FC2ブログ

海峡を越えて「朝のくに」ものがたり (39)

海峡を越えて「朝のくに」ものがたり
(39)最後までトップに固執した総連議長 「政治の道具」にされた朝大

 朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の初代議長として、亡くなるまでトップの座に君臨し続けた韓徳蛛が
戦前。”海峡を越えて”きた経緯や初期のころの日本での活動についてははっきりしない部分が多い。
 「歌が好きで音楽家を志していた」とか、トンネルエ事の肉体労働に就いていたときに、文字が書けない
同胞が朝鮮の家族に送る手紙を代筆してやり、「リーダーとして信望を集めていった」などというエピソー
ドも伝わっている。
 終戦直後の昭和20年10月に結成された在日朝鮮人の組織「在日本朝鮮人連盟(朝連)」から、10年後の
朝鮮総連発足に至る激動の中で、韓は、北朝鮮の権力者とのパイプをバックにして総連組織を掌握。在日同
胞の権利擁護よりも、北朝鮮の意向を代弁する機関へと変質させてゆく。
 その韓が、最後まで手放さなかったポストは、総連議長だけではない。総連コミュニティーの人材を育成
する各種朝鮮学校の頂点に位置する朝鮮大学校と、総連幹部の再教育機関である中央学院のトップ(名誉学
長)もそうである。
 朝大の副学長を23年間務めた朴庸坤(90)が書いた『ある在日朝鮮社会科学者の散策』を引いてみよう。
 《(韓は)総連議長として辣腕を振るったが、権力欲が強く、自分に対抗する力ある幹部を順次、北(朝
鮮)送し、地位の保全を図った。組織の要諦である人材育成機関、中央学院と朝大のトップの座は決して手
放さなかった》
 ただ、朴の。人間・韓徳鉄”への評価は少し違う。副学長として長く仕え、かわいがられたという思いが
強い。「(常任ではない韓が)朝大へやってくると必ず僕を探すんだよ。『朴庸坤はどこだ?』つてね。権
力を維持するために強引なこともやったでしょうが、リーダーとしての手腕や人をひきつける魅力があっだ
のは確かでしょう」
 ■日本人妻と離婚せよ 
 韓は、主体思想研究の日本での第一人者として、北朝鮮本国が認める輝かしい研究成果と肩書を持ちなが
ら長い間、朝大副学長に留め置かれたままの朴を何とか、学長にしたいと思っていた。ネックになっていた
問題は2つである。1つは、朴が、朝鮮の全羅道出身で、根深い地域感情から在日コリアンに多い慶尚道出身者からの反発(寄付金が集まらないことなど)が予想されたこと。
 2つ目にして最大のネックは、朴の妻が日本人であることだ。日本は、北朝鮮が、米国とともに。"打倒す
べき敵”などと位置づけていた存在である。韓自身をはじめ、歴代の朝大学長、総連幹部らは、日本人や外国人の妻をわざわざ離婚してまで。”身の証”を立てていた。朴も昭和35年、朝大教員になったとき、すでに大学校幹部から、日本人妻との離婚を忠告されていたが、ずっと従わずにいたのである。
 「(韓は)『故郷(全羅道出身)の問題は私か何とかしよう。だが(朝鮮学校の最高学府である)朝大の学長の奥さんが日本人では、さすがに示しがつかんじゃないか』というのです。私は『地位(学長)』は求めません。『役割』で仕事をします、とやんわり断りましたが…」
 朝大に通うのは、日本で生まれ、将来も日本社会で生きてゆくであろう在日コリアンである。そんな若者たちに、北朝鮮の政策・思想を押しつけ、いまだにその。”モノサシ”しか容認しようとしないところが、朝大の異常性であろう。「日本」で差別されたのは朴だけではない。母親が日本人だったというだけで、朝大での昇任を阻まれた研究者もいたという。
 結局、朴が朝大学長になることはなかった。北朝鮮の意向に沿わぬ論文執筆やテレビ番組で、朝大生200人を北朝鮮へ送った秘密を暴露したことによって、朝大副学長職など、平成19年までに、すべての肩書・称号を剥奪されたことは前回書いた通りである。
 ■叩いて腑抜けにしろ
 朴の著書には、1960年代後半、韓にとってかわろうとした金炳植(総連第一副議長、後に失脚して北朝鮮へ送還)とが、朝大を巻き込んだ激しい権力闘争を繰り広げたことが詳しく綴られている。((韓が拠点とする朝大への)金炳植の陰湿な攻撃が始まった・・・大学の教職員の思想点検が始まった。極左学生運動の内ゲバ的な自己批判だった・・・「まず徹底的に叩け。俯抜けにしろ。それから種を蒔け」》 (同書)
 教育機関にあるまじき暴力・監視・密告…。金炳植は、北朝鮮の初代最高権力者、金日成の思想だけを神のごとく崇めさせ、それをタテにして総連内の権力を掌握しようとした。
 根っからの学究肌で、若い学生に教えることに情熱を燃やしていた朴もまた夕ーゲットにされた。何日も自宅に帰れないまま、自己批判書を書かされてしまう。「(すべてを金日成の思想に関連づけるため)僕の担当講義もなくなったし、図書館からは『三国志』のような本までが消えていく。精神的に追い詰められて、自ら命を絶つことまで考えましたね」
 昭和47年に、金炳植が失脚すると、朝大内でも今度は。金一派の追い落とし”が始まる。教育機関が醜悪な政治の道具とされ、多くの優秀な教員が学校を去った。疑心暗鬼が支配し、学内は荒廃してゆく。
 混乱の中で、「朝大再建」の重責を担わされたのは朴だった。一時は自死まで覚悟した朴は、やがて、
生涯をかけることになる
「主体思想研究」とめぐり合い、再び、学問の道へとのめり込んでゆく。
   =敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)


 韓徳鎌(ハン・ドクス)
 朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)初代議長。朝鮮大学校初代学長。明治40(1907)年、朝鮮半島の慶尚北道(現・韓国)生まれ。戦前、日本に渡り、(1955)年に結成された朝鮮総連のトップ(議長)として、平
成13年、94歳で亡くなるまで強い権力を保持し続けた。

 ■朝鮮大学校 
 昭和31(1956)年に創設され、34年に現在の東京都小平市に移転。政治経済、理工、教育、外国語など、8学部や研究院、研究所などを備える。文部科学省所管の大学ではなく、東京都が認可する各種学校。北朝鮮が海外公民と位置づけている在日朝鮮人のための「民族教育の最高学府」「(北朝鮮の)唯一の海外同胞大学」と称している。全寮制で、卒業後の進路は、朝鮮総連関係団体の専従職員や朝鮮学校教員などが多かったが、現在の在校生数は、ピーク時の3分の1近くに減少している。
朴副学長
永田絃次郎一家を見送るハン・ドクス
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://depot3.blog75.fc2.com/tb.php/245-df33b8e9

«  | HOME |  »

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (5)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (1)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (5)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (2)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (16)
歴史認識 (11)
北朝鮮 (2)
台湾 (3)
北海道が危ない (0)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)
日本の伝統文化 (3)
朝鮮総督府 (52)
危機管理 (8)
韓国とは (8)
北方領土 (2)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード