し、44・6%に達し、10人に4人が高齢者になるという。
 過疎化と高齢化は対馬の慣例を壊し、それがさらに韓国資本による不動産買収に拍車をかけているという。前出の不動産業者は語る。

 「5、6年前までは、先祖代々の墓を守らなければならないから島を出て行けなかった。ところが、最近は墓を守るのは自分の代までという島民が増えてきた。先祖代々伝わる土地建物を自分の代で絶やしてはいけないという伝統が変わっている。だから家が断絶するスピードも速まっている」

ある運送業者は身近な出来事として、こう話した。

 「60歳で定年になると、すぐに家を売って、本土にいる子供の所に行こうという島民も目立つようになってきた」

 市議会関係者も、こうした事情を踏まえて「相手は誰でも手っ取り早く売れて現金が入ればいい。観光客らからそういう情報が流れ、韓国資本もそれを狙っている。この流れは変えられない」と表情は硬い。
                 
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 国境離島が抱える問題を打ち破ろうと、今年4月、有人国境離島法が施行され、目玉の一つとして、離島住民を対象とした航空運賃や航路運賃が引き下げられた。例えば、対馬から福岡へ行く場合、航空運賃はこれまで片道1万1200円だったのが7300円に、海路も厳原(いづはら)-博多間を結ぶ高速船ジェットフォイルは片道6330円が4450円に、フェリーも片道3660円から2620円に引き下げられ、6割負担で済むようになった。

 だが、ここに大きな落とし穴があった。島民の多くは口をそろえてこう指摘する。「新法は島民だけが対象だ。離島振興の意味からみると本末転倒だ」

これはどういうことか。朝一番のジェットフォイルで厳原港を出発すると、博多で終日、買い物などをして夜には対馬に帰れる。ジェットフォイルの運賃が安くなって以降、「買い物や美容院にかかるために福岡に行く島民が増え、対馬の商店の売り上げが下がってきた」(厳原の商店主)というのだ。

 地元地方議員も「本土の人が気軽に対馬に来られるような制度ではないから、島の繁栄にはつながらない。今のままでは過疎化は防げないし、対馬の経済復興もままならない」と、新法の“弊害”を訴える。

 タクシー運転手も「皆さんに補助して、交通費が安くなれば本土からも人が来るとですよ。日本人が大勢来られるようになれば対馬も進展があろうばってん、韓国人じゃ相手にならん」と話す。

 新法は一歩前進と評価する声もある。一方で、対馬の経済活性化にはほど遠く、国境離島を守ることにはならないという見方も根強いのだ。

 厳原ではこんな声が多い。「今のままでは過疎化が進み、国を守る国境離島の意味をなさない。今、きっちりと対策を練らないと、問題は対馬だけにとどまらなくなる」

 ある地方議員はこう訴える。
 「国境の島は、日本を守る島という特区にすべきだ。土地や山は売ってはいけない。そのかわり政府が、日本を守る島民を守るという政策が必要だ」

 (編集委員 宮本雅史)

台湾独立の戦い

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地球史探訪: 台湾独立の戦い

「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」
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■1.「とうとう、本当の自分に戻ることができた!」

「昭和36(1961)年4月、羽田空港に降り立った私は、人目がなければ、地面に跪(ひざまづ)いてキスをしたいくらいにうれしかった」 台湾から東京大学に留学した周英明さんはこう思った。翌日井の頭線に乗って渋谷に向かう車中、笑いがこみ上げて、我慢できなくなってしまった。

__________
 とうとう、本当の自分、周英明に戻ることができた! もう誰に対しても自分を偽る必要はない。台湾を支配する国民党の連中、ざまあみろ。私はお前たちの手中から逃れて、自由な国に来ることができた。もう二度と、絶対におまえたちには捕まるものか! ざまあみろ。[1, p77]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 戦後、日本が引き上げた後で、台湾では蒋介石の国民党により恐怖政治が行われた。周さんはそこから脱出してきたのだった。


■2.台湾人の怒り

「遵法観念なし、衛生観念なし、教養なし、文化レベル最低の中国人が警察・軍隊・役所など、権力を全部掌握して、好き勝手なことを始めたからたまらない」[1, p38] これが終戦直後の台湾だった。

 日本統治時代の台湾は米は豊作、一級品の砂糖の生産も盛んだった。その砂糖や米穀を、中国兵のトラックが次から次に運び出して、中国大陸に売ってしまった。軍や政府の上層部が、金儲けのために勝手に持ち出すのである。その結果、飢饉を知らなかった台湾で米不足になり、極度のインフレが生活を直撃した。

 また中国海軍が香港あたりから密輸してきた外国たばこを、元締めから仕入れた台湾人が街頭で売る光景が見られるようになった。国民党政府は専売で売っている台湾たばこの売り上げが落ちるので、これに目を光らせていた。警官が来ると、たばこの密売人は一斉に路地裏や物陰に隠れてやり過ごす。

 1947(昭和22)年2月27日夕方、たばこの密売で生計を立てている未亡人が逃げ遅れて捕まってしまった。「子供がいるんです」「生活に困っているのでどうかお見逃しを」と土下座して懇願するその未亡人から、取締官は密売たばこを取り上げ、ジープで連行しようとした。抵抗する未亡人は取締官に小銃の台座で殴られ、頭から血を流した。

 一部始終を見ていた群衆は、はじめは「許してやれよ」というヤジを飛ばしていたが、それが「やっちまえ」にかわり、危険を感じた取締官は群衆に向かって発砲し、けが人が出る騒ぎになった。

 民衆の怒りは収まらず、翌28日朝、膨れあがった群衆は「発砲してけがをさせた警官を処罰しろ」と専売局前の広場に押し寄せた。2階のバルコニーにいた警備兵が広場の群衆に向かって機銃掃射し、数人の死者が出た。この事件で、これまで我慢していた台湾人の怒りが爆発し、各地で暴動が起きた。


■3.血の海のなかの先輩の遺体 

 この時、周さんは高尾中学1年生だった。周の兄たち上級生は小銃で武装し、「中国人を追い出そう」と演説をして、校舎の守りを固めた。

 数日後、高尾中学は中国軍に包囲された。銃撃戦が起こり、双方で死傷者を出した末に、校舎は中国軍に占拠された。中国軍に追い詰められて最後に残った兄たち数人は、銃を捨てて塀の崩れたところから、かろうじて逃げのびた。

 しばらくして、中学校が再開されることとなり、周が朝、家を出ると駅前広場で黒山の人だかりができていた。なかの様子を窺った周さんは、ショックで顔面が蒼白になった。公開処刑が行われた直後で、3人の遺体が血の海の中で横たわっていた。そのうちの一人は周さんの知っている先輩だった。

 その光景を見た瞬間、周さんの体の中にあった道徳心や勇気、正義感は凍りついてしまった。もう金輪際、政治に関わったりはすまいと心に誓った。その後、高校に入り、台湾大学の受験をめざして勉学に打ち込み、政治に関わることを避け続けた。

 台湾大学に入学し、大学のそばの学寮で生活を始めた。国民党政権によるテロが続いており、少し不用意な発言した人はいつの間にか学校から消えていなくなった。しばらくすると近くの河原で銃殺死体で見つかる。

 大学を卒業すると、1年半の義務兵役が始まった。炎天下に来る日も来る日も演習ばかりさせられた。蒋介石を頭とする一族郎党のために、辛い軍事訓練を受けて、「毛沢東をやっつけろ、それがお前たちの使命」だって? 腹の中では憤懣でいっぱいだった。

 やっとのことで兵役を終えて、台湾大学に助手として戻った。腹の中で膨れ上がる反逆心がいつ爆発するか、もう限界に来ていた。そのころ日本の文部省が国費留学制度を開始した。この道しかない! 周さんは猛勉強して試験に合格し、東京への切符を手にしたのである。


■4.「台湾?」

 東京について、とうとう本当の自分に戻ることができたと舞い上がったが、一ヶ月も経つと別の思いが頭をもたげてきた。

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 学者になりたいという道は開け、私は前途洋々である。しかしそれは個人的な問題が解決されただけではないか。・・・
 両親や兄妹、親戚、学友はみんな、今も台湾で苦しんでいる。蒋介石を頭とする国民党政府の圧政は、少しも改善されていないではないか。[1, p78]
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 自分は一体、どうすべきなのか。頭を抱えながら、時間が過ぎていった。そんなある日、留学生会館の図書室で『台湾青年』という雑誌が目に留まった。「台湾?」 台湾と名前をつける事は、反体制・独立を意味することから、台湾国内では絶対にタブーだった。

 なかを読んで驚いた。口にするのも憚られる「台湾独立」や「蒋介石の独裁体制」という言葉が並んでいる。しかもよく読めば、日本にいる留学生たちが作っているようだ。

 たぶん自分と年格好もそう違わない留学生、ほんの一握りの台湾人青年たちがこんなにも勇敢に戦ってるのだ。その夜、周は興奮して一睡もできなかった。「怖い、怖い」と逃げている自分が、ひどく小さな、卑怯な人間に思われた。

 そして今まで自分が受けた台湾の人々や台湾社会からの恩義を想うと、台湾の最高学府を出た自分が何もしなければ、一体この台湾は誰が救うのか、このままではいけない、という気持ちが高まっていった。


■5.「独立運動に加わろう」

『台湾青年』を読んだ感激を何とか伝えたいと思って、匿名で編集部に投書した。すぐには彼らの仲間にならなかったが、匿名で政府批判の文書を作成し、あちこちに配るようになった。

 ある日、在日中華民国大使館からで呼び出し状が届いた。ギクッとしたが、行かなければかえって怪しまれると思って、恐る恐る出かけて行った。大使館の文化参事官は周さんを家に連れて行ってご馳走し、最後に「いろいろ仕事を手伝ってもらいたい」と切り出してきた。

 毎月、金を支給するので、台湾からの留学生たちがどこで何を言ったか、定期的に報告してもらいたいという。スパイになって友達を売るなどという真似ができない事ははっきりしていた。しかし断れば「政府の言うことが聞けないのか」となるだろう。

 悩みに悩み、そして決心した。「大使館の要請は断ろう。エイ、毒をくらわば皿までだ、独立運動に加わろう。もう自分の心に嘘つくをよそう」

 台湾国内で独立運動すれば命がけ、国外ならパスポート剥奪、親兄弟をはじめ一族郎党がブラックリストに載る運命が待っていた。年老いた父母の顔が目に浮かんだ。 「これで台湾には、帰れなくなります。いろいろ心労をおかけする親不幸をお許しください」と、唇を噛みながら、周さんは心の中でわびた。


■6.「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」

 そんなある日、周さんは会合で紹介された一人の女性に一目惚れした。そばにいた友人に「何者だ」と尋ねると「ああ、彼女はね、大使館の特務四天王だから、あんなのに近づいたらダメダメ! いつも大使館に雇われて通訳をやってるし」と教えてくれた。特務とは大使館の手先として諜報活動するスパイで、その四天王の一人だという。周さんはがっかりした。

 その女性、金美齢さんは通訳をやっているのはアルバイトのためだけで、密かに『台湾青年』を読んでいた。何度か二人で顔を合わせて話をするうちに、金さんは周さんの考え方や話し方から「独立派」との「信号」をキャッチしていた。たまたま二人だけで話す機会があった時、「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」と切り出した。

 金さんは日本統治時代の台湾に生まれ育ち、やはり国民党政権に反発して、ある日本人の助けで日本に留学した。日本では学生運動のまっただ中で、金さんは、若者がこれほど自由に政治的な発言ができることに衝撃を受けていた。

 ある日『台湾青年』という雑誌が届き、みんなが恐れおののいている台湾の政治や社会の問題をはっきり指摘する勇気のある人々がいることに驚いた。やがて得意の語学を使って大使館の通訳を務めるようになったが、仕事は仕事と割り切り、その陰で『台湾青年』の編集者たちと接触していた。

「孫明海ってあなたでしょう」とズバリと指摘され、周さんは「いやー、ハッ、ハッ、ハッ」とごまかしたが、「よくわかったなぁ」と内心、舌を巻いた。そのうちひょんなことから彼女の自宅で食事に招待され、二人だけでずっと話した。

 翌日の朝、周さんは彼女に電話した。「僕と結婚してください」といきなりプロポーズした。「はい」と言う返事が、電話線を通してすぐに戻ってきた。


■7.パスポート没収

 二人が結婚して数ヶ月後、周さんのパスポートが更新時期を迎え、大使館で更新の申請をしたが、その後、いくら待っても連絡がない。独立派と旗幟を鮮明にしたので、パスポートを没収されたのだ。周さんは残念に思うこともなく、国民党政府と縁が切れた事に心からの開放感を味わっていた。

 当時、日本政府は国民党政府と取引して、日本国内の独立運動家一人を引き渡せば、麻薬密輸で捕まった台湾人8人を引き取らせるという密約をしていた。実際に周さんの仲間の一人は大学を卒業して、滞在理由がなくなったので、勾留されて、台湾に送還される事になった。

 仲間たちが阻止しようと、羽田空港の歓送迎デッキから飛び降りて、警官隊と大乱闘になったが、奪還できずに、台湾に送られた事もあった。しかし、日本でこれだけの大騒ぎになった事で、台湾では死刑を免れた。

 やがて子供もできたが、強制送還の恐怖は常に身近にあった。二人は万が一に備えて遺書を準備し、死に方を考え、子供の行く先を考えた。その覚悟をもとに、勉強しながら生活費を稼ぎ、子供を育て、独立運動を続けた。

 やがて周は博士号を取得し、指導教授が粘り強くいろいろな大学にあたってくれて、東京理科大学の非常勤講師の職を見つけてくれた。さらに1年後は学科の主任教授や学部長が動いてくれて、常勤の助教授に昇格した。外国人の専任教員は前例がない時代だった。

 それまでは毎年、滞在許可を更新しなければならなかったが、ようやく永住資格を与えられた。二人は台湾には帰れないと思っていたが、台湾独立のために最後までやる覚悟でいたので、日本の国籍はとらなかった。


■8.「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」

 2000(平成12)年3月、李登輝総統の後任として陳水扁総統が誕生した。台湾人で、しかも独立を標榜する民進党から生まれた総統だった。ようやく台湾に帰れるようになった。 8月28日、二人と長女を乗せた中華航空機が台湾の大地に着陸した。周さんにとっては40年ぶりの帰国である。

 前総統の李登輝氏は二人を自宅に招いて温かくもてなし、ねぎらってくれた。周さんは「李登輝総統が勇気を持ってこの民主化、自由化の改革を行われたおかげで、私は生きてるうちに台湾に戻ることができました」と挨拶した。

 日本統治時代に育った李登輝氏は「日本人がその理想をつぎ込んで育成したのが、私と言う人間なのです」と語っている。言わば戦前の「日本精神」が李登輝氏の体を借りて、台湾の民主化と自由化を進めたとも言える。

 「日本精神」とは戦後の国民党政治への不満と恐怖の中で日本統治時代の公正な巡査、教育熱心な先生などの生きざまを懐かしんで生まれた言葉である。その反対が、不公正、無責任、欺瞞、金が万事、を意味する「中国式」である。

 敗戦で台湾を放棄した日本は、中国と国交回復した昭和47(1972)年にも「台湾は中国の一部」との中国の主張を認めてしまった。日本は二度、台湾を捨てたことになる。「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」と金美齢さんは言う。

 そして今、台湾と日本は同じく大陸からの過去最大の脅威にさらされている。蒋介石政権からの「台湾独立」を成し遂げた台湾人から、現代の日本人は「日本精神」を学んで、ともに力を合わせて独立を守らなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク

■■ Japan On the Globe(1028)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

地球史探訪: 朝鮮総督府の「一視同仁」チームワーク

 日本人官吏と朝鮮人官吏の和気藹々としたチームワークが朝鮮の高度成長を支えた。
■転送歓迎■ H29.10.01

■1.「大和系日本人」と「朝鮮系日本人」のチームワーク

 朝鮮総督府で官吏をされていた人が、当時の体験を語った貴重な本がある。本年7月、102歳で亡くなられた西川清氏の『朝鮮総督府官吏、最後の証言』だ。表紙の帯には「おそらく総督府の実態を語れるのは私が最後だと思います」との発言がある。

 この本の裏表紙にある写真が、西川さんの証言のすべてを物語っている。そこでは4人の若い男性が桜の木の下で、肩を組んでいる。キャプションには「1934年 官吏仲間と楽しく花見する西川氏」とある。

 一人は着物を着ているので日本人と分かるが、他の3人は洋服だ。そのうちの一人が西川さんで「大和系日本人」、残る2人の青年には「朝鮮系日本人」と注意書きされている。

 仲良く肩を組んでいるので、そのような注意書きがなければ、誰が日本人で誰が朝鮮人だか全くわからない。西川さんの朝鮮総督府での業務体験を読んでいくと、日本人と朝鮮人が一体となったチームワークで仕事をしていたことがよく窺われる。

■2.町の周囲の山が禿山だった

 西川さんは昭和8(1933)年18歳で和歌山県の熊野林業学校を卒業し、校長の斡旋で朝鮮総督府に就職した。朝鮮といっても、当時は内地(国内)、外地(朝鮮、台湾)とも同じ日本だったので、日本国内の遠い地方に行くという感覚だった。任地は江原道(こうげんどう)。「道」は日本で言えば「県」にあたり、江原道は朝鮮半島の東海岸、南北ではちょうど中程にあった。

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 朝鮮に行ってまず驚いた事は、釜山(プサン)や京城(ケイジョウ、現ソウル)など町の周囲の山が禿山だったことです。

・・・朝鮮にはオンドルという薪(まき)を焚いて床を暖める設備がどこの家にもありました。朝鮮は非常に寒くなりますから、このオンドルには大量の薪が必要です。しかし、朝鮮には植林をするという技術もなく、指導者もいなかったので、街に近い山々にはほとんど樹木がなくなっていました。
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 西川さんの最初の仕事は、この禿山に植林をすることだった。まず土が流れないよう、7、80センチの段々を作り、そこに木を植える。植林は土砂崩れや洪水防止のために急務であった。また海の近くに植林することで、漁場に栄養が行き渡る。西川さんは日本の林業学校で「樹のない国は滅ぶ」と教えられていた。

 朝鮮総督府は1911年からの30年間で、5億9千万本もの植林を行った。朝鮮全人口の一人あたり約25本という膨大な数である。西川さんはその一翼を担ったのである。

■3.日本人官吏と朝鮮人官吏の給与も出世も平等だった

 昭和11(1936)年に朝鮮総督府は地方官吏養成所を設け、西川さんはその第1期生として京城で1年間学んだ。江原道からは5人が送られたが、そのうちの2人は朝鮮人だった。養成所の第1期から朝鮮人も選ばれて、幹部候補生として育てられたのである。幹部ともなれば、日本人の上司となることも、ごく普通であった。

 昭和18(1943)年、西川さんは江原道の21の郡の一つ、寧越郡の内務課長に昇進した。寧越郡は7つほどの村を管轄しており、全体で60名ほどの職員がいた。どこの郡でも郡守はほとんど朝鮮人で、寧越郡も例外ではなかった。西川さんは朝鮮人郡守の下で内務課長を務めたわけである。

 給与も出世についても、日本人も朝鮮人も全く差別はなかった。ただ内地から来た日本人には外地手当が支給された。したがって内地に働く日本人官吏と、朝鮮で働く朝鮮人官吏は同じ給与だったようだ。これは現在の多くの日本企業の海外法人よりも公平である。

 その後、西川さんは道庁に移って課長補佐になったが、そこでも朝鮮人の方がずっと日本人よりも多く、また道庁の部長もほとんど朝鮮人であった。ここでも朝鮮人の上司に仕えたのだが、石川さんは全く違和感はなかったという。朝鮮人の上司は、西川さんをとても可愛がってくれた。

 朝鮮統治では、「皇民化」で当時の朝鮮人を軍国主義に染め上げようとした、などとの批判が現在されているが、それについて西川さんはこう答える。
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 皇民化政策について勘違いしている方が多いのです。日本人も朝鮮人も皇民だったということです。皇民化とは日本と朝鮮の格差や差別をなくすためのものだったと思います。
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 道庁内では各課ごとに野球チームを作り、野球大会をやっていた。朝鮮人は野球がとてもうまく、朝鮮人だけのチームもあったが、そこが一番強いかというと、そうではなかった。なぜか朝鮮人と日本人の混合チームがいちばん強かったと言う。個人の能力の高い朝鮮人とチームワークに優れた日本人の強みがうまく補完し合うからだろう。

 朝鮮は、日韓併合後の最初の20年で、人口も米の生産量も2倍となるなどの高度成長期を迎えるが、その原動力の一つが、この日本人と朝鮮人のチームワークだった。


■4.朝鮮人は日本名を名乗る権利があった

 朝鮮人に日本名を名のらせる創氏改名が強制されたというのも、戦後の神話である。
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 道庁の朝鮮人官吏の人でも、創氏改名しない人はたくさんいました。はっきりと覚えていませんが、私の周りでは半数以上といったところでしょうか。「創氏改名しろ」と言う命令があったのなら、朝鮮人の官吏は、真っ先に改名しなければならなかったでしょう。

 総督府の組織の人間である官吏の朝鮮人が、国の言うことを聞かないと言う事はできません。それが名前を変えなかったという事は、創氏改名は自由だったということです。
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 むしろ朝鮮人が日本名を欲しがったと言う話も聞いたくらいだった。「あの当時は同じ日本人なのだから、したかったらしたらという感じでした。無理にしろということではありません」と西川さんは回想する。実際に「氏の創設は自由 強制と誤解するな」という総督からの注意が新聞記事でも残っている。

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 もし、創氏改名が出来なければ差別になります。日本人と同じと言っておきながら、朝鮮人が日本名に変えることができないとなると、これは一つの矛盾となります。朝鮮人は日本名を名乗る権利があったのです。
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■5.「徴用は、強制というより納得するように話すんです」
 現在、朝鮮人労働者を日本内地で働かせた「徴用」は「強制労働」とレッテルを貼られ、当時の日本企業に損害賠償を求める裁判まで起こされている。

 西川さんは寧越郡の内務課長時代にこの「徴用」に取り組んだ。徴用とは戦時下の労働力不足に対応するための国民に対する勤労動員である。内地では昭和14(1939)年から実施されていたが、朝鮮では昭和19(1944)年9月に開始された。

 朝鮮総督府が各道庁に朝鮮人男子青年の人数を割り当て、道庁は郡に、郡は面(村)に人数を割り当てる。ただし、西川さんの前任者は、10人の割り当てがあっても、5、6人しか集められなかった。

 西川さんは10人の割り当てに10人集めた。その成績が非常に良いと言うことで総督府の事務官が理由を聞きに、西川さんの所にやってきた。逆に言えば、徴用は法律上は強制であっても、実際には言うことを聞かない朝鮮人も多かった、ということである。
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 どうやって集めたかと言うと、面長(村長)とか、関係の人にきちんと説明して、本人にも納得するように説明してもらう事でした。・・・

 徴用は、強制というより納得するように話すんです。それをしっかりと話をしないで、集めようとするから、皆、嫌がって日本に行かないことがわかりました。

私はきちんと、日本に行って、日本人と同じ仕事をして、賃金もきちんともらえると、係官に説明をしてもらったのです。
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 これが「強制労働」の実態だった。


■6.「従軍慰安婦」の強制連行はなかった

「従軍慰安婦」の強制連行などは無かった、と西川さんは断言する。もし「従軍慰安婦」の強制連行があったら、徴用と同じように人数の割り当てがあり、内務課長がその人数を集める責任を負うはずだ。内務課長であった西川さんがそれをしてなかったという事は、強制連行の事実がなかったと言うことになる。

 百歩譲って、西川さんが嘘をついていたとしても、まだまだ反証がある。西川さんの周囲には、郡長や部長レベルも含め多くの朝鮮人官吏がいた。もし朝鮮人女性をトラックで無理矢理連行するような事があったら、それらの朝鮮人官吏が黙って見ていたはずがない。必ず大騒動が各地に起こったであろう。

 さらにもう一つの証拠として、当時の行政の厳格な文書主義がある。戦後、西川さんが帰国して、再就職する際に、政府から履歴書を再発行してもらった。そこには朝鮮に渡った18歳からの経歴、役職、給与までが克明に記録されていた。コンピューターもない時代に、総督府は一人ひとりの官吏にまで、このような詳細な記録を残していたのである。

 終戦後の引き揚げの混乱の中でも、総督府は「特別輸送乗車船証明書」を発行している。これは引き揚げの交通費を免除するためのもので、印刷された用紙に名前を書き、公印まで押している。

 もし総督府が行政命令として慰安婦を集めていたら、その命令書や執行報告書、そして集められた慰安婦たちの一人ひとりの記録が残されていたはずだ。西川さんは引き揚げ時には書類はすべて道庁に残してきたというから、もし慰安婦の強制連行があったら、その膨大な証拠書類が出てこないわけがないのである。

■7.朝鮮人志願兵への応募30万人

「従軍慰安婦」とは対照的に、朝鮮人志願兵の記録は詳細に残っている。朝鮮人の第一回志願兵募集が始まったのは昭和13(1938)年だった。応募者は2,976人と倍率が7倍を超えたので、採用者を増やして480人が採用された。

 志願者は年々増え続け、昭和18(1943)年には30万人にも達した。採用予定者は5,300人で、倍率は約57倍だった。この年にはさらに幹部候補の募集も行われた。

 日本の軍隊の特徴は、日本人と朝鮮人を混在させた点にあった。そのため朝鮮人上官の下に日本人兵が配置されることもあった。そこでは朝鮮人上官が日本人の部下を怒鳴りつけたり、殴ったり、靴を磨かせていた事も、当時の軍として普通に見られたようだ。

 アメリカでは、白人部隊と黒人部隊が完全に分かれ、黒人の上官の下に白人の部下がつくことなど、ありえなかった時代の話である。

 靖国神社には、日本軍として戦った朝鮮人兵士約2万1千人以上が英霊として祀られている。「一視同仁」、すなわち、日本人も朝鮮人も同じ「皇民」である、とする精神が軍隊内での処遇においても、慰霊においても実践されていたということである。

■8.「私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません」

 終戦の玉音放送を、西川さんは自分の机で聞いた。よくは聞き取れなかったが、「忍び難きを忍び」などの天皇陛下のお言葉を聞いて負けたということがわかった。道庁の中で、朝鮮人官吏の様子については特に変わった様子もなかったようで、記憶に残っていないという。

 西川さんは翌日も、職場に行った。
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 私は机の身近なものなど片付けて、それ以上はもう自分は必要ないから触らずに帰ってきたわけです。何も朝鮮と戦争した訳でもないから、朝鮮を差別したこともないし、内鮮一体でやってきたわけだし、私たちは、恥ずべきことは何一つしておりません。

 朝鮮人と日本人と一緒になって、一生懸命やりましょうということだけで、仕事をしてきたわけです。江原道庁で、見られて都合の悪い書類なんて何もありませんでした。総督府は善政を敷いたのです。
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 日本の朝鮮統治は「植民地化」ではなく、「合邦」、企業で言えば「合併」であった[b]。そして西川さんたち朝鮮総督府官吏は、日本人も朝鮮人も「一視同仁」、「内鮮一体」の理想に忠実に、良きチームワークを発揮してきたのである。

 玉音放送の2,3日後、日本人が一人二人とコソコソと引き揚げてることを聞いて石川さんは人事課長の所へ行って、提案した。
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 戦争に負けて国は三等国以下になったとしても、我々国民はそのまま世界の一等国民ではありませんか、こそこそと逃げて帰るような事はしたくないです。現在、春川(シュンセン)に約一千人位いると思われる日本人全員が一カ所に整然と引き揚げて、流石(さすが)日本国民だ、綺麗な引き揚げ方だったと、朝鮮人から言われるような引き揚げをしませんか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 その言葉通り、在留邦人たちは一体となって、西川さんが仕立てた列車で釜山に行き、収容所で1ヶ月、船を待って、日本に帰り着いた。「一等国民」として、誇りに満ちた引き揚げ方だった。
(文責 伊勢雅臣)



1. 桜の花出版編集部『朝鮮総督府官吏 最後の証言』★★★、H26、星雲社
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4434194453/japanontheg01-22/

韓国軍が数千人ベトナム女性を強姦し、慰安婦にしていた

米国メディア「日本より先に謝罪すべきだ」 産経新聞 2017.4.30

ベトナム戦争時、韓国軍がベトナム人女性に行った極悪非道の数々について、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領は国際社会に向けて謝罪すべきだと訴える2015年10月13日付の米FOXニュースのオピニオン面(電子版)

 さて、本コラムはこれまで、欧米の音楽や映画にとどまらず、国際政治や経済、IT(情報技術)、宇宙開発、食(グルメ)、健康、動物愛護、環境保護、UFO&地球外生命体騒ぎに至るまで、国内外を騒がせるニュースをすべて“エンターテインメント”ととらえ、他のメディアと違った視点でご紹介してきました。

 なので、やはりこの問題についてもご紹介せねばなりません。昨年末に韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置された一件についてです。

 ご存じの通り、日韓両政府は一昨年末の合意で慰安婦問題を「最終的かつ不可逆的に解決されたことを確認した」との認識で一致。

 日本側はこの合意に基づき昨年、元慰安婦支援などに10億円を拠出するといった合意内容を着実に履行しました。

 ところが韓国側はソウルの日本大使館前の慰安婦像は「地方自治体の責任」などと主張し、撤去に動かなかったどころか、釜山の日本総領事館前に2つ目の慰安婦像が設置されたことを容認したのでした。

 こうした韓国側の一連の行為や対応は、外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約を無視する立派な国際法違反に当たります、なので当然ながら日本政府は駐韓大使を一時帰国させるといった対抗措置に出ました。

 これに対し、当の韓国側や日本在住の反日勢力、そして、なんちゃって左翼の連中が、真面目に反論するレベルに至らない低レベル過ぎる屁理屈を並べ立てています。

 こう書くと反日勢力などから「偉そうなことをほざくな」と言われそうですが、当の韓国政府を含め、こうした連中は、この問題に対して意見できる立場にないのです。なぜか。理由は簡単。少しばかり世界の物事の裏を分かっている人々の間では既に有名な話なのですが、慰安婦問題について国際社会に深く深く謝罪せねばならないのは、実は韓国の方なのです。今回の本コラムでは、その理由についてご説明いたします。

■13歳少女をも韓国軍が強姦…“ライダイハン”混血児は約3万人
 今年1月で5年目に突入した本コラムのネタ探しで海外メディアの電子版を巡回していて、このニュースを見つけたときは、本当に驚いたのと同時に、自分のモノの知らなさに恥じ入ったものでした。そして“いつか絶対このコラムで書いてやる!!”と思っていたのですが、遂にその日が来ました。

 2015年10月13日付の米FOXニュースのオピニオン面(電子版)です。見出しはこうです。「朴(槿恵=パク・クネ)大統領は韓国がベトナムで行った性暴力について公に謝罪すべきである」

 どういうことかと言いますと、このFOXニュースのほかにもさまざまな欧米、そして当の韓国のメディアが報じているのですが、ベトナム戦争(1960年代後半から1970年代初め)時、米の同盟軍としてこの戦争に参戦した韓国軍が多くのベトナム女性を強姦(ごうかん)し、彼女たちを韓国兵のための慰安婦として強制的に働かせていたというのです。

前述のFOXニュースによると、約40年前、現(韓国)大統領の父親で(当時の軍の)司令官、朴正煕(パク・チョンヒ)は32万人以上の米同盟軍(つまり韓国兵のことですね)をベトナムに派兵したといい、この戦争の間、韓国兵は13歳から14歳(の女性)を含む数千人のベトナム女性に対し激しい強姦または性的暴行を行ったと明言。

 そして、強姦されたことによって多くの女性が妊娠・出産し、彼女たちが産んだ混血児が現在、ベトナムには5000人から3万人存在すると説明します。

 そして、韓国軍がベトナムで行ったこうした極悪非道な行為に対し<朴大統領は世界で最もパワフルな女性の1人である。父親が率いた兵士たちが膨大な数にのぼる罪のない女性たちに対し、犯した犯罪を公に謝罪することは、間違いなく彼女の権限の範囲内にある。なのに、そうした謝罪をしないで、日本に対し、第二次世界大戦時の韓国の慰安婦に対する性的暴力について謝罪を求めることは、朴大統領の道徳的権威を傷付けるだけである>と警告しています。

 平たく言えば“日本に謝罪を求めるなら、自分たちもベトナムでやらかした残虐行為について世界に向けて謝罪しろ”ということですね。

 ちなみにこのFOXニュースのオピニオン記事の投稿者であるノーム・コールマン氏(67)は2003~09年に米ミネソタ州選出の上院議員(保守・共和党)を務め、現在、国家安全保障や外交政策の専門家らで組織する米のNGO(非営利団体)「米グローバルリーダーシップ連合(USGLC)」で要職を務めています。

■韓国軍は「トルコ風呂」という名の慰安所を
 そして、ベトナム戦争に従軍し、捕虜になったことで知られる保守・共和党の重鎮、ジョン・マケイン上院議員(アリゾナ州選出)が友人といい、この投稿記事でも<私の良き友人、ジョン・マケイン上院議員はベトナム戦争時、捕虜になった際の恐ろしい日々を振り返る際、戦争は人々の生活に深い感情的・物理的傷あとを残すとしばしば語っていた。韓国兵の手によって無垢(むく)を奪われた多くの(ベトナム人)女性たちは、ベトナム戦争における(誰にも)語られない大きな悲劇である>と記しています。

しかし、この投稿記事では、ベトナム人女性は強姦・性的暴行を受けただけのような書き方ですね。だがしかし。実態は違います。2015年に米国立公文書記録管理局(NARA)の公文書で明らかになったのですが、韓国軍はベトナム人女性を強姦しただけでなく、彼女たちを韓国兵のために設置した「トルコ風呂」(Turkish Bath)という名称の慰安所に集め、韓国兵相手に売春を強要していたのです。

 つまり、軍がむりやりベトナム人女性たちを慰安婦にしていたというわけですね。

 この件について、2015年4月25日付の韓国の左派日刊紙ハンギョレ(英字電子版)は「日本の反韓感情を鼓舞する主要な力のひとつ、週刊文春が4月2日の“春の特大号”で明らかにした。執筆者は東京放送(TBS)のワシントン支局長Noriyuki Yamaguchi(山口敬之氏、現在フリー記者)で…」とその内容や経緯を伝えました。

 そして、最後のくだりで、山口氏が文春で「慰安婦問題は国内政治や外交の道具としてではなく、人権問題として真剣に取り組んでいる」と述べた朴槿恵(パク・クネ)大統領がこの件で調査に及び腰になるなら、韓国は自国にとって不都合な真実を無視し、歴史と対峙(たいじ)することを拒否する国だと国際社会に証明することになる、と書いた一文を引用し、こう締めくくりました。

 <(朴大統領にとって、この一件の調査に乗り出すことは)恐らく不快なことであると思われるが、(文春の記事の)主張に反論するのは困難である。ベトナム戦争中に起きた民間人への虐殺だけでなく、韓国軍が(ベトナム戦争時の)慰安所の運営・管理に関与していたかどうかについて、韓国政府はベトナム当局と協力して真実を見つける時がきたのだ>

 韓国の大手左派メディアも「これ、さすがにシカトはマズイやろ」というニュアンスで伝えているわけです。

この問題に関しては、2012年に米多国籍バイオ化学メーカー、モンサント(欧米の左派系環境保護団体が目の敵にする企業のひとつ)を批判する公共広告キャンペーンを展開した米左派系NPO(非営利団体)「ネイション・オブ・チェンジ」(本部・ニューメキシコ州アルバカーキ)も、自分たちが運営する同名ニュースサイトで2015年12月11日に韓国政府を厳しく批判する記事をアップしました。

 「戦争の傷あと:ベトナムの慰安婦」と題されたその記事、なかなかに辛辣(しんらつ)です。

 <ベトナム戦争時、韓国軍の多くの部隊がベトナム人女性を強姦したり、農民や老人を虐殺するといった残虐行為に手を染め、多くの女性たちが韓国兵のための売春婦として強制的に働かされた…韓国政府は今日に至るまで、この問題をほぼ無視しているが、日本に対しては(当時の)慰安婦のための財政的補償を要求し続けている。(こうした)韓国側の行動は偽善的であり、慰安婦問題を政治的な道具に使っていると言うものもいる。事実、韓国側は日本(の動き)に対抗するため、米大陸で韓米による政治主導のキャンペーン隊を編成した>

 <ベトナム戦争中、韓国軍は反共勢力を支援し、自分たちの慰安所設置のため軍の部隊を送り込んだ。当初、韓国兵たちは多くのベトナム人女性を強姦し、その後、慰安所で働くよう強制した。多くの場合、強姦によって子供が生まれ、その子供たちもベトナムの慰安婦という性奴隷として働くよう強制された…ベトナムでの慰安所設置とベトナム女性への強姦に加え、韓国軍は非武装のベトナム民間人、主に女性と子供の虐殺という戦争犯罪も犯している。しかし韓国側は韓国兵による強姦で混血児が生まれたことも、性奴隷としてのベトナム慰安婦(の存在)も無視し続けている…>

<日本人の手にかかった(韓国の)慰安婦の命や苦しみを称える彫像が建てられている間、(韓国側は)日本が慰安婦に対する公的責任を負うよう圧力をかけているが、朝鮮戦争とベトナム戦争時に韓国(軍)に(モノのように)使われた慰安婦の窮状は、ほとんど無視されている>

 どうですか?。この左派系サイトも前述のFOXニュースのオピニオン記事と同様、日本に謝罪や補償を要求するなら、自分たちがベトナムで行った戦争犯罪を含む極悪非道の行為についてまず国際社会に謝罪すべきだと訴えているわけです。

 まあFOXはバリバリの右翼ですが、ハンギョレや、モンサントを目の敵にするネイション・オブ・チェンジといった、日本のなんちゃってではなく、バリバリのダイ・ハードな左翼までが、自分のことは棚に上げ、日本に謝罪を要求し続ける韓国の卑怯なやり口に愛想を尽かしているのです。

 しかし、韓国はこれからも自分たちがベトナムでやった悪行の数々については徹底無視を決め込むでしょう。2015年4月7、8の両日付のハンギョレ(英字電子版)によると、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺事件の生存者を招いたイベントが、ベトナム退役軍人協会(VVAK)や韓国のエージェントオレンジ(枯れ葉剤)後遺症戦友会(KAOVA)といった団体の反発を恐れ、直前になって会場をキャンセルし、イベントを中止したのでした。その後、KAOVAのメンバー約300人が、当初予定されていた会場周辺でデモ行進し気勢を上げたのでした…。

 この問題について、韓国のソウル大学校国際大学院のパク・デギュン教授は2015年4月7日付ハンギョレ(英字電子版)に「自国のベトナム戦争問題を解決できなければ、日本との歴史問題を解決することはできない」と述べました。全くもってその通りです。

今回の韓国・釜山の日本総領事館前の慰安婦像設置問題について日本政府は、かつてない強行措置で徹底抗戦すべきだと思います。なぜなら、前述したネイション・オブ・チェンジの記事のコメント欄には、こんな書き込みがありました。

 「この記事は完全な作り事だ。ベトナム戦争時の韓国軍には慰安婦などいなかったし、韓国政府も(ベトナムの)女性を性奴隷になどしていない。この記事の執筆者が日本人なのは明らかで、自分たちが韓国の慰安婦問題で非難されないよう、こんな作り事を書いたのだ」

 こんな反吐がでるほど卑怯な連中には、常識は一切通用しませんからね。(岡田敏一 1月20日掲載)



【プロフィル】岡田敏一(おかだ・としかず) 1988年入社。社会部、経済部、京都総局、ロサンゼルス支局長、東京文化部、編集企画室SANKEI EXPRESS(サンケイエクスプレス)担当を経て大阪文化部編集委員。ロック音楽とハリウッド映画の専門家。京都市在住。

本当に女性にいやさしいのか 

本当に女性にいやさしいのか  29.9.17付け   産経論説委員 瀬湖口 敏
 8月23日付のコラム「国語逍遥」で「苅萱道心と石童丸(かるかやどうしん いしどうまる)」の
話を取り上げた。その昔、高野山(和歌山県)が女人禁制だったため母子が父との。再ふ芒を果たせなかった物語で、子供の頃に聴いたときは「女人禁制でなかったらこと悲しみが胸に突き刺さったと書いた。
 すると知人から「じゃ、この島も女人禁制を解いた方がいいと考えるのか」と問われるはめになった。関連の遺産群とともにこの7月、世界文化遺産に登録された沖ノ島(福岡県宗像市)のことである。否、と答えはしたものの、明確な根拠は持ち合わせていなかった。

◆「神宿る島」
 宗像大社の沖津宮がある沖ノ島は「神宿る島」といわれ、今も女人禁制が守られている。男でも上陸できるのは年に1日だけだが、登録を受けて同大社は来年以降の参加者募集を行わない方針を決めた。
 山でも大峰山(奈良県)のように女性の立ち入りをいまだに認めていない所もある。明治5年に政府が禁制解除の布告を出すまで、わが国の霊山はほとんどが女人禁制だった。女性を穢れとみたり、山には女の神が住み、人間の女性が入ると女神が嫉妬し災いが起きると信じられたりしたことなど、いわれはさまざまだ。沖津宮をはじめ宗像大社の3つの宮に祀られているのも、みな女神である。
 苅萱の話を聴き、女人禁制は許せないと子供心に思ったのは確かだが、長じて信仰や伝統、文化といったものには合理的な理解の及ばない部分もあることを知った。科学的知見や現実的思考から物事を合理的に捉える風潮が強い現代でも女人禁制が残っているのは、合理性が全てではないことを物語る。
◆契機は「京都博」
大相撲の土俵や歌舞伎の舞台における。女人禁制は言うに及ばず、酒造りの蔵などでも長らく女性の立ち入りが嫌われてきた。女性芸能者が創始したにもかかわらず、風紀上の理由から女芸人への禁令が出るなどした歴史をもっ歌舞伎が現在、圧倒的多数の女性客に支えられている一事に徴しても、女人禁制を男女同権といった現代の価値観だけにあてはめて論じることはいかにも無意味であろう。
  信仰や伝統、文化は守られることに価値がある一方で、常に変化し続けているのも歴史に見る通りだ。明治5年の解禁布告は、同年開催の京都博覧会を訪れる欧米の観光客に対し、比叡登山を夫人だけ拒むのは難しいと考えだのが直接の契機だったらしい。夫婦で教会に通う西洋の習慣に配慮したもので、解禁はいわぱ政府の欧風化政策の一環だった。高野山では翌6年、女性が登るようになったが、強い反発が続き、完全な解禁は38年まで待つことになる(『比較家族史研究』第31号)。
  沖ノ島の女人禁制が今後、どうなっていくかは分からない。
 やはり信仰と伝統を重んじる京都の祇園祭では平成13年、一部の山鉾で。公認”の女性囃子方
が巡行に加わることになり、話題を呼んだ。移りゆく世情に応じて伝統や文化に対する人々の共通理解も変わる。要は、変えてはならぬものと変えてもよいものとの、また合理と非合理との折り合いをどうつけるかであり、女人禁制についても多方面からの議論が必要である。
◆「女人歓迎」だった
 民俗学の柳田国男は『老女化石譚』に、女人禁制は女人歓迎の意味だったと記す。高山の途中に女人結界の地があるのは、足弱の女性にとって頂上を極めずに済むから、むしろ妬しかろう。結界は、山への参拝を断念せんとする女性を、せめてそこまではと誘引する一手段だったかもしれない。柳田説はどこまでも女性にやさしいのだ。
 作家の玉岡かおるさんに宗像大社への珠玉の紀行がある。
「だめと言われればよけい行きたくなる」沖ノ島だが、中津宮の神職に「玄界灘は荒海で、航海は命がけ。だから、女性を危険な目にさらさないため、女性は行くな、と女人禁制になった」と教わると、「女が生き残れば子孫はつながり国も続くと考え、女を敬った古代人は、しんどいこと危険なことは男性が、と分担したのであろうか。
ならば素直に従い(中略)遥拝所から沖ノ島を拝ませてもらおう」 「行けなかった沖ノ島を銘
柄にした地酒で乾杯。さいはての海から、この国よ幸せであれと守り立つ三女神がほほえんで
くれた気がした」 (『PHP』2012年9月号)
  「沖ノ島」に、こんな愛で方もあったとは…。
     (せこぐち さとし)









若い世代の中国人と日本

以下抜粋 「中国壊死」百年変わらない腐敗の末路 p195~202
◆本当は日本に憧れる中国人
宮崎 反日教育は危険なことなんだけど、しかし、一方において中国人の末端にはぜんぜん その効き目がないという二律背反がありますね。
宮脇 まあね。中国人は人の言うことなんか信用しないから。どうせ政府が言ってることだから、と。皮肉ですよね。
宮崎 ものすごい皮肉だよね。あれだけ毎日毎晩抗日映画をやってて、戦争映画になったら必ず、悪い日本軍人が出てくる。
宮脇 変な日本語で(笑)。
宮崎 「このバカ」「進め」それから何だっけね、ともかくあれだけ毎日反日の宣伝映画を見ていながら、なんて日本に来たがるかわからない。NHKの日本語のテキストブックを撒いたらたちまち百万部、とか。一時みんな日本語を狂ったように習った日本ブームがあったし、いまでも日本の小説家の翻訳なんて、よく売れるしね。だから、ものすごく矛盾してるよね。
宮脇 政府の言ってることは半分しか聞かない、というか、やっぱりさっき言ったように信用はしない。だから日本人が心配するほどには行き届いてはいない。でも「反日」は言い訳には使えるでしょう。それをやったって政府に捕まらないっていうふうなことにだけ、免罪符には使う。
宮崎 愛国無罪ですからね。
宮脇 そういう人だちなんです。福島香織さんの『本当は日本が大好きな中国人』(二〇一五年、朝日新書)によると「ドラえもんは日本の世界戦略じゃないか」というアホな説が出たという。
宮崎 自衛隊のVTRにガンダムの映像を流したり。
宮脇 中国の若い子たちは、単純にのび太のだめっぷりをみて「いいなあ、日本って。こんないい加減なのでも暮らしていける」つて癒されるらしい。
宮崎 あと「クレヨンしんちゃん」も、全面的にガキが失礼なことを言って、「それでもいいんだって、この社会は」と誤解してしまう。
宮脇 中国人の目を開くようですね。莫言(ばくげん)さんも、夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んで、「ネコでも小説の主人公になるんだ」と驚いたと言っていた。
宮崎 村上春樹だのなんだの、二百万部も三百万部も売れてね。
宮脇 渡辺淳一さんと東野圭吾さんとがすごく売れているらしいですね。渡辺淳一さんのは、男と女がする前にこんなにいっぱい考えろってことが新鮮だったと言っています。
宮崎 それから山岡荘八『徳川家康』が中国人のビジネスマンの間ですごい人気です。不思議でしょう。要するに、日本は千年以上続いている金剛組をはじめとして、とにかく三百年以上続いている企業が五百社ぐらいある。中国は百五十年続いてる企業は五社しかない。それだけ激動につぐ激動のなかをくぐりぬけてきたので、日本の鎌會武士のいう「一所懸命」という発想なんかないんだ、常に移動してるから。で、そのなかで、徳川はなぜこれだけの長期政権ができたか、というのが中国人にとって魅力がある。全巻翻訳されていますよ、長い二十五巻ぐらいあるやつを。
宮脇 もともと漢字はコミュニケーション手段として大変不十分な言語で、目に見えないものを表す語彙がとても少なく、そして全国に通じる共通の音がない。音というものをあきらめて、広いところのコミュニケーションを図ってきたせいで、耳で聞いてわかる言葉というのが彼らにとって非常に範囲がせまい。だいたいいまの普通語(プートン)のもとになった北京官話、北京語でも、地名、固有名詞は耳で聞いたって絶対にわかりません。同音異義語が多すぎて、「それどこの地名なの」つて、漢字で書いて初めてわかる。
宮崎 人の名前だってそう。
宮脇 漢字で書かないとわからないですよね。だから耳元で愛を囁く文化がない。日本の銀座やどこかで長いこと時間をかけて女と遊ぶなんて、「あんなことありえない」(笑)。
宮崎 銀座紳士というのは中国人では絶対に考えられない。高いお金を払って、隣の美女とは手も握らないで和歌の話をするとか。
宮脇 高尚な話をしてね。女と一緒にね。それはもう中国にはない文化。だからもし本当の中国を描いたら、日本では小説が絶対に売れない。面白くもなんともない無味乾燥なものになるから。

◆「日本化」か? 中国人も世代で違う 
宮崎 日本人にとっては中国人の人生観があまりにもドライなんだよね。若い中国大なんて「愛人稼業」つてビジネスがある。自分のパトロンがいくらくれる、マンションを買ってくれた、ベンツを持っているとか、その自慢をし合う。あけすけにね。そういう面妖な
   世界がありますよ。考えてみれば昔からそうなんだ、中国は。ナイトクラブへ行っても「愛人になるか、ならないか」「いくらくれるのか」という話ばかり。
宮脇 それで、北京大学の学生同士とか中国のエリート中のエリートのカップルでも、片方がアメリカの留学試験に受かったら 婚約解消です。階層が違うという理由で。だから同じランクの高級幹部同士の子弟が、親が決めた婚約をするのはごく当たり前です。われわれ日本人だったら普通は恋とか愛とかはお金に関係がない、相手がぜんぜん金持ちでなくても好きになったら一生大事にする。そういうことは中国じゃありえないですからね。
宮崎 北京の天安門広場のちょっと北北東のほうに中山公園がある。少し広い。日曜日の午後二時にうじゃうじゃ人が来て、見合いの話。
宮脇 親が?
宮崎 親だけ。本人いないんだ。「あんたの息子収入いくら?」「自家用車何台持ってる?」「マンション何軒?」つていきなりそんな話をする。すべて無機質に。それで年収いくらで、ローンが何年ぐらい残ってるとか、それから決めていって、ランクが合うところに親同士が納得したら、初めて本人同士が会う。そこには恋愛感情はないんですよ。

宮脇 それを本人同士も「べつに」と思ってるわけ。つまり男と女の間に気持ちの通い合いが必要だという意識が最初からないことがすごいでしょう。それはもう人生というのはそういうもんだと思ってる。
宮崎 だから渡辺淳一の『失楽園』(一九九七年、講談社)にみんな驚いたんだよ。
宮脇 新しい世界だった。一部の中国人が憧れるようになって、日本に来て、撮影の現場に行きたいとか、ここで出会った同じところで写真を撮りたい、とか。おそらく追体験してるつもりなんでしょう。それでいま、中国でもソックリな恋愛ドラマをけっこうつくっています。
宮崎 ぽんと全部パクリ。
宮脇 韓国もすごいけど。面白いのは留学先の東京とか、わざわざ外国で出会うシチュエーションにする。北京だとリアリティがなさすぎるというよりも、ありえないから。それでその背景までそっくりにして、『101回目のプロポーズ』とか、日本の一時のトレンディドラマの型をものすごく真似てるわけ。
宮崎 もっと面白いのは、ドラマで主演を演じる米倉涼子とか酒井法子とか松嶋奈々子にそっくりな中国人女優を必ず見つけてくること。
宮脇 山口百恵もみんな好きでしたもんね。けっこう香港Λがイカれてたみたいだけど。ああいうやわらかい感じの女の子を好きになるのは日本に対する憧れなのね。自分たちのまわりにはいなかったから。中国でも映画人とか一部の人はそういうのをわかって映画に取り入れたりしてますね。
宮崎 うん、世代によってぜんぜん変わる。
宮脇 すこしは日本化してるわけですよ。日本の真似をするということは。
宮崎 福島香織さんの報告では、最近の中国の美人局も非常に巧妙になって、わざと親しくくっついて愛人になったと思いきや、別れ話になったら一千万円単位の要求が始まった。一方において、本当にこれが恋愛だと思って、日本人の男が黙って日本へ帰ると失望のあまり自殺するホステスもたくさんいる。
宮脇 ほお。新しい、それ。
宮崎 そんな新しい現象がけっこうあるらしい。
宮脇 一昔前だったら中国人ではありえない。自殺と心中はないはずの国だったんですけど。
宮崎 だから急速に海外に出始めてから、この五年くらいの話ですよ。こんなに中国人が世界中に出かけてね。
宮脇 自戒するのはよいことですよね。外国を見てね。内部から腐るというのは政治家から見て腐ることであって、外国のものを取り入れて文化が変わるのは良いことでしょう。

差別や排外主義ではない 蓮舫氏の国籍問題、その見識と責任感欠如に驚く

産経新聞 主張 29.07.19

 二重国籍の問題を指摘され続けてきた民進党の蓮舫代表が、日本国籍の選択宣言をしたことを証明するため、戸籍謄本の一部を公表した。
 台湾籍離脱を示す台湾当局の「国籍喪失許可証書」と、離脱手続きの際に提出した台湾旅券のコピーも公開した。
 台湾との二重国籍の解消について、一応の説明をした格好だが、25年以上も国籍法が定める義務を果たしていなかった。
 蓮舫氏は平成16年に参院議員に当選し、民主党政権時代には複数の閣僚を歴任した。国民に対する背信というべき態度である。
 会見で蓮舫氏はこの点について反省を述べた。しかし、野党党首という公人の立場であるのに、ここまで事態を長引かせたのは、リーダーとしての資質を疑わせるものだ。
 国籍問題は、昨年9月の民進党代表選の際に浮上した。国籍選択の宣言をしたのは、表面化した後の10月7日だったという。
 国籍法は、日本国籍と外国籍を併せ持つ人に対し、22歳に達するまでにいずれかの国籍を選択するよう求めている。
 蓮舫氏は、「指摘があるまで台湾籍を持っているとは考えたことも思ったこともなかった」とも釈明した。
 しかし、参院議員になる前には、朝日新聞や雑誌で「中国国籍の者として」「自分の国籍は台湾なんですが」などと語っていた。「(ハーフである)キャラクターを際立たせるためだった」などと会見で語った点は、信じがたい軽率さと受け止めざるを得ない。戸籍謄本公開をめぐる考え方にも疑問がある。
 国籍法を守っていなかった疑惑について、説明責任を果たすために公開したはずだ。ところが、蓮舫氏は、「こうした開示は私で最後にしてほしい」と述べた。
 今月13日の会見では「差別主義者、排外主義者に言われて公開することは絶対にあってはいけない」とも語っていた。
 差別や排外主義がいけないのは当たり前だが、差別や排外主義に強いられ、不承不承公開したという思いがもし蓮舫氏にあるとしたら、とんだ考え違いだ。
 蓮舫氏が、戸籍謄本の一部を公開し、公人としての当たり前の責務を果たすことになったのは、身から出たさびである。責任転嫁の姿勢が信を失わせている。

北海道が危ない 第5部(上・中・下)苫小牧駒沢大が中国化する

【北海道が危ない 第5部(上)】2017.6.19
苫小牧駒沢大が中国化する 譲渡先法人理事「中国共産党員」系列高は田中将大投手ら卒業の名門

 大リーグ・ヤンキースで活躍する田中将大投手やスピードスケートなどでオリンピックに7回出場した橋本聖子参院議員らを輩出した名門、駒澤大付属苫小牧高校を擁する学校法人駒澤大学(須川法昭理事長)が今年1月、傘下の苫小牧駒澤大学(以下苫駒大)を中国と関係が深い京都市の学校法人に無償で移管譲渡することを決めた。すでに協定書を交わし、文部科学省に設置者変更を申請、認可されれば、来年4月1日から、苫駒大の名前が消える。一部大学関係者や寄付行為者である曹洞宗の関係者の間では、移管譲渡までの経緯が不透明なうえ、苫駒大が“中国人大学”になり、駒大グループが“中国化”するのではないかという不安が広がっている。一体、何が起きているのか?
 ×   × 
 移管譲渡を受けるのは「学校法人京都育英館」(松尾英孝理事長)。平成25年4月に設立され、京都看護大学や苫小牧市に隣接する白老町で北海道栄高校(生徒数371人)の運営を手がけている。同法人を設立した「学校法人育英館」(同理事長)は、京都ピアノ技術専門学校や関西語言学院(京都市)、四万十看護学院(高知県四万十市)を運営、中国・瀋陽市では、東北育才外国語学校を設立、経営している。

 ホームページによると、関西語言学院は、中国の高校や大学を卒業した学生を日本の大学や大学院に進学させるための日本語学校。在籍する学生は昨年7月現在で540人で、全員が中国人だ。東北育才外国語学校は東北育才学校(瀋陽市)と共同で設立した中高一貫校で、日本語教育を展開。東北育才外国語学校から関西語言学院、そして日本国内の大学へというルートを構築してきた。

民間調査機関によると、27年5月8日現在、「学校法人育英館」には、中国人2人が理事に名前を連ねている。この理事について、駒大関係者はこういう。

 「調査した結果、1人は中国共産党員だった。東北育才外国語学校の終身校監で、東北育才学校の顧問をしている。過去に全国先進的従事者(全国模範労働者)として表彰されるなど有力な人物だと分かった」

 業務内容や理事の顔ぶれから、中国との関係が相当強いのが分かる。

 譲渡されるのは、苫駒大の敷地15ヘクタール(10ヘクタールは苫小牧市からの無償譲渡で、5ヘクタールは無償貸与)と校舎、図書館(蔵書数10万4千冊)、備品類で、全て無償だ。総資産は約40億円で雑書類や備品を加えると50億円を超えるという。

 協定書案によると、移管日は30年4月1日で、「新たな学校名称に『駒澤』『駒沢』『KOMAZAWA』の文字は使用しない」「教職員の人事異動や給与、その他の変更等、管理運営については一切駒大は関与しない」などとなっており、全て京都育英館主導で運営されることになる。
 現金を伴わない完璧な“買収”だ。
 ×   × 
 中国による他国の教育機関の買収は韓国でも行われている。
 昨年6月28日付の韓国の全国紙ハンギョレ(電子版)は、中国の武昌理工学院が廃校の危機にある韓国・韓中大学(江原道東海市)の買収計画を伝え、「自国の戦略と要求の中で韓国の大学を対象とした買収が行われているため、韓国の高等教育の発展に役立つかは疑問だ」という識者の見解を紹介している。

 京都育英館の進出で、苫駒大が中国化する懸念が十分に予想される。苫駒大関係者は「中国名の大学になる可能性もある」と前置きした上で、こう話した。

 「文科省の認可を受けてから生徒を募集しても集めるのは難しい。結局、中国の留学生を受け入れることになるでしょう。教職員や語学留学生を含め中国人がドッと入ってきて、大規模な中国人大学になる可能性がある」

 岩倉博文苫小牧市長は「少子化の中で、苫駒大の現状を考えると、一定の定員を確保しながら存続していくのは難しい。廃校を避けたいという思いが強く、やむを得ない選択だった」と苦しい胸の内を明かす。

 駒大の理事の一人はこう言って眉をひそめた。
 「日本の有名大学を卒業した中国人エリートに聞くと『間違いなく乗っ取りだ。それに駒大が協力したということ』という答えが返ってきた」

 ×   × 
 京都育英館に移管譲渡されることで、苫小牧駒澤大はどう変わるのか? 地元メディアは、文部科学省への設置者変更の認可申請が認められるのを前提に、京都育英館と中国との深い関係を好意的に捉え、新大学設立に期待を寄せる。一方で苫駒大関係者からは「情報が錯(さく)綜(そう)していて、実際にはどうなるのか分からない」(元職員)と不安の声が。
学校法人京都育英館はどう考えているのか?
 松尾英孝理事長は産経新聞の取材に「文科省の認可が出れば大学名を決め、来年度からの学生募集を始める」とした上で「運営理念は地域貢献で地元に貢献するのは日本人でも中国人でも構わない。躍動感のある大学にするために、系列の中国の語学学校などからの受け入れを進めるが、当面は日本人学生だけを募集する」「来年度から四年制大学を造る。平成31年度から看護学部など学部、学科を増やしていき、単科大学から総合大学への移行を目指す」-と構想を述べた。

 苫駒大の川島和浩学長(54)も「松尾理事長は説明会で『ビジネスの視点から経営がしっかりできる大学に立て直したい。3年後ぐらいにはプランを持っている。文科省の認可が下りた段階で公表していく』と強調していた」という。
 ×   × 
 だが、こうした構想に懐疑的な見方も根強く、苫駒大や曹洞宗の宗門の関係者の間では、さまざまな臆測が流れている。
 その一つが、中国人留学生の大量流入だ。

 川島学長によると、松尾理事長は「日本人が集まらない場合は、中国とのルートで留学生を受け入れることも一つの案としてあり得る」と話したといい、同理事長は地元紙のインタビューでも「学生全体の2割程度を外国人学生とし、積極的に受け入れる。東北育才外国語学校の生徒が苫小牧の大学に進学することもあり得る」と述べるなど、中国人留学生の受け入れには前向きだ。

 苫駒大の元職員は「苫駒大は以前、中国人留学生を大量に受け入れたことがある。その際、いろいろな問題が起きた。中国人留学生が増えると、苫小牧がどういうことになるか」と表情は暗い。

北海道栄高校の移転の有無も不安材料の一つだ。京都育英館は、栄高校を苫駒大の敷地内に移転、新しい大学の付属高校化を検討しているとされるからだ。

 駒大は記者会見などで、付属苫小牧高校は駒大が運営を続けるとしているが、松尾理事長は産経新聞の取材でも「栄高校は、連携すれば面白いことができる」と移転をにおわせており、苫駒大関係者からは「栄高校が移転してくると、付属苫小牧高校と競合し、経営は圧迫される」と、存続を危ぶむ声が聞かれる。

 さまざまな臆測が飛び交う中、京都育英館の今後の方針について、岩倉博文苫小牧市長は「全て認可されてからのこと。今後のことは非公式には聞いているが、現段階でそれを明らかにすることはない」と口は堅い。
 ×   × 
 移管譲渡については、曹洞宗関係者は強硬に反対している。譲渡決定への過程が不透明だからだ。

 京都育英館への移管譲渡が公にされたのは、今年1月26日の法人諸学校管理運営検討委員会と理事会、評議員会だった。
 出席した理事の一人はこう振り返る。
 「事前に配布された案内状では『苫小牧駒澤大学の経営方針について』が議題となっていた。ところが、須川法昭理事長が突然、京都育英館へ移管するという声明文を読み上げ、移管協定書案や記者会見などのスケジュールがまとめられた分厚い資料が配られた。全員、寝耳に水の話で、こんなに準備がそろっているのか、と唖(あ)然(ぜん)とした」

 この理事はさらに、「本来、駒澤大学の寄付行為については、重要な案件に関しては資料を1週間前に配布することになっている。緊急の場合はこの限りではないが、今回のケースは緊急でも何でもない。苫駒大の再生の道はある」と不満を募らせた。

 全てが極秘裏に進められたようだ。

 川島学長も「理事会の翌日、急(きゅう)遽(きょ)、招集がかかり、理事会の決定を聞いた。どうしてこのタイミングなのか? どうして京都なのか? なぜ、こんなに急ぐのか? と教職員全員が驚いた」という。

 どういう経緯で移管譲渡が決まったのか? 須川理事長は、記者会見で、入学者減による財政状況の悪化を挙げたが、その後は沈黙を守り、産経新聞の個別取材にも「現在、認可申請中のため、取材をお受けすることをご遠慮いただいております」(駒大広報課)としている。

駒大は、再建のためとはいえ、どうして突然、中国との関係が強い京都育英館への移管譲渡を決めたのか? しかも、無償で。苫駒大の教育理念はどうなるのか? 宗門関係者はいう。

 「疑問が膨らむばかりだ。中国は京都育英館を通して、駒大本校にも進出してくるのでは…という不安もある」
 曹洞宗寺院の最高議決機関、宗議会は、移管譲渡の白紙撤回を求めている。
 (編集委員 宮本雅史)

【北海道が危ない 第5部(中)】
中国資本が苫小牧にも触手…「二束三文の土地を10倍の値段で」

 豊富な水と木材資源に恵まれ製紙業で知られる北海道苫小牧市は東西39・9キロ、南北23・6キロと、東西に細長く広がる。苫小牧港は札幌市に最も近い太平洋岸の港で、新千歳空港にも近接しているため、釧路市同様、北海道を代表する工業・港湾都市でもある。

