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海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(50)

海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(50)夢に終わった五輪統一チーム 南北で取り合った民族の英雄 2018.12.22

 昭和29(1954)年に本格的な日本デビューを飾った力道山が、「日本人のヒーロー」としてスターの階段を猛スピードで駆け上っていたころ、海峡を挟んだ朝鮮半島情勢は、刻一刻と変化していた。
 韓国では、李承晩(イ・スンマン)政権が倒れた後、36年5月、朴正煕(パク・チョンヒ)が軍事クーデターで実権を掌握。停滞していた日韓国交正常化のための交渉が加速してゆく(40年、日韓基本条約締結)。
 北朝鮮では、初代最高権力者、金日成(キム・イルソン)が次々と政敵を粛清して独裁体制を盤石に。34年12月からは日本から北朝鮮への帰国運動が始まり“地上の楽園”の宣伝文句に誘われて約9万3千人の在日コリアン・日本人配偶者らが海を渡った。

 南北は激しく対立し、日本国内では、それぞれを支持する在日組織が代理闘争を繰り広げる。力道山がいくら出自を隠しても、彼らにとっては「朝鮮生まれの民族の英雄」だ。30年代半ば以降、自陣営に取り込む綱引き合戦は、次第に熱を帯びてゆく。

◆北朝鮮へ帰国させよ
 力道山は、現在の北朝鮮(咸鏡南道)の出身だ。兄たちや幼いときに別れたきりの娘もそこにいる。肉親の情や望郷の念は、もちろんあっただろう。
 北の出先機関というべき朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)は副議長をヘッドとした“力道山獲得工作”を開始する。帰国事業のために日朝間を往来する船に力道山の兄と娘を乗り込ませ、新潟港停泊中、ひそかに力道山と再会させたエピソードや、力道山が金日成の50歳の祝い(37年4月)として高級車のベンツを贈った話も伝わっている。
 さらに、副議長の指令で総連傘下の芸術団所属の若い女性歌手が力道山のもとへ派遣された。2人を結婚させ、北朝鮮へ帰国させる計画だったという。

 『もう一人の力道山』の著者で、その女性にもインタビューを行った李淳●(スンイル)(57)はこう話す。「当初、力道山の周囲にいるのは圧倒的に『南側』の人が多かった。ところが、力道山はだんだんと北へ足を踏み出してゆく。望郷の念や新しい社会主義国家建設。自身の衰えもあって、帰国への流れはかなり進んでいたと思いますね」
 当時、北朝鮮への帰国事業は、開始当初の熱が失われつつあった。もしも、力道山が帰国することになれば格好の宣伝になったのは間違いない。
 南側も巻き返しに出る。38年1月、力道山は極秘裏に韓国を訪問した。当時日本との国交は、まだ結ばれていない。訪韓には、自民党の有力政治家や右翼の大物、在日の暴力団関係者などが関わったとされる。
 出発前日に婚約したばかりの妻、田中敬子(けいこ)(77)も詳しい事情は知らされていなかった。「『黙っていろよ』と口止めされただけ。後に、日韓交渉を手助けするために行った。反対する韓国内の勢力を抑えられるのは『力道山しかいなかったんだ』という話も聞きましたが…」

 敬子のもとには訪韓時に撮った多数の写真を収めたアルバムが残されている。韓国の情報機関KCIA(当時)部長や政府、スポーツ関係の要人の数々。敬子は同行者から、このとき力道山が南北を分かつ38度線近くへ行き、故郷の北へ向かって大声で叫び声を上げたという話も聞く。
 結局、力道山は、総連から派遣された女性と結婚することも北朝鮮へ帰国することもなく、総連の獲得工作は失敗に終わる。極秘訪韓についてもわずかなメディアが小さく報じただけ。もちろん、帰国船の中で、北の兄や娘と会った話が表に出ることもない。
 「日本人のヒーロー」を演じ続ける力道山は、水面下で南北双方とかかわりながら何を思い、何をやろうとしていたのか。

◆なに人でも関係ない
 ひとつのカギが、39年に開催が予定されていたアジアで初めての「東京オリンピック」だ。
 『もう一人の…』を書いた李は、このとき力道山が東京五輪で、韓国と北朝鮮の間で持ち上がっていた統一チームを実現させるために動いていた、という見方をしている。「実は韓国は、メダルが有力な選手を抱える北朝鮮の参加阻止に動いていた。力道山はそれを説得し、最低でも北の参加を、できうるならば統一チームを実現させたかったのだと思う」
敬子によれば、力道山は東京五輪のために、計1千万円の寄付も行っている。
 だが、力道山が東京五輪の開幕を見ることはなかった(38年12月死去)。北朝鮮選手団は来日したものの、選手の資格問題などがこじれ、結局、開会式前に帰国している(韓国は参加)。ただ、金メダル有力とされた北朝鮮の陸上女子選手と韓国からやってきた父親との日本での再会は大きな話題となった。
 力道山が生きていたら、スポーツ選手だったという北朝鮮の娘と日本で再会できたかもしれない。あるいは、南北の統一チームが実現し、力道山が好きだったという朝鮮を代表する民謡「アリラン」が流れる入場行進のシーンを見て涙しただろうか。

 敬子が思い出す力道山の言葉がある。「『オレは“なに人”でも関係ない。南も北もない』って。主人は、スポーツを通じた平和を望んでいたと思う。もし生きていたら日韓、日朝関係も現在とは違った形になったかもしれません」
 力道山の死後、北朝鮮の親族から、北での葬儀の写真と朝鮮語で書かれた手紙が送られてきた。後に訪朝した敬子は、力道山のことを市民がよく知っており、名前を冠した記念品があちこちで売られていることに驚かされたという。
 『力道山がいた』を書いた直木賞作家の村松友視(ともみ)(78)は、「当時の日本で、力道山ほどインターナショナルな価値観や視座を持っていた人はいなかったでしょうね」と話す。
 死して伝説となった力道山。「アジアに進出し、子供はアメリカで産み、スイスで暮らす…」。敬子に語っていた余生は夢と消えた。=本文敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
                  


 『海峡を越えて「朝のくに」ものがたり』は、産経新聞出版から書籍化の予定です。ご期待ください。
●=馬へんに日
力道山が金日成に贈ったベンツ
韓国を極秘訪問した力道山
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