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【実録 韓国のかたち 第3部(1~5)

【実録 韓国のかたち 第3部(1)】2017.12.18
◆“法治破壊”する文政権-「積弊清算」の美名の下、盧武鉉自殺への政治的報復・保守壊滅作戦
文政権の法治破壊、「黙認できない」 国会副議長の訴え

 「“積弊(長年積もった不正腐敗)”清算という美名のもと、占領軍の如く国家機密に接近し、標的を決めて過去を蒸し返す。それを根拠に検察に捜査を指示、検察が従うという事態が発生している」

 11月27日。韓国国旗と国会の旗に囲まれた演台に立った国会副議長、沈在哲(シム・ジェチョル)は神妙な表情を浮かべていた。沈は大統領の文在寅(ムン・ジェイン)、大統領秘書室長の任鍾●(=析の下に日)(イム・ジョンソク)、情報機関である国家情報院(国情院)院長の徐勲(ソ・フン)、ソウル中央地検長のユン・ソクヨルを、法治破壊など「内乱の罪」で刑事告発せよと呼びかけた。

 沈は、大学在学中の1980年5月、ソウル大学総学生会長として全斗煥(チョン・ドゥファン)の軍事政権に反対するデモを主導したとして逮捕、投獄されたが、90年代に転向。2000年に保守政党ハンナラ党から国会議員に立候補して5選を果たした保守系の重鎮だ。

 沈は、政府の各部署に各種の「過去史真相調査委員会」が作られ、適法な手続きなしに大統領府をはじめ国情院の機密情報まで勝手に荒らされていると批判、次のように述べた。

 「文政権の法治破壊を黙認できない」

「明らかに憲法と刑法違反」の朴槿恵裁判

 与党「共に民主党」は「(朴槿恵=パク・クネ=前大統領の)弾劾に不服で文大統領を認めようとしない傲岸不遜な行為だ」と即刻反発、沈に副議長辞任と謝罪を要求した。

 沈は続いて次のような声明を出した。「与党は私の真意を歪曲すべきでない」「文在寅の半年の国政運営を概観する限り、内乱の罪から自由ではいられない」

 拘束中の前大統領、朴については、週4回の公判が半年間も開かれた。弁護人が裁判の進め方に抗議して辞任するなど結審のめどは立っていない。朴の拘束はさらに半年間延長された。

 朴槿恵裁判を1回も欠かさず傍聴してきた「月刊朝鮮」元記者、ウ・ジョンチャンはこう憤る。

 「明らかに憲法と刑法違反。推定無罪の原則にも反する不当な拘束だ。韓国国民は、政権ににらまれたら誰であれ、いつでも逮捕され、証拠がそろうまで監禁されるのだろう」

「日韓合意」立役者が逮捕

 文在寅政権下で拘束されているのは前大統領の朴槿恵だけではない。サムスングループの事実上のオーナーである李在鎔(イ・ジェヨン)、元大統領秘書室長の金淇春(キム・ギチュン)、最近では朴政権で駐日大使や国情院院長などを歴任した李丙●(=王へんに其)(ビョンギ)が逮捕された。

 李丙●(=王へんに其)は2015年の慰安婦問題をめぐる日韓合意を実らせた立役者としても知られる人物だが、国情院長時代に「特殊活動費」を大統領府に「上納」したとの疑いがもたれている。

韓国政府の特殊活動費はおおむね9000億ウォン(900億円)。その半分が国情院に配分される。しかし、特殊活動費をめぐって国情院長が罪に問われるということはこれまでなかった。 

「過去のどの政権も前政権に報復をこんなふうにはしていない」

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権時代の2007年7月、韓国政府はイスラム原理主義勢力タリバンに人質として捕らえられた23人(うち2人は殺害)を釈放するため2000万ドルを特殊活動費から払った。

 しかし、国情院が実際に引き出した金額は3000万ドル。韓国紙中央日報(07年11月6日付)は、そのうち1000万ドルはこの年の10月に開かれた南北首脳会談の代価として北朝鮮に渡されたと報じた。

 しかし、この1000万ドルに関しては追及もなく、今回も調査対象からは除外されている。

 当時、首脳会談準備委員長を務めたのは大統領秘書室長、文在寅だった。

 野党の自由韓国党は、文政権が現在やっていることは「盧武鉉の自殺に対する政治的報復、保守壊滅作戦だ」と批判する。

 特定犯罪加重処罰の対象として10月に拘束された国情院の元心理戦担当官は、逮捕される直前にメディアにこう語った。

 「積弊清算の名目でつくられた民間人からなる国情院改革委員会は国情院のメインサーバーを開けている。メインサーバーには国情院のすべての情報活動に関する文書が入っている。過去のいかなる政権も前政権に対する報復をこんなふうにはしていない」野党議員の一人は険しい表情で筆者にこう語った。 「韓国は完全に左派・従北(北朝鮮同調勢力)勢力の世になってしまった。文政権がこんな無理筋を行っているのは、保守・右派の再起を封じ込み、左派政権を永続させるためだ。積弊清算の各種委員会には従北勢力が含まれている。事態はとても深刻だ」
(龍谷大学教授 李相哲)
     ◇

 文在寅政権は、保守政権時代の高官らを「積弊清算」として相次いで逮捕している。しかし左派政権には何の積弊もないのだろうか。左派政権の実像に迫る。


【実録 韓国のかたち 第3部(2)】2017.12.19
◆日韓合意も処罰の対象に 文在寅政権「近衛兵」による“韓国の文化大革命”の無慈悲

 韓国の与党「共に民主党」は11月、今後徹底的な調査が必要だとする「積弊(長年積もった不正腐敗)リスト73件」を文書にまとめ、121人の所属議員に回覧した。

 聯合ニュースによれば、清算すべき積弊対象には慰安婦問題をめぐる日韓合意も含まれている。外交部(日本の外務省に相当)内に設置された特別委員会の活動結果を土台に関連した者を“処罰”するという。

左派政権の問題には蓋をしたまま…

 韓国野党議員の一人は「革命政権を看板とする文(在寅)=ムン・ジェイン=政権は、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)政権時代の“不正”をあぶりだし、恥をかかせ、保守勢力が復権できないようにするつもりだ。盧武鉉(ノ・ムヒョン)、金大中(キム・デジュン)の左派政権の問題には蓋をしたままだ」と話す。

 保守系の論客、趙甲済(チョ・カプチェ)は韓国で起こっている現象を中国の文化大革命に例え、文大統領を支持する元学生運動家ら「運動圏」の勢力を「紅衛兵」と呼ぶ。

 1966年より10年あまり中国全土を席巻した文化大革命の狂風のなか、中学、高校生らで組織された「紅衛兵」は、国家主席、劉少奇をはじめ多くの共産党幹部を捕らえ、市中を引きまわし、殴り殺すこともあった。政権各部署には最高指導者、毛沢東の庇護をうける「革命委員会」と称する組織が進駐、無慈悲な粛清を敢行したのだ。

韓国経済新聞主筆の鄭奎載(チョン・ギュジェ)は、「文政権が進める“積弊清算”は腐敗を一掃し、正義を実現するためではない」と断言する。

「北朝鮮が一番怖がる軍人」を拘束

 11月11日、韓国検察は李・朴政権で国防長官を歴任、後に大統領府で国家安保室長をつとめた金寛鎮(キム・グワンジン)を拘束した。2012年の大統領選期間中、朴に有利な世論を形成するためサイバー司令部傘下530心理戦団に“テックル(インターネット上の書き込み)”工作を指示したという疑いだった。

 野党院内代表(国会対策委員に相当)の鄭宇澤(チョン・ウテク)は「彼は北朝鮮が一番怖がる軍人だった」とし、こう続ける。「金国防長官がサイバー司令部を大幅に強化したのは、当時、北韓(北朝鮮)が電子戦兵士3万人を育成していたからだ」

 2015年、南北軍事境界線の韓国側に北朝鮮が地雷を埋設して韓国軍兵士2人が大けがを負う事件が起きたとき、金は北朝鮮向けの拡声器放送を再開するよう命じた。金を憎んだ北は、金に見立てた人形を猛犬が噛みちぎる映像をテレビで流した。

 韓国紙中央日報は「金正日(ジョンイル)・金日成(イルソン)時代をふくめ、金寛鎮ほど北韓指導者にストレスを与えた長官はいない。そんな人が拘束された。金正恩(ジョンウン)が快哉(かいさい)をさけぶだろう」(11月13日付)と嘆き、こう続けた。

「罰は罪の重さに比例してはじめて正義となる。正義が度をすぎると残忍になる。金寛鎮を監房に送った本当の理由が李明博元大統領を拘束するためであるとすれば、政治報復、標的捜査だとの批判を受けても仕方ないだろう」

鬱憤晴らしか、政治報復か…

 金が拘束された翌日、李は「“積弊清算”という名目でやっていることが(文の)鬱憤晴らしなのか、それとも政治報復かと疑うようになった」と発言。

 李の側近とされる元高官は「政権を握って半年しかたっていない彼らが李前大統領のことを知っていると言っても限界がある。私たちは5年間も政権にいた。われわれのほうが、盧政権(の積弊)について知っていることは多い。(中略)先にけんかを売るつもりはないが、検察が無理筋の捜査をするなら対応するしかない」と語った。

 これらの発言から一週間後、金は保釈された。

 韓国の左派と右派の対決は今に始まったものではない。そのルーツは金大中という、左派・進歩勢力の元祖にさかのぼる。   =敬称略(龍谷大学教授 李相哲)

     ◇
【実録 韓国のかたち 第3部(3)】
◆左派政権スキャンダル、秘密資金3千億ウォンはどこへ 金大中政権幹部告発を韓国メディアは黙殺

「3千億ウォン」指示下したのは青瓦台

 韓国検察が朴槿恵(パク・クネ)・李明博(イ・ミョンバク)政権時代の高官を次から次へと逮捕している最中の今月8日、金大中(キム・デジュン)政権(1998年~2003年)で国家情報院(国情院)2次長(次官級、大統領が任命)を務めた金銀星(キムウンソン)が左派政権にまつわる前代未聞のスキャンダルを暴露した。

 金銀星は、金大中政権時代の2001年、当時の国情院長、辛建(シン・ゴン)の指示で6つの市中銀行から総額3000億ウォンの秘密資金を工面したが、それがどこへ使われたかは知らないと明かしたのだ。金銀星によれば、3千億ウォンの指示を下したのは青瓦台(大統領府)だった。

 金の証言はかなり具体的だ。「2001年上半期のある日だった。辛院長が青瓦台で週例報告を終えた後の午後3時半から4時の間に私に電話をかけてきました。『市中銀行を使って3千億ウォンを準備しろ。青瓦台の会議で決まった』との指示でした」。

 金によれば当初国情院は、ひとつの市中銀行で3千億ウォンを工面しようとしたが、一銀行だけでは難しいことが分かり、6つの銀行から集めることにした。

金は部下を直ちに某銀行に派遣した。しかし、頭取は「一つの銀行で用立てるには金額が大きすぎる」と難色を示した。「これは青瓦台の指示だ」と言うと、6つの銀行で500億ウォンずつ借りられるよう仲介してくれたという。

 青瓦台から戻ってきた辛に金が、「銀行からは誰が(お金を)取りに来るのかと聞かれましたが…」と尋ねると、辛は「青瓦台がやるだろう。私たちの仕事はここまでだ」と答えた。

巨額の金、いったい何に使ったのか

 数日後、金はソウル市中心部の光化門近くのレストランでこの件を取り仕切った中心人物とされる金大中の側近に会い、次のような会話を交わしたという。

 金 「政権後半期に銀行からそんな巨額のお金を引き出せば政治問題になる。6つの銀行が関与しているので秘密保持も難しい。頭取以下の担当者らも知っているはずだ」

 側近 「私一人でやったことではない」

 金 「大統領も知っているか(大統領の指示か)」

 側近 「…」

 最大の疑問は、金大中政府が3千億ウォンを何に使ったかだ。

 金銀星にインタビューした『週刊東亜』はつぎのように記す。

 「3千億ウォンを工面する1年ほど前、金大中政権が(2000年7月の)南北首脳会談のために約5千億ウォンを工面したという事実を思い起こせば、3千億ウォンも北朝鮮と関連のあるお金ではないかという推測が可能だ」

2万人の記者、多くが左派寄り言論労働組合に牛耳られ…

 01年当時、金大中政権は北朝鮮に対する融和政策に腐心していた。

 金大中政権末期に韓国産業銀行総裁をつとめたオム・ナギョンは、回顧録で「当時(01年ごろ)、金大中政権は財閥企業のSグループにも対北朝鮮事業に参加せよと圧迫していると聞いた」と話す。

 金が、秘密資金疑惑を暴露してから10日近くたったが、韓国大手メディアはこぞって沈黙を貫き、野党も問題提起をせずにいる。

 韓国メディア事情に詳しい大学教授は匿名を条件にこう話した。「韓国には2万人ほどの記者がいるが、多くが左派寄りの言論労働組合に牛耳られている。金大中という名前を触りたくないんだ」

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)

【実録 韓国のかたち 第3部(4)】2017.12.21
左派のルーツ・金大中 「不屈の闘士」、一方で「アカ」のレッテル、「北から秘密資金」の証言も

金大中ほど韓国人に憎まれ、愛された政治家はいない

 韓国の左派・進歩勢力は頻繁に離合集散を繰り返したため理念や主義主張だけでその系譜をさかのぼるのは至難の業だが、今日の政権与党「共に民主党」のルーツが金大中(キム・デジュン、1924~2009)にあることは間違いないだろう。

 金大中ほど韓国人に憎まれ、愛された政治家はいない。独裁権力と戦った民主化の闘士とたたえられる一方、“大統領病患者”と呼ばれたように権力の亡者だったとの批判も絶えない。金大中に対する支持不支持は韓国では左派と右派、進歩と保守を分けるリトマス試験紙にもなっている。

 韓国南部全羅南道出身の金が政治の世界に足を踏み入れたのは朝鮮戦争休戦翌年の1954年だ。以後、複数回の落選などさまざまな曲折を経て、63年の選挙でようやく安定した国会議員の地位を手に入れた。

 71年に大統領選に出馬するが、当時では考えられない選挙公約を打ち出した。北朝鮮と交流を始めること、郷土予備軍を廃止すること、大衆が参加する福祉分配政策を実施するとの内容だった。

 東西冷戦の真っただ中、北朝鮮を擁護するような発言で金には「アカ」のレッテルがはられる。

ベールに包まれた「民主化闘争」の実態

 大統領選で金は朴正煕(パク・チョンヒ)と熾烈な戦いを展開した。二人の戦いは、金の出身地の全羅道(湖南)地域と朴の出身地の慶尚北道(嶺南地域)との対決の様相を呈し、この選挙を機に湖南地域は左派・進歩、嶺南地域は右派・保守の牙城となり、地域間対立は左派と右派との対立へと発展するのである。

 再選を果たした朴は翌年10月、非常戒厳令を発令、国会を解散して憲法を停止することを骨子とする「大統領特別宣言」、いわゆる「維新」を発表した。 

 当局に仕組まれた交通事故の後遺症治療のため日本を訪問中だった金は、朴政権を非難する記者会見を東京で開いたあと米国への亡命を決意。73年7月金は、ワシントンで韓国民主回復統一促進国民会議(78年に韓国では反国家団体に指定)を結成、8月に日本支部結成のため訪日した。

 金の秘密資金を追跡しつづけた国際ジャーナリスト、孫忠武はこの時期の前後、金は北朝鮮から秘密裏に資金提供を受け、国外の親北朝鮮団体・人物との連携を強化したと証言する。金日成(イルソン)と親密な関係にあった音楽家の尹伊桑(ユン・イサン)らと連帯していたというのだ。金の国外における「民主化闘争」の実態についてはベールに包まれた部分が多く、真相は北朝鮮の資料が公開されるのを待たねばならないだろう。

 73年8月、金は都内のホテルから拉致された。「金大中拉致事件」だ。

 いったんは死のふちに追い込まれながら生還したこの事件によって金大中は瞬く間に「独裁政権と戦う不屈の闘士」として名をとどろかせた。

拉致事件に朴大統領は関与せず

 朴の司正秘書官などを務めた元側近の董勲(ドン・フン)は筆者にこう証言した。

 「朴大統領は拉致事件に関与していない。部下の忠誠競争によるものだ。大統領はわれわれに『余計なことをして、彼を有名にしてしまったのだ』とおっしゃったことがある」

 その後、数々の政治の修羅場をくぐりぬけた金は87年、91年の大統領選挙に新党を結成して挑むが落選。

 直後に「私は今日をもって国会議員職を辞退し、普通の市民に戻ります」と政界引退宣言した。

 ところが97年に引退宣言を翻し、3度目の正直ならぬ4度目の大統領選に出馬、当選を果たした。

 このときは政治生命をかけて戦ってきたはずの朴の支持勢力と手を組み、連立政権樹立を持ちかけたことが功を奏した。

 韓国に左派・従北勢力が跋扈(ばっこ)するようになるのは、これ以降のことだ。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)


【実録 韓国のかたち 第3部(5)】2017.12.22
韓国「民主化」、市民団体「左傾化」の影に北の工作 光州事件“首謀者”金大中は死刑を宣告され…

「南南葛藤」の対南戦略 北と韓国の市民団体は持ちつ持たれつの関係

 韓国の市民団体が北朝鮮寄りの姿勢へ傾き、「左派」へと変質していくのは、北朝鮮の工作によるところが大きい。北朝鮮の対南戦略の基本は「南南葛藤(韓国人同士の葛藤、政府と市民団体との対立)」を誘発し、決定的な時期をとらえて一気に韓国を乗っ取ることだった。

 そのため、北は韓国の「民主化運動」を積極的に支持、支援する。市民団体は北朝鮮の支援を闘争の動力にする。両者は持ちつ持たれつの関係にあり、金大中(キム・デジュン)はこの両者から頼りにされ続ける存在だった。

 北朝鮮が待っていた「決定的な時期」は意外とあっけなく訪れた。1979年10月26日、16年もの間絶大な権力を握っていた大統領、朴正煕(パク・チョンヒ)が部下の中央情報部(KCIA、現国家情報院)長に暗殺された。

 南北の体制競争で北朝鮮の敗色が色濃く出始めた70年代末期、北朝鮮の対南工作はより大胆になっていった。秘密裏に対南工作活動を繰り広げる一方、77年に統一戦線部を作り、堂々と韓国の著名人、市民団体の抱き込み攻勢を始めた。

 日本人拉致事件が頻発するのもこの時期と重なる。日本人になりすまして堂々と工作活動を行うためだった。

激化するデモ、労働者による炭鉱占拠事件、「北が攻めてくる」の噂…

 朴暗殺後、大統領代行に就任したのは首相の崔圭夏(チェ・ギュハ)だったが、力の空白を埋めることはできず、政局は混乱の渦に吸い込まれていった。崔は、従来の憲法の規定により実施された12月の選挙で大統領に当選するが在野勢力は新憲法を制定してからの大統領選挙を求めた。

 翌年2月、崔は朴政権時代に逮捕・拘束された政治犯を赦免、金らに政治への参与権を与え、事態の沈静化を図るが各種集会やデモはますます盛んになった。

 時を同じくして労働争議も増え、のべ20万人あまりの労働者がデモに参加。5月にはいると韓国北部、江原堂東原炭鉱で4千人余りの炭鉱労働者とその家族が4日間にわたり炭鉱一帯を占拠する事件がおこった。巷では北朝鮮が攻めてくるとの噂でもちきりだった。

 こうした状況に危機感を募らせ、クーデターで軍の実権を握った全斗煥らを中核とする新軍部は、5月17日午前に全軍主要指揮官会議を招集し、戒厳令を強化(戒厳令の全土拡大)することを決議、非常戒厳令拡大措置(それまで済州道は対象外であった)を発表した。 

 政治活動を禁止し、全国の大学は休校措置が採られた。そして金を戒厳令布告違反で逮捕、金鍾泌や李厚洛(元中央情報部部長)ら朴政権の主要政治家も不正蓄財容疑で連行した。

光州事件は本当に民主化のための平和デモだったのか

 金の出身地の湖南地域では、光州を中心に激烈なデモがおきる。5月18日、デモを鎮圧するため光州に進駐した陸軍空挺部隊は大学を封鎖するが、それに抗議する学生との間でもみ合いとなった。

 武装した市民に鎮圧のために軍隊が投入された。27日まで続いた光州事件は「民間人165人が死亡した」とされる。(5・18事件、検察捜査記録による)

 「5・18」は韓国が民主化へと大きくかじをきる契機を提供した一方、左派・進歩勢力に大きな政治的な空間をつくるきっかけとなった。

 全は回顧録で当時の状況をこう記す。「多くの人々が知らないことは、光州事件が本当に民主化のための平和デモだったかという点だ。デモ隊は、軍需業者の自動車工場を襲撃して戦車と軍用車両を奪い、4時間のうちに38カ所の武器庫を襲撃して銃器5400余丁、弾薬28万8千発、爆薬2180トンを奪取した」

 この事件の首謀者とされた金は、軍事裁判で死刑を宣告され(2004年に無罪)、82年12月再び米国亡命への途に就くが、民主化運動はむしろ勢いを増していく。

=敬称略

(龍谷大学教授 李相哲)
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