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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(30)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(30)政治腐敗蔓延の李朝末期 日本は「誠意」を持って「奮闘」した
2018.8.4


 《北京を見るまで私はソウル(漢城・京城)こそ、(当初は)この世で一番不潔な街だと思っていたし、紹興へ行くまではソウルの悪臭こそ、この世で一番ひどい臭いだと考えていたのであるから! 都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。礼節上2階建ての家は建てられず、従って推定25万人の住民は主に迷路のような横町の「地べた」で暮らしている…》

 19世紀末に李朝末期の朝鮮を訪れたイギリスの女流旅行作家、イザベラ・バードが書いた『朝鮮紀行』の〈首都の第一印象〉の項にこう記されている。

 街の汚れは後に改善されたというが、政治腐敗はひどかった。

 《政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそ小さいとはいえ、首都同様の不正がはびこっており、勤勉実直な階層を虐げて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈(ばっこ)していた…堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、困難極まりなかった…朝鮮には階層が2つしかなかった。盗む側と盗まれる側である》

 イザベラ女史は、当時の日本についても、国土の美しさや治安の良さを称賛する一方で、貧相な外見などを辛辣(しんらつ)に指摘しているから、西洋人の「視線」があったかもしれない。

 では、ほぼ同時期に日本人の本間九介が記した『朝鮮雑記』も紹介しておこう。

 《(朝鮮の)官人に盗賊でないものはいない…あとを引き継いでやってくる官人もまた盗賊なのである…ああ、彼ら(農民ら)の境遇は、まったく憐(あわ)れむべきものだ》(「官人は、みな盗賊」から)

 本間は、中国のみをひたすら信奉する朝鮮の知識人の姿も揶揄(やゆ)している。

 《朝鮮の士人(知識人)は、支那を呼ぶのに、常に中華と称し、その一方で自らを小華と称している。そこで私が…大華の人であると答えたら、彼らは、それを咎(とが)めて傲大(ごうだい)だと言うけれども、傲大であることと卑小であることの、いずれがましだというのだろう》(「大中小華」から)
2つの見聞録は、いくつも共通しているのだ。絶望的なほど、立ち遅れた近代化、蔓延(まんえん)する腐敗と不正、硬直した封建社会…。イザベラ女史は、朝鮮の良さや愛着も示しつつ、こう結論付けた。《朝鮮には、その内部から自らを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない》

 その外部の担い手になりつつあった李朝末期の日本の対応について、イザベラ女史は閔妃(みんぴ)殺害事件などを痛烈に非難する一方で、次のように見ていた。《私は日本が徹頭徹尾誠意を持って奮闘したと信じる。経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため、買わなくともよい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる》と。

 ◆武断政治は法治主義

 このように、極めて困難な状況から始まった日本の朝鮮統治(日韓併合は1910~45年)は、その政策的な方針から、おおむね3つの時期に分けられる。

 朝鮮の改革・近代化に道筋をつけた、いわゆる「武断政治」の時期(1910年代まで)▽大規模な抗日・独立運動「三・一事件」(大正8年)後に、緩やかな統治政策に舵(かじ)を切った、いわゆる「文化政治」の時期(1920年代から30年代半ばころ)▽日中戦争が始まり(昭和12年~)、いや応なく、日本が戦時体制に入り、皇民化政策を浸透させてゆく時期(終戦まで)の3つだ。

 初期の「武断政治」はその言葉から“悪辣(あくらつ)な”イメージを抱きがちだが、事実はそうではない。

 冒頭の見聞録にあったように政治腐敗が横行し、近代化から取り残された当時の朝鮮を根本から立て直すために、日本は巨額の資金を投入して、ほとんど「ゼロ」からインフラ(鉄道、道路、港湾など)を整備、学校や病院を建て、農業や産業を振興させてゆく。その道筋をつけるのに、ある程度の“腕力”も必要だったということだろう。
昭和3年発行の『総督政治史論』(青柳綱太郎著)は、初代朝鮮総督を務めた寺内正毅(まさたけ)(1852~1919年、陸軍大将、陸軍大臣、首相など歴任)の「武断政治」をこう評価している。

 《朝鮮民族にとりては過分の文明政治であった…4方面(教育、衛生、農業、交通・通信)より、朝鮮の社会に貢献せし…》

 さらには、《寺内伯の武断主義は、即(すなわ)ち法治主義の別名とでも言い得る…朝鮮民族政治の改革には、民族心理の根本的改革が必要であると信じたからだ》と。権力者の意向で政治がゆがめられる“人治主義”を正そうとしたというのだ。

 ◆日本版「太陽政策」

 さて、「文化政治」である。世界的な民族自決主義の波に煽(あお)られ、朝鮮全土に広がった「三・一事件」の直後(大正8年8月)に、第3代朝鮮総督に就任した斎藤実(まこと)(1858~1936年、海軍大臣、首相、内大臣など歴任)は、京城到着早々、爆弾テロに遭っている(斎藤は無事)。

 朝鮮の抗日・独立運動家らは戦々恐々としていたのだ。何しろ、三・一事件の嵐が吹き荒れた後である。今度は、どんな強圧的な総督が来るのか? と。ところが、斎藤は「北風」を吹かすのではなく、「暖かい太陽」で、旅人のコートを脱がすがごとく、さらに緩やかな統治に舵を切る。

 軍主導の憲兵警察→普通警察の転換▽朝鮮の伝統文化、風習、言葉の奨励・保護▽集会・結社の規制緩和といった諸政策のみならず、斎藤は日鮮を同一視する(一視同仁(いっしどうじん))内地延長主義を掲げ、最終的に「朝鮮の自治州化」まで念頭に置いていたというのだから、血気にはやっていた朝鮮人も腰を抜かした。

 まさしく、イザベラ女史が指摘した「誠意を持って」「朝鮮を隷属させる意図なく」「自立の保証人」として、である。

 すると、今度は日本の世論が沸騰する。「生ぬるい」「(朝鮮の近代化は)まだそこまで成熟していない」…等々。だが、斎藤の度量が、朝鮮の新たな文化や近代化の花を咲かせることになる。=敬称略(文化部編集委員 喜多由浩)
民族衣装を着た朝鮮の女性(当時の絵葉書)
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