この死からの脱出-私の引揚体験記 その5

八人の赤ちゃんをとりあげて 末吉トク (当時・満州。図們で産婆を開業)

 私は朝鮮の平壌で十五年間、その後、終戦まで満州図們で、産婆を開業しておりました。終戦の年の五月に十九歳で次男が、七月には長男が現地召集され、八月には娘が結核に加うる栄養失調で亡くなり、戦後は雇用人も散ってしまって、にわかに一人になりました。二人の息子は戦後まで続いたソ連との戦闘で戦死していたのですが、引揚げ時には知らずにおりました。

 終戦の前日だったと思います。満鉄に勤めていた長男の友人が避難するようにと知らせてくれましたが、お産があって満鉄関係者とは別になり、三日ほどあとに町内の方たちといっしょに、朝陽川という処に集まりました。

 ここでIヵ月ほどいるうち、老黒山で降伏した日本兵が百人ばかり武装解除され、白旗を持ってソ連兵に銃を突きつけられながら来るのを見ました。生まれてはじめて見る白旗は何ともいえず、なさけなかったことは今も忘れ得ません。

 ふと、老黒山といえば長男がいたはずと夢中でさがしましたが、七月に入隊したばかりの新兵は捕虜となってソ連に連れて行かれたとのことでした。一ヵ月ぶりに家にもどると、まるで空家同然、台所には空びんやら割れた皿などが散乱していました。寝るふとんもないので、むかし使っていた中国人に頼んで敷ぶとんを一枚もらい、それで冬を迎えました。

そのふとんもどこかの日本人の家から盗んだものらしく思われました。 近所に小学校の公舎がありましたが、接収されて行き場のない先生の家族が産院をしていた私のところにまいりました。一部屋に一家族がはいり、七家族が引揚げるまで住みました。そんな冬の真夜中、突然三人のソ連兵か押し入って来て、かぶっていたシューバ(毛皮の外とう)まで剥いで行ってしまいました。寒さを防ぐために燃えるものを集め、ようやく冬を越しました。

 そして八月末、外出先から家の近くまで帰って来ると、町内の人達がすぐ引揚げだといっております。急いで診察カバンに産婆カバン、それに銘仙のもんペー枚をもって広場にかけつけました。あまりあわてたので、子供たちの写真を忘れて来たことに気付きましたが、ハ路軍が銃を向けて取り囲んでいるので、恐ろしくて戻れません。そればかりか荷物を調べられて、カバンを二つとも取り上げられてしまいました。さいわいにも、診察カバンのほうがひどく古かったせいか、その場で投げ捨てましたので、それを拾って汽車に乗り込みました。

 汽車とはいえ、無蓋の貨物車で、すでにチャムス方面から乗って来た人で混んでおりました。しかもこの一行には、夫や子供と別れ、出立の遅れた妊婦がたくさんおりました。結局佐世保に上陸するまでの五十二日間に、あちらこちらと乗り合わせた人達の中からハ人の子供が生まれましたが、妊婦とて着のみ着のままの有様でしたから、平時ではとても考えられないお産でした。私のカバンの中には僅かながら綿花、目薬、デルマトール、リソホルムなど入れておりましたのが投立ちました。

 汽車は、病人が出ると止まったり、また理由もわからぬ荒野でも止まったりしました。そんなとき配給のお米を機関車のお湯をもらって炊くのですが、お米がぶつぶつと煮え始めるころ、突然汽車が走り出したりして、ゴリゴリのご飯を噛んだこともありました。こんな中でのお産はいちばん大変でした。なにしろ狭くて、消毒液を溜めた盆の置き場にも困りました。綿花等は一片でも貴重でしたから、血を絞っては干して使いました。私の唯一の着がえのもんぺも、何枚かのT字帯に変わりました。

 ある日、病院のある町に着き、臨月近い妊婦はそこで全部降すことになりました。ところが病院側では、お産の用具を持たない妊婦につらく当たるというので、私が付いて降り、病院で場所とお湯を与
えてもらっただけで、三人の子供を取り上げました。全く人情も何もありませんでした。

 こうして、普通なら二日の道のりのところを、五十日もかかってコロ島に着き、すぐ船で佐世保に向いました。、船は八十人乗りぐらいの小さなもので、そこもすし詰めの状態でした。・コロ島を出て、すぐ産気づいた婦人がありました’。その人には看護婦をしている若い妹も一緒でしたが、その子がおんおん泣くのを、ほんとにかわいそうに思ったことでした。船長が親切な方で、手桶のようなものに水
を下さり、協力して下さいました。その後、佐世保沖でまた一人取り上げましたが、その子には船長が洋子と名付けられたのを憶えております。

 あれから三十年、私はいまも空っぽの古ぽけた診察カバンを大事にしております。これを見るたびに、八人の子供の生命を、そこに感じるのでございます。 私はことし八十六歳になりました。耳はまだよく聞こえますが視力も記憶もうすれました。ですが、私が持ちました体験を記録の一部に加えて頂ければ幸いと存じまして、恥ずかしいのですか、人にすすめられて応募いたしました。
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