中隊長としての戦場体験と教訓⑧

支那事変間中隊長として百数十回の戦闘を体験、そこから得た「戦場心理」「戦場における指揮統率の秘訣」を学ぶ最適な書
            高杉善治(陸士37期)支那駐屯軍中隊長、歩兵22連隊大隊長等
■戦場における指揮官の責任観念

 戦闘が開始されると、各級指揮官は如何にしてこの戦闘を有利に進展させ、勝利に導こうかということで頭が一杯であろう。特に直接戦闘にたずさわる中隊長以下の指揮官は、死傷者を身近かに見ながら指揮をするので、自分の指揮の巧拙が直ちに結果として現われ、時によっては全軍勝利の基を開くことになり、また時によっては取り返しのつかぬ悲惨な結果を招くことになるのでその責任は極めて重大であり、できるだけ損害を少なくして勝つのが戦闘指揮の上手なやり方である。

 しかし、状況によっては、全軍の犠牲となり、損害をかえりみず無理な戦闘をせねばならぬこともあるが、その場合でも戦闘の指揮をうまくやれば、最少限の損害で目的を達成することができるのである。中隊長以下の指揮官は、戦闘の勝敗の鍵を握る直接の責任者であると同時に、数百名の貴い部下の生命を預る責任者であることを心に銘じ、上手な指揮をすることに全力を注がねばならない。実際私共も、いざ戦闘が始まるということになると、最初の展開(部署)を命じ、攻撃前進を開始するまでは随分心配するが、一度展開が終り、攻撃前進が始まると一安心するものである。
 
 そして戦闘間は、死生の問題などは忘れて、どうしたら速くこの戦闘を勝利に導けるか、どうしたら損害を最も少なくできるか、そのためにはどんな処置をしたらよいか、ということで頭が一杯である。そのために、ついわが身の危険を忘れ、無謀な行動をして死傷することも多々あることである。指揮官は自己の責任の重大なることを考え、軽挙盲動してはならないのと同時に、必要な場合には危険を冒かしても勇敢な行動をぜねばならぬこともある。常に慎重な行動ばかりしていると、憶病に見えて部下に馬鹿にされるおそれがある。

 戦場では勇敢にして、戦闘指揮の上手な指揮官は部下に信頼され、憶病でへまな戦闘指揮をやり、いつも損害が多く、不利な戦闘ばかりしている指揮官は、全く部下から信頼されなくなるものである。

 某大隊長が、太原の突撃の際、途中で敵の射撃を受けたため付近にあった便所の中に入って一時避難し、第一線の突撃が終ってからやって来たことがあったが、すぐに兵隊たちの噂となり、憶病者のそしりを受けた。この大隊長は、いつも鉄かぶとをかぶっていた。戦闘間は無論であるが、行軍間でも馬上でかぶっている。部下の将兵は誰一人かぶっていないのに自分一人だけかぶっている。理由は、戦場ではいつ、どこから敵の不意な射撃をうけるかわからないからだそうだ。しかし鉄かぶとというものは相当重く、誰でもなるべくかぶりたくないもので、なれてくると少々の戦闘ではかぶらない者もいる位である。大隊士気の中心である大隊長が、馬上豊かに鉄かぶとをかぶっているのではちょっとおかしな話で、兵隊達は、「大隊長が転任のときには、記念品として鉄かぶとを贈呈しようか」などと冷かし気分で話し合っていた。

 私は兵の心得として次のように指導していた。一旦戦闘が始まったら、各人は全知全能をつくして自己の任務達成に努力しなければならないが、犬死してはならない。死なずに目的を達成できるのが一番よいのである。そうすれば永く御奉公ができ、自他共に幸いを受けるのである。不注意や空元気のために戦死したり、負傷したりすれば自分の損ばかりでなく、中隊の戦力を低下することになり、戦いに戦ける原因となる。戦闘は一回だけではない。生き残っていつまでもお国のために戦わねばならないのであるから、細心の注意をもって臨まなければならない。と教えた。

 特別な場合を除き、戦闘では損害を最少限にして勝利を得るように指揮をすることか大切である。戦場では指揮官の功名心や、他部隊との競争心から無理な戦闘をすることが多々ある。中隊長以下の指揮官は、直接部下と苦楽を共にし死生を同じくしているので、そんなことは割合少ないが、連隊長以上の上級指揮官になると、直接戦闘の悲惨さを目撃する機会が少ないので、落ちついて冷静な作戦指導ができる反面、功名心とか、競争意識が働らくことがあり得ると思われる。

 武漢戦のとき、どの部隊が武漢三鎮に一番乗りをするかというので、ある部隊は健脚先遣隊を出し、またある部隊は落伍者続出を覚悟して昼夜兼行の強行軍をした。某連隊の如きは、軍旗を翻えしながら士気を鼓舞していたのもあった。こういうことは一面必要なことで、どうせやるからには立派な手柄をたてたいと願うのは人情であり、士気の上でも大いに効果がある。余り慎重過き、いつも他部隊のあとから進み、却って損害を多く出し手柄もたてられぬというのでは士気も阻喪し、指揮官への信頼もなくなってしまうから、同じ苦労をするなら、或果のあがるような戦闘指導をした方がよいと思う。ただそれが程度を越し、無益な損害を出すようなことは慎しまねばならぬと思う。

 英国のモントゴメリー元帥の回顧録を見ると、彼は損害を極力少くして目的を達成することを主義とし実行して、いる。第二次世界大戦のノルマンジー作戦の際、米軍と並んでドイッに反攻作戦をした際、米軍の進撃は非常に迅速であったが損害も多かった。英軍の進撃は慎重で遅かったが損害は少なかった。それで進撃が遅いといってアイゼンハワー総司令官からしばしば督捉を受けていたが、彼は彼自身の信念に基づいて行動し、損害を少なくして目的を達成することにつとめたといっている。アルジェリアの作戦においてもまた然りであった。

 これは、国民性から来る考え方の相違であるかも知れないが、旧日本軍は、どちらかというと人命尊重ということをやや軽視した感があったように思われる。あるいはそのため強かったのかも知れないが、将来の戦争の場合には大いに学ぶべきことであると思われる。私の中隊は初陣の広安門出動のとき、中隊長以下六十八名であったが、直接指揮をした戦闘は百数十回におよんだ。その中戦死者は兵三名、負傷者は将校一名、兵四名の極めて少数で連隊中で一番損害が少なかった。私が中隊を去ってから聞くところによると他に将校二名、准士官一名、兵十名が死傷し、六十八名中の無傷は四十七名であったらしい。

 私は前述のように、必要なときには思い切って大胆勇敢に行動させたが、必要時以外は、人命尊重ということを念頭に置いいて細心の注意をもって指揮した。しかしそれがため他部隊に迷惑をかけたり、卑怯な振舞をしたことはない積りである。

立派に目的を達成して来た。のみならず太原攻略のときには一番乗りの光栄を担うことさえでき、部下の士気は常に上がっていた。私の経験から考えて見ても、人命尊重に力を入れても戦力が鈍ることもなく、寧ろ常に充分な戦力を保つことができ、立派な戦果をあげることができると確信するものである。

 あれだけ多くの戦闘をしながら、これ程少ない損害で済んだのは天佑神助があり、運がよかったのだと思うが、また一面、中隊幹部の適切な指揮と、一兵に至るまで私の主義が徹底していて、皆がよくそれを守ってくれれたお蔭であると思い感謝に耐えないのであり、一同と共に喜んだ次第であった。
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