FC2ブログ

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 (40)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(40)引き金となった「決起未遂」 黄長燁亡命事件の真相 2018.10.13

 「主体(チュチェ)思想」は、1950年代の中ソ対立のはざまで、北朝鮮の独自性を打ち出そうとした初代権力者、金日成(キム・イルソン)が提唱し、側近の黄長燁(ファン・ジャンヨプ)らによって体系化された。「革命と建設の主人は人民大衆である」などと規定した北朝鮮と朝鮮労働党の政治思想である。

 やがて、主体思想は、後継者となった金正日(キム・ジョンイル)によって、「金日成の絶対化・神格化」のツールとして利用され、変質してゆく。

 後に主体思想研究の日本での第一人者となる朝鮮大学校元副学長、朴庸坤(パク・ヨンゴン)(90)が“絶対化”の一端に触れるのは1974年7月、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の「第2次教育者代表団」の一員として初訪朝したときだ。

 朴らは、金日成総合大学の一室に案内され、通しナンバーがふられた赤い表紙の小冊子「党の唯一思想体系確立の10大原則」(別項)を受け取る。朝鮮労働党中央の指導員が読み上げた内容は、まさに衝撃的であった。

 朴の著書『ある在日朝鮮社会科学者の散策』を見てみよう。《後継者に内定した金正日が最初にやった仕事は、「党の唯一思想体系確立の10大原則」を定めたことだった…金日成の神格化、偶像化の宣言であり、疑似宗教国家への変質の道を開く宣言だった…》

 「(初めて聞いたとき)大変なショックを受け、思わず(指導員に)質問をした。『これは事実なのでしょうか?』と。マルクス主義の研究者だった私にとっては、『絶対化』『神格化』などは、あり得ないことでしたからね」

 約2カ月後に帰国した朴は、自宅に飾っていた金日成の肖像を庭にたたきつけ、一時は組織を離れる決意を固める。だが、周りの状況が許さなかった。初訪朝直前には、朝鮮総連の幹部を養成する朝大政経学部の学部長に就任したばかり。翌年5月には、ポーランドで開かれる世界教員大会に出席する総連の派遣団団長に選ばれていた。

 さらに、思わぬことが起きる。1977年9月、北朝鮮の平壌で開かれた「主体思想国際討論会(セミナー)」に総連代表団団長として参加した朴に、主体思想に関する基本演説をする役割が割り振られたのである。マルクス経済学が専門の朴にとって“畑違い”の分野だが、組織の決定を拒否することはできない。

 以来、朴はこの新しい思想・哲学に対して次第に魅了されてゆく。金日成総合大学付属の主体思想研究所研究員、総連傘下の社会科学者協会会長、朝大社会科学研究所長などの肩書を与えられ、黄長燁らとともに、体系化する仕事に熱中することになる。

◆神格化は認めがたい

 だが、主体思想を学問として究めようとする黄や朴と、それを、政治的に利用したい金正日らとは、いずれ衝突せざるを得ない「運命」にあった。

 朴が平壌に滞在していた1995年10月、黄から衝撃的な話を打ち明けられる。再び、朴書に拠(よ)る。《主体思想がマルクス・レーニン主義者に受け入れられないのは、マルクス主義思想を標榜(ひょうぼう)しながら唯物的弁証法とは縁もゆかりもない首領(金日成)の神格化、絶対化を唱え、現在の独裁体制を思想理論で支えているからだ、と黄長燁は自らの考えを述べた…》

 その上で黄は、翌96年2月にモスクワで開催される主体思想の国際セミナーの場で、その考えを世界の研究者の前で披露する、ついては、メインスピーチを朴にやってほしいという話であった。「私たちは、これほど深く、新しい真理を追究しているのに、広く受け入れられないのは『10大原則』が妨害しているからだ。『それと主体思想は全く違うんだ』と世界に広言すべきだと思いました。国(北朝鮮)に背くことになるが、学者としての良心の方が大事だった」

 黄の計画は、それだけではなかった。モスクワでの意見表明と呼応して平壌では金正日の義弟である張成沢(チャン・ソンテク)(2013年処刑)や軍幹部が決起し、独裁体制を終わらせようというのである。「勝つか、負けるか…命がけの計画でした。(黄は)党と軍の幹部、思想学者が立ち上がれば、大衆の支持を必ず得られると信じていたのだと思います」

 ところが、病気に倒れた朴がモスクワのセミナーに参加できなくなり、黄はひとり小さな集会の場で思いのたけを語った。そのスピーチが録音されて金正日に報告され、黄の立場は一気に悪化する。「決起」は行われなかった。

 ◆青酸カリを懐に忍ばせ

 1997年2月、すでに“イエローカード”を突きつけられていた黄が国際セミナーの団長として来日、東京・新宿のホテルで夜半、ひそかに朴と再会する。翌朝早く、人けのない公園で2人は語り合った。《(黄は)ポケットから小さな袋を取り出し…「金正日が私をこのまま放っておくはずがない。これ以上生きるのが苦しくなってきた。青酸カリがある。これを飲めば苦しまずに死ねるだろう…」。私たちは、かたく抱擁しあった。私の両頬は涙にぬれた》(「同書」から)

 黄は、日本から帰国の途に立ち寄った中国・北京で韓国大使館に駆け込み、政治亡命する。北朝鮮側は、悪罵(あくば)の限りをつくして黄を非難、家族ら係累は、政治犯収容所へ収監されたり、自ら命を絶ったりした。もしもモスクワのセミナーで、朴が多くの聴衆の前でスピーチできていたら、「決起」が行われていたら事態は違っていただろうか?
「黄長燁一派」と見なされていた朴にも、危険が迫っていた。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
                  


【用語解説】黄長燁(ファン・ジャンヨプ)1923(大正12)年、日本統治下の朝鮮出身。戦前、日本の中央大学で法学を学ぶ。戦後、ソ連(当時)のモスクワ大学へ留学。北朝鮮の金日成総合大学総長、朝鮮労働党国際担当書記などの要職を歴任。主体思想を体系化し、金日成・金正日父子に重用されたが、1997(平成9)年、出張先の中国・北京で韓国大使館へ駆け込み、亡命した。2010年、韓国・ソウルで病気のため、87歳で死去。
                  


【用語解説】党の唯一思想体系確立の10大原則 
1974年に北朝鮮の朝鮮労働党が定めた全組織・国民の行動規範で、金日成の後継者に内定した金正日が主導した。「偉大なる首領金日成同志の革命思想によって全社会を一色化するために身を捧(ささ)げて闘わねばならない」(第1条)などと、金日成の権威の絶対化、金日成の思想以外を排除する唯一思想体系の確立を図ったもの。2013年「金日成・金正日主義」の文言が盛り込まれ、一部修正された。

金日成と
十大原則には「敬愛する首領・・・」の文字
ニュース
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://depot3.blog75.fc2.com/tb.php/246-9f907bc0

«  | HOME |  »

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (5)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (1)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (5)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (2)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (16)
歴史認識 (11)
北朝鮮 (2)
台湾 (3)
北海道が危ない (0)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)
日本の伝統文化 (3)
朝鮮総督府 (52)
危機管理 (8)
韓国とは (8)
北方領土 (2)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード