終戦直後の日本 警察権を無視した三国人

警察権を無視した三国人
「白い手黄色い手」 1956年 毎日新聞社 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)


「もう日本人じゃない」日本降伏の直後、マッカーサー元帥が厚木に乗りこんでくると、まっ先にこう叫び出したのは在日六十万の朝鮮人だった。

彼らの多くは戦前出かせぎのため日本に渡ってきたか、あるいは戦時中軍部の徴用で連れてこられたもので、内地における生活がみじめだっただけにこの強気が一度に爆発した。彼らは敗戦国にのりこんできた戦勝の異国人と同じように、混乱につけこんでわが物顔に振舞いはじめた。

米でも衣料でも砂糖でもモノが不足していた時代に彼らは経済統制など素知らぬ顔でフルに"モノ"を動かした。当時絶対に手に入らなかった純綿のハダ着や雑貨、菓子類、ウィスキー、外国の医薬品など彼らのヤミ市では簡単に買うことができた。ヒロポンや密造酒が集散されたのも主としてそこだった。ゴミゴミしたマーケットから金持が続々と生れていった。

完全な無警察状態……。そのいい例が昭和二十四年春、東京深川でおこった枝川町事件である。朝鮮人四人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。犯人の身もとがわかり、深川署の刑事ふたりが逮捕状をもって……出かけたところ、……逆に”不審尋問”され、袋だたきの目にあった。当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。”見まい、聞くまい、振りむくまい”深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという。




三国人の暴力から日本人を守ったのは警察官ではなくヤクザだった。
「大阪・焼跡闇市」 昭和50年 大阪・焼跡闇市を記録する会編 夏の書房


戦後の大阪で実力制覇をほしいままにした集団に、土地を不法占拠したまま店をはる、暴力的な闇商人の一群があった。彼らは戦前の繁華街、梅田、難波、心斎橋筋をはじめ、市内各地の焼跡に一夜づくりのバラックを構え、人の私有地であってもその管理人や地主の承認なしに家を建てていった。

そして店をはり、地主が建物の取り除きや立ち退きを要求すると逆に法外な立退き料や賠償金をふっかけたり、実力沙汰で暴行脅迫したのである。また取引をめぐっても、恐喝・暴行による強盗まがいの不法が絶え間なかった。まさに恐怖と隣り合わせの無法地帯であり、おまけにこの闇商人の中に、当時三国人といわれた台湾省民や中国人・朝鮮人が加わっていたことが、民衆の感情をよけい複雑にさせた。

元北区・曽根崎防犯部長はこう回想する。『敗戦の傷跡もいえない曽根崎で、今日もまた、同胞一人が三国人の手で後ろ手にしばられ街頭を引きずられて行った。明日はどうなることか、町の人たちは誰もがこの情景をながめて、歯をくいしばり涙をためて見送っていた。』(「そねざき」曽根崎防犯協会 昭和41年)

(中略)

このような暴力化した社会にどう対処するか、暴力と強奪から民衆の一所懸命の生活をどう守りきれるか――この二点こそ戦後警察に求められ、期待されるところであった。だが、こと「暴力」に対して警察・取り締まる側の姿勢には、どこか徹底を欠くものがあった。面前で集団暴行を受ける民衆がいても、事をおこさぬ場合が再三あったし、敗戦直後、日本人業者と三国人業者の利益をめぐっての騒ぎが頻発した時、警察は紛争鎮圧の用兵として、暗黙ながら暴力団の実力をアテにしている。




「田岡一雄自伝・電撃編」 1982年 徳間文庫 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)

終戦当時、国内には強制連行された人を含めて朝鮮人、中国人は200万以上いたが、とくに兵庫に多く、昭和18年に13万5000人、47都道府県の7パーセント強を占め、大阪、東京につぐ3位という勢力をもっていた。

(中略)

彼らは闇市を掌握して巨大な利益をあげ、徒党を組んでは瓦礫と焦土の神戸の街を闊歩していた。通りすがりの通行人の目つきが気に入らぬといっては難くせをつけ、無銭飲食をし、白昼の路上で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のドン底に叩き込まれた。

こうした不良分子は旧日本軍の陸海軍の飛行服を好んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを首にまきつけ、肩で風を切って街をのし歩いた。/腰には拳銃をさげ、白い包帯を巻きつけた鉄パイプの凶器をひっさげた彼らの略奪、暴行には目にあまるものがあった。/警官が駆けつけても手も足もでない。/「おれたちは戦勝国民だ。敗戦国の日本人がなにをいうか」。/警官は小突きまわされ、サーベルはへシ曲げられ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。/さらにこれにくわえて一部の悪質な米兵の暴行も目にあまった。

(中略)

彼らの行為を見聞きするごとにわたしは怒りにふるえていた。/彼らを制止し、阻止する者は一人としていないのだ。/警察は無力化し、やくざは手をこまねいて目をそらす。/いったい、だれが街を自衛すればいいのだ。




「一億人の昭和史 ―日本占領3 ゼロからの出発―」 1980年 毎日新聞社

昭和25年当時、国際港神戸はまた日本一の密貿易の根拠地でもあった。巨大な国際密輸シンジケートがいたるところ張り巡らされ、瀬戸内海へ何十隻もの密輸船が出航…

(中略)

ところで、当時の神戸の密貿易は、大半が台湾、朝鮮などの旧外地との間で行なわれていた。神戸が第三国人の根拠地となっており、東京、横浜に比べ旧外地に近かったこともあり、密輸量は日本一。(中略)国際密輸組織の中核は一貫して第三国人だった。

敗戦後、神戸に三宮駅から神戸駅まで約2キロに及ぶ全国に例をみない大ヤミ市場ができたが、密輸品の多くはここでさばかれた。そこに大きな勢力を張っていたのが数万人の第三国人で、戦勝国意識を誇示するため腕章をつけ、日本の警察権を一切認めようとしなかった。こうした特権をフルに利用、密輸団を操る黒幕になった三国人もでた… 黒幕だった三国人のなかには、密輸の巨利で今は正業につき、実業家として幅をきかしている者もいるといわれる。

「大日本史番外編朝鮮の巻」 から引用
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