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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(18)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(18)
 キリスト教と音楽家の平壌 金日成や永田絃次郎の足跡 2018.5.12

 北朝鮮の首都・平壌の牡丹峰地区に、パリの凱旋門よりも10m高いのが自慢の巨大なモニュメントがそびえ立っている。「1945」の数字は、初代最高権力者・金日成がこの街へ凱旋してきた年を指す。
 終戦の年の10月14日、金が初めて朝鮮の民衆の前に姿を見せたことは以前(11回)書いた。その場所がこの近くにあった平壌府の総合運動場で、「実際に金の演説を聴いた」という男性(88)がいる。当時は平壌の旧制中学3年生、15歳の朝鮮大少年たった。
 「朝鮮人の住民組織から呼集がかかったんですよ。『キムーイルソン将軍の凱旋演説会』が行われるから皆、参加するようにとね。運動場には公設プールがあってよく水泳を習いに行った場所だった。会場には、
数千人から1万人近い聴衆が集まっていたかな」
 聴衆は、伝説の抗日将軍「キムーイルソン」の登場を心待ちにしていた。ところが演壇に上がっだのは、30歳そこそこの若い男。 
「トヨーハダ」。平壌がある平安道の方言で、おかしいぞ、というささやきが聴衆から漏れたかと思うと(次第に会場はざわつきはじめ、「カチヤ(偽物)ヤ」の叫び声が・・・  「(金日成は)日帝の支配からの解放や新たな国づくり、ソ連(当時)軍の功績などについて話したと記憶しているが、どうみても若すぎるって周囲の大人らが騒ぎ出したんだ」
■「芸術好き」金一族
 平壌は、李朝時代から政治・経済の中心都市だった京城(旧漢城)とはいっぶう違った文化を持つ街だった。李朝末期の19世紀からキリスト教が浸透し、欧米の宣教師によって多くの教会やミッションスクールが
つくられ。”東洋のエルサレム”と呼ばれたことも。平壌生まれの金日成の母親もキリスト教徒で、その父親(金日成の母方祖父)は、プロテスタント長老派の牧師だったという。
 その長老派が、1897年に平壌につくった「崇実(スンシル)学堂」という学校がある。後に、中学校、専門学校(ともに旧制)へと発展、有能な多くの朝鮮人の若者を送り出すことになるが、とりわけ、音楽分野には逸材が多い。韓国の「国歌」と位置づけられる愛国歌を作曲した安益泰は、大正7年に崇実中学に入学、3年後に東京の正則中学に移っている。さらには、韓国初となる高麗交響楽団の創殼者、玄済明や平壌交響楽団の前身・中央交響楽団をつくった金東振。
 そして、「日本一の美声」とうたわれたテノール歌手の永田絃次郎(本名・金永吉、1909~85年)も崇実の出身だ。永田は昭和3年、内地の陸軍戸山学校音楽隊の軍楽生徒として入学。首席の”銀時計組”で卒業した後、11年、オペラ・蝶々夫人でソプラノ・三浦環の相手役(ピンカートン役)に抜擢された。戦後は藤原歌劇団などで活躍し、35年、帰国事業で北朝鮮へ渡っている。このとき、帰国事業の「広告塔」として、永田に目をつけたのが、”同郷・同世代”の金目成だった。
 実は、金の一族は3代にわたって「芸術好き」である。孫の朝鮮労働党委員長・金正恩が平昌五輪を利用して、芸術団を派遣したことは記憶に新しいが、祖父は北朝鮮建国直後から「世界一流の音楽家を集めよ」
と大号令をかけ、国立の交響楽団・合唱団をいち早くつくっている。その長男・金正日も、映画や音楽、演劇に入れ込み、妻たちは女優や舞踊家だった。
 永田にあこがれ、平壌から後を追うように日本に渡ってきたのが、紅白歌合戦に3度出場した人気歌手の小畑実(1923~79年、本名・康永詰)である。苦労を重ねた末、小畑は「湯島の白梅」「勘太郎月夜唄」などのヒット曲を次々に飛ばし、スターの座に駆け上がってゆく。
■和風の家にオンドルも
 日本人にとって平壌はどんな街だったのか。日本統治時代末期の昭和17年の人口統計によれば、平壌府の大口約39万のうち、日本人は約3万2千人。
 祖父の代に朝鮮へ移り住んだ大潭昭夫(87)は6年、平壌生まれ。終戦時は平壌一中(旧制)の3年生、同級生には、陸軍中将の息子や父親が高級官吏である朝鮮人もいた。自宅は和風で畳だが、朝鮮風のオンドル(床暖房)の部屋もあった。冬になるとスケートを楽しみ、凍った大同江(平壌の中心を流れる川)を滑ってゆくと中学まで5分で行けたという。
 「自宅のすぐ近くが朝鮮人の集落でよく一緒に遊んだ。とにかく”同じ日本人”という感覚しかないんだなあ。隣の病院の女医さんも朝鮮人でキレイな人だった。向かいは、おいしい平壌冷麺の名店でしたね」
 戦争が始まると、中学生も空襲警報などの連絡要員などとして動員され、大澤は「賑町」という遊郭がある地域の担当となった。
 「朝鮮人や日本人の娼妓がいて、よくお茶を飲みにいって、お喋りしましたよ。みんな明るくてね」
 思い出の中には、朝鮮人と反目したり、ましてや「少女を強制連行して慰安婦にした」などという行為はまるで出てこない。
 後年、大洋が観光ツアーで平壌を再訪したとき、懐かしい街はすっかり様変わりしていた。そこで不思議な出来事に巡り会う。「われわれのグループが食事中、ひとりの女性に、よど号乗っ取り事件の犯人と名乗る男が接触しできた。
 『子供を日本へ帰したいので身元引受人になってもらえないか』という。怖くなってテーブルから離れましたけどね…」
 空港から市内へ向かう道ではあの巨大なモニュメントを通った。ガイドは、「金日成将軍様が凱旋されたところに建てられたものです」と恭しく説明したという。川敬称略、土曜掲載
  (文化部編集委員 喜多由浩)
永田絃次郎と小畑実
70周年記念日と民衆
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