中隊長としての戦場体験と教訓①

支那事変間中隊長として百数十回の戦闘を体験、そこから得た「戦場心理」「戦場における指揮統率の秘訣」を学ぶ最適な書
           高杉善治(陸士37期)支那駐屯軍中隊長、歩兵22連隊大隊長等
死 生 観 
 人間は、誰でもできるだけ長く生きたいと願うのが本能であり人情である。戦争に従事する者でも、死にたくないと願い祈る心は同じである。「戦する身はかねてから、捨てる覚悟でいるものを、何で命が惜しかろう。ないてくれるな草の虫」という歌が戦争中流行したが、それは虚構であり、あきらめであって、人間本来の心ではなく、生きたい、死にたくないという気持が本心である。ただ当時の気持では、天皇陛下のためと、国家のために国防の大任を引き受けた軍人が、その責任と名誉のために決意した覚悟を表わしたものである。若き特攻隊員が、淡々として死を見ること帰するが如き心境で、死地に赴き得たのも、皆この決意から来たものであろう。
 現在は当時とは時代も変り、思想も異なって来たので今の若い人達には当時の我々の気持は理解できないかも知れないが、当時の軍人には確かにそういう信念があった。

 戦争では、いくら死にたくないと思っても、敵の弾丸雨飛の中を進まなければならない。従って、いつその弾がわが身に当たらないとは限らない。今まで隣にいた戦友がバタバタとたおれるのを見ると、自分の生命というものはほんの一寸先も保障ができない状態にあるのである。この時に臨んで、死生の問題をどう考えたらよいかという問題が起こる。なるほど戦争に参加する前に一応は戦死するかも知れない、死んでも仕方がない、と覚悟はきめて出発はしているが、いざ戦闘となり、射ち合いが始まって見ると、もう一度あらためて覚悟を決め直さなければならない気持になるものである。このときの覚悟が本当の覚悟である。この覚悟は、人によって拠りどころが違うと思う。全般的にいえば、「お国のため」だというあきらめに近い心であるが、ただ無意味に犬死はしたくない、という気持、何か尊く崇高な目的のために結びつけた犠牲心というものがないと、あきらめ切れず未練が残る。また指揮官という立場となると、多勢の部下を持っており、その尊い生命を預かっているので、その責任観念が起こり、自分一個人の問題に恋々としてとらわれていると、作戦指揮を誤り、任務を達成することができないばかりでなく、尊い部下の生命を無駄に失うことになるので、死を超越して指揮に専念せねばならぬという覚悟がおのづからできてくるものである。この覚悟がきまったときの心境は、実に清らかな気持がする。人間一切の欲望がなくなり、金もいらず、物もいらず、光風清月の思いである。この心境が仏教でいういわゆる「悟」を開いた心境ではないかと思う。しかし、凡人のなさけなさで、ひとたび戦闘が済むと、また直ぐもとの俗心にかえってしまうのが常である。いずれにしても、戦闘の始まった瞬間に、この覚悟を決めなければならない。ところが、この覚悟の決らない者がある。それは結局「悟」の開けない者で、兵の中にも幹部の中にもあるものである。                    

 私が参加した山西セッ口鎮の戦闘の際、某中隊の小隊長は、攻撃前進の命令が下って、敵味方の射ち合いが始まり、身辺に敵の銃砲弾が盛んに落下し、死傷者も続出してくると、顔面蒼白となり、ぶるぶる、がたがたふるい出して、射撃号令も出なくなり、岩かげにかくれて前進もせず、涙をぼろぼろこぼしていた。これを見た中隊長は、平素温厚でよく部下を可愛がる人であったが、決然立ち上がって、小隊長の襟がみをつかみ、畑の中に引きづり出し、どんどん敵の銃砲弾の飛んで来る中に二人共突っ立って「それでも貴様は将校か」とどなりなぐりつけていた。するとその小隊長はにわかに顔面にさっと血の気をとり戻したかと思うと、自分の卑劣な行為をわび勇猛奮起して飛び出し、落ち着いて射撃の指揮をしはじめた。小隊長は応召前は女学校の先生で、性質も女性的で、幹部候補生出身の少尉で、召集されて来たものであった。家庭にもいろいろな事情があったらしく、個人的には同情すべき点があったか、いやしくも小隊長として数十名の部下を持ち、その尊い人命を預かる職責にある者としては許さるべき行為ではないと思う。また、この際中隊長の採った処置も私的制裁に似ているが公憤であり、この場合そうするより他に方法がなかったのではなかろうかと思う。この中隊長は後に戦死をされたが、沈着勇猛しかも情味豊かな立派な人であった。

 戦場で死生に迷って覚悟の定まらぬ者は、心の練れていないインテリに割合多いように思われた。私の見た範囲では兵隊の中には見受けられなかった。それは、絶対服従の軍紀にしばられており、また戦闘のさ中、そんなことを考える余裕もなく、戦友と行動を共にせねばならぬ立場にあったので、卑劣な行為もできなかったばかりでなく、あまり死生の問題を深刻に考えず、割合あっさりと覚悟ができるせいでもあったと思う。思考力があり、ある程度行動の自由を許されている幹部の心すべきことである。