 同時に、千歳市との境界には三重式活火山の樽前山がそびえ、市東部にはラムサール条約湿地に指定されるウトナイ湖があり、樽前山を含む周辺の10万ヘクタールは支笏洞爺国立公園に指定されている。
×   × 
 平成20年、この支笏洞爺国立公園に隣接する1千ヘクタールの森林地帯(苫小牧市植苗)に大規模なリゾート施設の建設構想が持ち上がった。

 当初は森林の4%を開発してリゾート施設にし、収益は残り96%の森林保護に充てる計画だったが、その後、計画は紆余曲折。開発候補地の所有権と開発権は、不動産開発やホテル運営などを手がける森トラストの関連会社、MAプラットフォームに移転した。地元紙などによると、同社は330室のホテル3棟と別荘用コテージ40棟を建設するほか、商業施設や高度医療施設の整備など、富裕層を対象に長期滞在型リゾートを開発、32年の一部開業を目指していたが、統合型リゾート(IR)誘致の予定地が計画地に近いことからIR誘致の動向を見極めながら計画を練り直すことにしたという。
×   × 
 実は、この計画に、中国人女性実業家が土地の売買段階から関係していた。女性は目黒雅叙園(東京)の買収、売却劇にも登場する。

 中国と関係の強い学校法人京都育英館に譲渡されることが決まった苫小牧駒澤大の関係者や市関係者によると、苫小牧は北海道でも気候は温和で積雪量も少ないことから、中国資本は買収、開発に関心を持ってきたという。彼女もその中の1人だった。

 開発候補地の森林は、この女性の会社が所有者から購入、MAプラットフォームに転売しており、巨額の転売益を得たとされる。経緯を知る人物によると、女性は「アリババの会長らを連れてきて、中国人の集落をつくりたい」と話していたという。

 女性を知る道内の不動産業関係者によると、彼女は、千歳市の高級住宅街に別荘を持ち、富良野市をはじめ道内の不動産に関心を見せていたという。実際、昨年1月、苫小牧市ウトナイに札幌地方木材林産協同組合連合会が所有していた土地約1万5千平方メートルを会社名義で1億5千万円で購入している。抵当権はついていない。新千歳空港とJR苫小牧駅のほぼ真ん中にあり、新千歳空港までは車で約20分と、立地条件はいい。四方を道路で囲まれ、住宅地として区画整理されているため、いつでも、ホテルなどの建設は可能だ。

女性は購入の際、「これから中国人の人口が増えるから学校が欲しい。富裕層の子供を連れてきて、中国人と日本人のインターナショナルスクールを造りたい」「150室ぐらいの中国人用のホテルを建てたい」と土地購入の理由を話していたという。

 彼女は、昨年2月18日に行われた日本貿易振興機構(ジェトロ)と北海道主催の「北海道観光投資誘致セミナー」に登壇、苫小牧のリゾート開発について魅力と可能性を語っているが、苫小牧市は新千歳空港と港が近いため、中国資本にとってはおいしい地域なのだろう。苫小牧市民や同市関係者によると、市の周辺は中国資本に買収されている可能性のある土地が多いという。
 ×   × 
 手つかずの自然が残り、空港や港に近い苫小牧は拠点にするには最適だ。苫小牧駒澤大の関係者や市議会関係者らによると、苫駒大が所有する15ヘクタールもの土地が京都育英館に譲渡されることに、一部市民からは苫駒大の移譲移管が中国の“苫小牧拠点化”に拍車をかけるのではという不安がくすぶり始めているという。

 中国資本が道東の社会、経済、文化の中心的機能を担っている釧路市とその周辺に、陰に陽に関心を寄せていることはこれまで報告してきたが、苫小牧の宗教関係者は釧路町の寺院を例に挙げ、こう話した。

「中国人が、二束三文の土地を10倍ぐらいの値段で買いたいと来るらしい。お寺の土地は檀家のものなので、売買できないが、単価はかなり高くなっているようで、『売ってくれ、売ってくれ』としつこいと聞いた。お寺の土地にまで関心があるのには驚く」

 釧路は、習近平国家主席が提唱した「一帯一路」構想ではアジアの玄関口と位置付けられており、中国の激しい“拠点構築計画”を象徴している。防衛省関係者の話では、中国は、苫小牧も釧路と同様に太平洋に出る玄関口と捉えているという。

 土地問題に詳しい小野寺秀前道議はこう話す。

 「イメージ的には、北海道の南部が押さえられている。北側はロシアがいるからか、不思議と押さえられていない。昔から、北はロシア、南は中国と線引きされていた。釧路や苫小牧を押さえれば、太平洋沿岸の拠点になり、津軽海峡から太平洋に抜け自由に動けるようになる」
 (編集委員 宮本雅史)

【北海道が危ない 第5部(下)】
中国大使の釧路訪問がきっかけか トマム、スイス牧場、豊糠…何かが一斉に動き出した

 本連載を始めて1年余り。中国資本の影が見え隠れする地域の現状を報告してきた。1年がたち、どうなっているのか? 4月下旬、何カ所かを訪ねた。

 一昨年、中国の商業施設運営会社「上海豫園旅游商城」に買収された「星野リゾートトマム」(北海道占冠村)。名前はそのままだが、代表者は上海豫園旅游商城に変わり、星野リゾート(長野県軽井沢町)は運営管理だけだ。

 上海豫園旅游商城の大株主の中国民営投資会社「復星集団」(フォースン・グループ)は隣のリゾート地「サホロリゾートエリア」(北海道新得町)で宿泊施設を所有するフランスのリゾート施設運営会社「クラブメッド」も買収しており、星野リゾートトマムもサホロリゾートも完全に中国資本の傘下に入っている。

 そのトマムの西エリア地区を訪ねると瀟洒(しょうしゃ)なホテルやコンドミニアムが建ち、新しいホテルの建設も始まっている。一つの集落だ。

 占冠村によると、同地区は、星野リゾートトマムと村が賃貸借契約を交わしていたが、営業を停止していた。今回、星野リゾートトマムが休眠状態だった3棟の施設を約300室の宿泊施設に改造。センター棟を建設し、今年12月をめどに経営を再開、クラブメッドが運営するという。

 同村は、土地を含めた全ての不動産を星野リゾートトマムに売却する方針だ。

 長年、道内での中国資本の動向を注視してきた小野寺秀前道議は、「中国資本が買うという話は聞いていたが、これほど進んでいるとは思わなかった」とした上で、「中国資本がこれほど大規模に動いているとなると、1万人規模の大規模なチャイナタウンができる可能性がある」と驚きを隠さない。          
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 日高山脈・十勝幌尻岳山麓のスイス牧場はどうなっているのか?
昨年初夏、訪ねたときは森林に覆われ、“牧場”内を見ることはできなかった。ところが、その雑木林が切り取られ、森林に埋もれていた「帯広南の丘 スイス牧場 Shouwa 95nen beginnen」と書かれた看板は裸同然だ。入り口には「私有地につき立入厳禁」の看板があり、監視カメラがにらんでいる。入り口から30メートルほど先は山にぶつかり、斜面に沿って道路が山頂に延びている。車の通行跡が人の出入りの激しさを物語っている。

 山の上で何が行われているのか? 航空写真で確認すると、山の頂は平らで、台形のような形なのが分かる。広さは0・5ヘクタールほどだ。高台では牛を飼っても放牧できない。わざわざ、高い所を買うメリットはあるのだろうか?

 JA帯広かわにしと大正農協、帯広市農政課に確認すると、昨年と同様、「知らない。スイス牧場の名前も聞いたことはない」。

 一体、だれが何をしているのか? なぜ、突然、動き始めたのか? 看板にある「昭和95年」を目指しているとすると、あと3年しかない。だから、急いでいるのか。     
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 中国と関係があるとされる農業生産法人に村がほぼ丸ごと買収された平取町豊糠はどうか?

 昨年は買収から5年たったにもかかわらず雑草や雑木が伸び放題だったが、再訪すると、雑草が刈り取られ、管理が行き届いているように見える。
 だが、地元住民はいう。 「雑草をただ刈っただけ。非耕作地であることには間違いない」
 柳を避けて周りの雑草だけを刈っているところもある。

「雑木を残して荒れ放題にしておくと雑種地に地目変更できる。変更すれば、自由に売買できるし、住宅や建物も建てられる。変更を狙っているのではないか」

 別の男性住民はこう言うと「農業委員会に申請すれば変えられるが、委員会の中には農業生産法人の関係者も入っている。最初から、地目変更を考えていた節がある」と続けた。
 こんな証言も耳にした。

 「卵形の旧式のヘリが低空飛行で行ったり来たりしている。普通はヘリの下に会社名などを書いているが何も書いていない」

 「スーツ姿の中国人のような若い男女が何人か2台の車に乗り、豊糠方面に来た」

 買収したものの、そのまま放置し、沈黙を保っていた何かが一斉に動き出しているのを感じる。小野寺前道議は答えを探すようにこう言った。

 「昨年5月の中国大使の釧路訪問に引っ張られるように、全てのことが同時並行に動き始めたようだ。これから何が起きるのか。不安に思っていたことが、形となってくるのが怖い」(編集委員 宮本雅史)

【共産党研究(1/2/3)】

【共産党研究(1)】 2017.5.9  産経新聞

日本共産党の「日米安保廃棄」「自衛隊解消」…「軍事力を忌避」では北朝鮮問題は解決できない 筆坂秀世

 シリアへのミサイル攻撃を行ったドナルド・トランプ米政権が、北朝鮮への圧力を強めている。トランプ大統領は4月6日、安倍晋三首相との電話首脳会談で、北朝鮮の核・ミサイル開発への対応として、「すべての選択肢がテーブルの上にある」と述べ、軍事力行使をも選択肢とすることを表明した。(夕刊フジ)

 これはレックス・ティラーソン米国務長官が3月17日、韓国を訪問した際、北朝鮮が非核化に向けた具体的な行動を起こさない限り、対話には応じないというオバマ前政権の「戦略的忍耐」政策の終了を明言したように、対北朝鮮への対応を転換するものである。

 日本共産党も「戦略的忍耐」には批判的なようで、志位和夫委員長は「その間に、北朝鮮は、核兵器・ミサイル開発をどんどん進めてしまいました。結果を見れば、この方針が失敗だったということは明らかです」(2月19日)と記者団に語ったという。

 ただ、「すべての選択肢がテーブルの上にある」というトランプ政権の方針に対し、志位氏は13日公表の談話で、「米国トランプ政権が、北朝鮮に対する軍事力行使を公然と選択肢とし、軍事的威嚇を強めていることは、きわめて危険な動きである」と批判した。

 さらに、「米国は、国際社会と協調して、経済制裁の厳格な実施・強化を行いながら、北朝鮮との外交交渉に踏み切り、外交交渉のなかで北朝鮮の核・ミサイル開発の手を縛り、それを放棄させるという選択肢こそとるべきである」と、軍事力行使を選択肢から外せと主張している。

 他方の北朝鮮は、「金日成(キム・イルソン)主席の生誕105周年」を祝う軍事パレードに、ICBM(大陸間弾道ミサイル)まで登場させた。弾道ミサイルも次々と発射し、「6回目の核実験」の準備も進めている。

 核と弾道ミサイルは、金正恩(キム・ジョンウン)体制の中核である。もちろん外交交渉も必要である。だが、最初から軍事的圧力を除外しては、北朝鮮を外交交渉の場に引きずり出すことも不可能であろう。

 そもそも、「軍事的圧力」と「外交交渉」は矛盾するものではなく、車の両輪である。

 共産党は現在、「日米安保廃棄」「自衛隊の解消」を掲げている。在日米軍も、自衛隊もいない日本ということだ。社会党が以前、「非武装中立」論を掲げていたが、それとまったく同じだ。

 かつて共産党は「中立・自衛」論だった。軍事同盟には入らないが、自前の自衛力は持つというのが共産党の安全保障論だった。それが軍事力を忌避するようになった現在では、安全保障論を持たないという無責任な政党に変質してしまった。

【共産党研究(2)】
日本共産党はまだ朝鮮労働党や金正恩委員長との関係正常化を目指しているのか 正直に話してほしい 筆坂秀世

 共産党と北朝鮮の朝鮮労働党は、もともとは友好関係にあった。だが、1983年、ビルマ(現ミャンマー)のラングーン(現ヤンゴン)で、公式訪問中だった韓国の全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領一行に爆弾テロを仕掛けたことをめぐり、朝鮮総連と論争になった。北朝鮮は「野蛮な覇権主義」だとして、83年以降、関係を断絶してきた。(夕刊フジ)

 だが、98年、中国共産党と32年ぶりに関係正常化を果たした当時の不破哲三委員長は、次は朝鮮労働党との関係正常化を模索していた。

 2002年8月、不破氏や私が訪中した際、最初に会談した中国共産党の戴秉国中央対外連絡部部長に対し、不破氏が北朝鮮の事情や金正日(キム・ジョンイル)総書記はどういう人物かなどと質問したことにも、北朝鮮への関心の深さが現れていた。ちなみに戴氏は、正日氏について「クレバー(賢い)だ」と回答した。

 北朝鮮との関係正常化に前のめりになった不破氏は、拉致問題で失策を犯すことになる。

 不破氏は、北朝鮮による犯行とみられていた拉致について、「疑惑」に過ぎず、「(北朝鮮の犯行と)証明ずみ」ではないとして、当時、行われていた日朝国交正常化交渉から拉致問題を外せと要求していた。

ところが、02年9月、小泉純一郎首相の電撃訪朝があり、正日氏が「北朝鮮特殊機関の一部」の犯行と認めた。これに慌てたのが不破氏である。“まさか特殊機関が関わっていたとは分からなかった”と弁解したが、独裁国家に特殊機関が存在していることは常識だ。

 この弁解のために当時開かれた党の会議で、不破氏は拉致犯罪を「国際犯罪」とは呼ぶが、「国家犯罪」とはついに呼ばなかった。拉致犯罪を正日氏の責任ではなく、特殊機関の一部の責任に矮小(わいしょう)化するためである。

 朝鮮労働党との関係正常化をあきらめてはいなかったからだ。

 事実、05年5月の朝鮮総連50周年には不破氏が出席し、ここでもあいさつで「拉致協議前進のカギは『特殊機関』の問題の解決にある」と述べている。

 この問題をめぐって共産党から除籍された元「赤旗」平壌特派員の萩原遼氏は「朝鮮総連は紛れもない拉致の下手人」だと指摘するとともに、無原則に朝鮮総連と和解し、総連大会で祝辞を述べている不破氏らの方こそ規律違反を犯していると指摘している。

 北朝鮮の「野蛮な覇権主義」は悪質化しており、この批判は正鵠(せいこく)を射ている。総連60周年にも党幹部を参加させた共産党は、まだ朝鮮労働党や金正恩(キム・ジョンウン)委員長との関係正常化を目指しているのか。正直に語るべきだろう。

 【共産党研究(3)】
「赤旗」記者らが追及チームに 日本共産党のスキャンダル追及は民進党とここが違う 筆坂秀世

 産経新聞とFNNが4月15、16日に行った世論調査が興味深い。政党支持率の前月比で、民進党が1・8ポイント減の6・6%と、昨年3月の結党以来最低だったのに対し、共産党は1・1%増の4・9%になっている。両党の支持率の差は、わずか1・7%でしかない。(夕刊フジ)

 この結果について、産経新聞は、これを従来の支持層であった無党派層が戻っておらず、一部は共産党に流れていると分析している。

 学校法人「森友学園」問題の追及で、共産党が大いに目立ったことは間違いない。本来、入手しがたい資料を次々と暴露した。鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)参院議員事務所の「陳情整理報告書」や、籠池(かごいけ)泰典・森友学園理事長(当時)が首相夫人付政府職員にあてた手紙などが、それである。

 イラだった麻生太郎副総理兼財務相が、共産党議員の追及に対し、「偉そうに人指さして…」と答弁して物議を醸したものである。他方、民進党はこうした資料をほとんど入手できなかった。

 ここに共産党と民進党の差がある。

 共産党の場合、こうした問題が発生すると、議員と秘書、「赤旗」記者などを集めてプロジェクトチームを結成し、チームで調査し、情報を一元化する。チームとして追及する材料、テーマなども決める。民進党が衆院厚労委員会で、介護保険改正案の審議中に森友問題を取り上げ、与党の採決を誘発したが、こんな愚かなことはやらない。

ただはっきり言うが、こうした疑惑やスキャンダルの追及は、実は選挙には結びつかない。かつて「首相の犯罪」と言われ、田中角栄元首相が逮捕されたロッキード事件があった。当時、私は秘書として、この追及のためのプロジェクトチームに加わっていたが、訪米調査など間違いなく共産党の追及が群を抜いていた。

 だが、次の衆院選では惨敗を喫した。有権者は、ロッキード事件に高い関心を持っていたが、同時に自分の生活とは直結しない問題だったからだ。

 今回の世論調査で、安倍内閣の支持率は1・9%増えている。自民党の支持率は4・5%も増えている。共産党の支持率の増加は、民進党が減った分の一部だということに過ぎない。

 確かに、8億円もの値引きで国有地が売却されたことに、国民が憤ったことは間違いない。だが、その売却額で国が買い取ることに決まった。森友学園そのものも民事再生法を申請するまでになっている。国会での追及も、もはや収束の時期を迎えている。森友問題の追及が売り物だからといって、いつまでも拘泥していると足元をすくわれることになると警告したい。

 ■(ふでさか・ひでよ) 1948年、兵庫県生まれ。高校卒業後、三和銀行に入行。18歳で日本共産党に入党。25歳で銀行を退職し、専従活動家となる。議員秘書を経て、1995年に参院議員に初当選。共産党のナンバー4の政策委員長を務める。2003年に議員辞職し、05年に離党。評論・言論活動に入る。著書に『日本共産党と中韓』(ワニブックスPLUS新書)、『野党という病い』(イースト新書)など。

【弁護士会第1部(1)】政治集団化する日弁連 産経新聞

 日ごろ日弁連は何を基準に考えているのだろうとか、すべてにおいて共産党か社民党の極左的発言しか聞こえてこないし、常に中国・韓国朝鮮の側に立って活動をしており、これが日本の知識層がすることかと考えていました。
また人権問題に関しては被害者の立場ではなく加害者擁護の立場に立って主張をする。防衛問題は現場を見ずに現実を直視しようとしない。まるで小・中・高・大学とただ勉強に明け暮れた世間知らずの社会常識のない自称エリート集団にしか見えないのは私だけであろうか。
 今回たまたま産経新聞の朝刊で「戦後72年 弁護士会」の特集をやっており、彼らがいかに偏見に満ちた反日集団であるかを分析し、読者に知らしめてくれたので敢て紹介する。

【弁護士会第1部(1)】政治集団化する日弁連
「安倍政権、声を大にして糾弾」…反安保で振り回した「赤い旗」

集団的自衛権の限定行使を柱とする安全保障関連法案の成立前、村越進会長(中央、当時)を先頭に「安保法案は憲法違反です」との横断幕を掲げて国会周辺をデモ行進した日本弁護士連合会。すさまじい熱量の反対運動を展開した=平成27年8月26日

 「安保法制は憲法違反であり、無効。総力を結集し、未来の世代のために反対しよう」
 「安倍政権、とんでもない。声を大にして糾弾する。労働者人民と手を組んで打倒すべきだ」
 平成28年10月、福井市内で開かれた日本弁護士連合会(日弁連)の人権擁護大会。集団的自衛権の限定行使を柱とする安全保障関連法に反対する執行部提案の大会宣言案について、同調する弁護士らが次々とマイクを握り、安倍晋三政権批判を繰り広げた。
◆反安保で「赤い旗」「安保法案は憲法違反」
 戦後間もない昭和24年、すべての弁護士を統括する全国規模の組織として、弁護士法に基づき設立された日弁連。監督官庁がなく、各地の単位弁護士会や弁護士らの指導・監督を目的とする法人だ。そんな弁護士の〝総本山〟が、特定秘密保護法とそれに続く安保法制の制定過程で、「憲法違反」としてすさまじい熱量の反対運動を展開した。
 大会の前日に開かれた日弁連のシンポジウムで、実行委員会がまとめた報告書(第1分科会基調報告書)によると、安保法制と集団的自衛権、秘密保護法に関連する日弁連の意見表明(宣言、決議、意見書など)の件数は、平成28年8月末現在で39件に上っていた。新法制定を提言したものを除けば、大半が反対・廃止を訴えるものだった。
 単位弁護士会も軒並み反対をアピール。関東や近畿など各ブロックの弁護士会連合会と合わせた意見表明件数は、25年以降で約570件に達する。うち確認できた548件は、集団的自衛権の政府解釈変更や立法を批判する内容だった。
 安保法案が国会審議中の27年7月24日には、朝日、読売両新聞に意見広告も出している。
 平和を維持し、戦争を抑止するための安保法案に「憲法9条に反する」「戦争を招き寄せる」と激しく反対し、廃止法案まで提出した民主党(当時)や共産党などの野党と軌を一にする意見。日弁連の一連の動きは、だれの目にも「政治闘争」と映るものだった。
◆「強制加入団体なのに…」
 弁護士法8条は「弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない」と規定している。日弁連が「強制加入団体」といわれるゆえんだ。
 安保法案への賛否を含めて、さまざまな思想・信条を持つ会員を強いて一つの器におさめる団体が、自ら厳正中立の姿勢を捨て、一方的な「政治的意見」を叫んでいいのか。
 一連の司法改革で弁護士人口は増加し、いまや3万9015人(3月1日現在)と過去20年で約2・5倍に跳ね上がっている。
 「日弁連は強制加入制の法律団体ではあるが、立憲主義の破壊だけは認めることができない。その一点で一致し、安保法案に反対している」。法案成立間際の27年8月26日、記者会見に臨んだ当時の日弁連会長、村越進(66)は「政治闘争」批判を意識してか、あくまで「憲法論に立った行動」と強調した。
 先の第1分科会基調報告書は、政治から距離を置くべきだとの指摘があることに言及しながら「立憲主義を無視するような場合」には「果敢に行動することが求められている」とした。
 同じ報告書は「ナチズムは、その独裁を正当化するために、しばしば『民意』を援用した」「今後自衛隊は、その局面に備えた武器使用基準や部隊行動基準に則って、人を殺し、他国を破壊する訓練を行い、さらには実戦に臨むことになる」とも書いている。

