【海峡を越えて「朝のくに」ものがたり】(6)

【海峡を越えて「朝のくに」ものがたり】(6)
卒業生が新しい国造与に貢献 韓国に息づいた城大人脈
2018.2.18

 韓国の朴槿恵の母で、朴正煕元大統領の妻、陸英修は「国母」と呼ぼれ、国民に愛された。1974年8月15日、陸は、ソウルの国立劇場で朴正煕大統領の暗殺を狙った在日朝鮮人、文世光の銃弾に当たって死亡する。夫の朴正煕もまた5年後、同郷の腹心であった韓国中央情報部(KCIA、当時)部長の金載圭に宴席で撃たれ、非業の死を遂げている。
 京城帝国大学予科で戦揃、教官を務めていた陸芝修(1906~67年)は、陸英修の親類だ。旧制八高(名古屋)から東京帝大卒。戦後はソウル大教授(経済地理学)となった。
朴正煕も日本がつくった学校と縁が深い。大邱師範を出て教職に就いた後に軍人
を志し、新京(現中国・長春)にあった満州国軍の陸軍軍官壬官)学校の受験を決意。年齢制限を超えていたが、強い熱意を訴えて特別に認められ、当時の新
聞に載ったほどである。
 朴は、満州の軍官学校(2期)予科を首席で修了、本科は日本の陸軍士官学校(57期)への留学を許される。終戦時は、満州国軍中尉だった。
 長々と書いたのは彼らの「親日」ぶりをアピールする意図ではない。優秀な研
究者、軍人であった彼らの進学コースが当時は当たり前だった、ということを分
かってほしいのである。
■ソウル大が「後身」
 終戦後、連合国軍総司令部(GHQ)民間情報教育局の仕事をするため、。日本に滞在していた陸芝修は、昭和27(1952)年3月付で、京城帝大同窓会誌に、「その後の城大(京城帝大の略称)」という一文を寄せている。
 《終戦後の城大の変貌をお話しましょう。城大は1946年の(米)軍政時代に、文字通りの発展的解消をとげました。即ち軍令により(同年)「国立ソウル
大学校」が設立されました。城大の法文学部のうち、法科は京城法専と合併して法科大学(学部のこと)に、医学部と医専が医科大学に・・・これらの単科大学
が総合大学たるソウル大学校になったのです》
 この文が書かれた昭和27年は、朝鮮戦争(1950~53年)の最中、日韓国交
正常化(昭和40年)の13年前である。陸は、戦争による爆撃で、懐かしい予科の校舎がなくなったこと。戦後の韓国で、かつて専門学校だった「延禧(現・延世大)」「普成(同高麗大)」などが大学へ昇格したことを報告しているが、中でもソウル大の人気が格別なのは「45万以上の蔵書を持っていること」が原因だと誇らしげに書いている。
 陸が言うように、ソウル大は、京城帝大の校舎・教員・蔵書などを引き継いで
できたのだ。韓国建国(1948年)直後にソウル大へ入学した80代のOBは。
 「当時は京城帝大の影響が色濃く残っており、ソウル大の前身であることは言わずもがなでした。城大などつくってもらわずとも朝鮮人の手で民立大学ができたというひとがいるけど、実際には、そんな力はなかったと思いますよ」。
■一番良かった時代
 京城帝大の日韓のOBは戦後もわだかまりなく交流を続けてきた。日本側の同
窓会誌には、昔を懐かしむ韓国人OBによる投稿も数多く寄せられている。
 予科(理科)に在籍した閔建植は《終戦後、日本の級友に出合うとこちらは何
とも思っていないのに相手側はよそよそしい態度をとったのはとても変な気分だ
った(略)僕らの一生で一番良かった時代…ただ残念なことは今は国が違い、自
由に同窓会に参加できないこと、後続者のいない淋しさ。最後の一人になるまで
懐かしい同窓会が続いてゆくことを切望している》
 戦後、日韓会談の首席代表や高麗大総長を務めた兪鎮午(1906~87年)は創設時に予科に入学した1期生(法文学部卒)だ。兪は、朝鮮人による民立大学
運動を総督府が邪魔をした、と指摘しながらも。
 《・・・朝鮮内に初めて大学ができた、その予科に初めて入るのだというので、ただうれしいだけだったのは本当の話です。総督府が民立大学を邪魔して、代わりに入れというから不愉快だったというような気持ちは別になかった訳です》
 さらに終戦後には、《京城大学の卒業生がー技術的な方面で新しい国をつくる
際に大変働いた。まあ、貢献した訳です。特にその中でも、韓国の大学教育を建
設する事業に、卒業生が大挙して参加した訳です)
 (『紺碧遥かにー京城帝国大学創立五十周年記念誌』から)とふりかえっている。
 もちろん、被統治民族ゆえの葛藤や差別、苦しみを書き残しているOBもい
る。だが、それは旧友への思いや勉学ができた喜びを打ち消すものではない。
 平成8年には、韓国OBの招きによって、日本の同窓生が訪韓し、ソウルで約
70人による合同の同窓会も開かれている。参加した予科(文科)出身の船越一郎(89)は、「てっきり向こう(韓国)では『京城』や『帝国大学』の言葉を使っちゃいけないのか、と思っていたら、歓迎の垂れ幕に『京城帝国大学』の文字が書いてあり、感激しましたね。会話はもちろん日本語、政治家や弁護士になっていた人もいましたよ」と懐かしむ。
 だが、高齢化によって交流は次第に途絶えていく。現在、日本のOBとソウル
大との間には何のつながりもない。韓国では、これから「京城帝国大学」のこと
を誰が語り継いでいくのだろうか。
   =敬称略、日曜掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
京城帝大の同窓会誌に寄せられた韓国人OBからの投稿
日韓の同窓生による式典
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://depot3.blog75.fc2.com/tb.php/205-05328b0a

«  | HOME |  »

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (4)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (1)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (5)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (2)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (14)
歴史認識 (10)
北朝鮮 (2)
台湾 (3)
北海道が危ない (0)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)
日本の伝統文化 (2)
朝鮮総督府 (25)
危機管理 (8)
韓国とは (8)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード