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【実録 韓国のかたち】第二部

【実録 韓国のかたち】第二部(1)
 晴れの日の演説 弾劾の材料に

 2014年3月28日。この日は韓国大統領(当時)、朴(パク)槿(ク)恵(ネ)の人生でもっとも輝かしい一日となった。国賓としてドイツを訪問した朴は、「エルベ川の真珠」と呼ばれる旧東独の古都、ドレスデンで「韓半島(朝鮮半島)統一のための構想」と称する「ドレスデン宣言」を発表したのだ。

 ドレスデン工科大学で行われた演説で朴は、「ドレスデンはドイツの分断克服と統合の象徴。ドイツ民族はここ、ドレスデンを自由な空気が満ち、豊かさあふれる希望の都市に作りあげました」と切り出した。同大から名誉博士号を授与され、黒いガウンに身を包んだ朴は「ドイツは統一という大きな夢をかなえ、さらにはヨーロッパの未来すら変えた」とたたえた後、3項目からなる対北朝鮮基本政策を打ち出した。

 それは(1)南北分断により苦痛を強いられる離散家族再会の定例化(2)農業支援など民生インフラ構築への協力(3)南北統合のための交流拡大-だった。ただし、「北韓(北朝鮮)が核を捨てる決断をすれば」という前提つきだった。

 宣言に北朝鮮は激しく反発した。「海外に出かけ、ふしだらな女のように化粧までして女気をふりまいた」と攻撃。朴が追求する統一は「わが制度を壊す体制統一だ」(14年4月1日付「労働新聞」)と非難した。

 演説の達人として知られるオバマ米前大統領が、文章の格調の高さを絶賛したという「ドレスデン宣言」は、後に朴の対北基本政策として定着するが、この演説文が、朴弾劾の引き金をひく材料に使われるとは当時誰が予想し得ただろうか。

ドレスデン宣言から2年9カ月後の16年10月24日、韓国の左派系有線テレビJTBCは、ドレスデン宣言文を含め朴の演説文の多くは、「秘線実勢(影の権力者)」で長年の友人の崔(チェ)順(スン)実(シル)が直したものと“暴露”した。

 JTBCの看板番組「ニュースルーム」は、「崔はおおよそ44にのぼる演説文を大統領が公表する前に受け取っていた」と報道、キャスターはこう続けた。  「いわゆるドレスデン宣言。朴槿恵政権の国政哲学がもっともよく反映されたと評価される文章ですよね。この演説文は、本当は極度の保秘を要する資料だったのです。なのに、この宣言文も、やはり崔氏が1日前に事前に閲覧したことが確認されたわけです」

 JTBCは、崔氏が常に持ち歩き、朴の演説文を直したとするタブレット端末が「偶然崔のオフィスから見つかった」と説明。手直しの赤字が入ったドレスデン宣言文の画面をを視聴者にみせ、「崔氏のタブレット端末は大統領府の各種書類でいっぱいでした。ファイルは200にも上ります」とも解説した。

 この日のニュースルームは有線テレビのニュース番組視聴率としては異例の高さである8%を記録した。
韓国の有線テレビJTBCのスクープに刺激された韓国メディアは、一斉に朴槿恵への攻撃を開始した。「朴は一般人女性(崔順実)に魂を売った。しかも怪しげな宗教家の娘だ」、「われわれは、実は、崔順実という女に支配されていたのではないか」。

 事態の深刻さに気づいた朴は翌25日、「対国民談話」を発表、「大統領選挙中(崔順実氏は)私の選挙運動が国民にどのように伝わるのかについて、個人的な意見や感想を伝達してくれる役割をしたことはあるが、(大統領府の)補佐体制が完備されてからは辞めた」と釈明した。しかし、談話は報道内容を認めたものと解釈され、国民の憤怒を呼び起こした。

 人々はデモに繰り出し、巨大な断頭台の模型には朴に見立てた人形がつるされた。韓国の歴史ドラマに登場する宮女の格好をした女性らが朴に賜薬(毒薬)をのませる合成写真を手にもつ人々もいた。

 子供たちもデモ隊に紛れこみ、朴の頭部にみたてて作られたボールを蹴る姿まで見受けられた。

 それからほぼ1年が経過した今年9月、検察は問題のタブレット端末の通信履歴や保存データなどを調べた報告書を裁判所に提出。そこには「端末には意味のある内容は何にもない」から鑑定の必要はないとの意見書がつけられていた。

 「朴槿恵大統領公正裁判のための法律支援団」(有志の弁護士を中心に発足)が、報告書を分析して発表したのは9月17日だ。

 支援団によれば、検察は、端末を入手した翌日の2016年10月25日にすでに報告書を作成していたという。事実なら1年ものあいだ隠し通したことになる。

 報告書から分かった事実は驚愕すべきものだった。端末は13年1月から16年10月までネット回線につながれた痕跡はなく、別人名義のものだった。

中に入っていた1800枚以上の写真、その他ファイルに国政介入をうかがわせるものは皆無だったとされている。

 しかし、なぜか「ドレスデン宣言文」だけは、端末に入っていた。

 「JTBCが端末を拾った」(JTBCの説明)後、検察に証拠として提出するまでの間に流し込んだ可能性が濃厚という。

 しかも端末には、文書を修正する際に使うソフトも入っていなかった。

 逆にJTBCが端末を手に入れた後は40回ほどネットに接続されていたことが判明、検察も手を加えた痕跡があるという。

 「支援団」は、「国政介入報道は事前に徹底的に操作され、弾劾に使用された妖物だった」「国政監査と特別検察の任命を強力に要求する」との声明を発表したが、左派系の文在寅政権下でその要求が聞き入れられる見込みはほぼない。

 韓国憲法裁判所で弾劾の是非が審議されていた最中に朴はメディアのインタビューにこう話した。

 「この騒ぎは誰かが私をはめようとして企画した気がする」

 しかし弾劾必至の空気のなかで彼女の言葉はむなしく響くだけだった。

=敬称略(龍谷大学教授 李相哲)

    ◇

 大統領という絶対権力者を通してみる「韓国のかたち」。第2部は同国初の女性トップとなりながら、刑事裁判の被告に転落した朴槿恵の誤算を取り上げる。


2017.10.17 17:30
【実録 韓国のかたち】
第二部(2)独房前ですすり泣いた前大統領…弱点「崔一家との関係」に報道の嵐

 韓国前大統領、朴槿恵(パク・クネ)が逮捕、拘束されたのは韓国の左派系有線テレビJTBCの報道から約5カ月後の3月31日だった。

 ソウル拘置所で朴に与えられたのは、トイレと洗面台などをいれてわずか12・1平方メートルの独房だった。

 「房に入るまえに前大統領はすすり泣きをし、しばらく入ろうとしなかった」(韓国日報)

屈辱の拘置所

 65歳になる彼女がこのような屈辱を味わうのは生まれて初めてだった。元大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)の娘として「お姫様」のように扱われ、韓国憲政史上初の女性大統領として権力の座にいた彼女が、強盗や殺人犯らが収容される拘置所に入れられたのだから動揺するのも無理はない。

 朴にかけられた容疑は職権乱用、秘密漏洩(ろうえい)、収賄など10を超えたが、世間の関心は、朴がなぜ崔順実(チェ・スンシル)一家と縁をきらずに関係を保ち続けたのかに集中した。韓国メディアの嵐のような報道は、瞬く間に朴を「崔に魂まで奪われた人物」に仕立て上げた。

 「朴は『永世教』というカルト宗教にはまり、(崔順実の父で宗教家の)崔太敏(チェ・テミン)の信徒だとの疑惑がある」「青瓦台(大統領府)でグッパン(シャーマニズムの儀式)までやっていたとの疑惑もある」(JTBCなどの報道)

 朴は再び対国民談話を発表。「青瓦台でシャーマニズムの儀式を行ったという報道は事実無根」と釈明したが、興奮した韓国国民には「弁明」にしか聞こえなかった。

大統領が崔に操られてきたとするJTBCの報道は、朴の弱点を実に正確に射ぬいたものだった。朴にとって崔一家はアキレス腱(けん)だった。朴の生涯を概観してみれば、それが唯一といっていい「闇の部分」であったことがわかる。

冷静な小学生

 朴は、小学生時代までは腕白(わんぱく)坊主のような女の子だったという。学校の成績は常に全科目で「秀」をもらった。

 小学時代の朴がどんな子供だったかは彼女が通った長忠洞初等学校の学籍簿に残された「性格評価欄」を見ればわかる。

 低学年のときは「親切、礼儀、社会性、正直性、正義感」などすべての項目で最高の評価をもらっているが、高学年になるにつれ、変化が生じる。評価欄には「若干冷静すぎる」「自尊心の強い生徒」と書かれるようになった。

 軍人になる前は小学校教師だった父、正煕と元教師の母、陸英修(ユク・ヨンス)は長女の朴に厳格な教育を心がけた。

 1964年1月に陸は、韓国メディアのインタビューに、「大人っぽくなってきた6年生の長女(槿恵)は、自分の不注意と過ちが両親に影響を及ぼすことを頭に入れているらしく、すべての面において気をつけ、努力しています」と語っている。

 朴も後に「私が失敗でもしようものなら両親の顔に泥を塗るかもしれないという心配でいつも緊張して過ごすのが癖になっていた」と語っている。
独裁体制で政敵も多かった正煕に比し、国民からも広く慕われ、「国母」と呼ばれた陸が凶弾の犠牲になったのは74年8月15日。当時フランスに留学し、韓国では味わうことのできなかった自由を満喫していた朴は母の死を知らされた瞬間をこうつづった。

 「全身に数万ボルトの電流が流れるような衝撃を受けた。心臓に鋭い刃物を深く刺されたような痛みを感じ、目の前が真っ暗になって何も見えなかった」

 そんな彼女に「あなたのお母さんが私の夢に出てきた。娘を助けてほしいと言われた」と近づいてきたのが宗教家を名のる崔太敏だった。=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

2017.10.18 16:40
【実録 韓国のかたち】
第二部(3)父の死後、側近は去り…韓国政治の「非情さ」誰よりも知りながらなぜ政界へ?

背筋がぞくっとしながら、発した言葉は「前線は大丈夫ですか」

 1979年10月27日の未明。朴槿恵(パク・クネ)は電話のベルの音に起こされた。受話器の向こうからは父、朴正煕(チョンヒ)の秘書官の震える声が聞こえた。「早く支度をしてください」

 朴は背筋がぞくっとした。母が亡くなったときの記憶が稲妻のようによみがえった。しばらくして大統領府秘書室長がやってきた。

 「閣下(朴正煕)が亡くなられました」

 まだ、完全に目がさめないまま、彼女が発した第一声は「前線(南北軍事境界線)は大丈夫ですか」だったという。

 16歳の誕生日を2週間後に控えた68年1月、北朝鮮特殊部隊員31人が青瓦台(大統領府)近くまで侵入してきたことがあった。74年に北朝鮮に思想教育された在日韓国人の銃撃で母を失っていた朴は、今度もまた北朝鮮の仕業だと思ったのかもしれない。

父の遺体の前で凍りつく そして1カ月もたたないうちに…

 朴正煕は、青瓦台近くの安家で側近中の側近だった中央情報部長に撃たれ死亡した。朴はその日のことをこう回想する。

 夜明けごろ、父の遺体は青瓦台に移された。ひつぎの前にはびょうぶをたてた。「私は凍りついた。誰かが私の背中に短刀を突き立てたとしてもなんの痛みも感じなかったことだろう」「子供のように泣いて取りすがりたかった。目の前には泣きじゃくる妹と弟がいた。泣き声が漏れないように口を結んで泣く弟の姿に胸が引き裂かれそうだった」 

事件から1カ月もたたない11月21日。朴が妹と弟の手を引いて青瓦台を去るとき、父の側近の多くはすでに彼らから離れていた。

 こうした中でも、いやこうした状況下だったからこそか崔親子は朴のそばに居続けた。

国家破綻の危機、「自分だけが安易な生活をおくることはできなかった」

 韓国政治の非情さをだれよりも知る朴はなぜ政治の世界に入ったのだろうか。

 彼女を動かしたのは97年に韓国を襲った通貨危機だった。国家破綻の危機に見舞われた韓国は国際通貨基金(IMF)の管理下に置かれたが、愛国心から多くの人が金の指輪やネックレスを国に差し出し、大人からもらった小遣いを献金する子供もいた。

 自叙伝で朴は「青瓦台を離れてから私は悲しさを忘れ、心の平和を手に入れようとした。しかし国の根幹が揺らいでいるのに私だけが安易な生活をおくることはできなかった。私は“政治家・朴槿恵”の道を歩む決心をした」

 97年12月。大統領選投票日を8日後に控え、朴は保守系政党ハンナラ党の李会昌(イ・フェチャン)候補の支持を宣言、応援演説を始めた。

 翌年2月、朴はハンナラ党に入党、大邱市の国会議員補欠選挙に立候補した。長い沈黙を破って政治の世界に現れた朴は、メディアの話題を独占し続け、行く先々には人だかりができて彼女を取り囲んだ。「アイゴ(あら)、こんなに立派になって。よく耐えてきたね」と慰める人や千ウォン(100円相当)札を小さく丸めて朴の手に握らせるおばあさんもいた。多くが朴正煕を知っている高齢の世代だった。朴は相手候補に24%の差をつけ勝利した。

 父の存在は彼女にとって力の源泉であると同時に弱点でもあった。

 朴が大統領選挙に立候補を表明したとき、左派系のハンギョレ新聞はこう書いた。「わが国の現代史が歪曲されずに教えられていたら、こんなめちゃくちゃな現象(朴槿恵人気)が現れただろうか! 朴正煕が親日派であった事実が教科書に記され、クーデターを起こし、人権を蹂躙(じゅうりん)したという事実が知らされていたなら、その娘が大統領候補になることなどあり得るだろうか?!」

 朴と左派との戦争は、朴が政治家を目指した日から避けられないものだった。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

2017.10.20 11:13
【実録 韓国のかたち】
第二部(4)亡き父の“亡霊”に悩まされ…「朴槿恵だけはだめだ」と主張する左派の抱き込みを優先 

凶弾で倒れた「朴正煕の娘」を売り物にしている-左派の攻撃

 2012年8月、朴槿恵(パク・クネ)は保守系セヌリ党(当時)の大統領候補に確定した。

 出馬宣言で朴は「私の人生は大韓民国と一緒でした」と語り始めた。「母は凶弾に撃たれて亡くなりました。耐えがたい苦痛と困難を私が克服できたのは、母が残した空白を埋めなければという責任感と使命感があったからです。そして国民の皆さんが一緒にいてくれたからです」

 党内予備選で84%の票を獲得。圧倒的な強さを見せたが、対立する左派陣営は「凶弾で両親を亡くした、朴正煕(チョンヒ)(元大統領)の娘を売り物にしているからだ」(ハンギョレ新聞)とこきおろした。

 この日朴は父についても口を開いた。「父を亡くし苦痛に耐えていた私は平凡な生活を望んだが、(父の世代が汗と涙でつくった)国家が危機にさらされるのを座視できなかった」

 ところが、選挙期間中に朴を悩ませ続けたのは、ほかならぬ「父」であった。左派陣営は、朴正煕が日本の陸軍士官学校に通い、関東軍支配下の満州軍将校として服役した「親日経歴」や、軍事クーデターをおこした前歴を問題にし、朴に「立場の表明」を迫った。

革命前夜の混乱 父の軍事クーデターは「不可避、最善の選択だった」

 予備選挙を1カ月前に控えた12年7月、ソウルのプレスセンターで開催された討論会でも朴に集中した質問は「父に対する立場」だった。

 「1961年に朴正煕が起こした軍事クーデターをどう思うか」という記者の質問に朴はこう答えた。
「当時を振り返ってみてください。わが国民は、草や木の皮を食べながら飢えをしのぎました。世界で下から2番目に貧しい国で、安保的にもとても危険な状況にありましたので、父としては不可避の最善の選択をしたと思います」

 朴正煕がクーデターをおこしたのは、初代大統領の李承晩(イ・スンマン)が不正選挙の責任をとり下野を余儀なくされた約一年後のことだ。李退陣後の韓国は革命前夜を迎えたかのように混迷の度合いを深めていた。

 米中央情報局(CIA)報告書など米国が近年公開した資料を基に書かれた「韓国での国づくり」(グレッグ・ブレジンスキー著)によれば、当時警察幹部の多くが組織を離れた結果、社会秩序は乱れ、治安は悪化の一途をたどっていた。 

 左派系の学生民族統一連盟が北朝鮮との直接対話を唱え、軍事境界線を目指してデモ行進するなど過激な行動にでた。保守団体がそれに反発、両陣営は熾烈な攻防を繰り広げた。まさに内戦状態だった。

誤算だった左派の取り込み

 選挙に詳しい漢陽大学教授、李英作(イ・ヨンザク)博士によれば、韓国の有権者は保守系、左派・進歩系、無党派に3分される。保守系は朴正煕を肯定的に評価するが、左派・進歩勢力は朴正煕の経歴のみならず、経済発展の実績も否定する。

 「誰が大統領になっても構わないが、朴槿恵だけはだめだ」(12年6月10日付「ハンギョレ新聞」)というのが左派の主張だった。

朴が大統領選に勝つためには無党派層のみならず左派・進歩勢力の一部を取り込む必要があった。

 朴は「理念、階層、世代、進歩と保守を区分けせず、100%の大韓民国を作るつもりだ」と公約に挙げ、遊説では左派系の抱き込みを優先した。 

 政敵であった盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領(09年5月に自殺)のお墓まいりをして献花し、未亡人のグォン・ヤンスクを訪ねた。

 12年12月の大統領選で朴は51・6%の票を獲得。韓国憲政史上初めて過半数の票を得た大統領、東アジア初の女性大統領と国内外の期待を一身にあびたが、左派系までを取り込もうとした政治姿勢は誤算であったことがすぐに判明する。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

第二部(5)朴VS文ら左派の死闘-TV討論会で「血はごまかせない」と面罵、スパイ映画並み世論操作疑惑も


敵意むき出しで「覚えておきなさい、私はあなたを落選させるために出た」

 2012年の韓国大統領選挙は左派・進歩勢力と保守勢力がそれぞれの存在をかけた戦いとなった。

 当初、左派・進歩系からは民主統合党の文在寅(ムン・ジェイン)、進歩正義党からは沈相●=女へんに丁=(シム・サンジョン)、統合進歩党からは李正姫(イ・ジョンヒ)、無所属の安哲秀(アン・チョルス)らが立候補したが、土壇場で野党側は候補一本化へ傾いた。

 12月4日、大統領候補者による第1回目のテレビ討論がおこなわれた。朴槿恵(パク・クネ)は裏では文との候補一本化を進めながら討論会に出てきた李にこう言った。

 「候補一本化を口にしながら討論会に出た理由が理解できない」

 すると李は「これだけは覚えておきなさい。私はあなたを落選させるために出たのよ」と敵意を露わにした。そしてこう続けた。「あなたの父は日本軍将校になった(正確には満州軍)高木正雄こと朴正煕(チョンヒ)ではないか。血はごまかせないのよ」

 討論会の視聴率は34・9%を記録した。

 事実上、朴と文の一騎打ちとなった12年の大統領選は最後の最後まで結果が読めない状況が続いた。

“秘密工作”暴露劇、テレビで中継

 投票日が近づき、両陣営とも予期せぬミスが起きるのではないかと戦々恐々としていたところへ「(情報機関である)国家情報院(国情院)が朴を当選させるため世論操作をしている。朴への投票を促す“テックル(インターネット上の各種サイトに書き込んだ文をさす)″を組織的に大量に流布している」という内部告発が文陣営に寄せられた。

 民主統合党が疑惑を「暴露」したのは12月11日。大統領選挙は8日後に迫っていた。

 情報源は元国情院幹部を名乗る金(キム)某だった。後に明らかになるが、国情院内部にも3人の協力者がいた。

 金某は国情院の心理戦部門で“テックル”を専門とする女性職員の身分を割り出して尾行。マンションを特定した後、駐車場に止めてあった職員の車とわざと接触事故を起こす方法で、部屋番号まで特定して通報したという。スパイ映画の秘密工作を連想させるやり方だ。

 11日夜、民主統合党所属の国会議員らが取材陣をつれ、職員の家を急襲。職員が逃げられないよう35時間にわたって出入り口を封鎖した。マスクで顔を隠し、ドアを開けようとする職員を押し込み、部屋の中に突進しようとする国会議員と女性がもめる場面はテレビ中継を通じて有権者に伝えられた。

16日夜、文と朴の最後のテレビ討論が行われた。選挙戦は事実上、二人の一気討ちだった。

 朴 「文候補は、自ら人権派弁護士を名乗りながら、国情院女性職員の件について一言も謝罪の言葉がない」

 文 「女性だろうが男性だろうが選挙法を違反したか(しなかったか)が問題だ。

 テレビ討論が終わってから1時間後の同日深夜、警察は“テックル事件”に関する中間捜査結果を発表、「(女性のパソコンには)“テックル″などの痕跡はなかった」と明らかにした。

“テックル事件”再調査

 しかし、文陣営は反発。朴の当選が確定した後も国情院長、捜査を指揮した警察関係者らを選挙法違反などで告発、左派・進歩系市民団体は「朴槿恵下野(退陣)運動」を開始した。

 「朴政権発足後ずっとその正当性に疑問を抱かせるものとなった」(17年3月10日付「韓国日報」)テックル事件は朴政権に影のようについてまわった。

 そして文政権は今年8月、テックル事件に関連したとされる30数人に対する再調査を開始した。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち】2017.10.24
第二部(6)親北国会議員が内乱計画、チラつく文在寅の影…朴槿恵は左派排除のためルビコン川を渡った

一度“いや”と言ったら融通が利かない朴槿恵の性格

 朴槿恵(パク・クネ)が大統領に就任した2013年、北朝鮮は米韓合同軍事演習に際し、例年になく厳しい態度をとった。3月30日、北朝鮮は「政府・政党・団体特別声明」を発表して「この時刻より南北関係は戦時状況に突入する」と宣言、南北の和解と協力を象徴する事業として元大統領、金大中(キム・デジュン)時代に造った開城(ケソン)工業団地を「容赦せず閉鎖」すると威嚇、10日後には5万人に上る北の労働者全員を工業団地から撤収させた。

 発足したばかりの朴政権に揺さぶりをかけるのが狙いとみられたが、朴は「(北朝鮮が)危機をあおって脅しをかけると(われわれは)妥協し、支援するという悪循環を繰り返した」と述べ、断固としてあしき「慣習」を断ち切る意向を表明した。

 しかし7月に入って、北側は開城再開について話し合いたいと提案してきていた。北側が「折れた理由」について当時の韓国統一部高官は筆者に「一度“いや”と言ったら融通が利かない朴槿恵の性格を北が知ったからではないか」と解説した。

「基幹施設破壊を」国会議員の特権利用し機密資料を閲覧

 南北の緊張は高まり、軍事衝突が心配されるなか、韓国国内では「内乱」を企てる集会が秘密裏に開かれていたことが発覚した。

韓国の情報機関、国家情報院(国情院)の関係者が、現職国会議員が率いる地下革命組織RO(Revolutionary Organization)が南北間で戦争が勃発した場合、韓国国内の基幹施設を破壊する準備をせよ、と指示を出していたことを突き止めたのだ。

 国情院が入手した録音記録によれば、5月10日から12日の間、左派・革新系の統合進歩党(統進党)所属の国会議員、李石基がRO組織員約130人を集めて次のような指示を出した。

 「戦争が勃発したら大韓民国体制を転覆し、自主的民主政府を樹立して統一革命を完遂する」「そのために首都圏(ソウル)地域にある電話局2カ所を攻撃する計画と京畿道平澤(キョンギドピョンタク)にある油貯蔵庫など主要基幹施設を攻撃できるよう準備せよ。私製爆弾をいつでも作れるようインターネットの爆弾製造の内容を熟知するように」

 集会で李は、米帝国主義、宗派分子といった北朝鮮式言葉を多用しながら、「いま、(朝鮮半島情勢は)危機だ、危機だ、というが何が危機だ。戦争なんだ」と気勢を上げる一幕もあった。

 李は国会議員の特権を利用して、電力供給が中断された場合の放送通信産業の対応マニュアルや使用済み核燃料処理方法に関する研究状況などの機密資料を関係当局に提出させ、閲覧していた。

盧武鉉政権、公安事件で異例の「特別赦免」、被選挙権も回復…

 李は1990年代、北朝鮮の指示で創設された韓国最大級の親北地下組織「民族民主革命党」の地方幹部を務めた。2002年5月に逮捕され、懲役2年6月の実刑判決を受け服役したが03年、元大統領、盧武鉉(ノ・ムヒョン)の「特別赦免」を受けた。公安事件での赦免は異例だった。しかも、その2年後には被選挙権回復を果たす。盧政権の大統領秘書室長を務めた文在寅(ムン・ジェイン)の措置だったとされる。

 国情院が李に対する内部調査を始めたのは元大統領、李明博(イ・ミョンバク)時代の10年だったが、野党勢力の反発を恐れたことや決定的な証拠がなかったため、李が国会議員になるのを座視するしかなかった。朴が大統領に就任した後、国情院は「盗聴許可」をとりつけ、ROに対する捜査網を狭めていった。

 国情院と検察が行動に出たのは8月28日。ROの幹部および統進党関係者の家宅捜索に乗り出した。

 朴が李の逮捕同意案に署名したのは9月2日。国会本会議で投票が行われ、賛成多数で可決された。

 左派の排除に乗り出した朴はルビコン川を渡ったのだった。

=敬称略(龍谷大学教授 李相哲)



【実録 韓国のかたち】2017.10.25
第二部(7)巨大左派団体に戦争を仕掛けた朴槿恵 傘下にマスコミ、教員労組、73万人組合員…

韓国をむしばむ「がんのような存在」

 内乱を扇動した極左政党、統合進歩党(統進党)議員、李石基(イ・ソクキ)に対する逮捕同意案には野党の重鎮であった文在寅(ムン・ジェイン)を含む国会議員のほぼ1割が反対または棄権に回った。

 統進党代表、李正姫(イ・ジョンヒ)は抗議の断食を始めたが、朴槿恵(パク・クネ)は「従北」勢力を「大韓民国をむしばむがんのような存在。早く取りのぞく必要がある」と断固とした姿勢を示し、統進党の解散請求にも署名した。

 「統進党の綱領は、党内の核心勢力、RO(地下革命組織)が内乱陰謀を企てたことからもわかるように北韓(北朝鮮)の対南革命戦略を追従するもの、すなわち“従北″姿勢が明確になったから」というのが主な理由だった。

 李正姫は朴退陣運動を展開すると宣言した。李正姫の呼びかけに真っ先に応じ、援護射撃をしたのは「全国民主労働組合総連盟(民労総)」だった。

 民労総は韓国プレスセンターで記者会見を開き、「朴政権は民主・進歩勢力に対する弾圧を即刻中断せよ。統進党に“従北″のレッテルを貼ることで弾圧に成功すれば、労働者の権利を主張する労働組合、民主と進歩を主張する市民が弾圧の対象になりかねない」との声明を発表した。

「進歩」政党、市民団体のとりで「民労総」

 民労総が激しく反発するのには理由があった。統進党は、金大中(キム・デジュン)時代の2000年に発足した「民主労働党」の流れをくむ政党だが、民主労働党の母体となるのは民労総の傘下組織だった。

 韓国でいわゆる「進歩」を自任する政党は例外なく民労総と持ちつ持たれつの関係にある。李石基が「私の心のなかの同志たち」(12年4月20日の李のツイッター)と称した「韓国進歩連帯」とする組織もそうだ。

 進歩連帯の正体について保守系紙、朝鮮日報の元記者はこう説明する。

 「国家保安法撤廃、米軍撤収、(北朝鮮との)平和協定締結、連邦制統一を唱え、反米デモを主導した団体だ。彼らのいう連邦制統一はひとことでいえば北韓による吸収統一だ」

 この団体は年間800回以上の集会、デモ、記者会見を主催する政治闘争を専門とする組織でもある。

 民労総はこのような「進歩」政党、市民団体のとりでと言ってよい。

 傘下に数千人に上る大手テレビ局、新聞社の記者、編集者からなる言論労組(労働組合)、7万余人が所属する小中高校教師の全国教員労組(全教組)、15万人の公務員を有する公務員労組を含む73万人あまりの組合員を抱える巨大組織でもある。

 大統領に就任した朴は「勇敢」にも、真っ先に民労総に戦争を仕掛けた。

「李明博前大統領が左派を排除をしなかったから国がこんなざまになった」

 李石基の検挙に続いて間もなく、民労総の核心的な組織ともいえる全教祖を非合法団体に指定。組合の不法デモには厳正に対処する姿勢を見せた。

 朴政権で政務首席秘書官をつとめた朴俊雨(ジュンウ)によれば2013年12月、朴槿恵は与党議員との晩餐(ばんさん)でこう述べたという。

 「李明博前大統領が左派の摘発や排除をしなかった。だから国がこんなざまになった」

 同じころ、民労総は激烈なデモ行進を敢行、大規模ストライキに踏み切ったが、朴は5千人に上る警察官を動員してストライキを主導した民労総幹部の強制拘引に乗り出した。

 韓国憲法裁判所が統合進歩党の解散決定を下したのは、朴が当選2周年を迎えた14年12月19日だった。

 その翌日、朴は「民主主義を確固として守ってくれた歴史的な決定だ」とのコメントを発表した。しかし、「従北」勢力がそれで完全に排除されたわけではなかった。

 奇しくも決定から2年3カ月後、朴は同じ憲法裁判所から罷免を言い渡されることになる。   =敬称略   (龍谷大学教授 李相哲)
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Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


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