韓国・朝鮮の慰安婦

朝鮮人業者が従軍慰安婦を連れて戦地を回っていたという証言
「石枕 (下巻)」 張俊河 安宇植訳 1976年 サイマル出版会

(著者は日本軍を脱走して中国で活動していた上海臨時政府に参加し、金九主席の側近になっていた。)

私たちをなおのこと嘆かせたのは、新しい事実だった。日本軍が降伏する直前(1945年8月15日)まで通訳か、それでなければ前線地区を回って阿片を商ったり日本軍慰安婦の抱え主を演じた連中までが、一朝にして光復軍(韓国臨時政府の軍隊)の帽子を手に入れ、独立運動家、亡命者、革命家などを自称する、とうてい見るに忍びない風潮が横行したことだった。のみならず、同じく異国にある同胞たちの財産を、そうした連中であればあるほど先に立って没収して回るのが普通だった。

著者は戦後、言論人として民主化運動の先頭に立ち"韓国の良心"といわれた人である。


韓国には今も軍人専門と思われる慰安婦がいる
「いい加減にしろ韓国」 豊田有恒 平成6年 詳伝社

軍隊の行くところ、女はつきものである。日本国内でも、基地の近くには慰安所があった。これらは、すべて民営である。だが、女たちの健康管理には、軍が介入した。なぜなら、当時、性病が蔓延していたため、軍としても放置できなかったからだ。これは、他国の軍隊でも同じことである。いざというとき、兵隊が病気で戦えないのでは、戦争にならないからだ。

非武装地帯(南北国境)の付近で、韓国軍の兵営のある場所にも、現在、売春街がある。ついでながら、たまには、韓国から北韓(北朝鮮)へ亡命する兵士がでることは、日本ではあまり知られていない。女と博打と酒で借金がかさんで、にっちもさっちも行かなくなる兵士が、軍事分界線を越えて、北へ逃げることがある。北では、偉大なる首領さまを慕って、やってきた勇士ということで、大歓迎になる。だが、宣伝に使われたあげく、いつの間にか、消息を聞かなくなる。利用価値がなくなって粛清されたわけだろう。

また、いまは、観光客に人気の街だが、あの梨泰院(ソウルの繁華街にあるファッションタウン)は、もともと近くにある米軍第八軍団の基地を、あてこんだものだ。70年代初めに行ったときは、怪しげなパーが多く、混血の子を抱いた女を、見かけたものだった。まえにも説明したが、梨泰院(イーテウォン)は、かつて異胎院(イーテウォン)という文字を宛てられていた。つまり、外国との混血児を収容した場所だった。その伝統は、つい最近まで生きていたというわけだろう。もっとも、いまでは様変わりして、米軍は追い出されかけている。

韓国中央日報日本語版 / 「韓国戦争中にも軍慰安婦存在」韓国教授が主張
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=24331&servcode=400§code=400

韓国「基地村」買春 http://www.jrcl.net/framek649.html


「立ち直れない韓国」 黄文雄 1998年 光文社
朝鮮半島国家管理売春史の歴史歪曲

最近、朝鮮史の専門家まで、朝鮮の「妓生(キーセン)」は、ただの「踊り子」や「楽師」、せいぜい日本の「芸者」のようなもので、「娼妓」、「売春婦」ではない、と美化する傾向がある。それは、朝鮮娼妓史に対する無知か、それとも知っていても、わざと歴史歪曲しているかのどちらかに違いない。朝鮮の妓生は、ただ詞をつくったり、詩を吟じたり、あるいは楽器を弾きながら、両班・貴族たちと酒を汲み交わしたりする、芸能人やら文学少女であったかのように美化することは、明らかに歴史歪曲の確信犯である。朝鮮半島の妓生は、それが官妓(官庁に置かれたキーセン)であろうと、芸のみ売って、春を売らなかったという歴史認識は明らかに勉強不足だ。
(中略)
朝鮮の宗主国への営妓(軍隊慰安婦)、官妓の進貢は元の時代からすでに正史や野史に表われている。しかし統一新羅の時代から、唐軍に強制連行された高句麗、百済人は、婦女子が多かった。彼女らの運命は奴婢に、もしくは官妓、宮妓、営妓、私妓になることは、当時の社会背景からみれば推測できる。元の時代になってから、朝鮮半島は一躍、東アジア最大の宦官と貢女(女の献上品)の供給地となったことは、諸史に散見できる。また貢女や営妓の献上についての要求は、ベつに朝鮮半島とは限らず、すでにジンギスカンの時代に、征服された中央アジア諸国の国王は、競って美女と名馬を献上したので、高麗国王も貢女を要求された。それは処女を原則とし、しばしば国中の結婚を禁止して、要求に応ぜざるをえない場合もあった。もちろんそれは汗(皇帝)の宮廷に限らず、諸王や権臣もたびたび貢女を要求した。貢女には、宮妓だけでなく、官妓や営妓になるものもみられた。高麗が元に服属した後の元宗15年3月、元からの南宋軍人のために、高麗の婦女140名を要求したことがあった。高麗政府は「結婚都監」を設け、市井の独女、逆賊の妻、僧人の女を集めて、数を満たした。そのときは処女、童女ではなく、独身婦女や罪人の妻を強制連行して、1人の化粧代を絹12匹(布地24反に相当)で、モンゴル政府に売ったのである。これは政府という国家権力による人身売買と強制連行ともいえよう。その翌年の忠烈元年に、元は蛮子軍(南宋の降人部隊)1400人を高麗に送ってきたので、蛮子軍に営妓を売るために高麗政府は「寡婦処女推考別監」を設け、役人を諸道に出して婦女を推考、選別していたこともあった。
(中略)
教材として日韓の教科書に採用された幻の「従軍慰安婦」そのものが、はたして存在していたか、いなかったか、今日でも未決のままである。「なかった」派の主張によれば、「政府が直接関与した例は一つもなかった」である。しかし、韓国人からすれば、かつて朝鮮半島は宗主国の中華帝国諸王朝に貢女を進貢するアジア最大の貢女の産地であった。現在でも世界有数の国家管埋売春の国である。長い歴史文化と現在の「状況論理」からすれば、「(従軍慰安婦は)存在したに決まっている」と想像するのも無理からぬことだ。しかし、どうみても「あったか、なかったか」はっきりしないことを、無理やりに「あった」ことにして教科書で教え、相手に「謝罪」を強要することは、はたして良識にかなうものだろうか。そこにも「正しい歴史認識」が必要となろう。


「いい加減にしろ韓国」 豊田有恒 平成6年 詳伝社
妓生は”中国人接待担当”国家公務員

卑近な例をあげると、妓生というサービス嬢が、韓国に存在する。大方の日本人は、日本でいえば、吉原の遊女みたいなものだと思っているらしいが、大間違いだ。本来、妓生とは、外務省の儀典局の職員みたいな資格なのだ。中国からやってきた天使(エンジェルという意味ではない。天とは、中国という意味なのだ。つまり、中国の使者という意味)を応接するために、存在している。詩歌管弦の道に秀でていて、中国語がぺらぺらで、頭もよくないと勤まらない役職なのである。しかも、接待する相手の中国人の好みに合わせて、美人でないといけない。たまたま使節の中国人が、旅の無聊(ぶりょう)を訴えれば、夜伽の相手もするというわけだ。いわゆる売春婦ではない。れっきとした国家公務員なのだ。現在はともかく、日本の遊女より、はるかに格が上なのだ。

韓国で、有名な暴君の燕山君(在位1494~1506)は、名刹円覚寺を破壊して、その跡地に妓生の養成所を建てた。この場所が、今のパゴダ公園なのだが、韓国人は、このエピソードについては、あまり語りたがらない。パゴダ公園は、日本に対する3・1運動の発生地として有名だから、そっちの由来を紹介しておいたほうが、ジャパン・バッシングの役に立つわけだろう。対中国というケースでは、よりすぐりの美女に教育を施して、高級コールガールみたいなこともさせた。このように、中国に対しては、徹底的に卑屈になりきった歴史を、長いあいだ継続してきた。

妓生は、官庁に制度的に設置された朝鮮の伝統的な芸妓で、歌舞をもって遊宴にはべらなければならなかった。また、両班に侍寝するすることもあり、これを守庁といった。身分的には官庁の所有になる「公奴婢」であり、妓生の娘は「奴婢制度」によって母の身分を継承せねばならなかった。まさしく性奴隷といえよう。


「醜い韓国人」 朴泰赫 1993年 光文社
李朝時代には、両班、中人、奴婢の他に、妓籍(キジョ)という戸籍があった。妓生(キーセン)が妓籍に属した。両班であれば、もちろん金を払わねばならなかったが、妓生とはいくらでも寝ることができた。両班が妓生を呼びだして、一夜をともにすることを「守庁」(スチョン)といった。庁は役所のことである。役所を守るといって、妓生を呼んで家に帰らなかったのだから、ユーモアがあった。妓生側からは「スチョントゥンダ」(官庁に入る)といった。夜、一人で役所を守るのは寂しいのだ。そこで妓生と役所で一夜を楽しんだ。役所では「守庁」は公認された。

妓生を愛人として生まれた子は、庶属(ソージョク)となった。庶属は常人扱いだった。両班は、妓生との間にできた娘が年ごろになると、親しい友人に贈ったり、自分の上司の長官に貢ぎ物として棒げた。「肌の若いのがよいだろう。君、持っていって遊ベ」というようなことを言って、友人に進呈したから、もう人間扱いではない。韓国は好色な文化である。日本よりも、もっと陽気であけっぴろげだ。


「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社
なぜ韓国の国家管理売春で、日本人だけ非難されるのか

日韓併合後5年後の1916年、「貸座敷娼妓取締規制」が発布された。このことが朝鮮半島初めての公娼制度の全面導入であったという主張となっている。歴史を直視せず、都合よくつまみ食いするわけである。法治国家だから、売買春を中心とする「水商売」を取り締まるのは当たり前のことである。しかし、過去の「慰安婦」を国家犯罪として非難しながら、現在の国家管理売春を免罪とするのは異常である。

1970年代には、朝鮮半島統一運動勢力が進歩的文化人と手を組み、日本のマスコミを総動員して、朴大統領の売春親光政策の徹底追及に明け暮れていた。日本の女性問題運動家、市民連動家も競ってこのキャンペーンと呼応し、日本男性の買春旅行を国の「恥」として、同じく徹底的に追及し、マスコミを騒がした。考えてみれぱ、それは朴大統領のいわゆる「国家戦略産業」としての「観光立国」を潰そうとするキャンペーンだったのであろう。統一運動勢力は朴政権の国家売春政策を批判し、女性問題運動家も「国辱として日本男性の買春親光を非難し、双方とも大義名分が立つ。アメリカの週刊誌『タイム』は、この日本人観光客のキーセン買春の狂態ぶりを報道し、世界的な話題ともなった。
韓国の国家管理売春は、写真付きの登録制で身分を保険社会部に登録して、証明書を所有し、定期検診を週一回行なうものだった。国家管理下の売春婦の数については、『腐触する社会――公害と妓生観光』(朝鮮統一問題研究会編)によれぱ、全国で20万人にものぼるという。

『腐敗する社会』によれば、韓国の「妓生学校」は「時には有名人の講話を聞かせたり、現代韓国の経済政策、観光誘致の重要性について説教し、もっぱら外貨獲得のために献身する」ことを勧めているという。日本人観光客を相手にしていたので、「日本語学校」を設け、観光客に安心して買える「商品」として高く売り出している)と述ベている。

文教部長、閔寛植は1973年4月、東京の「韓国学園」に教職員や民団幹部まで集めて、韓国女性が国家のための経済的建設に欠くべからざる外貨獲得への献身的努力をしていることに、最大級の賛辞を呈したとも伝えられている。

朴政権が非難されるのは、売春を国策として奨励し、「美徳」として外貨稼ぎに躍起になっていたということにある。
さらに彼女たちを「特訓」して、「芸術使節団」や「芸能人」として証明書を発行し、日本まで遠征させたことである。KCIAの対日政財界工作として、韓国の妓生は「外交官用」の旅券まで持ち、日本政財界の大物相手の専門家として踏んぱっていたのだ。いわゆる「日韓癒着」は、韓国の妓生が国家のために大きな役割を果たしていたから生じたともいわれ、彼女たちは、さらに対米議会工作にも使われているいう。

「大日本史番外編朝鮮の巻」から引用
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