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【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 (13)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】
(13)歌には「抗日」も「親日」もない  「鳳仙花」歌う加藤登紀子 2018.4.8

 1枚の古い写真が残されている。1990(平成2)年12月、韓国で初のコンサートを行うため、ソウルを訪れた歌手の加藤登紀子が同国の国民的音楽家、洪蘭坡(ホン・ナンパ)の未亡人、李大亨(イ・デヒョン)と一緒に撮ったものだ。
 このとき、韓国で2つの大きな出来事があった。それは“騒ぎ”と言った方が正確かもしれない。
 ひとつは、洪の代表曲『鳳仙花(ほうせんか)』を歌うことを発表したコンサート1カ月前のソウルでの記者会見で、韓国メディアから、「日本人のあなたがこの歌を歌うことを誰もが許さないと思う」と止められたこと。もうひとつは、当時タブーだった「日本語の歌」を行き違いからコンサートで歌ってしまったことだ。
 『鳳仙花』は朝鮮初の芸術歌曲とされる。洪が日本留学時代の大正9年ごろ「哀愁」の題名で作曲、6年後に金亨俊が詞をつけて歌曲集に載り、世に出た。
 昭和17年には、白の民族衣装をまとったソプラノ歌手の金天愛が日比谷公会堂で朗々と歌い上げ、故郷を思う朝鮮の留学生らを感涙させた伝説の名曲だ。韓国では“抗日・独立のシンボル歌”のイメージが強く、記者会見での「日本人のあなたが…」という反発につながったわけである。
加藤が『鳳仙花』を知ったのは1970年代の後半、知人のギタリスト、原荘介(78)が口ずさんだのを聴いて、たちまち心を奪われた。韓国のコンサートで「一番大事な歌」と勢い込んでいただけに簡単には引き下がれない。“直談判”に持ち込んだ。
 「私がここで歌って、あなたたち(韓国記者)がどう感じるか? 正直に聞かせてほしい。イヤなら歌うのをやめます」と記者会見の場でギターを取り出し、会見用のマイクに向かって歌い始めたのである。
 記者たちは、じっと耳を傾けて聴いていた。だんだん、その場の空気が変わってゆく。歌い終わってから「もう少し韓国語の発音を正しく歌ってほしい」と注文がついたが、もはや強い拒否感はない。「じゃあ、ここで正しい発音を教えてください」と加藤が持ちかけると、10人以上の記者が、その場に残って即席のレッスンが始まった…。
■韓国での複雑な評価
 洪蘭坡夫人に会ったのはコンサートの直前。夫人は高齢なので、本番のコンサート会場には行けないという。ならば「直接聴いてほしい」と、加藤はソウル市内のレストランで夫人と向き合い、韓国記者からレッスンを受けた韓国語で『鳳仙花』を歌い始めた。
 じっと聴いていた夫人の目から涙がこぼれ、2人は、しっかりと抱き合った。そのとき、夫人の胸の中に去来したのは、韓国における洪蘭坡への相反する評価ではなかったか。
 洪蘭坡が、朝鮮を代表する音楽家の一人であったのは間違いない。『鳳仙花』や、韓国では誰もが知っている童謡『故郷の春』は日本のカラオケにも入っているくらい有名だ。
 一方で戦前・戦中、朝鮮独立運動に関わった後、日本の官憲に捕まって転向し、軍歌などをつくって「日帝」に協力したとされ“親日派”のレッテルを貼られてしまう。2000年代に韓国で発刊された「親日人名事典」にはその“悪行”がスペースを割いて書いてある。数年前には彼の名前を冠した音楽賞受賞者がそれらを理由に辞退したことでも話題になった。
 加藤はこう思う。「歌い手や音楽家には国籍も立場もあるけど、歌は自由に国境を越えてゆくんですよ。誰がどう感じ、どう受け止めようと自由でなければいけない。私の歌も人種も思想もジャンルも関係なく、誰にでも届く歌でありたいと思う。歌い手とか国とかの思惑を越えて歌は、人々のものなんです」
 『鳳仙花』が“抗日歌”として人々を支えたにもかかわらず、洪蘭坡へ親日派批判があったことにも驚かされた。「洪蘭坡は『抗日の歌』を意図してつくったわけじゃない。『鳳仙花』は心に響く美しい歌。歌い継がれているのは歌自体の力なのですよ」
■知らされなかったタブー
 韓国でのコンサートにはありがたくない“おまけ”がついた。加藤が日本語の歌を歌って“タブー破り”をしてしまったことだ。
 韓国で戦後初めて公式に日本語の歌(大衆歌謡)が許可されたのは、それから8年後、1998年、沢知恵(ともえ)が歌ったときだ。加藤もタブーのことを知っていたが、このときは「ぜひ日本語で歌ってほしい」というオファーがあった。だが直前になって「許可しない」との通達があったことを主催者が加藤に伝えなかったのである。
 予定のプログラム通りに歌って物議を醸してしまった加藤は、「ダメだと知っていたら歌わなかった。あるいは『鳳仙花』の記者会見のように直接、お客さんに向かって是非を問いかけたでしょうね。それが私のやり方ですから」
 韓国側にも、そうした日本の大衆文化制限を撤廃したいと考えていた人は少なからずいたらしい。帰国した加藤に韓国のテレビ局から出演のオファーがあり、東京でリハーサルまで行った。だが、放送1週間前に当局からストップがかかり、実現しなかった。それ以来、現在に至るまで加藤は韓国で一度もコンサートをやっていない。
 音楽、映画、マンガなど日本の大衆文化は段階的に開放された。だが、現在も地上波でのテレビドラマ、バラエティー番組などは解禁されていない。=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

【プロフィル】加藤登紀子
 かとう・ときこ 昭和18年満州ハルビン生まれ。東京大文学部卒。40年日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝、翌年デビュー。主なヒット曲に「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」。『花はどこへ行った 加藤登紀子コンサート』((電)03・3352・3875)は21日(土)東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールで。
洪蘭坡夫人と加藤登紀子
洪蘭坡
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