彼らは今の日本にヒトラーの影を見て、軍靴の足音を聞いているのだ。
元日弁連副会長も批判
 集団的自衛権の限定行使容認を自民党内でリードしたのは、副総裁で弁護士出身の高村正彦(75)とされる。高村が在籍する山口県の法律事務所代表で、日弁連副会長も務めた末永汎本(ひろもと)(77)は「それこそ十何年も前から高村は限定行使を考えていたようだ」と話し、「集団的自衛権を保有するが行使できない」としてきた憲法解釈を高村が突破したことを評価した上で、日弁連が今やるべきなのはそんな議論ではないと嘆いた。
 「会員も増え、それぞれの経済的基盤が非常に弱くなっている。『赤い旗』を振り回している場合じゃない」(敬称略)
× × ×
 わが国の法曹界で大部分を占める弁護士の胸に輝く記章(バッジ)は、外側に自由と正義を表す向日葵(ひまわり)、中央に公正と平等を意味する天秤(てんびん)がデザインされている。自由と公正の守護者であるべき弁護士会はしかし、公然と「政治闘争」を繰り広げている。内部からですら疑問が出る左傾的闘争体質の根には何があるのか。戦後70年を超えた今、考えたい。 =(2)に続く

 【用語解説】日弁連 弁護士法に基づき設立され、各地にある52の単位弁護士会や弁護士らの指導・監督など完全な自治権を持つ法人。強制加入団体で、単位会を通じて日弁連の弁護士名簿に登録されなければ法律業務ができない。会員の資格審査に加え、組織・運営の会則を定めるほか、単位会とともに会員への懲戒権を有する。役員は会員の直接選挙で選ぶ会長(任期2年)、副会長(同1年)、理事(同1年)など。
▼(2)社民・福島、民主・辻元、共産・市田…弁護士会の名前入り「のぼり」導かれデモ行進

◆「あくまで憲法論上の行動」内部から「独善」批判も
 「若者頑張ってるよねとか、SEALDS(シールズ)もっとやれとか、よく言われます。でも頑張らないといけないのは、俺らだけじゃないですよね」
 平成27年8月26日、日比谷野外音楽堂(東京都千代田区)。日本弁護士連合会(日弁連)が主催者として開いた集会で、国会審議が大詰めを迎えていた安全保障関連法案に反対する学生団体シールズ (解散)の奥田愛基が屁(闘”を呼びかけると、約4千人(主催者発表)の聴衆がやんやの喝采で応じた。
 「安保法案廃案ヘー 立憲主義を守り抜く大集会&パレード~法曹・学者・学生・市民総結集!~」と銘打たれた集会。社民党の福島瑞穂(61)、民主党(当時)の辻元清美(56)、共産党の市田忠義(74)ら安保法案に反対する野党の国会議員も応援に駆け付けていた。
 壇上に上がった「安保関連法案に反対するママの会」のメンバーは子供らとともに「だれの子どももころさせない。」とする横断幕を掲げた。日弁連副会長の伊藤茂昭(当時)は「何としても安保法案を廃案に追い込みたい。日弁連は法律家団体の責務として先頭に立ち、最後までこの行動を継続する」と宣言した。
 集会終了後、参加者は各地の弁護士会名が入ったのぽりに導かれ、デモ行進へ。シュプレヒコールで「安倍「晋言首相は直ちに退陣を」と迫った。

◆「人権侵害」と会員
 この8・26集会とパレードは、日弁連が展開した一連の反安保キャンペーンのハイライトだった。
 特定秘密保護法と集団的自衛権の行使容認、安保法制に関連して、日弁連が開いたイベントは昨年8月末現在で46件に上る。
  「戦争法制反対!」 「あなたの子や孫を戦争に行かせないために」。そんなテーマで、各地の単位弁護士会が実施した集会や街宣活動などに至っては、実に800件を超えている。
 大阪弁護士会が27年6月に大阪市内で開いた野外集会は、参加者約4千人の多くは左派系団体のメンバーで、一斉に「アカン」と書かれた黄色い紙を掲げるパフォーマンスもあった。
 当時の同会会長は「安保法制に対しては会員の間にもさまざまな意見があるところだが、閣議決定による解釈改憲は立憲主義に反するという一点において弁護士会は一致し、反対する行動に出た」との見解を示した。これに対し、弁護士会の安保法案反対運動について「多様な意見を切り捨てた独善」と批判する同会所属の弁護士が、インターネットのブログで反論した。
 「寝ぼけたことを言うものではありません。少なくとも私はそのような意見には与しておらず、(中略)人権侵害というほかありません。

◆「何でもありか」
 《各政党に共同街宣を呼びかけたところ、民主党、日本共産党、社民党、新社会党の各党の皆様にご参加いただけることになりました》。安保法案が国会審議中だった頃、弁護士の南出喜久治(67)は京都弁護士会から事務所に届いたファクスに嘆息した。この前後、反対署名の要請を含む文書が一方的に送られてきたという。
 中立性などどこ吹く風、日弁連と単位弁護士会は完全に 「政治集団」と化していると感じた。脱退の自由がない 「強制加入団体」に許されることなのかI。
 実は日弁連が30年前に行った国家秘密法反対決議に対し、一部会員が思想・信条の自由への侵害を理由に無効確認と反対運動の差し止めを求めた訴訟で、{特定意見を会}員に強制していることにならない」として日弁連が勝訴した司法判断がある。
それでも南出は27年7月、日弁連と京都弁護士会を相手取り、政治的中立性を損なうとして、ホームページ上に掲載された意見表明の文書削除などを求めて東京地裁に提訴した。訴訟で日弁連側は「法理論的な見地から安保法制に反対する趣旨の意見を表明した。特定の政治上の主義、主張、目的によるものではないと強調した。
  同地裁は今年2月97日の判 決で、強制加入団体の性格を踏まえ一政治的中立性を損なうような活動をしたりすることがあってはならないと判示。その上で一連の意見表明が一法理論上の見地から出たとする日弁連の主張を認め、南出の請求をいずれも退けた。
「法理論に絡めれば、どんな政治活動も『何でもあり』なのか。非常識すぎる判決だ」。南出は控訴した。
          
■(平成28年10月7日憲法の恒久平和主義を堅持し、立憲主義一民主主義を回復するための宣言) 
日本を取り巻く安全保障の環境が一層厳しさを増していることを理由に、解釈で憲法を改変し安保法制を整備するための閣議決定がなされ、憲法に違反する安保法制が制定されるに至った。立憲主義国家が破壊され、この国が再び戦争の破局へと向かうことの決してないよう、憲法の恒久平和主義を堅持し、損なわれた立憲主義と民主主義を回復するために、全力を挙げることをここに表明する。
■安全保障関連法 
安倍政権が平成26年7月に閣議決定した憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認や、他国軍への後方支援拡大などを盛り込んだ法律。 27年9月に成立、28年3月に施行された。自衛隊法や国連平和維持活動(PKO)協力法など10の法改正を一括した「平和安全法制整備法」と、他国軍の後方支援目的で自衛隊を海外に随時、派遣可能にする恒久法「国際平和支援法」で構成する。
密接な関係にある他国への攻撃で日本の存立が脅かされる「存立危機事態」、日本の平和に重要な影響を与えるに重要影響事態。国際社会が脅威に共同で対処する二国際平和共同対処事態」を新設した。

【弁護士会第1部(3)】
「もし中国が尖閣占領を…」〝日本有事〟直視しない反安保決議 少数派が主導権握る日弁連執行部

 「納得できないというより、理解できない」。平成26年5月30日、仙台市で開かれた日本弁護士連合会(日弁連)の第65回定期総会。マイクを握って質問した安永宏(77)は、執行部の答弁にいらだちを隠せなかった。

 議題は「重ねて集団的自衛権の行使容認に反対し、立憲主義の意義を確認する決議(案)」。安永は、軍事的拡張を強める中国による尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺での動向などを踏まえ、「日本有事」の際にどう行動すべきなのか、執行部の見解をただした。

 「もし中国が尖閣諸島を占領にかかってきたとき、自衛隊は抵抗することができるのか。アメリカに支援を求めるということはできるのか」「きちっと結論を出した上で、ご提案をなさっておられるのか」と。

 当時の副会長は「日弁連として個別の方向性、考え方を示していることは今までない。日弁連という団体の性格からして、示すべきであるか否かも問題があるところであろうかと思う」と回答。「検討することは必要」としつつも、「今どのように考えるか回答することは適切ではない」とした。安永は「今そこにある危機」を直視しようとしない抽象論だと感じた。

 当時は一介の会員だった安永だが、24年4月に佐賀県弁護士会長に就任、翌年3月まで日弁連理事も兼任した。集団的自衛権などに反対する意見表明が理事会で議事に上ると、現実の国際情勢から「目をそらすな」と批判したが、完全に孤立した。「私の意見はいつも圧倒的多数で否定される。理事会の後に『本当は先生の意見に賛成』と耳打ちしてくる人はいたが…」安永は、政治も根本は法律で動く以上、法律家集団の意見が政治性を帯びることはある意味当然と考えている。問題は最初から一方向で結論が決まり、議論にならないことだと訴える。

◆「議論しなければ自滅の道」
 同じ26年の日弁連総会に出席し、安永と正反対の立場で決議案への賛成討論を行ったのが鈴木達夫(76)だった。「安倍(晋三)の戦争政治をみんなの力で断ち切る。それが今の戦争が起ころうとしている情勢の中における人民の態度ではないか」

 鈴木によると、東京大在学中に60年安保闘争に参加した後、NHKに入局し、配属先の長崎で米海軍原子力空母エンタープライズの佐世保入港阻止闘争にも加わった。当局に身柄を一時拘束された経験もあり、自らの裁判を担当した弁護士への敬意から法律を学び、48歳で司法試験に合格したという異色の経歴を持つ。

 鈴木は、昨年の日弁連会長選に立候補して敗れた「反主流派」の高山俊吉(76)らとともに「憲法と人権の日弁連をめざす会」を結成している。「主流派」で構成する日弁連執行部が集団的自衛権に反対したことは評価しつつ、法曹人口拡大など一連の司法改革については執行部と意見を異にする立場だ。

 総会で質問に立った安永とは考え方は水と油だが、執行部がまともに答えずに採決したことには疑問を持つ。「日弁連は議論しないといけない。それをしないのは自滅の道だ」
 採決の結果、決議案は賛成多数で可決された。

◆委任状集めて場を支配
 日弁連の会員弁護士(3月1日現在で3万9015人)には、右から左までさまざまな思想・信条を持つ人がいる。なぜ集団的自衛権の行使容認への反対など政治色の濃い決議案が簡単に可決されるのか。

大阪弁護士会所属のある弁護士は「少数派である左翼系の弁護士が日弁連や単位弁護士会を事実上仕切っている」と吐露する。多くの弁護士は日常業務に追われ、会の運営に無関心か、反体制的な活動を嫌って一定の距離を置く。一方で会務に熱心に取り組む少数派が組織の主導権を握り、最高意思決定機関である総会にも委任状を集めて大挙して出席、場を支配するというのだ。

「重ねて-」決議案が可決された総会の進行手続きに瑕疵(かし)はない。ただ、出席者は691人、委任状による代理出席は8782人。当時の全会員の3分の1に満たない人数でまたも「反安保」の旗が振られた。それは日弁連の「総意」といえるのか。(敬称略)  =(4)に続く

     ◇
【用語解説】日弁連総会
 日弁連の最高意思決定機関。毎年5月に定期総会が行われ、予算や決算報告のほか、宣言や決議が議題となる。必要に応じて臨時総会が開催される。弁護士個人と各単位弁護士会がそれぞれ議決権を持ち、総会に出席しなくても委任状を提出すれば議題について意思表明ができる。これまでの総会には定足数の定めがなかったが、3月の臨時総会で定足数を5千以上とする会則改正案が可決された。

▼(4)朝日新聞も記事を取り消した「慰安婦」、日弁連は論点すり替え…

【弁護士会第1部(4)】
証拠なしに「慰安婦強制連行」「性的奴隷」 日本貶(おとし)める声明を訂正せず…〝野蛮な国〟認知の背景に日弁連活動

 ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像を囲み、日韓両政府の慰安婦合意に抗議して謝罪や賠償を求める元慰安婦や支持団体のメンバーら。日弁連もこれまでに慰安婦問題に関して宣言や声明を積極的に公表してきた=2015年12月30日(名村隆寛撮影)

▼(3)日弁連を「少数派の左翼系が仕切っている」…から続く

 平成28年11月、保守団体「慰安婦の真実国民運動」幹事で拓殖大客員教授の藤岡信勝(73)らが、元参院外交防衛委員長の片山さつき(57)のもとを訪れた。国際連合(国連)女子差別撤廃委員会の委員長を務める弁護士、林陽子(60)の解任を求める約1万1千人分の署名を手渡すためだ。

 この年の3月、同委員会は日韓両政府が慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決を確認した「慰安婦合意」(27年12月)について「被害者中心ではない」と批判する見解を公表。官房長官の菅義偉(すが・よしひで)(68)は「主要各国や潘基文(パン・ギムン)国連事務総長(当時)も合意を歓迎している。同委員会の見解は日本の説明を一切踏まえていない」と反論していた。

 同団体は林の解任を求める署名活動を開始した。署名を呼びかける文書は「日本弁護士連合会は国連で長年、反日活動を続けてきた。外務省は日弁連に属する林氏を同委員に推薦した」と指摘した。
 片山は藤岡らに「今後は外務省の推薦者に注意を払う」と話したという。

◆国連委に提起
 日弁連は4年、慰安婦への賠償実現を目指して国連人権委員会に慰安婦問題を初めて提起した。その後も慰安婦に関する宣言や声明を積極的に公表してきた。

 日弁連関係者によると、これを主導した一人が6、7年に会長を務めた土屋公献(こうけん)=21年死去=だ。土屋は朝鮮総連中央本部売却事件(19年)で総連の代理人を務め、慰安婦問題などで日本の責任を追及してきた。

 13年3月、北朝鮮の首都・平壌で、慰安婦だったとされる女性たちと面談し、涙を浮かべながら「みなさんがお元気なうちに何とか謝罪と賠償を実現させる」と約束したこともある。

日弁連会長時代の7年10月の宣言では「慰安婦は強制連行された」と規定。同11月の会長声明でこう述べた。「日弁連を含むNGOは、慰安婦問題は『性的奴隷』として政府に賠償を要求してきた」「性的奴隷制という国連用語は、日本軍に組織的に誘拐され、売春を強制された問題をさす」

◆論点すり替え
 政府や学者らの調査で朝鮮半島での「強制連行」を証拠立てる文書は見つかっていない。〝強制性〟を認めた「河野談話」(5年)にも強制連行という用語はない。当時の官房長官、河野洋平(80)が談話発表時の記者会見で「(強制連行は)事実だ」と述べたが、根拠は不明のままだ。学者らからは「性的奴隷」という表現の定義や正確性にも疑問が呈されている。

 慰安婦問題でキャンペーンを張ってきた朝日新聞は26年、「朝鮮で女性を強制連行した」とする吉田清治(12年死去)の虚偽証言に基づく記事を取り消し、「慰安婦の実態は不明な点が多い」と認めた。こうした動きに連動するように、日弁連の声明や宣言も質的に変化を見せる。

 22年の日弁連と大韓弁護士協会の共同宣言や提言では、慰安婦問題を「軍の直接的あるいは間接的な関与のもとに、女性に対し組織的かつ継続的な性的行為の強制を行ったこと」と定義。27年の報告書では「募集・移送・管理などがいかなる様態であれ、自由が拘束された状態の下で、性的性質を有する行為を強制されていたことだ」とした。
「強制連行」「性的奴隷」と断定した過去の声明に比べトーンダウンし、論点もすり替えられている。

 ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像を囲み、日韓両政府の慰安婦合意に抗議して謝罪や賠償を求める元慰安婦や支持団体のメンバーら。日弁連もこれまでに慰安婦問題に関して宣言や声明を積極的に公表してきた=2015年12月30日(名村隆寛撮影)

◆法律家の良心は…
 「何を証拠に『強制連行』と断定したのか。“証拠に基づいた事実の追究”のプロであるべき弁護士が、証拠がない、あるいは不確かな証拠に基づいた会長声明を出したことは大きな問題だ」。日本の伝統と文化を守る「創の会」世話人で弁護士の堀内恭彦(51)は「客観的事実はあやふやでも、日本の責任追及と賠償実現ができればそれで良いという風潮が、当時の日弁連内にあったのではないか」と指摘する。

 慰安婦がここまで国際問題化し、「日本は性奴隷を用いた野蛮な国」と認知されるに至った原因の一つは、間違いなく日弁連の活動にある。

 「弁護士の良心があるなら、誤りが判明した声明は訂正や見直し、取り消しを検討すべきだ」。堀内はそう提案している。(敬称略)

▼(5)「直ちに廃止」先鋭化した〝脱原発〟 「政治でなく法的スキームの問題」…科学、国益考慮せず

【用語解説】慰安婦問題 
戦時中、日本や朝鮮などの女性が施設で日本軍将兵の性の相手をしていた。一部の元慰安婦が「強制連行された」と主張、朝日新聞などメディアが継続的に報じ、日弁連なども加わって人権侵害として国内外で問題視された。日本政府は一貫して強制連行の証拠は見つかっていないとしている。韓国などでは反日運動の象徴とされ、平成27年12月の日韓合意後も慰安婦像の設置が相次いでいる。

 この年の3月、同委員会は日韓両政府が慰安婦問題の最終的かつ不可逆的解決を確認した「慰安婦合意」(27年12月)について「被害者中心ではない」と批判する見解を公表。官房長官の菅義偉(すが・よしひで)(68)は「主要各国や潘基文(パン・ギムン)国連事務総長(当時)も合意を歓迎している。同委員会の見解は日本の説明を一切踏まえていない」と反論していた。

 同団体は林の解任を求める署名活動を開始した。署名を呼びかける文書は「日本弁護士連合会は国連で長年、反日活動を続けてきた。外務省は日弁連に属する林氏を同委員に推薦した」と指摘した。

 片山は藤岡らに「今後は外務省の推薦者に注意を払う」と話したという。

◆国連委に提起

 日弁連は4年、慰安婦への賠償実現を目指して国連人権委員会に慰安婦問題を初めて提起した。その後も慰安婦に関する宣言や声明を積極的に公表してきた。

 日弁連関係者によると、これを主導した一人が6、7年に会長を務めた土屋公献(こうけん)=21年死去=だ。土屋は朝鮮総連中央本部売却事件(19年)で総連の代理人を務め、慰安婦問題などで日本の責任を追及してきた。

 13年3月、北朝鮮の首都・平壌で、慰安婦だったとされる女性たちと面談し、涙を浮かべながら「みなさんがお元気なうちに何とか謝罪と賠償を実現させる」と約束したこともある。

日弁連会長時代の7年10月の宣言では「慰安婦は強制連行された」と規定。同11月の会長声明でこう述べた。「日弁連を含むNGOは、慰安婦問題は『性的奴隷』として政府に賠償を要求してきた」「性的奴隷制という国連用語は、日本軍に組織的に誘拐され、売春を強制された問題をさす」

【弁護士会第1部(5)】
「直ちに廃止」先鋭化した〝脱原発〟 「政治でなく法的スキームの問題」…科学、国益考慮せず

日弁連が平成23年7月に表明した「原子力発電と核燃料サイクルからの撤退を求める意見書」(複写)。「直ちに廃止」などと原発に対する厳しい表現が並ぶ

▼(4)証拠なしに「慰安婦強制連行」「性的奴隷」…から続く

 東京電力福島第1原発の事故を引き起こした東日本大震災の大津波から2週間。平成23年3月25日、民主党政権の官房長官(当時)、枝野幸男(52)が記者会見で同原発から30キロ圏外への自主避難を促し、混乱は収まるどころか拡大の気配が漂っていた。この日、日本弁護士連合会(日弁連)は会長(当時)の宇都宮健児(70)が会長声明を出した。

《原発の新増設を停止し、既存の原発については電力需給を勘案しつつ、危険性の高いものから段階的に停止すること》

 折しも同日、東電は夏場の電力需給予測を発表。福島第1、2原発などの停止で、850万キロワットもの深刻な電力不足になることが予測された。元経済産業省幹部(61)は振り返る。

 「《電力需給を勘案しつつ》は、むしろ常識的な線。
電力不足で国民が困っていなかったら、『即時停止』の主張があったのかもしれない」

 しかしその後、短期間に繰り出された日弁連の意見は、原発に対する厳しい姿勢を急速に強めていく。同年5月6日付の「エネルギー政策の根本的な転換に向けた意見書」では「電力需給を勘案しつつ」の文言は消え、運転開始後30年を経過した原発や、付近で巨大地震が予見されている原発の「運転停止」を求めた。

