日本「陸士」受験したが、満州国軍に 運命変えた“回し合格”…

【満州文化物語(16)】2016.1.31 産経新聞

 満州国は昭和7(1932)年3月の建国から、わずか13年で“うたかた”のごとく消えてしまう。国の理念である五族(日、満、漢、鮮、蒙)で構成されていた満州国軍も、20年8月、ソ連軍(当時)の満州侵攻を知るや、満系(中国人=満、漢)、蒙系(モンゴル人)に反乱や逃亡が相次ぎ、空中分解した。

 日本人の将校・軍官学校(士官学校)生徒のほとんどがシベリアに抑留され、辛酸をなめたことは、すでに書いた通りである。

■元韓国大統領も在籍
 その五族で構成されていた満州国軍の軍官学校はユニークな学校だった。

 首都・新京(現中国・長春、日系=日本人と当時、日本統治下にあった朝鮮人=と満系が所属)と興安街(同ウランホト、蒙系)に2つあり、戦後、韓国の大統領になった朴正煕(パクチョンヒ、2期生)や満州国皇帝、溥儀(ふぎ)の弟、溥傑(ふけつ)も終戦間際、日本の陸軍大学校を経て予科生徒隊長(満州国軍中校=中佐)として在籍していた。

師範学校、教師などを経て20代で軍官学校に入った朴は、成績優秀者として日本の陸軍士官学校へ留学。その後、満州国軍の将校となって終戦を迎えている。

 一方の溥傑は、ソ連軍侵攻直後に全校生徒を集めて日本語で特別訓示を行い、「新たなる敵(ソ連軍)を撃滅することこそわれわれの任務。最後の勝利を確信して訓練の成果を発揮せよ」とげきを飛ばした。

 五族のうち、日系生徒は少し扱いが違う。予科の2年間(戦争末期には短縮)を新京で過ごした後、本科は内地の陸士などで学ぶ(軍医・獣医生徒は除く)システムが採られていた。

 入校の経緯も面白い。彼らは満州ではなく、内地の出身で、そもそも満州国軍に入るつもりなどなかった。というよりも、日本人を対象にした満州国陸軍軍官学校採用試験は初めからなかったのである。

 彼らは、日本の陸軍予科士官学校(経理学校を含む)受験者から推薦されていた。“回し合格”というべき制度だが、陸士の合格点に達しなかった訳ではなく、優秀な人材の確保や共同作戦にあたる日本軍との一体化を図る狙いがあったとされる。この制度は、戦後までほとんど知られることがなかった。

■何かの間違いだろう?
 だが、たとえ第1志望ではなくとも、思いもよらなかった満州国軍であっても彼らは夢を抱き、「お国のため」と喜び勇んで大陸に向かった。それが運命を劇的に変えてしまう。

 満州国陸軍軍官学校、最後の期となる7期生の小池禮三(れいぞう、88)は、日本の陸士試験の身体検査で、「胸に影がある」と診断されて帰された。

 「剣道2段で、健康には自信があったから『何かの間違いでしょう』とフンドシ姿で2時間も粘ってみたが、ダメだった。しばらくして、陸軍省から『満州国(陸軍軍官学校)に推薦する。応否を連絡せよ』という通知が来たのです」

 同じ7期生の茨木治人(はると、89)は、主計将校などを養成する陸軍経理学校を受験していた。

 「(合格には)絶対の自信があって『私の合格電報を忘れていませんか?』と校長宛に手紙を出したくらい。すると『あなたは満州に推薦してありますから』と返事が来た。母親は反対したけど、僕は満州にあこがれていた。すぐに行く気になりましたね」

■「日本は負ける」に反発
 やはり7期生で、21年4月の「国・共」による中国内戦に国民党軍少尉として参加した西川順芳(のぶよし、87)は19年に日本の陸士を受験したとき、まだ15歳だった。神奈川・湘南中学(旧制)の4年生。満州・軍官学校への推薦を打診されて、「満州国軍に尽くすことが日本のためにもなる」と素直に喜んだ。

 だが、両親や親類が反対。特に強硬だった母親は説得のため、西川の大叔父で、東條内閣の農商務相や貴族院議員を務めた内田信也(のぶや)の所へ連れていく。

 内田は終戦1年前の段階で、日本が置かれている状況を正確に掴(つか)んでいた。すでに敗戦は必至であること。来年(20年)夏か遅くとも秋には満州へソ連軍が侵攻してくること。満州国は崩壊し日本人は帰って来られなくなること。さらには、軍人はシベリアへ連行されるであろうことまで並べ立てて、西川の渡満を止めたのである。

軍国少年だった西川はムキになった。「(内田は)『満州へ今から行くなんてバカだ』と言う。それが悔しくて、『おじさん、もう一度そんなこと(日本が負ける)言ったら、憲兵隊に言い付けますよ』と言い返してしまった」

 15歳の少年にそこまで言われた内田は匙(さじ)を投げた。「バカモン! もう勝手にするがいい」

■渡満8カ月で敗戦
 こうして集められた10代の軍官学校7期生(軍医・獣医生徒を含め約370人)は19年暮、東京・九段の軍人会館(現九段会館)に集合。鉄道と船を乗り継いで新京へと渡る。一足先に満系の同期生約500人は入校しており、颯爽(さっそう)と行進する姿に1期上の先輩と勘違いしたという。

 まだ、満州には戦争の影すらない。旧制中学を出たばかりの予科生徒である彼らは、たまの休日に新京在住の郷里の知人宅を訪ね、和食をたらふくご馳走(ちそう)になるのが楽しみだった。

だが、ソ連軍侵攻ですべてが暗転してしまう。その約1カ月前、1期上の日系6期生が陸士での本科へ進むため、内地へ去っている。だから、ソ連軍侵攻時に日本人生徒として残っていたのは8カ月前に満州へ来た7期生だけだった。

 実戦経験などまったくない彼らが突如、新京防衛の部隊に組み込まれ、敵の圧倒的兵力の前に「死」を覚悟する。そして、なすす術もなく武装解除、シベリア抑留…同期生のうち、80人以上が祖国へ帰ることなく無念の死を遂げた。

 21年夏に日本へ引き揚げた西川は、大叔父の内田と再会し、頭を下げるハメになった。「おじさんの言う通りだった」と…。
=敬称略、隔週掲載(文化部編集委員 喜多由浩)
スポンサーサイト

Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://depot3.blog75.fc2.com/tb.php/145-466c72d5

«  | HOME |  »

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (4)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (0)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (4)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (1)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (2)
歴史認識 (10)
北朝鮮 (2)
台湾 (1)
北海道が危ない (6)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード