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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 (31)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(31)朝鮮の文化と習慣を尊重せよ 驚くべき「文化政治」の緩さ2018.8.11

 “緩やかな朝鮮統治”である「文化政治」を推し進めた斎藤実(まこと)が第3代朝鮮総督に就任したのは大正8(1919)年8月のことである。海軍の先輩である山本権兵衛内閣で海軍大臣を務めていたが、海軍を舞台にした4年前の疑獄事件「シーメンス事件」で引責辞任、予備役編入…つまり軍人として「クビ」を宣告された境遇にあった。

 《暇な体でもあるし北海道にでも行って畑作りでもしようと…その間に持ち上がったのが朝鮮総督の話である。(略)断ったら、加藤友三郎(原敬(たかし)内閣の海相、後に首相)が来て「何だか朝鮮がごたごたしているようで誰か面倒を見てやらなければ困る」…今度は原総理自身がやってきて…詰め寄られ、のっぴきならなくなり…》(昭和16年『子爵斎藤実伝』から)

 原首相とは、同郷(岩手)の知己であった。結局、斎藤は、現役の海軍大将に復帰し、朝鮮総督就任を受諾する。陸軍大将以外の総督は、後にも先にも斎藤だけであった。

 このとき、加藤海相が言った「ごたごた」とはもちろん、大正8年3月1日に端を発した大規模な朝鮮の抗日・独立運動「三・一事件」のことである。まだ騒然とした雰囲気が残っていた中で、9月2日、京城駅に到着した斎藤を待ち受けていたのが、独立派活動家による“爆弾テロの洗礼”(斎藤は無事)だったことは前回も書いた。

 斎藤は難しい判断に迫られる。軍人主導の「武断政治」を、さらに強め、力で、くすぶり続けている抗日・独立の動きを押さえ込むか? それとも…。当時の日本の世論は、武断政治続行が優勢であった。

 ◆外国人宣教師も絶賛

 「三・一事件」は、米ウィルソン大統領らが掲げた世界的な「民族自決主義」に煽(あお)られて始まった。その朝鮮人の抗日・独立運動の背後には、李朝末期から朝鮮に浸透しているキリスト教の外国人宣教師らの存在があったとされる。斎藤に爆弾を投げつけた男もキリスト教信者だった。

ところが、斎藤は赴任早々、総督府学務局に「宗教課」を設けて“敵方”ともいえる外国人宣教師との意思疎通を進め、布教の便宜を図る目的で財団法人の設立を認める策に出た。

 これには、外国人宣教師も驚いたのだろう。メソジスト教会監督牧師、ハーバート・ウエルチの「斎藤評」が残っている。

 《当時、(朝鮮の)住民は武器なき「独立運動」のため、前総督により、強制的弾圧を受けたため、不穏・不安・怨嗟(えんさ)が国内に漲(みなぎ)る状態であった。かくの如(ごと)き陰険にして困難な状況に、子爵(斎藤)は温和にして温情的精神を…真に朝鮮人を愛撫(あいぶ)し、彼らの権益を保護する…子爵の施策を緩に過ぎると非難した者もあったが…反抗する者を心服させる程に誠意と親切を尽すは偉大なりというべき…》

 後には、朝鮮各地に神社が建てられ、参拝問題でキリスト者は反発を強めてゆくのだが、こうした“蜜月期”もあったのである。

 ◆近代文学・映画も発展

 斎藤は、内外の“雑音”をものともせず、どんどん新政策を進めてゆく。

 「武断政治」の象徴であった軍主導の憲兵警察の廃止▽朝鮮人官吏への待遇格差の是正▽朝鮮語(ハングル併用)新聞(東亜日報、朝鮮日報など)発行の許可▽朝鮮人児童が通う普通学校(小学校)の増設▽外地初の帝国大学(京城帝大)の設置▽農業・工業振興、鉄道・道路・病院の整備▽集会・結社の制限緩和など枚挙にいとまがない。

 折しも日本では自由・民主主義を標榜(ひょうぼう)する大正デモクラシーの時代。「政党政治」の原内閣だったのも無関係でなかったろう。

 斎藤はさらに、朝鮮固有の伝統文化・慣習の保護・奨励という思い切った施策にまで踏み込んでゆく。大正15年に朝鮮総督府が編纂(へんさん)・発行した「普通学校補充唱歌集」(60曲)に朝鮮の偉人や名所旧跡を題材にした、台湾・満州でも例がない「公募・現地(朝鮮)語の唱歌」が、数多く盛り込まれたことは、以前(27回)紹介した。

日本人への朝鮮語学習奨励は、公務員への手当支給や、主に日本人が通う小学校での朝鮮語教育(随意科目)方針に表れる。教育機関や博物館・図書館を整備し、朝鮮の古文書や古跡、民俗品の調査・研究、収集作業も進めさせた。

 これに後押しされるようにして、朝鮮では、近代文学、映画、音楽といった芸術が花開かせてゆく。   連載初回でも触れたが、朝鮮映画の代表作『アリラン』(大正15年、羅雲奎(ナ・ウンギュ)監督・主演)は、三・一事件で拷問を受けて精神を病んだ男が主人公だ。“親日派”の朝鮮人悪徳地主と主人公らが対決するストーリーは朝鮮人観客に大ヒットし、2年以上もロングラン上映されたが、こんな「抗日色」が強い作品が、よくも検閲をパスできたものだと驚かされる。

 この映画のラストシーンで流れる「アリラン」は当初、「新アリラン」「羅雲奎のアリラン」などと呼ばれたが、メロディーやテンポをすこしずつ変えながらその後「本調アリラン」として定着。朝鮮民族の命ともいえる歌で、星の数ほど存在する「アリラン」の中で現在、最も親しまれているのが、日本統治時代の映画から生まれたこの曲なのである。

 今年の平昌五輪開会式で、南北朝鮮の選手団が合同で入場したとき流された「アリラン」もそう。失われたこの映画のフィルムを、現在も南北ともがやっきになって探しているのもむべなるかなだ。

 大正9年1月1日付談話で斎藤はこう語っている。《…朝鮮の文化と習慣とを尊重して、その長をとり、短を除き、利を興し、害を除き、もって時代の推進に適合せしめん…》と。=敬称略、土曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

                  


【用語解説】斎藤実(さいとう・まこと) 安政5(1858)年、現在の岩手県奥州市生まれ。海軍兵学校卒。海軍大臣、内大臣、首相(昭和7~9年)などを歴任。朝鮮総督は、第3代(大正8~昭和2年)、第5代(昭和4~6年)の2度務め、緩やかな統治、朝鮮の自主性を重んじる「文化政治」を推進した。内大臣を務めていた昭和11年、二・二六事件に遭い、凶弾に倒れた。
斎藤実
「アリラン」の羅雲奎
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