 さらに5月27日付の宣言では「速やかに運転を停止」に変わり、7月15日付の意見書は、前記の原発については「直ちに廃止」、その他の原発も「10年以内にすべて廃止」と、表現を先鋭化させた。

◆法律家集団がなぜ
 実は日弁連は約40年前、昭和51年10月の人権擁護大会で既に原子力の利用を問題視する決議をしている。ただ、日弁連関係者によると、原発への姿勢を強めた契機は、平成12年の人権擁護大会で採択された「エネルギー政策の転換を求める決議」だという。

 日弁連はここで原発の新増設の停止や既存原発の段階的廃止を明記。現在まで続く意見の土台となり、たびたび引用もされている。

 同決議は11年に発生した福井の日本原電敦賀2号機での1次冷却水漏れや、作業員2人が死亡した茨城・東海村JCO臨界事故が背景にあった。福島第1原発事故は、さらに厳しく「脱原発」を求める第2の転換点となった。

 なぜ弁護士組織が、純然たる法律問題とはいえない「原発」の是非に踏み込むのか。ある弁護士は「12年決議の題名『エネルギー政策の』は、原発が極めて政策的・政治的案件だということを図らずも認めている」と指摘する。

◆環境問題の延長
 原発問題の多くは、日弁連の公害対策・環境保全委員会にあるエネルギー・原子力部会で議論される。同部会に数年前から携わる弁護士、浅岡美恵(69)は京都大を卒業後に弁護士登録。京都弁護士会長、日弁連副会長を歴任し、消費者保護や地球温暖化などの環境問題に関わってきた。

 浅岡にとって、原発は環境問題の延長線上にあるという。「私たちにとって原発は政治的な話ではない。例えば規制基準はどうあるべきかといった法的なスキームの問題だ。法的な問題に意見を言わないということはあり得ない」

安全保障関連法案への反対運動を展開する日弁連が主張した「憲法論に立った行動」と同様、すべて法的問題に結びつける趣旨の主張だろう。こうした論法には「我田引水」や「論点すり替え」も透けて見える。

◆結論ありき
 北海道大の特任教授、奈良林直(ただし)(原子炉工学)は、かねて日弁連の意見に疑問を感じていた。「少なくとも原子炉の仕組みを知っている人の意見ではない。『反対』の意見ばかりではなく、科学や技術の進歩の話も聞いてもらいたい」

 国のエネルギー政策は、最新の科学・技術的知見を踏まえ、国益や国民生活への影響を含め総合的な政治判断で決められるものだ。原発の運転を止めた一部地裁の仮処分決定にも色濃くにじむ「絶対的な安全」という不可能なゼロリスクを求め、「直ちに廃止」と踏み込む“脱原発”は結論ありきではないか-。ただ、こうした異論も「私たちは科学者ではない。法的観点からの意見だ」と断じられると、永遠に議論はかみ合わない。(敬称略)  =(6)に続く
     ◇
【用語解説】国のエネルギー政策
 日本の中長期的なエネルギー政策の指針となっているのは「エネルギー基本計画」。ほぼ3年ごとに改定され、前回は平成26年4月に閣議決定されている。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、原発の活用方針を明記。原子力規制委員会が規制基準に適合すると認めれば、「その判断を尊重し原発の再稼働を進める」としている。今年はこの基本計画の改定時期に当たる。

【弁護士会第1部(6完)】
出席2.1%で死刑廃止宣言 
「被害者の権利根こそぎ奪う」渦巻く批判…組織に深刻な亀裂

死刑廃止宣言を採択した日弁連の第59回人権擁護大会。会員の間では宣言に反対する意見も多い=平成28年10月7日、福井市

 「遺族は生きて償ってほしいとは思っていません。生きていること自体が苦痛でしかないからです」

 平成28年12月17日に東京都内で開かれたシンポジウム。磯谷富美子(65)の声が会場に響いた。磯谷は闇サイト殺人事件(19年)で3人組の男に娘を拉致、殺害され、極刑を求めたが、死刑確定は1人。残る2人は無期懲役だった。

 日本弁護士連合会(日弁連)は10月7日の人権擁護大会で「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」との宣言を採択していた。磯谷の言葉には、世論調査で8割が容認する死刑について、日弁連が廃止を提言したことへの憤りも漂う。

 隣に座るのは弁護士の小川原優之(62)=第二東京弁護士会。オウム真理教教祖で死刑囚の麻原彰晃=本名・松本智津夫(62)=の1審弁護人を務め、日弁連の死刑廃止検討委員会事務局長として宣言採択に尽力した一人だ。この日は死刑廃止に反対する「犯罪被害者支援弁護士フォーラム」のシンポジウムに死刑廃止派として単身、参加した。

 「弁明できるならしてください」。司会の弁護士、高橋正人(60)=同=の問いに、小川原は死刑廃止宣言の趣旨を説明した。

 「生きて償うとか死んで償うという考え方を議論した結果ではない。どういう刑罰制度が民主主義社会として望ましいのか。死刑に代わる刑罰が考えられないかということ」

 その後も弁護士らから小川原への厳しい言葉が続いた。「被害者のために活動している弁護士がたくさんいる。宣言は乱暴だ」「死刑廃止活動をやるなら自費でやってほしい」。聴衆からは拍手も起こった。

◆「京都」では否決
 宣言は死刑廃止の必要性をこう説く。

 《生まれながらの犯罪者はおらず、人は適切な働き掛けと本人の気付きにより変わり得る存在である》《冤(えん)罪(ざい)で死刑となり執行されてしまえば、二度と取り返しがつかない》

 これまで「死刑廃止についての全社会的議論を呼びかける」との立場にとどめてきた日弁連。宣言に踏み切った背景には、死刑が確定していた「袴(はかま)田(だ)事件」などの再審開始決定に加え、2020年に刑事司法の国際会議が日本で開かれるのを好機とみたこともある。

 ただ、日弁連はすべての弁護士に登録を義務づけた強制加入団体だ。意見を二分する問題に特定の立場を示すことには反対も根強い。被害者支援を手弁当で行う弁護士からすれば、死刑廃止運動に会費が使われることへの反発もある。

 実際、京都弁護士会は平成24年、単位弁護士会で初の死刑廃止決議採択を目指したが、「被害者の気持ちを理解していない」などの反論が出され、激論の末に反対多数で否決された。

 これまでも死刑執行のたびに会長名で抗議声明を出すなど、日弁連の中立性を疑問視する声もあった中での宣言。被害者支援弁護士の一人は話す。

 「日弁連はルビコン川を渡った」

◆なぜ人権擁護大会で宣言を…亀裂は深く
 28年の人権擁護大会で扱う宣言案について、日弁連は「委員会や理事会の議論を経て決まった」と正当な手続きを強調するが、異論は強かった。特に犯罪被害者支援委員会は、会員の思想・良心の自由への侵害に加え、会員アンケートで死刑廃止に否定的な意見が相当数出されたことなどから、強い反対を表明。7、8月の理事会も紛糾した。

人権擁護大会当日、採決に先立つ討論では宣言案に反対する弁護士を中心に批判が相次ぎ、高橋も執行部にこう迫った。「あなた方のやっていることは被害者の権利を根こそぎ奪い取ることだ」

 当時の会員3万7千人超のうち、開催地の福井市に足を運び、採決に参加したのは、約2.1%にあたる786人。賛成546人、反対96人、棄権144人となり、賛成多数で宣言が採択された。

 参加者が過去の大会と比べて多いか少ないかは一概には言えない。ただ、今回の賛成は全会員の約1.4%。多くの参加が見込めない遠方の開催地、しかも委任状も認められない大会で、50人に1人にも満たない賛成で死刑廃止を宣言した日弁連の意見決定手法は適切といえるのだろうか。実際、会員からの批判は多く、深刻な亀裂を生んだ。

 なぜ、こんな偏向がまかり通り、一般感覚とのずれが生じるのだろう。その理由を考えるため、第2部では日弁連や単位弁護士会の組織にひそむ要因を探る。(敬称略) =第1部おわり


 【用語解説】人権擁護大会 
日弁連の人権擁護活動として、昭和33年に始まった。毎年1回、全国の弁護士が開催地に集まり、性差別や貧困格差などの人権問題に関する宣言や決議を採択す るほか、一般市民が参加できるシンポジウムも開かれる。最高意思決定機関である日弁連総会とは異なり、委任状による議決権の代理行使を認めていない。採決に参加できるのは現地に足を運んだ会員で、議決は出席者の過半数で決める。

ロシア人・朝鮮人に「性奴隷に」された日本人女性の悲劇

ロシア人・朝鮮人に「性奴隷に」された日本人女性の悲劇
              歴史通 17-April 大高未貴
「北鮮二侵入セル『ソ』兵ハ白昼街道ニテ通行中ノ婦女ヲ犯ス」(高松宮日記)
◆封印された日本婦女子の悲劇
 数年前、私は埼玉県大宮市の墓地「青葉園」に立つ青葉地蔵尊で行われた供養に参加した。拙著『強欲チャップル 沖縄集団自決の真実』に詳しいが、集団自決の真相について取材を進める中、戦時中、渡嘉敷島に赴任していた皆本義博元中尉から「沖縄の集団自決は決して軍命令ではなく、人間としての尊厳を守るため、ある意味自発的なものでした。あの不幸な時代、集団自決は沖縄だけの現象ではなく、ソ連軍の侵略をうけた満洲や朝鮮半島、そして樺太でも起こったものなのです。来週、満洲で自決という非業の死を遂げた従軍看護婦二十二人の供養があるから取材に来ませんか?」とお声掛けいただいたのがきっかけだった。
 恥ずかしながら、皆本氏からそのことを聞くまでソ連軍の蛮行といえばせいぜいシベリア抑留程度だったので、あらためて青葉地蔵尊の由来を調べながら震え上がった。
  「昭和二十一年六月二十日の満洲・ 新京(長春)。旧ソ連軍に留め置かれ、長春第八病院で働いていた松 岡喜身子さん(七七)ら二十数人の従軍看護婦は、絶望のどん底にいた。
  その夜、ソ連軍の要請で軍の救護所へ仲間六人と”応援”に行っていた人鳥はなえ看汲婦(二二)が、十一発もの銃創を受けながら一人逃げ帰り、救護所の実態を伝えて息を引き取った。「日本人看護婦の仕事はソ連将校の慰安婦。もう人
を送ってはいけません」
 大島さんの血みどろの姿に、喜身子さんはぼうぜんとし、涙も出なかった。「ロシア人は日本人を人間とすら扱わないのか……」。だが、悪夢はその翌朝も待っていた。二十一日月曜日午前九時すぎ、病院の門をくぐった喜身子さんは、病
院の人事課長、張宇孝さんに日本語でしかられた。「患者は米ているのに、看護婦は一人も来ない。婦長のしつけが悪い」「そんなはずはありません。見てきます」胸騒ぎがして、看護婦の大部屋がある三階に駆け上がった。ドアをノックしても返事はない。中へ飛び込むと、たたきには靴がきち人とそろえてあった。線香が霧のように漂う暗い部屋に、二十二人の看護婦が二列に並んで横たわっていた。(略)「死んでいる……」。
 満州赤十字の看護婦は終戦時、軍医から致死量の青酸カリをもらい、制帽のリボン裏に隠し持っていた。机上には、二十二人連名の遺書が残されていた。〈私たちは敗れたりとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます〉」(産経新聞 平成七年六月二十九日)
 悲劇は朝鮮半島にも及んだ。『高松宮日記』にもこう書かれている。
「北鮮二侵入セル『ソ』兵(白昼街道ニテ通行中ノ婦女ヲ犯ス。汽車ノ通ラヌタメ歩イテ来ル途中、一日数度強姦セラル。二人ノ娘ヲ伴フ老婦人(カクシテ上娘(妊娠、下ノ娘(性病二罹ル。元山力清津ニテ(慰安婦ヲ提供ヲ強ヒラレ人数不足セルヲ籤引ニテ決メタリ、日本婦人ノ全部「強姦セラル。強要セラレ自殺セルモノ少ガラス」(『高松宮日記 第八巻 昭和二十年十月二十三日』中央公論社)

 こうして満洲、朝鮮半島から心身ともに傷を負った日本人女性が駆け込んだ先の一つが福岡の二日市保養所だった。いまは当時の悲劇を鎮魂するための水子供養地蔵を中心とした二日市保養所跡があり、跡地建立趣旨にはこうある。
「昭和二十∇二年の頃 博多港には毎日のように満州からの引揚船が入っていた。其の中に不幸にしてソ連兵に犯されて妊娠している婦女子の多い事を知った旧京城帝国大学医学部関係の医師達は、これら女性を此処-旧陸軍病院二日市保養所―に連れてきて善処した。(略)児島敬三」
 父親もわからぬ青い目をした異国の赤ん坊を産んで育てることもできず、上陸寸前に博多湾に身投げした女性もいたという。そこで不遇な女性の自殺を防ぐため、引き揚げ船には医師も同乗し、傷を負った女性たちに、。上陸したら二日市で手術できますから心配しなさんな‘と声をかけてまわっていたのだ。この行為は当時、堕胎が禁じられていた日本で、超法規的措置として秘密裏に引揚女性の堕胎が認められたという。とはいえ、終戦直後の物資不足で麻酔すらない状態での手術だった。
 この悲劇を裏付けるため、引き揚げ船内で配られた一枚の呼びかけ文を紹介する。
 「不幸なるご婦人方へ至急御注意口‥ 皆さんここまで御引揚になれば、この船は懐かしき母国の船でありますから先づご安心下さい。さて、今日まで数々の厭な想い出も御ありでせうが茲で一度顧みられて、万一これまでに『生きんが為
に≒故国へ還らんが為に』心ならずも不法な暴力と脅迫に依り身を傷つけられたり、またはその為身体に異常を感じつつある方には再生の祖国日本上陸の後、速やかにその憂診に終止符を打ち、希望の出を建てられる為に乗船の船医へこれまでの経緯を内密に忌憚なく打ち開けられて相談してください。本会はかかる不幸なる方々のために船医を乗船させ、上陸後は知己にも故郷へも知れないやうに博多の近く二日市の武蔵温泉に設備した診療所へ収容し健全なる身殼として故郷へご送還するやうにしておりますから、臆せず、惧れず、ご心配なくただちに船医の許まで御申し出ください。財団法人 在外同胞援護 救療部派遣船医」千田夏光氏が書いた『皇后の股肱』の中にご一日市・堕胎医病院々という章があり、当時の様子がよく描写されている。妊娠六ヵ月、七ヵ月の中絶手術は母体へのダメージも大きく、手術後命を落とした女性もいた。中には泣き声をあげる胎児もいて、その声を聞くと母性が目覚めかねないので医師たちの手で胎児の息をひきとらせている。昭和二十三年に閉鎖されるまで約九百名もの女性が門をくぐり、手術を受けた女性は四百六十二名、うち十名が命を落としているというのだ。
 二日市保養所跡に慰霊碑を児島敬三氏が建立したきっかけも、上述した千田夏光氏のルポを読んで衝撃を受けたからだという。貴重なルポルタージュだと思うが、南京については東京裁判史観そのもので、臼井勝美電気通信大学教授の「日中戦争」などを孫引きしながら『日本軍の通過した後に処女なしと言われる』などといった針小棒大な証言をサラリと織
り込んでいるところに千田氏の視点が伺える。又、従軍慰安婦に関して千田氏は麻生徹男軍医を慰安所発案の責任者であるとはのめかすように描いている。その件に関して私は麻生軍医の娘である天児郁氏に福岡で取材し、千田氏が天児氏に謝罪した話や彼女に宛てた手紙なども見せてもらったことがある。彼女は「千田氏の不正確な執筆や検証もない孫引きによって書かれた本がジョージーヒックスなどによって引用され、さらにクマラスワミ報告に採用され、国際社会に慰安婦問題が歪んだかたちで広まってしまった」と怒りを隠さなかった。
 ともあれ二日市保養所について調べてゆくうち、意外なことに気付かされた。保養所に駆け込んだ女性達への加害者の大半はソ連兵だと思っていたのだが、なんと朝鮮人の方が多かったというのだ。
「二日市保養所の医務主任だった橋爪将の報告書によると、施設の開設から二ヵ月間で強姦被害者の加害男性の国籍内訳は、朝鮮二十八人、ソ連八人、支那六人、米国三人、台湾・フィリピンが各一人だった。一九四七年の施設閉鎖までに五百件の堕胎手術をおこなった』(『戦後五十年引き揚げを思う』)
 また終戦直後、朝鮮北部の興南にいた鎌田正二氏はこんな証言をしている。「ソ連兵や朝鮮保安隊の掠奪と横暴は、残酷をきわめた。
 夜なかに雨戸を蹴やぶって侵入してきたソ連兵は、十七になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった」(『潮』一九七一年八月号)
 日本が敗戦国となったと同時に、一部の朝鮮人は手のひらを返すように残忍な加害者と化して日本人に危害を加えたのだ。余談になるが″慰安婦強制連行‘について朝日新聞ですら虚偽と認めた吉田清治氏は福岡県出身で、戦後は山口県下関の門司港を拠点に活動をしていた。吉田氏は労務報国会で朝鮮人狩りをしていたのではなく、日雇い労務者の仕事の振り分けをしていたに過ぎない。引揚船の割合は福岡の博多港と長崎の佐世保が最多で、門司港は使用されず近くの仙崎港が使用されていたが、いずれにせよ北九州に押し寄せてきた引揚者の悲劇は吉田氏も聞き知っていた筈だ。にも関わらず。私か朝鮮人女性を強制連行して慰安婦にした”などという創作話を、一体どんな心境で吹聴していたのだろう。
 日韓合意後、韓国人慰安婦の中には日本からの見舞金を二重取りした女性もいる。アジア女性基金から約五百万、和解金約一千万、合計一千五百万もの大金だ。方や近現代史家・秦郁彦氏の推計によると従軍慰安婦の約四割をしめていた日本人慰安婦には何の補償もされていない。ちなみに朝鮮人慰安婦は約二割。つまり慰安婦問題の本質とは、女性の人権問題ではなく、外交問題に発展させて。戦後補償産業”の恩恵に預かろうとした活動家たちが、吉田清治や韓国人慰安婦などを利用したということにつきるのではなかろうか? こうした倒錯した歴史の担造の罪深さの陰で、日本人婦女子の受難は封印されてきたのだ。
 日本婦女子の悲劇の痕跡は北方の地・樺太にも刻まれていた。一九四五年戦争末期の八月八日、ソ連は日ソ中立条約を破棄して対日宣戦。翌九日、突然ソ満国境線を破り日本軍への攻撃を開始した。その最たるものはソ連軍が迫る中、九人の電話交換手だった女性が集団自決した真岡事件が有名だ。
 大本営は一九四四年三月「決戦非常措置要綱」を発令し、電信電話部門に関しても徹底的な強化推進の方針を打ち出していた。真岡郵便局でも非常体制が取られ、残留の募集に応じた二十一人の交換手が交代で二十四時間業務にあたっていたという。八月二十日、真岡沖に現れたソ連艦が艦砲削撃を開始し、真川の町は幟火に包まれた。その直後、九人が青酸
カリを飲んで集団自決を果たしたのだ。彼女たちは、生きたままソ連兵に見つかったら、どのような陵辱を受けるかわかっていたのであろう。
 私か彼女たちの苦渋の選択が、決して妄想に起因するものなどではなかったことを確信したのは、終戦直後、満洲から朝鮮半島経由で引き揚げてきた開勇氏の壮絶な証言を聞いたからだ。

◆皇軍兵士が見たソ連軍の蛮行
 「東は虎頭 北黒河 興安嶺の峰越えて 襲ひきたれしソ連軍 げに恐ろしやその姿鉄輪迫る修羅の途 避難する身 に襲ひきて 縦横無尽に踏みにじり 悲惨の極みに血は流る 聞くも語るも血の涙 屍は積りて 山を築き 血汐は流れて川をなす修羅の巷か 地獄谷(略)我をあざむき襲ひくる ソ連の蛮行 許すまじ 恨みつくさん時くるや 恨 み返さん 時くるや」(日本人避難民悲歌)
 この歌は元陸軍憲兵伍長の故開勇氏からいただいた資料の中にあったものだ。
 初めて開氏を知ったのは、。靖國神社に参拝中の元日本軍兵士(開勇)が中国人の暴漢に襲われる、といったニュースがきっかけだった。
 二〇〇八年、開氏が靖國神社を訪れた際、突如中国人の暴漢に襲われ、持っていた日の丸を奪われ、国旗を足で踏まれた上に竿を折られたという。開氏は自らの命を顧みず、奪われた国旗を取り戻すために中国人に歯向かった。何故ならその日の丸には鬼籍に入った戦友たちの名前が記されていたからだ。
 日本の老人に対する中国人の暴挙は産経新聞やチャンネル桜などで報道された程度で、中国に抗議した政治家もおらず、うやむやとなってしまった。この事件後、私は開氏の戦友たちへの想いや彼が体験した戦争を記録せねばと思い、彼の元を訪ねた。横浜の自宅の部屋には天皇皇后両陛下の写真が飾られ、居住いも正しく、矍鑠(かくしゃく)たる様は、さすが元皇軍兵士と思わせるに十分だった。
 開氏は大正十五年、富山県生まれ。昭和十九年に陸軍憲兵学校を卒業し、その年の十二月に北朝鮮の羅南地区・清津の憲兵分隊に赴任している。
 悲劇が始まったのは翌年、昭和二十年八月九日、ソ連軍侵攻により、南方に主力兵を取られていた慶興分隊、清津守備隊は瞬く間に全滅。北朝鮮では天皇の玉音放送がなされた十五日以降もソ連軍の爆撃が続き、日本軍が正式に武装解除したのは、その数日後で、開氏が語る地獄絵図は、その混乱の中で生じていたのだ。
しかし、ソ連の正規軍がやってきても、北朝鮮にいる日本人の受難が終わったわけではない。

◆ケダモノ以下の囚人ロシア兵
「敗戦と同時に北朝鮮に南下してきたロシア兵(ソ連軍)はケダモノ以下でした。当時、日本人は民間人も含め、我々兵士と共に、家を朝鮮人に奪われて、学校や工場などで避難民生活をしていたのですが、ロシア兵は。ヤポンスキー・マダムーダワイ(日本女性はいるか?)と、若い女性を捜し回り、見つければ、その場に押し倒し、集団強姦です。しかも物陰でなどという配慮など一切ありません。当然、目の前で娘や妻が犯されるのですから、父親や夫は止めに入ります。そ
うした場合、即、射殺です。我々兵士も武器を取り上げられており、如何ともしがたく、それはもう地獄絵図でした。だから、顔に泥をなすりつけ、頭を丸刈りにする日本女性もいましたが、奴らの目から逃れるのは難しかったようです。
 この先遣隊は、殺人犯や強盗犯で編成されたいわゆる。”囚人部隊゛だったようで、その後、正規軍が入ってきて、状況は少し改善されました。日本軍もロシア兵も同様ですが、正規軍は厳しい軍律がありますから、民間人に不法な事をしたら軍法会議にかけられ極刑です。だから、人前で強姦するような乱暴なことはしません。とにかく囚人兵レベルの低さといったら……。人相は凶悪そのもの、やることなすこと人間ではないのです。なにしろ日本人の前でズボンをおろして平気な顔で排泄するのですからあきれるばかりです。正規軍のロシア兵は。あいつらは、死ぬ運命にあった死刑囚もたくさんいる。ここまで生きられただけもうけものだ”と吐き捨てるように言いました。まあそれでも、正規軍がきてからは、目にあまる強姦や殺戮が減り、我々日本人が少しは助かったのも事実です……」
 元憲兵伍長・開勇氏は、そこまで一気に語り、大きく息をついた。満洲や朝鮮半島にいた多くの日本兵がソ連に捕えられシベリア抑留となったが、開氏はアルチョム収容所から南の古茂山収容所に送られるため五百キロ歩かされている時に、ソ連軍警備兵の目をかいくぐって必死の脱走を試みて成功したのだが、南下する際、朝鮮人の保安隊に、日本軍の敗残兵と見破られ、再びソ連軍に引き渡されてしまった。下着に所属部隊と名前が書かれていた(戦死した際の認識票代わりに日本兵は皆そうしていた)のが致命的だった。ちなみに当川りの北仙川では、人民似安隊だの特別警備隊と名乗る朝鮮大武装自警団が践厄し、街道に関所のようなものを設け、日本人避難民から通行料だといっては金目のものを強奪したり、日本兵を一人当たり約五十円でソ連軍に売り飛ばしたという。私は三百人の日本兵とともに、再びソ連兵に連行されることになったのですが、その道中でのことです。山道を芋虫のように地べたを這いながらこちらに進んでくる奇妙な人間の姿を日にしました。近付いてみると、両手と膝に草履をひざにも草履をくくりつけ、四つん這いになってそろりそろりと歩む老婆でした。゛おばあさん、どうしたのですか?”と問うと、”息子夫婦は先に逃げたのですが、匿ってもらっていた朝鮮人に家を追い出され、私一人、南鮮へ行くところです。腰が悪いので、こうして進むしかありませんや”と言います。さすがに我々は絶句しました。助けてやりたくても、連行される身の我々にはどうしてやることもできません。
堪り兼ねた兵隊の一人が。”親を捨てて逃げるだなんて”と呟くと、”息子夫婦には私か頼んで逃げてもらったのです。無事に内地に帰ってくれればいいんです。恨んでなんかいません。戦争に負けたのですから゛と言い残し、やがて老婆は見下ろす私たちを後に、南に向かって、そろりそろりと這って行き、私たちも無言のまま北へ歩き出しました。しばらくして思わず後ろを振り返ると、黒い豆粒のようになった老婆が、峠の向こうに消えてゆくのが見えました。涙なんて出ませんが。戦争に負けるとは! 心も死ぬことなのだとつくづく思い、足だけでなく心までずっしりと重くなりました。

◆平壌で三百体の死体処理
 開氏は、北へ向かう行軍の最中、再び脱走を試み、成功。運よく平壌まで逃れた。
「平壌には下平避難民団(関東軍野戦貨物部及び、その指揮部隊家族約八百名)と、横内清津避難民団(下平方面在住者の約二百八十名)の二つの避難民集団がありました。私は清津避難民団に紛れ込みました。
しかし、ここでも十月下旬になると船橋里警察署から。十七歳以上の日本男子はただちに出頭せよ‘と通達がありました。ソ連軍に引き渡され、シベリア送りになるのは当然予測されましたが、男達は皆観念して、警察署に出頭しました。そうしなければ老人や女子供に迷惑がかかるからです。私も。今度こそシベリア送りだ”と覚悟しました。ところが日が暮れ始めた頃。”今日は帰っていい。後日の呼び出しまで待機せよ”といわれ、拍子ぬけしたものです。どうやら、船橋里警察署の署長の奥さんが日本女性で、裏からなんらかの工作をしてくれたようです。あの戦争を生き延びた者は、皆、そうした僥倖(ぎょうこう)に恵まれた者だけです。
 それはともかく、冬の訪れとともに、バタバタと避難民達が死に始めました。劣悪な環境下で栄養失調、腸チフス、アメーバー赤痢、マラリアが蔓延し始めたのです。私は平壌日本人会東平壌支部奉仕葬儀班に参加し、毎日のように死体を大八車に乗せ、十キロ程離れた瀧山共同墓地へと運びました。冬場は雪で轍が凍結し、道がでこぼこでなので、遺体が踊りだします。何しろ遺体をくくりつける紐すら入手困難だったのです。でもそれはまだましでした。春が来て夏が近くなると、遺体の腐乱が速くなり、荷台が揺れるたびにチャポン、チャポンと体液が飛び散り顔や体にかかります。そしてどこからともなく、銀バエがやってきて、我々の周囲を飛び回って離れません。朝鮮人に。日本人、臭いぞ! あっちいけ”と罵られ、石まで投げつけられました。こうした毎日を繰り返していると、人間は少々のことでは動じなくなります。
 しかし、そんな私でも脳裏に焼き付いて離れない遺体がありました。あれはたしか女性の遺体でしたが、死体置き場に行くと、顔全体が筋肉体操でもしているかのように、グリグリと激しく動いているのです。よく見ると、目・耳・鼻・口、穴という穴に巨大な姐が庭いており、その姐が皮膚の下の腐肉を食い荒らしていたのです。それでも、四人の仲間と手足を持って、掛声もろとも遺体を大八車に引き揚げようとしました。その瞬間です。だわだわだわわと尻の穴から赤黒い得体の知れない体液とともに腐った内臓やウジ虫、回虫が滝のように流れ出し、その臭いといったら半端でなく本当に卒倒しそうになりました。
 当然、私もアメーバー赤痢にかかってしまいました。そうはいっても休むことはできません。なにしろ避難所の状況は日に日に悪化してゆきます。死んだ赤ん坊を三日間も抱き続け放心状態の母親、”うどん、うどんはいらんかね~”と、自らの口から吐いた川虫を洗面器にいれて徘徊する気が触れてしまった青年。毎日のように人が死んでゆく光景が日常風景となり心も動かなくなってゆくのです」
 三百体ほど遺体処理をした頃、疲労困信した開氏の様子を見かねた先輩が、ソ連軍将校の集会場となった桜町ホテルを紹介してくれ、そこの住み込みボイラー焚きとなって精神の小康を得たという。
「とはいえ、そこも大変なところでした。日本人の避難民が毎日やってきて、残飯漁りをするのです。もっとも私自身もボイラー焚きの傍ら、肉や魚の骨を誰よりもはやく漁ってしゃぶりついていたのですから浅ましいものです。その頃のことです。
ソ連兵の将校に。日本人女性の家政婦を紹介してくれないか?ぷと頼まれました。。朝鮮人はダメだ。来るたびに必ず、かが無くなる。それも、砂糖一杯とか、じゃがいも一個とかだが、盗まれていると思うと家の中でくつろぐことができない。その点、日本人女性はどんなに貧しくとも、盗むことは決してしない‰その言葉を聞き、私は。戦争に負け、こんな悲惨な状況になっても、日本女性は凛として生きているんだ々と嬉しくなり、何故か故郷の老いた母に無性に会いたくなり、決死の覚悟で釜山を目指しました。どうにか三十八度線にたどりつくと、そこに待ち構えていたソ連兵に、わずかに隠し持っていた時計や地図など、それこそ身ぐるみはがされました。北と西のわずか三、四キロですが、方角もわからず、三日三晩山中を彷徨いました。至るところに死体が転がり、死臭が蔓延していたのを覚えています。
 そして精も根も尽き果てた頃、誰かが。南だ! 漢城(現ソウル)の灯がみえるぞ!と叫びました。ふらつく足で小高い丘に登ると、確かに眼下遥かに街の灯が広かっていました。。助かった! 俺達は助かったんだぞ”避難民達は皆、感極まって泣きました。山を降り、米軍基地の天幕村にはいって、私たちはようやく人間の世界に生還できたのです。釜山から船に乗って博多に復員したのは昭和二十一年九月三日。故郷に帰ると痩せ衰え、死に神のようになった私を抱きしめて、母はさめざめと泣きました。私も泣きました。あの時、再び母にあえてどんなにうれしかったことか、私には生涯忘れられません」。

◆日本人よ、沈黙するな
 その開氏は十年近くかかって仕上げた、一冊の本と分厚いノートと二枚の地図を宝物のように保存していた。ノートには満洲、朝鮮で死亡した軍人千六十八柱の氏名・階級・本籍・処刑場所や自決場所がぎっしりと書きこまれている。自ら政府機関や関連場所を訪ね歩いてまとめたものだという。満洲・朝鮮の二枚の地図には、民間人の死者数がびっしり書き込まれている。その数、満洲・三十五万八千八百人、朝鮮三万四千六百余名。

「気が遠くなるような作業でしたね」と私か問うと、開氏は子供のように照れた笑顔を見せ「無事に復員できた私のせめてもの償いです。この人たちのお陰で、私はいまも生きていられるのですから。最後の使命です」
 開氏にインタビューした数週間あと、私は、(ハルビン、長春、瀋陽、大連と旧満洲の街々を旅した。それらの各都市の抗日記念館には、明らかに握造と思われる写真や蝋人形で、日本軍が悪魔か狂人のように表現されていた。中国共産党が外に敵を作り、国内に不満を封じ込めようとするための施設とはいえ、いかにも常軌を逸したものだった。
 開氏だが冒頭で述べたように、正規の軍人は、たとえソ連兵であっても、民間人に悪魔のような所業は組織だってはしないものなのだ。そんなことを許したら秩序や軍規はバラバラになり、軍としての機能もしないし、敵との戦いもできなくなる。そんなわかりきったことを忘れている日本人がなんと多いことか。
 ベトナム戦争で韓国軍がベトナムに参戦した際、ベトナム人女性を強姦して産まれた混血児が釜山日報によると最少五千人・最大三万人(釜山日報)。又、第二次世界大戦の際、ドイツに侵略したソ連兵に、約半数近くのドイツ人女性が強姦され、そのうち約二〇%の女性から混血児が産まれたという。
 一方、日本軍が駐屯していた東南アジアで現地女性への強姦による日本人の混血児が産まれたという事例はあまり聴いたためしがない。慰安婦制度は、そういった悲劇を防ぐためにも取り入れられたものだった。にも関わらず、″日本軍はアジアの女性約二十万人を性奴隷にした”などといったデマが世界に喧伝されている。
すでにほとんどが鬼籍に入ってしまった日本軍兵士と、性奴隷に既められた慰安婦達、握造された不名誉な歴史を背負わされかねない日本の子供達、彼らの尊厳を守るため、日本人はこれ以上沈黙してはならない。

≪大高未貴≫
一九六九年生まれ。フェリス女学院大学卒業。世界百力国以上を訪問。チベットのダライラマ十四世、台湾の李登輝元総統、世界ウイグル会議総裁ラビアーカーディル女史などにインタビューする。『日韓。円満々断交はいかが? 女性キャスターがみた慰安婦問題の真実』(ワニ新書)、『イスラム国残虐支配の真実』(双葉社)など著書多数。『テレビ・タックル≒ニュース女子』『DHCニュース虎の門テレビ』などに出演している。

教育勅語 (原文)と現代口語訳

教育勅語 (原文)
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御 名 御 璽
 
現代口語訳
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
 そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や秩序を守ることは勿論のこと、国家に非常事態発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
 そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるだけでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
教育勅語の十二徳  
孝行
子は親に孝養をつくしましょう
友愛
兄弟・姉妹は仲良くしましょう
夫婦の和
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう
朋友の信
友達はお互いに信じあって付き合いましょう
謙遜
自分の言動を慎みましょう
博愛
勉学に励み職業を身につけましょう
知能啓発
知識を養い才能を伸ばしましょう
徳器成就
人格の向上につとめましょう
公益世務
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう
遵法
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう
義勇
正しい勇気をもってお国の為に真心を尽くしましょう

【北海道が危ない 第4部(上・中・下)】

【北海道が危ない 第4部(上・中・下)】2017.2.24
中国、釧路を“北のシンガポール”に 「孔子学院」開設計画、不動産の買収…拠点化へ攻勢

 北海道の東部、太平洋岸に位置し、「釧路湿原」と「阿寒」の2つの国立公園を擁する釧路市は、国際バルク戦略港湾に選定された釧路港や釧路空港を抱え、東北海道(道東)の社会、経済、文化の中心的機能を担っている。
×   ×
 この釧路市を昨年5月21日、中国の程永華駐日大使が訪問、7カ月後の12月9日には張小平1等書記官(経済担当)も足を運んだ。張1等書記官は、釧路空港上空まで来たものの降雪のため着陸できず、羽田空港まで引き返したが、即日、釧路に向かっていた。
 大使は蝦名大也釧路市長との会談で、「釧路市が民間・地方外交を積極的に進め、中日関係の改善と発展を後押しするためにさらなる努力をされるよう期待している」とラブコールを送った。
 その後、中国大使としては初めて、中国人らの研修生を受け入れている石炭生産会社、釧路コールマイン本社(釧路市興津)を訪問。「交流を強化し、両国の経済協力に力を注ぎ続けてほしい」と要望した。
 程大使は、平成26年10月に札幌市で行われた北海道日中友好協会創立50周年記念講演でも、「北海道の対中協力には非常に大きな潜在力がある。特に若者が中日友好事業に参加するよう導くことを希望する」と北海道に強い関心を示している。
一方、張1等書記官は、釧路日中友好協会(中村圭佐会長)の28年12月例会で、習近平国家主席が提唱した経済圏構想「一帯一路」に触れ、「中国は北極海航路の試験運用を本格化している。釧路はアジアの玄関口として国際港湾物流拠点としての成長が期待できる」と強調。同月13日付の釧路新聞でも「釧路は北米にも近い。将来は(中略)南のシンガポール、北の釧路といわれるような魅力がある」と語っている。
 1等書記官の訪問にあわせ、中国財界人も釧路市を視察。国際チャーター便の乗り入れや銀聯(ぎんれん)カードの決済店の普及・拡大を求めている。
×   ×
 釧路を拠点にしたい、という中国の思いは想像以上に強い。釧路日中友好協会の上見国敏事務局長によると、駐日大使館の重鎮が23年以降、頻繁に釧路を訪ねているといい「釧路に興味があるのは間違いない」と断言する。蝦名市長には大使館関係者から直接、中国政府系の文化機関「孔子学院」開設の打診があり、開設計画が現実的に検討されているという。
 道東は自衛隊の基地も密集する、国防上の要衝でもある。
 釧路市は「中国が北極海航路に関心を持っているのは聞いているが、中国資本が急に活発化したという実感はない」と悠長に構えるが、防衛省関係者らは、「国防面でも経済面でも海洋進出をもくろむ中国がまず、中央突破しなければいけないのは、太平洋に出ること。その拠点として釧路を押さえるのが狙いだ」と分析、「すべて習主席の指示を受けた国家戦略なのは間違いない」と危機感を隠さない。
 危機感を煽(あお)るつもりはない。だが、連載第1部で、新千歳空港近くの高台に、中国人専用の別荘地を開発した家具・インテリア販売会社が、当初、同地に1万人の中国人が住めるよう1千棟の別荘を建設する予定だったことを報告した。この計画を調査した小野寺秀前道議によると、同社は当時、釧路に同規模の別荘を建設する計画を立てていたという。前道議は「なぜ、釧路なのかと疑問を持ったが、今から考えると、釧路を拠点にするという計画は当時からあったのかもしれない」と振り返る。そして釧路市や隣の白糠町で、不動産が買収され中国系の企業が進出していることをあげて、こう話した。
 「すべてがつながっているようだ」

◆学校、産業…浸透する影
 北海道・釧路地方は寒冷地だが積雪が少なく、日照時間も長いことから、メガソーラー(出力が1メガワット以上の太陽光発電所)の稼働に適しているといわれる。
 釧路市役所から国道38号を西に約15分。星が浦地区の工業団地に太陽光パネルが整然と並ぶ。4万平方メートルの敷地に1万200枚のパネル。平成25年3月竣工(しゅんこう)の「星が浦ソーラーウェイ」(出力1・5メガワット)だ。
 同市音別町の音別工業団地でも、1万7500平方メートルの敷地に4680枚のパネルを擁する「音別ソーラーウェイ」が稼働している。2カ所とも、日本アジアグループ(東京)傘下のJAG国際エナジー(同)が、施工・監理業務を手がけた
同グループは、JAG国際エナジーのほか、航空写真の有力会社・国際航業や宮崎ソーラーウェイ、おきなわ証券…など28の企業を抱え、北京など7カ所に海外拠点を置く。グループ設立当時、社長だった中国人が現在も役員に名前を連ね、国際航業の会長を兼務する。北海道での太陽光発電事業は、JAG国際エナジーが6カ所、国際航業が3カ所で展開しており、さらに増える計画だという。
 一方、釧路市愛国では韓国企業が太陽光発電事業に進出している。ホームページによると、この企業は中国とも関係が深く「中国市場でのビジネス機会がいっそう拡大していくことを期待している」としている。
                 
×   ×
 釧路市の隣にある白糠町。国道38号沿いに広がる「釧路・白糠工業団地」(308・1ヘクタール)は、釧路空港や釧路西港、釧路駅まで、車で20分圏内にある。その一角に、瀟洒(しょうしゃ)な低層の建物が数棟立っている。札幌市に本社を置く中国系貿易会社の白糠工場だ。ホームページによると、エゾシカ肉の製造販売を行っているという。敷地面積は2万5千平方メートルで、敷地内にはヘリポートもある。
 同町によると、もともとは前橋市の織物会社の絹工場だったが、撤退したため、中国系企業が約2億5千万円で買収した。
 町の担当者によると、いずれは、中国人観光客を呼びレストランなどを経営したいと話していたという。だが、事業内容を確認しようと社長に連絡をとったところ、中国語なまりの日本語で「中国の企業ではない。日本の企業で中国とは全く関係ない」と一気にまくし立てられた。
この工業団地では、業務用食品販売会社が、木質バイオマス発電施設を建設するために1万3千平方メートルの土地を購入している。販売会社は、中国に子会社を持っており、関連会社の農業生産法人は、日高山脈の麓にある平取町豊糠で全農地の半分余りの123万3754平方メートルを買収している。
 計画では今年4月に事業を開始するはずだったが、訪ねてみると、木材は山積みされているものの工事は始まっていない。
                 ×   ×
 大使の訪問後、釧路日中友好協会の北京事務所が開設されたほか、釧路では協会などの主催で「『一帯一路』構想と釧路について勉強会」(9月10日)や「釧路の重要性確認のため北京訪問」(9月24日)、「中国経済から見える釧路の未来」(10月13日)…などの行事が行われている。
 中国語教育にも熱が入っており、札幌大孔子学院が集中講座を開いたほか、白糠町では22年度から、小中学校を対象に中国人講師による中国の歴史、文化の紹介に加え、年間10回から15回、中国語教育を取り入れている。
 学校関係者によると、同町では数年前から幼稚園や小中学校の職員室を中国語表記するなど、中国語の掲示も多いという。北海道白糠高校では、毎週月曜日に1年生を対象に中国人講師による中国文化の勉強会を開いていたが、26年度からは中国語を学校設定科目に指定。28年度は、2年生は基礎中国語を、3年生は応用中国語を選択科目に指定しているという。
 中国が拠点と捉えている釧路市とその周辺地域では、水面下で中国の姿が浸透しているのを実感する。
 ◇
 長崎県・対馬の不動産が韓国資本に買収されていることが表面化して8年。新たに北海道が中国資本の“標的”となっていることで、自民党や日本維新の会はようやく、外国資本の不動産買収に対する法規制強化に向けて動き出した。だが、中国資本の勢いは衰えていない。改めて、現状を報告する。

【北海道が危ない 第4部(中)】2017.2.25
中国資本の影が忍び寄る「北海道人口1000万人戦略」のワナ “素性”不明の発電所が多数存在…跡地は誰も把握せず

 平成17年5月9日、JR札幌駅近くの札幌第1合同庁舎で、国土交通省と北海道開発局の主催で「夢未来懇談会」なる会合が開かれた。懇談会では通訳や中国語教室などを手がける北海道チャイナワーク(札幌市)の張相律社長が、「北海道人口1000万人戦略」と題して基調講演し、参加者を驚かせた。

 北海道開発局によると、張氏は、今後、世界は「資源無限から資源限界に」「自由競争社会から計画競争社会に」「国家競争から地域競争に」なると分析。北海道は世界の先進地域のモデルになる可能性が高いとし、「北海道の人口を1千万人に増やせる」と提言した。そのための戦略として
(1)農林水産業や建築業を中心に海外から安い労働力を受け入れる
(2)北海道独自の入国管理法を制定し、海外から人を呼び込む
(3)授業料の安いさまざまな大学を設立し、世界から学生を募集する-などの持論を展開した。

 なかでも入管法については、「北海道に限定し、ノービザ観光を実施し、観光客を増やす」「住宅など不動産を購入した裕福な外国人には住民資格を与える」「留学生を積極的に受け入れ、北海道に残る仕組みを作る」「研修制度を廃止し、正式な労働者として労働力を受け入れる」「北海道から日本のほかの地域に行くときは日本の入管法に適応させる」…と、北海道を限定とする具体的な制度見直しを提示した。その上で札幌中華街を建設し、国際都市の先進地域として地位を確立する、などと強調したという。

関係者によると、1千万人のうち200万人は移住者とすべきだと力説したとも言われる。

 本連載の第3部で、「一部中国メディアの間では、北海道は10年後には、中国の第32番目の省になると予想されている」という在日中国人のチャイナウオッチャーの言葉を紹介したが、張氏は昨年、筆者との電話でのやりとりの中で「32番目の省の話は大陸でも言われている」と語った。

 中国資本の動向を検証している複数の専門家の話を総合すると、北海道で中国資本に買収された森林や農地などは推定で7万ヘクタール。山手線の内側の11倍以上の広さにのぼり、うち2、3割は何らかの意図があるという。専門家らは「残りの7、8割の中国人や中国資本の動向にも当然、影響を与える」と危惧する。

 水、電力(太陽光発電、バイオマス発電)、港湾、流通基地…などのライフラインは、中国へ資源を輸出するためだけではなく、道内で中国人集落が自給自足するためにも欠かすことはできない。人口1千万人構想、1万人規模の別荘構想、並行するように展開される不動産買収、そして、駐日大使や1等書記官の来訪。先のチャイナウオッチャーは「中国は北海道を20年前から、沖縄は25年前から狙っていた」という。

 人気コミック「ゴルゴ13シリーズNo.194」に気になる題材が取り上げられている。

 2011年、金融危機にあえぐアイスランドに、中国の投資会社から、全国土の0・3%にあたる3万ヘクタールを買収して、世界最大の人工リゾートゾーンを造るという計画が持ち込まれる。だが、計画は方便だったという設定だ。

(1)土地買収を継続して実効支配し、中国の欧州の拠点にする
(2)中国との間の北極海シーレーンを確保して買収地の一角に中国の貿易拠点を建設する
(3)買収した土地に40万人を移住させ、人民元を流通させ、五星紅旗を掲げ、計画的に中華州を造る
(4)国籍を取得させ、選挙権や被選挙権を取らせる。そして立候補して議席を獲得、議会を押さえる。

 物語では、政府が土地の売買を認めず中国資本は退散したが、投資計画が持ち込まれたのは実際の話だった。報道などによると、現地では当時、政治的、軍事的な分野からさまざまな臆測を呼んだという。

 情報関係者や中国資本の動向を知る道民らは「今、北海道で起きていることに似ている。物語では法律を盾に拒否できたが、北海道の場合は法律がなく、そうはいかない」と、アイスランドケースと重ねあわせた。

 もう少し、中国資本の動向を追うことにする。

 広い北海道で車を走らせると、太陽光発電所の多さに驚く。

 太陽光発電協会(東京)によると、北海道の太陽光発電所の数は、昨年7月現在で、約3万件余り。うち住宅用以外の発電所は約4500件だが、日本の場合、発電所を設置する企業は国籍を問わないため、“素性”は不明だという。経済産業省新エネルギー課でも、国別の統計はないという。

 道内の太陽光発電所の設置企業を個別に調べると、中国資本が関係しているのでは、とみられる太陽光発電所は50件前後。その中の1社は、東京千代田区内に本社を置き、全国規模で太陽光発電ビジネスを展開している。平成21年設立で、代表をはじめ役員は中国人が占める。この企業は25年から28年までに北海道に23件の太陽光発電所を建設、今年2月にも新たに1件稼働させている。

地元紙によると、登別市上登別町のテーマパーク「登別中国庭園・天華園」跡地には、中国系企業が来年6月の稼働を目指し、メガソーラーの建設を計画。関連企業がすでに敷地と周辺林地約70ヘクタールを取得したという。
 ×   ×
 北海道電力によると、発電所用の土地が、どれぐらい買収されているかは、チェック機関がなく不明だという。稼働実態について、同社の担当者は「個別案件については公にできない」としながらも、「事業計画通りに進まないため、需給契約を取り消すケースは多々ある」と話す。1千キロワット以下の発電所については売電しているかどうか分からないという。

 太陽光発電施設の寿命は、平均約20年ともいわれる。20年後、太陽光パネルは廃棄物として処理されるが、跡地はどうなるのか?

 経産省新エネルギー課によると、土地の後利用は企業側が決めるが、「個別の問題なので把握していない」という。

 太陽光発電協会も、実態は分からないが、広大な森林地帯を買い取って伐採したものの発電所を設置していないケースもあるだろうという。こうした土地は何に使われるのか。

 結局、太陽光発電の実態は曖昧な点が多い。

 農地や牧場にも中国資本の影が忍び寄っている。日高山脈の山間に開ける平取町・豊糠地区では、中国と関係が深いとされる業務用食品販売会社の子会社の農業生産法人が、全農地の半分余りの123万3754平方メートルを買収した。この法人は、道内で東京ドーム336個分の土地を取得したという。だが、豊糠地区の農地は今も、非耕作状態が続き、ホームページでは他の農場の実態は分からない。

この業務用食品販売会社も4カ所で太陽光発電所を設置しているが、関係者によると、湧別町でも買収しようとしたが、計画は止まったままだという。小野寺秀前道議は「太陽光発電所も農地も分からないことが多すぎる」と話す。
                 ×   ×
 かつて炭鉱の町として知られた夕張市は2月8日、ホテルやスキー場など観光4施設を不動産会社、元大リアルエステート(東京)に2億2千万円で売却する契約を締結。4月1日、現地法人「元大夕張リゾート」に引き渡すという。同社は22年に設立。代表は中国人で、長野県や道内でリゾート開発の経験があるとされる。

 中国系企業への売却について、同市の担当者は、「日本の会社として認識している」と説明。同社は2~3年で100億円を投資し、中国などからの集客で「第二のニセコのようなリゾートを造る」という。

 中国資本がニセコやトマムリゾートなど観光地に進出していることは知られているが、洞爺湖温泉でも、昨年12月、中国企業が経営するホテルがオープン、さらに、日本企業の保養地を買収した中国企業がホテル経営に乗り出すという。

 北海道での中国資本の活動は、規模が大きく盛んになってきている。

 在日中国人のチャイナウオッチャーは、「中国は移民のために、これからもどんどん土地を買っていく」と述べ、「集落を造り、病院や軍隊用の事務所も設置する可能性は高い。太陽光発電はその集落で使え、水源地や農地では、農産物を作れる。北海道の場合、中国人はドンドン増えるから、農産物や水が占領される可能性が高い」と忠告する。

【北海道が危ない 第4部(下)】2017.2.26
日本の領土を国交省が“斡旋”…外国人向けにマニュアル作成 中国資本の不動産買収に“お墨付き”

 国土交通省が、日本国内で外国人が不動産を購入したりアパートを借りたりするなど、不動産取引(売買、管理、賃貸)をする場合、手続きを円滑化する実務マニュアルを作成している。今年度内の実用化を目指しているという。

 訪日外国人や外国人留学生の増加で、外国人による国内不動産の取引が増加していることを受け、さらに取引が順調に行われるようにと、マニュアルを作成して不動産インバウンドへの対応を底上げするのが狙いらしい。

 マニュアルには、不動産取引の手続きや税制などでの日本と海外の違いの解説や本人確認の手法、物件の引き渡し方法、不動産管理-など外国人向けに不動産取引のポイントが盛り込まれている。また、不動産取引の手順や、外国人に説明する際に使える2カ国語のフローチャート、多言語パンフレットへのリンク集、不動産用語の英訳リスト一覧なども備えるという。

 これまで、北海道の森林やゴルフ場、観光施設、土地などが、中国資本に大がかりに買収されている現実を紹介、わが国が今、“経済侵攻”する中国資本と対峙(たいじ)していることを報告してきた。国会でも、ようやく、外国資本の不動産買収に規制を設けようという議論が起きている。

 そういう流れに逆行するように「どんどん買ってください」と言わんばかりにマニュアルを作成して、日本の“領土”である不動産を外国資本に斡旋(あっせん)するような国交省の姿勢には唖然(あぜん)とする。

国交省はマニュアル作成について、「現在、個人レベルの取引が増え、トラブルが起きているため、ルールを作ろうというのが狙い」と説明。「安全保障面での不動産売却は検討すべきで、情報の共有はしている。取引を促進しているものではない。まず立法が本筋だが、(売買が)許されている取引が円滑に進むようにするためで、国防とは別の次元の話」という。

 だが、マニュアルには、日本が国際人権B規約や人種差別撤廃条約に批准・加入していることや、憲法のいう法の下の平等の趣旨は特段の事由がない限り外国人にも類推適用されるという最高裁判決をあげ、外国人であることを理由に取引や賃貸を拒絶することは、「人権に基づく区別や制約となることから人種差別となる」と明示している。条約や憲法は不動産取引という民間の権利関係を直接決めるものではないとしながらも、「外国人を理由に取引や賃貸を拒絶すると、不動産の所有者等が、損害賠償請求を提起される可能性がある」と“脅し”まがいの文言が躍っている。

 マニュアルでは、外国人であることを理由に賃貸借契約を拒否され、損害賠償が認められたケースを数例あげているが、すべて賃貸借の場合だ。外国人による不動産売買について明確な法規制が整備されていないわが国にあって、国交省が外国資本に不動産売買を斡旋するようなマニュアルを作成することに、国を売ることにつながりかねないとの批判も出ている。

諸外国では、外国資本の不動産売却の法規制はどうなっているのか?

 元東京財団上席研究員の平野秀樹氏によると、中国▽ベトナム▽タイ▽インドネシア▽フィリピン▽イスラエル▽イラン▽ナイジェリアは外国人の土地所有は基本的には「不可」だという。インド▽韓国▽シンガポール▽マレーシア▽バングラデシュ▽パキスタン▽サウジアラビア▽トルコ▽ケニア▽コートジボワールは審査・許可・地区限定などの規制付きで可能としているという。国境・海岸部や離島に外国人規制を設けている国もある。
  ×   ×
 米国の場合、包括通商法のなかに「エクソン・フロリオ修正条項」が盛り込まれている。これは、政権内に航空、通信、海運、発電、銀行、保険、地下資源、国防、不動産など、安全保障上懸念のある国内資本の買収案件を審査する外国投資委員会(CFIUS)を置き、大統領に対して、米国の安全保障をそこなう恐れのある取引を停止、または禁止する権限を与えている。

 また、平野氏によると、州法で各州が独自に外国資本の不動産買収を規制しているほか、連邦法の「農業外国投資開示法」は、外国人の土地の取得、移転の際は、90日以内に連邦政府に届けることを義務づけ、怠ったり、虚偽の届けをしたりすると、市場価格の最大25%の罰金を科すと定めている。そのため農務省は、全国から土地情報を収集し、買収した国別の所有面積、増減傾向、地図、州ごとの地目別所有面積などを公表しているという。

韓国にも「外国人土地法」があり、外国人や外国資本が文化財保護区域や生態系保護区域、軍事施設保護区域などを取得する際には、事前の許可が必要であると定めている。

 一方、日本は外国人土地法の第1条で「その外国人・外国法人が属する国が制限している内容と同様の制限を政令によってかけることができる」と定められている。さらに4条では「国防上必要な地区においては、政令によって外国人・外国法人の土地に関する権利の取得を禁止、または条件もしくは制限を付けることができる」としているが、これまで規制する政令が制定されたことはない。

 韓国資本が長崎県・対馬の土地買収などを展開した際、法的効力の有効性が確認されたにすぎず、その後、具体的な検討は行われていない。

 わが国と比べて、諸外国は共通して不動産が買いあさられることの危険性を認識していることが分かる。外国資本による不動産買収に法の網をかぶせている諸外国と比べ、全く法規制をしいていないわが国では、国籍を問わず、だれでも、自由に土地を購入できる。そんな法体制でのマニュアル。「どんどん日本を買ってください」ということにつながるのは目に見えている。
 北海道での外国資本による不動産買収を監視している小野寺秀前北海道議は、「今、世界は難民政策や外国人の受け入れと向き合っている。そういう時期に、外国資本を受け入れるマニュアルを作る意味が分からない。こうしたマニュアルができると、不動産買収にもっと拍車がかかる。外国資本への対応は、法整備の後になされるべきものなのに危険だ。整合性がとれなくなる」と国土交通省の意図を訝(いぶか)る。

 在日のチャイナウオッチャーは「中国は、領土拡大のために数百年かけて静かな侵略を行ってきた。中国人は一度住み着くと、排他的なチャイナタウンをつくる。気がつくと、山も水も電力も中国のものになっているかもしれない」と警告する。

 国家の安全保障は、軍事面だけでなく、食糧面、エネルギー面、流通面、医療面、金融面、対自然災害…と多岐にわたる。中国はその全ての面で日本に攻勢をかけている-ともいえるが、国交省のマニュアルはそうした戦略にお墨付きを与えることになりはしないか。
 (産経新聞 異聞 北の大地 編集委員 宮本雅史)

『炭鉱の真実と栄光-朝鮮人強制連行の虚構』の推薦

 諺に「一犬虚に吠えて万犬実を伝う」とある。一匹の犬がものの影におびえて吠えると他の多くの犬も吠え出す。転じて一人が嘘をつくと、多くの人はそれをよく確かめもしないで事実として語り継いでいくとの謂である。今日歴史教科書にも登場する「朝鮮人強制連行」はその一つである。

 そもそも戦前に「強制連行」という言葉はない。この言葉の初出は昭和40年に出版された朴慶植著の『朝鮮人強制連行の記録』と言われている。平成15年川口外務大臣(当時)は、国会で山谷えり子議員の「強制連行はあったのですか」との質問に対し、「そのような事実はございません。国民徴用令が一時期朝鮮半島に適用されたことがありましたが、それは合法的なものでした。そして大部分が、自由渡航、自由契約でした」と答弁している。即ち、日本政府も強制連行については否定しているのである。

 我が国は昭和13年に国家総動員法が成立し、翌14年に「朝鮮人内地移送計画」が策定された。以後終戦までの約6年間、同計画に基づき、多数の朝鮮人労働者が日本に集団的に渡航した。これを労務動員という。労務動員は形態により自由募集(14年7月~)、斡旋(17年2月~)、徴用(19年9月~20年5月)の三期に分けられるが、いずれも合法的に進められた。国会で議決し国家の法に基づき実施される行為が、どうして今日強制連行のイメージで流布されている人権蹂躙や恐喝、人攫いのような悪逆非道な手段で行なわれるはずがあろうか。もしそれが実行されたならば、連行された被害者の親や家族、地域の住民が黙っているはずはない。逆に朝鮮独立の好機として、民族の誇りと威信をかけて朝鮮人が各地で蜂起し、我が国の朝鮮統治を根底から覆す大事件に発展しているはずである。しかしそのような痕跡は存在しない。

 昭和14年7月から終戦までの約6年間に労務動員で我が国に渡航した者は、66万7千人と記録されている。これだけでも相当な渡航者数である。しかし自由渡航者と言われる人々はそれよりも遥かに多い。労務動員が敷かれる(昭和14年)前に我が国に自分の意思で渡航した者は約80万人、労務動員が敷かれた後も120万人余りの朝鮮人が自由に渡航している。これだけの人々が我が国に渡ってきた背景には、当時朝鮮から見て日本は如何に魅力的であったか、また生活の糧を得る場があったかを証明するものである。もし我が国に辿り着いて、朝鮮人の虐待や迫害、虐殺、強制労働、極端な差別、不当な使役などが行なわれていれば、とても200万人以上の人々が自分の意思で渡航してくることはあり得ない。

 本書(A5版 108頁)は、元炭鉱マンであった著者(佐谷正幸氏)が自らの経験と関係資料を広く渉猟して記したものである。当時、その噂すら耳にしなかった朝鮮人の強制連行、強制労働、虐待、虐殺の話が今日まことしやかに流布され、また戦後の我が国の復興を支えた花形産業であった炭鉱のイメージが「暗い、汚い、危険、きつい」等の最低の産業に貶められたことに、著者を含め当時の炭鉱マンの人々の悲憤が伝わってくる。  

 本書を手にして戴ければ、炭鉱における朝鮮人強制連行の話が如何に歪曲され、捏造されているかが判明する。このような虚構が実話として喧伝され続けることは日韓にとって不幸なことであり、両国の将来に多大な悪影響を及ぼすことは必至である。既にその兆候は顕われ始めている。今は一日も早く真実が多くの人々に解されることを期待したい。
 ご参考までに、本書の「はじめに」と「目次」を掲載する。ご高覧願えれば幸いである。


≪はじめに≫ 
 朝鮮人強制連行については、昭和40年に朝鮮総連の朴慶植氏が著書に書いたことを端を発し、これが次第に蔓延して中学の歴史教科書にまで引用、掲載され、更にこれが虚構であることが判明した後も、平成16年1月の全国大学入試センター試験の世界史で、「日本への強制連行があった」を正解とする問題が出題され、受験生の一人が採点の除外を求める仮処分の命令を申し立て、国会議員団が文部科学省にその不見識を糾弾する事件が起きた。
 一方今、旧産炭地の筑豊地方では、巷の本屋や地方自治体の図書館には、強制連行論作家やその共鳴者による朝鮮人強制連行に関する書籍が溢れ、講演会や記念碑見学会も行われ、新聞やテレビは、これらや強制連行犠牲者追悼のニュースを流し続けている。特に平成12年12月に、在日韓国人のぺ・レソン氏等が飯塚市に納骨式追悼堂「無窮花堂」を建立して以来、新聞は事ある毎に朝鮮人強制連行犠牲者追悼の記事を書きたて、テレビも放映するようになった。又、たまたまこれとほぼ同じ時期の平成12年1月、強制連行論者の武富登巳男、林えいだい両氏の共編で海鳥社より『異郷の炭鉱-三井山野炭鉱強制労働の記録』という極めてセンセーショナルな表題の本が刊行された。
 しかし、戦前は朝鮮人も日本国民であり、自国民に対し、強制連行のような野蛮な行為が果たして行われたであろうか。体制として朝鮮人強制連行がなかったことは、日本政策研究センターの『強制連行はあったのか-朝鮮人・中国人「強制連行」論の虚構』や在日2世から帰化した東京都立大教授・鄭大均著『在日・強制連行の神話』にまとめられており、明らかであり、又元朝鮮総督府警察部長・坪井幸男氏と同地方課長・太子堂経慰氏の対談(正論2003年3月号)でも明らかにされている。更に国の立場としては、平成15年9月、国連における北朝鮮の「800万人強制連行」非難に関し、後に詳述するが川口外務大臣は国会答弁で「強制連行はなかった」と明言している。
 このように、既に体制として強制連行はなく、内地と同じく合法的な戦時労務動員であった事は明白であり、送り出す側の元朝鮮総督府職員も強制連行がなかったことを証言しているが、今度は労務動員を受け入れた筑豊の現場において、果たして強制連行に相当するような受け入れ方をしたのか、強制連行論者がいうような朝鮮人のみを差別する苛酷な強制労働があったのか否か、筑豊で究明し、発信していかなければならない。これは筑豊人に課せられた義務である。
 そこで、先ず内地への労務動員の実態の概要を前記文献『強制連行はあったのか』、『在日・強制連行の神話』、『正論』を中心に整理し、次に筑豊の現場における資料や証言により、朝鮮人の就労状況を究明して行く。
 これまでは、炭鉱に何の寄与もせず、責任も持たない言わば余所者の作家や元教師が朝鮮人強制連行を喧伝し、筑豊と炭鉱を非難してきたが、本稿では戦時中炭鉱で働いた炭鉱マンの証言や炭鉱の資料に基づいて朝鮮人強制連行の虚構を解き明かすものである。特に前述『異郷の炭鉱』については、元三井山野炭鉱マン達の反論の遺稿が見つかったので、これを現場からの証言に加えた。
 この「強制連行」と共に筑豊のイメージを暗くしているのが「炭鉱犠牲者」という言葉であり、あたかも炭鉱が人をあやめる場であるかのように聞こえる。本書はこの2つに光を当て、炭鉱の真実を明らかにせんとするものである。≫

≪目次≫  
 Ⅰ、戦前、戦中の朝鮮人の内地渡航、就労状況
 Ⅱ、朝鮮人強制連行とは
 Ⅲ、就労先における朝鮮人強制連行の虚構究明
 Ⅳ、飯塚市庄司の納骨堂「無窮花堂」建立の経緯と問題点
 Ⅴ、労務動員者遺骨の処理
 Ⅵ、強制連行論の害毒
 Ⅶ、郷土筑豊のイメージアップのために 


ご希望の方は日本会議福岡までご注文下さい。1冊800円(送料実費)です。  (敏)

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