 生れて初めて戦闘に参加し、最初に敵弾の音を身近に聞いたときは、大抵の折は兵といわず、将校といわず、一時は顔面蒼白となる。私はそういう場面をたびたび見た。これもやはり敏感なイソテリに多い。某部隊長は頭よい人で、勇気もあり立派な部隊長であったが、今迄一度も実戦に参加したことがなく、中央部から初めて前線に出て来られた人だったが、前進中数発の機重射撃を受け、敵弾は頭上高くパンパンという音をたてて通った。パン音は相当大きな音がするので初めての者はびっくりするのが普通だが、この部隊長も例外なく咄嗟に首を縮めて土に伏して危険を避ける姿勢をとられた。見ると類面蒼白で緊張した様子がありありと表われていた。

 これは誰もが一度は経験することで、特に臆病だからというわけではないのであるが、戦争に慣れて弾の音によって危険の大小を識別できるようになった者から見るとまことに滑稽に見えるのである。近くにいた老練な兵隊たちは、この新任隊長の様子を見てクスクス笑っていた。これは平時において実弾の洗礼を受けさせる訓練をして置かないからで、平時の散開射撃の時に危険のないようにして実弾の音によってその遠近、高低を聞きおける訓練をして置くことが必要であると思う。

 私は支那事変前十数年軍隊にいたが、その間戦闘射撃のとき、実弾の下で実際にトン、パン、シュンの音を聞き別ける経験をしたのはただの1回しかなかった。それでも1回の経験があったので随分役に立った。また一方において特に幹部はこのような場合に泰然自若としておれる修養も必要であると思う。
 戦闘に慣れてくると、敵の弾もそれほどこわくなくなり、兵隊達も立ったままで、敵味方の射ち合いを見物しながら面白がっていたりするようになるものだが、これは勝ち戦さの場合であり、大会戦の前夜だとか、苦戦が予想される戦闘では、毎回相当深刻に死生のことを考えるのが人情である。今度こそはやられるかなという気持になるのである。こんな場合、私は部下の兵隊全員にハガキを数枚もたせて置き、今度は危険だなと思われる戦闘の前夜に、全部の者にハガキに遺言をかかせて集め、封印をして預かることにした。私も従軍手帖に何かそれらしい最後の言葉を書き残すことにしていた。そうすることによって、肩の重荷がおりたような気がして、心がはればれとし、いつ死んでもいいという覚悟が新たに決まるのである。

 戦争に出るときには、親戚、知人その他から沢山のお守り札や千人針等を大抵の者がもらって腹や腰に下げていた。苦しいときの神頼みで、こういうものを身につけていると、なんとなく弾があたらないような気がする。
理論的には通俗的であり、実際の効果は、あるか否かわからないか、お守りを持ち、千人針を身につけていると、自分の体は、神様が守っていてくれるから弾にあたらないのだという安心感を持つようになることは確かである。この安心感があるので心に余裕ができ、落ち着いて平常心をもって事に当たることができ、敵の弾筋の判断、地形、地物の利用も適切となり、指揮官は落ち着いて指揮かできることになり、結果的には身を守ってくれることになるものである。これは私の先輩の中隊長のことであるが、山西に出動前有志で夜会食をした。そのとき彼は大分メートルが上がって、満洲事変以来、いつも肌身離さず腰に下げていた沢山のお守りを全部焼き捨ててしまった。そんなことをすると罰が当たって戦死をするぞと皆から冷かされたが、数日後、山西のセッ口鎮で戦死をしてしまった。

 縁起をかつぐわけではないが、こんなことはしない方がよいと思う。私は郷里の氏神様と成田山のお守りを持っていた。事変か始まってから、天津の知人から金属製の観音様の像(メダル式にさげるようにできていた)をもらったので、それを刀帯の前部の環にぶらさげていた。それから母のかたみのシャリコウベの数珠を常に軍服のポケットに入れていた。もう一つは義父のかたみの軍刀(虎撤)を持っていた。

 これをもっていることによって、氏神様と父と母とがまもってくれているから大丈夫だという安心感を持っていた。中支の武漢戦のとき、前進中敵弾が私の腹部に命中した。相当のショックを受けてその場にしゃがんで、てっきりやられたと思って腹を押えていた。やがて手をとって見ると血が出ていない、不思議に思ってよく見ると、刀帯の前部にさげていた観音像がぶち切れて、どこかに吹き飛んでなくなっていた。恐らく敵弾がこの観音像に命中してそれたのだと思う。この観音像のお蔭で私は命拾いをしたわけだ。これは迷信であり、奇蹟であり、偶然であったのであろうが、戦場でこんなことがあると、神仏の加護だったとしみじみ有り難く感ずるのである。

 いざ戦闘が始まるというときには、時間の余裕があったならば大便をして置くことは心が落ちついてよいものである。私は自らもこれを実行し、部下にもこれを励行させた。これは一見妙なことのように思われるが、用便することによって心が落ち着くのと同時に、万一腹部に敵弾があたった場合に助かる公算があるという実効ももっているからである。何か大事に臨むときには、一つたして見たらよい。
 要は平素心の修養ができていて、戦場でも平常心を失なわないようになっておれば、こんな迷信じみた事に頼る必要もないのであるか、凡人の悲しさ、いざとなると、こんな事にも頼りたくなるものである。

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