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相撲界のヤラセ疑惑

◆週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<相撲篇/葬られた「確執」>(1)北の富士「横綱昇進ヤラセ告発」で関係者が急死

 大相撲を揺るがせた最大のスキャンダル──。八百長告発をした親方と後援者が同じ日、同じ病院、同じ病名で死亡した「疑惑の事件」である。
 事件の原因となった大鳴戸親方(元関脇・高鐵山)の八百長告発は、週刊ポスト誌上で96年に連載され、「元大鳴戸親方 相撲協会一刀両断」のタイトルで、単行本としても発売された。
 その書き出しからして衝撃的である。

〈料亭「おきみ」に一同が会したのはそれなりの理由があった。前場所、昭和44年11月の九州場所、北の富士は優勝した。昭和45年1月の初場所。ここで優勝すれば、横綱昇進のための連続優勝という条件を満たす。「我々の手で北の富士を横綱にしようではないか」と提案している面々は「今場所こそ勝負だ」とばかり気合十分。その結束を固めるための会合でもあった〉
「おきみ」には北の富士、北の富士の名古屋後援会副会長で相撲界の闇将軍として君臨した橋本成一郎氏、そして大鳴戸親方と栃王山、四季の花、龍虎、睦奥嵐の面々が集まった。北の富士以外の力士は、八百長力士の「仲間」として北の富士を迎え入れようという勢力である。
 そこで「兄弟盃」を交わすと、本場所とともにさまざまな「裏工作」に走り回った。結果、北の富士は2場所連続優勝し、横綱審議委員会から「文句なく横綱昇進の条件を満たした」のお墨付きをもらう。
 大鳴戸親方の告発連載は反響を呼び、外国人記者クラブで講演する予定だった。ところが、講演を12日後に控えた4月14日、事態は急展開を迎える。大鳴戸親方と、その告発を証言者として側面支援した橋本氏が、愛知県内の藤田保健衛生大学病院で、ともに帰らぬ人となったのだ。死因もそろって、肺の機能が低下するレジオネラ菌による重症肺炎ということだった。
 ちなみに、死の前日、2人は連れ立ってゴルフに出かけているが、体調不良を訴えて入院。わずか1日で2人とも謎の死を遂げたことになる。
 大鳴戸親方の弟子で、現在は東京・吉祥寺でどりんくばぁー「維新力の店」を経営する維新力はこう証言する。
「あの時はね、自分もプロレスに転向し、大鳴戸親方も武蔵川親方(元横綱・三重ノ海)に株を売却し、協会を離れていた。僕自身は元後援者と『こんな不可思議なことはない』と話していたけど、結局、事件は闇から闇へと葬られた。真相と言われても、わかりませんね。ただ、自分の師匠がこんなことになるなんて、まさに青天の霹靂だったことは事実ですよ」
 世間は「2人とも殺されてしまった」と受け止め、マスコミは騒ぎ立てた。「やはり相撲協会は怖い。暴力団を使ったのか」と詮索もされた。
 相撲ジャーナリストの中澤潔氏が言う。
「偶然にしてはできすぎている気はします。今から思えば、あの時、相撲協会が姿勢を正していれば、(11年に発覚した)十両力士の八百長騒動もなかったはずです。私は大関の魁皇と千代大海の対戦をしばらく記録したことがあるんです。奇妙なことに、一方がカド番になると、もう一方が負けてやるという結果がはっきり出ていた。大関同士の助け合いはひどいものでした。はっきり意識して負けてやったわけではないかもしれないが、十両の力士からすれば、大関がやっているのだから自分たちもと、八百長がエスカレートした可能性はあると思いますね」
 とすれば、大鳴戸親方が告発を開始した時期は、力士たちに八百長根絶の警鐘を鳴らす時期だったとも言える。
 もしあの時、「臭い物には蓋」式の対応を取ることなく毅然と対応していれば、もっと風通しのよい相撲協会になったはずである。


◆週刊アサヒ芸能「創刊60年の騒然男女」スポーツ界「波乱のウラ舞台」<相撲篇/葬られた「確執」>(2)「若貴絶縁」を決定づけた親方の「わかってるな」命令

 昭和63年の春場所で初土俵を踏んだ力士は95人いる。その中から3横綱1大関を含め11人の関取を輩出したため、その年デビューした力士を「花の63組」と呼ぶ。この同期会に一度も現れない人物がいる。元横綱・若乃花こと花田虎上である。元力士が言う。
「お兄ちゃんはアレを気にして、金輪際、顔を見せない。若貴の絶縁は『あの一番』が原因。永遠に復縁なんてないでしょうね」
 大相撲を揺るがせた歴史的スキャンダルの一つに、この力士が言う「あの一番」がある。元力士が続ける。

「95年、九州場所千秋楽の前夜、師匠で父親でもある二子山親方(元大関・貴ノ花)が4連覇を狙う横綱・貴乃花を宿舎の自室に訪ねた。そして『光司(貴乃花の本名)、明日はわかってるな』と念を押したんです」
 相撲界では珍しい、兄弟対決が目前に控えていたのである。
「貴乃花は一瞬、何のことかわからず、『ハイ?』と答えましたが、親方は承諾したものと受け取った。意味を聞こうとした貴乃花が付け人から、親方が去ったあとで、『光司、負けてやれって意味だよ』と言われ、愕然としたんです。そしてこの親方命令によって、貴乃花の中の父親像がガラガラと崩れていった。二子山親方は若乃花に『光司も承諾したから』と伝えたといいます」(前出・元力士)
 勝負はファンの熱戦の予想を裏切り、四つに組んでから若乃花が左からしぼり、右四つに。
「土俵際に寄りたて、左から下手投げを打つと、貴乃花は右膝からあっさり崩れ落ちた。若乃花の2場所連続優勝で、兄弟横綱誕生を決めた瞬間でした」(相撲ライター)
 あまりにあっけない勝負に、「片八百長」ではないかと指摘された「疑惑の一番」である。これを機に、2人の間柄は、マスコミで大きく報道された「若貴兄弟絶縁騒動」へと発展。兄弟の確執が大きくなるにつれ、沈黙を守り続ける若乃花に対し、貴乃花はマスコミで積極的に発言した。
 そして兄弟対決から10年が経過した05年6月の「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)の番組上、貴乃花は漫画家のやくみつる氏の質問に「片八百長」を事実上認めたとも言える発言を行ったのだ。
やく「軋轢の原点は、ハタ目に見てもちょっと力が入っていない一番に見えたが、あそこだったのか」
貴乃花「それは間違いじゃあないですね」
 すかさず、他の出演者が畳みかける。
「(あの一番が兄との)相撲観の差を決定するに至ったのか」
貴乃花「そうですね。私の至らなさだと思っています」
 相撲人生でただ一度、力を抜いてしまった大一番。ベテランの相撲記者が解説する。
「二子山親方は情が厚いどころか、むちゃくちゃ濃い人でしてね。相撲にも全身全霊で打ち込むが、我が子の若乃花に訪れた優勝のチャンスを何とか引き寄せられるよう援護したかったということだと思いますよ」
 しかし当時、平成の大横綱と言われた貴乃花も、まだ23歳。正面から受け止めるには重い事実だった。
「父親の性格や相撲道を最も強く受け継いだのが貴乃花。が、彼は天才で難なく横綱に昇進したというのは間違いです。素質だけで取っていたのはむしろ、若乃花。貴乃花は死ぬ思いと不断の努力で頂点に立った」(前出・ベテラン相撲記者)
 2人のこの差が「相撲観」の違いになって表れたと言えなくもない。そしてそれが、兄弟の確執に──。後年、貴乃花は部屋に集まった報道陣を前に、こう語っている。
「“若貴兄弟”と取り上げてくれるのはうれしかったが、あまりにもきれいに映りすぎていた。必ずこういう時が来るなと、幼心にもわかっていた」
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