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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(15)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(15)
(15)私が会った孫基禎 「過去」よりも「未来」が大事 2018.4.22

 日本統治下の朝鮮人マラソンランナーとして、1936(昭和11)年のベルリン五輪で金メダルに輝いた孫基禎(ソン・ギジョン)(当時は、日本語読みで「そん・きてい」)に会ったのは、88年に開催された韓国・ソウル五輪のときだった。
 ソウル五輪当時、70代半ばになっていた孫は、マル秘だった開会式の聖火リレー最終走者の有力候補に挙げられ、“時の人”となっていた。国内外のメディアが孫のインタビューを取りたがっていたのは言うまでもない。「会えるはずがない」といわれながらダメもとで電話を入れると、孫は意外な条件を示した。
 「会ってもいいが、時間を指定させてもらう。次の日曜日の朝7時に、●×までおいで!」
 いささか常識外れの日時かとは思ったが、孫がそういうのなら仕方がない。当時、20代の若手記者だった私は早起きして、同い年の韓国人通訳と指定の場所へ向かったが、天気はあいにくの雨。本当に現れるのか、と半信半疑のわれわれの前に、トレーニングウエアでジョギングをする孫が姿を見せた。
 孫は開口一番、ちゃめっ気たっぷりに、こう言ったものだ。「ホントに来たのかね。こんな日時(日曜の朝7時)でおかしいと思わなかったのかい? 実は、君たちが熱心な記者かどうか試したんだよ」
■世界制覇歌まで登場
 孫といえば、思い出されるのが「日章旗抹消事件」だろう。ベルリン五輪で金メダルをとった後、朝鮮の民族紙「東亜日報」が表彰台に上る孫の胸の日章旗を消した写真を掲載。同紙は、朝鮮総督府から発刊停止処分を受け、多くの社の幹部、記者らが拘束されたり、退社を余儀なくされたりしたという事件である。
 75年に刊行した同社の社史にはこうあった。《1936年8月28日に本報(東亜日報)は無期停刊処分を受け、関係人士の拘束にまで至った…留置場6房(室)がすべて東亜日報記者で超満員になり、まるで東亜日報が移動してきたようだった…主筆、編集局長は即時辞任…拘束された8名は40日間にわたって峻烈(しゅんれつ)な問招(ムンチョ)(厳しく問いただすこと)を受け…》
 厳しい処分の理由として、現在では(朝鮮の)民族意識の高揚を抑えるためだったと解説されることが多い。孫の金メダルは、どれだけ朝鮮の民衆を熱狂させたのか。社史の前段にその一端がつづられている。
《…世界人類の夢だった2時間30分の壁を破る2時間29分19秒で、われらの孫基禎選手が堂々1位でゴールインしたとの報道に接するや本社内外の人士、本社前の広場に雲集した民衆の万歳の声が一時に爆発、ソウル(京城)の夜空を埋め尽くした…》。さらに、同社では「オリンピック世界制覇歌」を公募▽感激の瞬間を届けるためにベルリン五輪の記録映画会を3日間9回にわたって上映、大盛況を得た、とある。
 つまり、現代の日本の東京・渋谷で、サッカーの代表が勝った後に繰り広げられるような“大騒ぎ”が朝鮮全土で繰り広げられたということだろう。異様な高揚感の中で同社の記者はつい写真に細工してしまった。総督府は、予想を超える盛り上がりに恐れをなして厳しい処分をした-それ以上でも、それ以下でもない。過酷な言論弾圧の象徴として、戦後無理やり「政治的な意味合い」などつける必要はなかった。
■事件について語らず
 話を88年に戻そう。私が会った孫は、頭髪が真っ白になっていたが、がっしりとした体と、鋭い眼光は健在だった。早朝ジョギングはこの日だけではなく、聖火ランナーに選ばれても恥ずかしくないよう毎朝、トレーニングを続けていたのだという。
私は「日章旗抹消事件」の話を聞きたかった。事件後、“危険人物”として日本の公安当局からつきまとわれたとも聞く。自伝では、金メダルに輝いたときでさえ、亡国民の悲哀に涙したとつづられている。
 だが、孫は多くを語ろうとしない。過去はのみ込んで「そりゃ、つらかったし、いろいろあったさ」とだけ話したかと思うと、孫は大きな手で私と韓国人通訳の手を包み込んだ。
 そして、「そんな昔の話よりも、もっと大事なことがあるじゃないか。(日韓の)未来は君たちのような若者たちにかかっているのだぞ」と力を込めた。手の温かさと驚きを今もはっきり覚えている。
 別れ際に私と韓国人青年の通訳の2人にそろいのサイン入り記念品をくれた。そこにはベルリン五輪で優勝し、ゴールテープを切ったときの有名な写真をプリントしてあった。
 それから数日…。大観衆で埋まったメインスタジアムに、聖火を掲げて登場した孫は、事前の予想を裏切り、“ラス前(最終ランナーの前)”という役割だった。組織委員会が、日本統治時代の選手にスポットライトが集まるのを嫌ったとも言われている。
 それでも、ソウル五輪のシンボルマークを胸にして、ピョンピョンと跳びはねるようにトラックを駆けた孫の表情は、とてもうれしそうだった。
韓国人青年はその後、日本語の能力を生かして財閥企業に入社、途中で起業して社長になった。私はこうして今も2つの民族にかかわる記事を書いている。孫の大きな手で託された日韓のよき未来に少しでも貢献できると信じて。=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
                   

 孫基禎 1912(大正元)年、日本統治時代の朝鮮・新義州出身。京城の養正高等普通学校(旧制中学に相当)時代に長距離ランナーとして頭角をあらわし、35年の大会でマラソンの世界最高記録(当時)を樹立。翌年のベルリン五輪マラソンで「日本代表」として金メダル。3位には同校の先輩でもある南昇龍が入り、朝鮮全土が熱狂に包まれた。戦後は指導者として活躍。2002(平成14)年、90歳で死去した。
孫基禎のソウル五輪
孫基禎.
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