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本当に女性にいやさしいのか 

本当に女性にいやさしいのか  29.9.17付け   産経論説委員 瀬湖口 敏
 8月23日付のコラム「国語逍遥」で「苅萱道心と石童丸(かるかやどうしん いしどうまる)」の
話を取り上げた。その昔、高野山(和歌山県)が女人禁制だったため母子が父との。再ふ芒を果たせなかった物語で、子供の頃に聴いたときは「女人禁制でなかったらこと悲しみが胸に突き刺さったと書いた。
 すると知人から「じゃ、この島も女人禁制を解いた方がいいと考えるのか」と問われるはめになった。関連の遺産群とともにこの7月、世界文化遺産に登録された沖ノ島(福岡県宗像市)のことである。否、と答えはしたものの、明確な根拠は持ち合わせていなかった。

◆「神宿る島」
 宗像大社の沖津宮がある沖ノ島は「神宿る島」といわれ、今も女人禁制が守られている。男でも上陸できるのは年に1日だけだが、登録を受けて同大社は来年以降の参加者募集を行わない方針を決めた。
 山でも大峰山(奈良県)のように女性の立ち入りをいまだに認めていない所もある。明治5年に政府が禁制解除の布告を出すまで、わが国の霊山はほとんどが女人禁制だった。女性を穢れとみたり、山には女の神が住み、人間の女性が入ると女神が嫉妬し災いが起きると信じられたりしたことなど、いわれはさまざまだ。沖津宮をはじめ宗像大社の3つの宮に祀られているのも、みな女神である。
 苅萱の話を聴き、女人禁制は許せないと子供心に思ったのは確かだが、長じて信仰や伝統、文化といったものには合理的な理解の及ばない部分もあることを知った。科学的知見や現実的思考から物事を合理的に捉える風潮が強い現代でも女人禁制が残っているのは、合理性が全てではないことを物語る。
◆契機は「京都博」
大相撲の土俵や歌舞伎の舞台における。女人禁制は言うに及ばず、酒造りの蔵などでも長らく女性の立ち入りが嫌われてきた。女性芸能者が創始したにもかかわらず、風紀上の理由から女芸人への禁令が出るなどした歴史をもっ歌舞伎が現在、圧倒的多数の女性客に支えられている一事に徴しても、女人禁制を男女同権といった現代の価値観だけにあてはめて論じることはいかにも無意味であろう。
  信仰や伝統、文化は守られることに価値がある一方で、常に変化し続けているのも歴史に見る通りだ。明治5年の解禁布告は、同年開催の京都博覧会を訪れる欧米の観光客に対し、比叡登山を夫人だけ拒むのは難しいと考えだのが直接の契機だったらしい。夫婦で教会に通う西洋の習慣に配慮したもので、解禁はいわぱ政府の欧風化政策の一環だった。高野山では翌6年、女性が登るようになったが、強い反発が続き、完全な解禁は38年まで待つことになる(『比較家族史研究』第31号)。
  沖ノ島の女人禁制が今後、どうなっていくかは分からない。
 やはり信仰と伝統を重んじる京都の祇園祭では平成13年、一部の山鉾で。公認”の女性囃子方
が巡行に加わることになり、話題を呼んだ。移りゆく世情に応じて伝統や文化に対する人々の共通理解も変わる。要は、変えてはならぬものと変えてもよいものとの、また合理と非合理との折り合いをどうつけるかであり、女人禁制についても多方面からの議論が必要である。
◆「女人歓迎」だった
 民俗学の柳田国男は『老女化石譚』に、女人禁制は女人歓迎の意味だったと記す。高山の途中に女人結界の地があるのは、足弱の女性にとって頂上を極めずに済むから、むしろ妬しかろう。結界は、山への参拝を断念せんとする女性を、せめてそこまではと誘引する一手段だったかもしれない。柳田説はどこまでも女性にやさしいのだ。
 作家の玉岡かおるさんに宗像大社への珠玉の紀行がある。
「だめと言われればよけい行きたくなる」沖ノ島だが、中津宮の神職に「玄界灘は荒海で、航海は命がけ。だから、女性を危険な目にさらさないため、女性は行くな、と女人禁制になった」と教わると、「女が生き残れば子孫はつながり国も続くと考え、女を敬った古代人は、しんどいこと危険なことは男性が、と分担したのであろうか。
ならば素直に従い(中略)遥拝所から沖ノ島を拝ませてもらおう」 「行けなかった沖ノ島を銘
柄にした地酒で乾杯。さいはての海から、この国よ幸せであれと守り立つ三女神がほほえんで
くれた気がした」 (『PHP』2012年9月号)
  「沖ノ島」に、こんな愛で方もあったとは…。
     (せこぐち さとし)









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