極寒の重労働への怒り、80人超の同期生を失う悲しみ染み込む「セメント袋歌集」 シベリア抑留者の慟哭…


【満州文化物語(18)】2016.2.28 産経新聞

 粗末なセメント袋をほどいて作った歌集が残っている。載っているのは『スターリン賛歌(さんか)』や『民族独立行動隊の歌』などの革命歌、労働歌。シベリア抑留者が使ったものだ。

 歌集をひそかに持ち帰ったのは満州国陸軍軍官(士官)学校7期生、小池禮三(れいぞう、88)。「共産主義に染まったアクチブ(収容者の活動家)から『赤旗の歌が歌えないと日本に帰さない』と脅されて、懸命に覚えたものでした」

 小池は一度、酷(ひど)いやり口で絶望を味わっている。ブカチャーチャという炭鉱の収容所(ラーゲリ)で約3年間、強制労働に就かされた後、「日本への帰国」を告げられ、船が出るナホトカまで来たというのに「船が来ない」という理由で別の収容所へUターン。落胆はあまりに大きかった。

 小池はそこで、日本語がペラペラのロシア人政治部将校が主宰する「反ファシスト委員会」の学習会に参加することを命じられる。マルクス・レーニン主義を3カ月間叩(たた)き込まれた。

 小池は、洗脳されたふりをして、さらに1年間必死で耐え抜く。“セメント袋の歌集”には酷寒の地で重労働を強いられた怒りと、10代の少年にすぎなかった80人以上の同期生を抑留中に喪(うしな)った悲しみがたっぷりと染みこんでいた。

■特攻を前に遺書を書く
 昭和20年8月9日未明、ソ連軍(当時)が150万の大軍で満州へなだれ込んできたとき、小池ら7期生の日本人生徒約370人は首都・新京(現中国・長春)にある軍官学校で泥のように眠り込んでいた。
前日夜半に、3日間の耐熱行軍から戻ったばかり。大雨に降られ、くたくたに疲れて寝床に入ったところを「非常呼集」の怒声でたたき起こされた。

 「新京が空爆を受けているらしい」。にわかには信じられなかった。満州はほんの少し前まで空襲もめったになく、食料や物資欠乏がひどい内地よりも安全で快適な土地だったのだ。軍官学校に残っていたのは、約8カ月前に満州へ来た7期生の日系と満系(中国人)の生徒らだけ。1期上の日系6期生は約1カ月前に陸軍士官学校などへ進むため内地へと戻っている。

 小池は、「ソ連参戦の情報を私たちはまったく知らなかった。戦況の悪化で関東軍主力が南方へ転出させられているとは聞いていたけど、日本が負けるなんて思いもしなかった」

 満州と彼らの運命は暗転する。実戦経験など皆無の少年たちは、いきなりソ連軍の大部隊を迎え撃つ最前線へと放(ほう)り出された。塹壕(ざんごう)掘りを命じられ、「戦車が攻めてきたら爆雷を抱いたまま飛び込むのだ」と…。死ぬことを前提にした特攻作戦である。もはや届くはずもない遺書を書き、抽斗(ひきだし)にしのばせた。

 一方、日本の敗色濃厚を察知した満系の軍官・生徒は逃亡や反乱に動き出す。新京の満州国軍は、空中分解したまま終戦を迎え、日系の軍官・生徒は、ソ連軍に武装解除される。そこで生死を分かつ「運命の分かれ道」があった。

■離脱か、残留か
 20年9月初め、新京郊外・南嶺の旧軍兵舎でソ連軍の監視下に置かれた軍官学校の日系生徒約370人は「究極の選択」を迫られていた。シベリアへの移送は始まっていないが、前提となる作業隊の編成をソ連側から急(せ)き立てられている。動くなら今しかない。

 「満州に係累のある者は離脱を認める」

 学校幹部から“お触れ”が出された。新京に知人がいた7期生の西川順芳(のぶよし、87)は渡満前に大叔父の内田信也(のぶや=東條内閣の農商務相)から聞いた「シベリア抑留」の話が頭をよぎり、離脱を決意する。「冬用の背広に着替え、一般人のふりをしてソ連兵の監視をすり抜けた。トランクには軍服が入っていて、中国人警官に見咎(みとがめられたときは冷汗が流れた」

 離脱組は約60人。新京の知人宅に潜んでいた西川が翌21年4月、中国の国共内戦に巻き込まれるのは、以前書いた通りである。

 小池は残った。「そのときはまさか“シベリア行き”とは思いもしない。貨車に乗った後もソ連兵は『東京ダモイ(帰還)』を繰り返していたから先に内地へ帰るのは(離脱組ではなく)私たちの方だと…」

 酷寒の地で小池らを待っていたのは想像を絶する「地獄」だった。

■肥料まで食べさせられ
 7期生の抑留者は2つの収容所に分けられる。約230人がチタ州のブカチャーチャへ、約80人はイルクーツクだった。80人以上の死者の大多数はブカチャーチャに集中している。ほとんどが病死だった。
小池は、10月2日にブカチャーチャの収容所に着く。約2500人いた日本人収容者の中で、17、18歳の軍官学校生徒は最も若い。“人間扱い”なんてされなかった。「珍しくスープに魚が入っていると喜んだらあまりに渋くてのどを通らない。袋を見たら昭和2年製。つまり、『肥料』になっていた魚を食べさせられたのですよ」

 最初の冬にシラミを媒介にした発疹チフスが大流行する。40度以上の高熱、脳症…大人になりきっていない若い体から、あっけなく命を奪ってゆく。遺体から衣服をはぎ取り、土と雪を被(かぶ)せるだけ。朝起きるとまたひとり、ふたりと硬くなっている…。

 小池の引き揚げは24年9月。引き揚げ後も苦労は続いた。“アカ”に染まったのではないか、と疑いの目で見られ、刑事が思想のチェックにやってきた。外地からの引き揚げ者を対象にした大学編入の特例措置はすでに締め切り。20歳過ぎが「新制高校2年生からやり直せ」といわれれば、進学を諦めるほかはない。

 ようやく地元の金融機関に職を見つけたときの採用条件は「絶対に赤旗を振らないこと」。シベリア抑留経験をやっと打ち明けられたのは“平成の時代”になってからという。

 せめて母を、故郷を想いながら死んでいった友の最期の様子を家族に伝えたい、とも思うが、どうしてもできなかった。

 「申し訳ないと思う。だけどやっぱり後ろめたい気持ちが消えないんですよ。私は生きて日本に帰ることができたのですから…」=敬称略、隔週掲載

(文化部編集委員 喜多由浩)
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