【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】 (12)

【海峡を越えて 「朝のくに」ものがたり】(12)
文武両道の京城師範 日朝ラガーで達成した3連覇
2018.4.1

 京城師範は、文武両道の名門校だった。大正10(1921)年創立の教員養成校。学費免除制度があり経済的に恵まれない家庭の秀才がそろった。以前も触れたが、韓国大統領になった朴正煕(パク・チョンヒ)も大邱師範に入学し、教職に就いている。
 「武」の方で名高いのはラグビー部の活躍だ。野球の「春夏の甲子園」と並ぶ「冬の花園」として、人気が高い現在の全国高校ラグビーの前身大会で、昭和5(1930)年から3連覇の偉業を達成、翌8年も準優勝を果たしている。
 優勝旗が玄界灘を渡ったのは、京城師範のときが初めて。3連覇以上は他に戦前の同志社中、戦後も秋田工、啓光学園(現・常翔啓光学園)、東福岡しか達成(両校優勝を含む)していない偉業であった。
 8年に京城師範の附属(ふぞく)小に入学した朴贊雄は『日本統治時代を肯定的に理解する』の中で当時の様子を振り返っている。《京師のラグビー部は殆(ほとん)ど毎日、放課後にグラウンドに集まって練習していた。このグラウンドは僕らの(小学校の)運動場と続いていた。僕らは彼らの練習を見守るのが好きだった(略)いつのまにか自分もひとかどの選手になった気分にとりつかれる》。スター選手をあこがれのまなざしで見つめた興奮ぶりが伝わってくる。
■内鮮一体を具現化
 同校にラグビー部が創設されたのは昭和3年、生みの親は東京高師(現筑波大)選手として活躍した教員、園部暢だった。全国大会優勝後、地元紙に語ったコメントには、朝鮮の教育にかけた日本人教師の志と情熱があふれている。
 《京師のメンバーの中には7人の朝鮮人がおり主将もまたそうである。15人の団結ぶりを見てください。将来、朝鮮教育に従事せんとする彼らが真に内鮮一体の第一線に立ち、理解の少ない内地の人々に朝鮮のいかなるものかを紹介し、内鮮人間の将来に光明を与えたことは京師ラグビー部フィフティーンの功労でなくてなんであろう》と。
 京城師範だけではなく当時のラグビー界は、外地のチームがとても強かった。9年は、鞍山(あんざん)中(旧制・以下同じ、満州)と台北一中(台湾)の両校優勝で京城師範はベスト4▽11年、朝鮮の培材高等普通学校(旧制中学に相当)が優勝▽12年、朝鮮の養正高等普通が準優勝▽13~15年、撫順中(満州)の連覇に台北一中が続き、外地のチームが3連覇を達成している。
だが、京城師範3連覇の後、あまりの強さにクレームがついたらしい。『京城師範学校史・大愛至醇(たいあいしじゅん)』に当時の教員がエピソードを書き残している。《年齢制限の問題が起こってきた…それは明らかに当時6年制(演習科を含む、他の旧制中学などは5年制)の京師があっという間に3連覇を成し遂げたことに対する羨望、嫉視、不満が重なったものと思われます》
 朝鮮で盛んだった学生スポーツはラグビーだけではない。野球も大正年間に夏の甲子園の朝鮮地区予選が始まり、京城中▽平壌中(後に一中)▽仁川商▽龍山中▽徽文高等普通などのチームが甲子園の土を踏んでいる。これら学校スポーツの興隆をはかったのが、日本人教師たちであり、キリスト教系学校の欧米人宣教師らであった。平昌五輪で韓国勢が大活躍したスケートも、日本統治時代の学校で奨励されたスポーツだったのである。
■好ライバル京中VS龍中
 日本統治時代の京城(現・韓国ソウル)は、多くの中・高等教育機関を擁する屈指の文教都市だった。
 大陸(満州・朝鮮)唯一の帝国大学にして総合大学の京城帝大。それに次ぐ、旧制専門学校として、官・公立では京城医学▽同法学▽同工業(旧高等工業)▽同経済(同高等商業)▽同鉱山などが、私立では普成▽延禧▽セブランス連合医科▽梨花女子などがあり、これらの多くは戦後、韓国の大学となった。
中学は、主に日本人が通う中学校と朝鮮人が通う高等普通学校、さらには内鮮共学校など多数の学校があった。中でも、京城中と龍山中はライバル関係にあり、上級学校へのエリートコースである京城帝大予科への進学者数でも、しのぎを削っていた。
 龍中25期生で昭和20年に城大予科(理科)へ進んだ山田卓良(たかよし)(89)は、「両校の違いは居住地によるところが大きかった。(陸軍第20師団司令部などがあった)龍中は軍人の子弟が多く、京中は、官僚や会社員の家庭が多い。よきライバルだったのは間違いないでしょうね」。野球の夏の甲子園出場回数では、京中5回(最高ベスト8)に対し、龍中は1回。戦後はともに韓国の名門高校となった。
 師範学校に高等女学校、実業学校…日本は、朝鮮各地に多くの中・高等教育機関をつくったが、戦後、個人的な関係を別にすれば、多くの学校で、彼我(ひが)の国同士の公式的なつながりはなくなってしまう。
 こうした中で、内鮮共学の京城旭丘中(公立)の日韓の同期生でつくった卒業アルバムに日本人卒業生の近況を知らせる写真や文章が掲載されているのは珍しいケースだろう。5期生の齊藤雄一(86)は、「(内鮮共学は)当時の国策だったと思う。クラスには何の差別もなく仲良くやっていましたよ。慰安婦像を建てては『反日』を掲げて騒ぐ今の方に、大いに違和感を覚えてなりません」=敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)

朝鮮の高等教育機関
京城師範の三連覇
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