娘の首に刀を…「ごめんね、母さんもすぐに逝くからね」 ソ連軍に蹂躙された「葛根廟事件」

【満州文化物語(10)】2015.11.8 産経新聞

■世界遺産にふさわしい
 日本人として決して忘れてはならない歴史の事実がある。例えば、先の大戦でソ連(当時)がわが国に対してやったことだ。

 昭和20(1945)年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄して旧満州、千島・樺太へと侵攻してきたソ連軍は、日本の民間人に対して殺戮(さつりく)、略奪、レイプの非道極まりない行為を容赦なく繰り返した。

 領土的野心を剥(む)きだしにしたソ連軍は8月15日以降もひとり戦闘行為を止めない。ポツダム宣言に背き約60万人の日本人をシベリアへ連れ去り、酷寒の地でろくな食事も与えず、重労働を強制し、約6万人を死に至らしめた。人権への配慮などかけらもない所業。「世界遺産」として、人類の記憶にとどめておくのに、これほどふさわしいものはないではないか。

 それだけではない。8月22日、樺太から北海道への避難民を満載した小笠原丸など3隻が留萌沖で国籍を秘した潜水艦の攻撃を受け、約1700人が犠牲になった。ほとんどが女性や子供、お年寄り。日本の船は民間船であることを明示していた。魚雷攻撃で冷たい海に投げ出され、波間に漂う人たちを、あざ笑うかのように機銃掃射でとどめを刺したのである。

■何度も死を覚悟
 満州の北西部を貫く大興安嶺の山脈と広大な草原。満州国時代、モンゴル(蒙古)人が多いこの地域に、興安総省が設けられ、総省公署(役所)が置かれたのが、「興安街(こうあんがい)」(現中国・内モンゴル自治区ウランホト)であった。

終戦時の在留邦人は約4000人(周辺地域を含む)。8月14日、このうち約1000人の民間人が興安の南東約40キロのラマ寺院、葛根廟(かっこんびょう)近くでソ連軍の戦車十数両に蹂躙(じゅうりん)されて虐殺。あるいは絶望しての自決によって亡くなった。助かったのはわずか百十数人。親を殺された30人あまりは残留孤児となった。「葛根廟事件」である。

 大島満吉(79)はそこで生き地獄を見た。何度「死」を覚悟したか分からない。当時、国民学校(小学校)4年生。両親と兄、弟、妹の6人家族で、興安街から徒歩で南へ向かって避難する途中だった。

 14日正午近く、真夏のギラギラとした陽ざしが照りつけていたのを覚えている。「戦車だっ!」。避難民の隊列の戦闘付近にいた満吉は、後方から叫び声を聞く。くもの子を散らすように逃げ出した避難民の後から、轟音(ごうおん)を響かせて追いかけてくるソ連軍の戦車群が見えた。

 「キャー、逃げろ!」。ドーン、ドカーン…日本人の悲鳴をかき消すように戦車砲が炸裂(さくれつ)する。地鳴りのようなキャタピラの音。ダダダっ…機銃や自動小銃の発射音が鳴り止まない。母らと一緒に近くの壕(ごう=自然にできた大きな亀裂)の中へ飛び込んだ満吉は銃を持った人影を見た。

 「日本兵が助けにきてくれたのかと思ったら、ソ連兵だったのです。私の背中のすぐ後ろで、日本人に向けていきなりダダダっと自動小銃を発射しました。ギャーという悲鳴、ブスブスっと銃弾が体に食い込む音…あっという間に30人ぐらいが殺されました」

■悲しき最後の晩さん
 終戦間際、満州では南方へ転身していた関東軍の兵力を穴埋めするために、一般の多くの成人男子が「根こそぎ動員」で軍隊に召集されていた。葛根廟事件に遭遇したのはほとんどが、女性や子供、お年寄りである。武器はわずかな成人男子が小銃などを持っていただけ。その“弱者集団”を戦車が虫ケラのように踏みつぶし、砲や自動小銃で撃ち殺したのだ。

 絶望した避難民は、青酸カリをあおったり、互いに短刀を胸に突き刺したり、わが子の首をヒモで絞めて自決する人たちが相次ぐ。壕の中には母親と満吉、6歳の弟と2歳の妹…。覚悟を決めた母親は妹の首にいきなり刀を突き立てた。「ごめんね、母さんもすぐに逝(い)くからね」。鮮血があふれ、妹は声も出さずに死んでいった。泣きながら小さな顔に頬ずりをして、手を合わせた母の姿が忘れられない。

 国民学校の校長先生の子供たちがいた。両親はすでに亡い。ひとつ年上の長女から声を掛けられた。

 「『最後の晩さん』をしましょう、って。荷物の中にあったそうめんや角砂糖を出してきて一緒に食べました。味なんかしなかった。ああこの世の別れなんだ。『死にたくない』って思いましたけれど…」

 満吉の前に十数人の列ができていた。日本刀を持った在郷軍人に刺し殺してもらうのを順番に待っているのだ。 

 そのとき、離ればなれになっていた父親とひとつ上の兄が突然、壕に姿を見せる。「お前たち、生きてたのか! 随分、探したんだぞ。さあ立て、こんなところで死ぬことはない」。父親の大声が響いた。

だが、母は動こうとしない。「あたしは行けないよ。(娘が死んだ)ここに一緒に残るんだ」。父親は母の体を引きずるようにして無理やり立たせた。「終わったことは仕方がない。さあ逃げるんだっ」。

■生涯消えない記憶 
 大島一家は、葛根廟から新京(現・中国長春)へと逃れ、妹を除く家族5人が奇跡的に助かった。

 だが、極限の状況の中で自分の子を手に掛けねばならなかった母の悲しみ、苦しみは生涯消えることはない。戦後、満吉は9回、現地を再訪したが、生前の母は決してその地を訪れようとはしなかった。

 「最後の晩さん」をともにした校長先生の長女はその後、病死。4人兄弟のうち、ひとりだけが、残留孤児になって来日を果たしている。国民学校270人の児童のうち、実に約200人が亡くなった。

 同じ興安街の住人、同じ国民学校の児童でありながら、1日の遅れ、いやわずか1時間の差が彼らの生死を分けてしまう。

 あまりにも残酷な運命を戦後遅くなって知った人もいる。葛根廟事件は、助かった者にも「重い十字架」を背負わせた。それは次回に書く。

=敬称略、隔週掲載

(文化部編集委員 喜多由浩)
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