FC2ブログ

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 (37)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(37)朝鮮初の女性パイロット 思いは遥か故郷の大空へ
2018.9.22

 『朝鮮交通史』(昭和61年、鮮交会)に、日本統治時代の「朝鮮出身操縦士名簿」(航空局発行、13年まで)が載っている。40人弱の朝鮮人の中で、女性パイロットが2人。その一人、朴敬元(パク・キョンウォン)(1901~33年)は、日本統治下の朝鮮で、初めて操縦士免許をとった女性であった。

 朝鮮・慶尚北道の大邱出身。東京の日本飛行学校を出て、3年5月に、操縦士2等の免許を取得している。当時の免許は、操縦の条件によって1~3等に分かれ、2等は、女性では最高の免許。日本人女性と合わせても3番目だった。翌4年7月には、朴を慕って来日した日本飛行学校の後輩女性、李貞喜(イ・ジョンヒ)がやはり2等免許を取得している。

 第1号となった朴の夢は故郷・朝鮮への凱旋(がいせん)飛行だった。8年8月7日、念願の愛機『青燕(あおつばめ)』(複葉単発機「サルムソン2A2型」)を手に入れた朴は勇躍、羽田を飛び立つ。大阪・福岡を経由して“海峡を越え”、朝鮮から満州へ向かうフライトだった。

 ところが、離陸後しばらくして通信が途絶え、現在の静岡県熱海市内にある玄岳の斜面に墜落してしまう。事故を知った付近の住民総出で捜索したが、朴の死亡が確認され、遺体は現地で荼毘(だび)に付された。事故は当時の新聞にも大きく取り上げられ、朴の夢は悲劇で終わった。

 2号の李貞喜もまた、朝鮮戦争(1950~53年)時に拉致され、北朝鮮へ渡ったと伝えられている。

 ■ワンパターンの反日

 朴敬元の物語は、戦後も続いてゆく。事故から70年近くたった平成12年、当時の首相、森喜朗(よしろう)と韓国大統領、金大中(キム・デジュン)による日韓首脳会談が静岡県熱海市で開かれる。2年後、その縁で熱海梅園に李朝時代の韓国庭園が造られ、その中に、日韓友好のシンボルとして「朴飛行士記念碑」が建てられることとなった。
「思いは遥(はる)か故郷の大空」と題された碑文には、日韓両国語で、朴の経歴や事故の経緯が刻まれている。こぢんまりとした韓国庭園内には、両首脳直筆を刻字した友好平和記念碑も設置された。朴飛行士の慰霊祭には、後輩である韓国の航空関係者も訪れ、先人の遺業を偲(しの)んだという。

 2000年代半ばには、朴を主人公とした韓国映画『青燕』が製作された。ところがその内容は“お決まりの反日”。産経新聞ソウル支局長(当時)の黒田勝弘が、コラム「ソウルからヨボセヨ」(平成18年1月21日付)に書いている。

 《…映画を見て失望した。親日映画どころか逆に反日映画なのだ。(略)「あるがままの歴史」より「あるべき歴史」が優先する“韓国人の歴史観”そのものでした》と。

 ■13年間の朝鮮定期航空

 日本統治下で、朝鮮の定期旅客航空網は大きく発展した。昭和13(1938)年の朝鮮航空路(日本航空輸送)は、東京・大阪・福岡の内地から、朝鮮(大邱・京城・平壌・新義州・清津など)を経て、日本の租借地であった、関東州の大連や満州国の奉天(現中国・瀋陽)・新京(同長春)にまで、翼を広げている。

 9年10月の鉄道省編纂(へんさん)航空時刻表の東京-大連のタイムテーブル(日本航空輸送)を見てみたい。東京を午前9時30分に離陸、名古屋・大阪に寄航して福岡着は夕方4時。さらに京城着は翌日昼の12時40分。最終目的地の大連着が夕方の4時(満州時間・日本の標準時マイナス1時間)。計約2100キロメートルを、1泊2日(各空港での待機時間を含む)で飛んだ。鉄道と日満航路の船を乗り継げば、4日かかる行程である。

 当初の航空機の利用客は少なく、4年から定期旅客航空営業をスタートさせた日本航空輸送の初年度の総旅客数は、わずか943人。8年の朝鮮内主要飛行場利用状況をみても、出発旅客数が1千人を超えたのは京城だけである。京城の飛行場は現在、国会議事堂や高層ビルが立ち並ぶ漢江の中洲・汝矣島(ヨイド)にあった。戦後しばらくも、軍民両用の空港として使用されている。
その後、同社は順調に路線を延ばしてゆく。朝鮮・満州のほか、中国(青島・天津・北京、上海・南京)、沖縄・台湾線など、総営業キロは計1万2837キロ(昭和13年10月、『日本航空輸送 10年史』から)に達した。これは4年の開業時の約5倍。総旅客数も5万5547人(12年10月~13年9月)と、実に60倍近くに膨れ上がった。

 朝鮮での定期旅客航空の輝きは短い。同社は13年12月、国策によって国際航空と統合し、新たに国策会社色が強い大日本航空が発足。16年12月、対英米戦争が始まると、民間機路線は次第に縮小されてゆく。

 『朝鮮交通史』にこうある。《大日航機は次々と軍に動員され、朝鮮関係の昭和17年冬ダイヤ以降は急激に縮小され、一般的には休航と告示された》。同年秋以降は、陸・海軍の徴用体制に組み込まれ、朝鮮関係は陸軍の担当となった。

 《(朝鮮の)実質的な民間航空輸送機関としての役割は昭和4年より昭和17年までのわずか13年間…17年以降の朝鮮関係の定期航空は減便され、主幹線でもせいぜい週3往復程度に止(とど)まったが、大邱-福岡間の特別航路のみが毎日3往復する程度であった》

 この定期旅客航空の歴史に、女性パイロットは登場しない。事業用航空機の操縦桿(かん)を握ることができる免許(1等)は当時、男性に限られていたからだ。もしも、制限がなければ、朴敬元が、「民間定期航空機」の朝鮮女性パイロット1号の栄誉も合わせて勝ち取っていたかもしれない。=敬称略、土曜掲載 (文化部編集委員 喜多由浩)
昭和8年の朝鮮内主要飛行場利用状況
平成13年の朝鮮航空路
平成12年9月の日韓首脳会談
「思いは遥か故郷の大空」
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://depot3.blog75.fc2.com/tb.php/243-fae513d5

«  | HOME |  »

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (5)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (1)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (5)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (2)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (14)
歴史認識 (10)
北朝鮮 (2)
台湾 (3)
北海道が危ない (0)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)
日本の伝統文化 (2)
朝鮮総督府 (51)
危機管理 (8)
韓国とは (8)
北方領土 (1)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード