汚名への反論 No8 聖娼の住む街 

聖娼の住む街 
山西省の朝鮮人娼婦 戦場の美「慰安婦」に敬礼
  元造(つくる)兵団陸軍中尉 冨田茂男(福島県 80歳)
  昭和史研究所會報 第57号 平成14年1月10日号

◆第一話 運城の夜は更けて
 昭和十九年六月発動された西北河南作戦は、中国山西省から、黄河を越えての進撃であったが、霊宝県草廟で右膝関節部に砲弾破片創、右足脹脛部に貫通銃創を受けた私は、陝(せん)県の野戦病院で応急手当を受けた後、再び黄河を渡って、山西省運城陸軍病院に後送された。負傷者を満載したトラックは走り通しで、夜明けに運城に入った。トラックの荷台の上から重厚で大きな軒々が見えて、それだけで大きな街であると感じられた。長い間見た事のない電灯の光がまぶしく、甲斐々々しく働く日赤看護婦達は、これ又何年かぶりで見る大和撫子で、天女のように優しく美しい。裸にされて身体を拭いて貰うにも、二ヵ月近くも風呂に入っていないので、垢だらけで恥ずかしい限りである。
 運城の陸軍病院は清潔で大きくて広い。温堂で負傷した若菜君も先客で来ていた。毛シラミがひどいので、亜鉛軟膏とやらをもらい、足をあげての一番風呂と洒落れたが、死んだ毛シラミがうようよと浮いたので、後から入った者はさぞや迷惑だったろう。
松葉杖での歩行は困難ではあったが、痛みは大した事はなく、若菜君とは別室だったが、将校病室は先任が軍医大尉で、後は中尉二人と同階級が二人という暢気なもので、美しい看護婦がしょっちゅう来てくれるし、戦野の疲れも一挙に脱けたようである。まさに天国と地獄の相違である。たゞ最初についてくれた看護婦が、いつの間にか代わってしまったのが残念であった。
 ところがよくしたもので、早速、朝鮮の所謂慰安婦達が三人連れで、毎日のように見舞いに来るようになり、二十歳そこそこの彼女達に、故郷の娘達の面影が重なったりもした。メンバーは変わる事もあったが、光ちゃんという娘が、童顔の抜けきらない、あどけない顔をしていて、私の一番のお気に入りだったが、この子だけは毎日来てくれて、帰るまで私の枕元で団扇で風を送ってくれる。運城の夏はじっとしていても汗ばむように蒸し暑い。PRも兼ねたサービスであろうが、温かな心も感じられるのである。ニカ月足らずで入院下番となった夜、女達に聞いていた偕行社に行って、これ又何年かぶりのビールの酔いは早かった。
 今考えると、街灯も乏しい暗闇の運城の街で、何とか偕行社の場所が判ったのが不思議である。八月だから運城は夜も暑い。それでも火照った頬に夜風は気持ちよく、ぶらぶらと兵姑宿舎に戻ろうとした道すがら、路傍でなにやら言い合っている、二つの黒い影が見えたので立ち止まった。あまり歯切れがよいとはいえないが、「朝鮮ピー、朝鮮ピーと馬鹿にしないでよっ、天皇陛下、同しじゃないか」という台詞が聞こえ、「貴様!」の怒声と共に、突然飛び出してきた黒い影が、私に纒わりついた。
 「助けて」と黒い影が小さく叫んだと同時に大男が現れて、私に眼もくれず、「こっちに来い」と女に手をのばしてきた。酒の臭いがむんむんとする。反射的に私の手は男の横面に飛んだ。ビールの酔いと、河南作戦で、初めて修羅場をくゞり抜けてきた気負いが、そうさせたのであろう。
 一瞬、男はよろめいたが、直ぐ立ち直って「貴様! 何者だ! 俺は憲兵だぞ」とわめいた。「憲兵なら女を追いまわしてもよいのか。俺は東野部隊の冨田少尉だ」と怒鳴りかえす。病院でも東野部隊の名前は、河南作戦の活動で有名だったので、かなりの威嚇を期待したのだ。「トミタソウエ?」と女は私を見上げる。(朝鮮半島の人たちは、日本語の濁音と、ヨウ音が苦手らしく、少尉がソウエと聞こえる)星明かりで見れば、何とその女は、毎日病院に来てくれていた光子ではないか。
「どうしたんだ」と問いかける暇もなく、男は無言で拳銃を突きつけてきた。軍装はしていないし、まさか、撃ちはしまいとは思ったが、軍刀の柄に手をやる。だが相手は酔っているし、軍刀を抜けば発射されそうなので、抜くにも抜けない。
 折角作戦で生き残ってきたのにと、じりじりと後退した途端、ハタハタと入り乱れた靴音がして、銃を手にした二、三の兵が駆け寄ってくる。「六十九師団の巡察将校だ。何をしておる」と、咎める声も聞こえてきた。男は忽ち身をひるがえして暗闇の中に消え去った。私は思わず敬礼したが、馬上の巡察将校は、何と保定幹部候補生隊で、隣の寝台だった浅井少尉(長野県出身)だったのには吃驚した。彼は勤務中なので、一献酌み交わす事も出来無かったし、彼がその後どうなったか知るよしもない。それっきりで永遠の別れになってしまうのだから、誠に侈いものである。今思うに、教育した初年兵は別として、戦友の出身地の詳しい住所など、誰しもが書き留めておこうともしなかったのは不思議に思えてならない。皆んな生還など考えていなかったのであろうか。
 逢うは別れの運命とかいわれるが、この小編に登場する戦友達を初め、在任中何らかの接点があった数多い戦友達、更に私か教官として接した初年兵達、戦場に於ける出会いというものは、何時も奇遇であり、戦友会等の組織にでも入っておれば兎も角、すべて逢った時が別れで、その後は永遠に巡り会えないという事は、何と儚(はかな)く淋しい事であろうか。我々が黄泉とかに行った時、そのような儚(はかな)い別れをした人達に、時空を超えた霊力と霊感で、是非再会したいものと思っておる次第である。
 翌朝、原隊復帰のため運城駅に行ったが、大豪雨のため橋が落ちて、臨扮(りんぶん)付近で列車は不通との事、天の助けかと嬉しくなって、その足で病院に向かった。今日、病院で、演芸大会が開かれるのを知っていたからである。軍隊という所は、いろんな経歴を待った人の集合体なので、歌や踊りがずば抜けて上手い人が居るもので、それが楽しみだったし、或いは、光子達も来ているかも知れないとの期待もあった。会場は既にいっぱいで、最後尾で立ち見するほかはない。

 あの花、この花、咲いては散りゆ
 泣いても止めても、悲しく散りゆ
 散らずにおくれよ、可愛い野花よ
 わたしは、あてない、旅ゆく乙女

 曲名は戦後に知ったのだが、西条八十の作詞になる名曲を、何回か私の病室にも来た事のある、礼子と呼ばれていたスタイルのよい長身の女が、すばらしい歌声を披露してくれたのには吃驚した。それは彼女達の現実を象徴しているようでもあり、身につまされるものがあった。
 何時のまにか、昨夜の光子が傍に来ており、「トミタソウエ、夕べはアリカト」と。昨夜のいきさつを尋ねても、しょうもないが、憲兵などと詐称した酔漢に絡まれたらしい。
「お前、ジュン県に来ないか」「ジュン県て何処?・」「ジュン県て太原の北の方だ」「行きたい。連れて行って」といわれても、彼女達から、お父さんと呼ばれる鮮人のジヤングイ(娼家の経営者)に、多額の金で交渉しなければならないだろうし、一少尉の身分でそんな事が出来る筈は無いし、金など勿論持ってる訳はない。
 そのまま、何も言う事も出来ず、さりげなく、黙って別れるしかなかったが、純情だった彼女達が、今、何処でどうしておるのやら、まさか、慰安婦訴訟などには参加しては居まいと思うが、何日までも思い出に残る、戦場の女達である。
 今もなお、搦々として哀切を帯びた歌声が、聞こえてくるような気がしてならない。

 あの雲、この雲、日暮れにや帰る
 静かな谷間へ、楽しい我が家に
 いつの日帰ろう、恋しい故郷
 わたしは惨い、さすらい乙女よ。

 彼女たちは普通、総称的に朝鮮ピーと呼ばれ、(日本人娼婦も同じく日本ピーであり、中国人のそれはチャンピーで、私娼である中国人は小盗ピーと呼ばれた)従軍慰安婦などという言葉はその頃は無かったし、軍の庇護を受けていたのは事実だが、すべて鮮人が経営する娼家の娼婦だったのである。ピーとは中国語で、女性の陰部を意味する詞なそうだが、強制連行などという、暗い陰影は微塵にも感じられなかったし、勿論、監視などある筈もなく、彼女達は運命を甘受し、明るく朗らかに、而も逞しく生きておって、兵隊に数倍する報酬を得て、実家に仕送りなどもしておったらしい。

◆第二話 さらば!! 山西
 慰安婦達との私の関わり合いは、これだけでは終らなかった。昭和二十年に入ると戦局はますます悪化し、それに伴って、比較的安泰であった中国戦線も、部隊の移動がしきりとなり、私も今までの中隊を離れて、大隊本部付きとなったのである。本部付きとなると、第一戦で戦うことは少なくなるが、事務的雑用が増えるのである。ジュン県にも時々出張しなければならない。ジュン県は、兵団司令部の所在する大きな街である。そのおかげで、ジュン県から大隊の警備地に、出張サービスすることになった慰安婦達の、道案内兼護衛引率をすることになったのである。一行五人の慰安婦達のお供である。
北同蒲線(きたどぅほ)の原平(げんぺい)から列車に乗る。
列車は殆どが中国人であるが、この時は大分空いて居って、伝令と私か向き合って座ると、早苗と呼ばれていた一番若い子が、私の隣りに座った。隣の席も四人の彼女達が占領した。
 この列車行では対照的に、戦後日本に進駐してきた、米軍のことが思い出される。殺人的な満員電車に乗らねばならぬ日本人を尻目にかけて、特別仕立ての、今で言うグリーン車の、而も四、五人ぐらいしか乗ってない専用列車に、ふんぞり返っていた彼等の姿である。
 現在、日本軍の事となると、すべてを悪し様にいう人が居るが、当時の中国に於ける日本車は、部隊の移動は貨車であり、単独の時は勿論中国人と同じ一般車で、満員の時は将校は立っておるのが当たり前で、何の違和感も感じなかったのである。
 それは兎も角、この時は割と空席があったが、彼女達は何の屈託もなく、列車の旅を楽しんで居るように見受けられた。なにやら判らない朝鮮語でお喋りしているので、悪口を言われているのかも知れない。そのお喋りも長道中に飽きてきたのか、小声で合唱を始めた。

 厭なお方が来る時にや
   三日前から頭痛い
 好きなお方が来る時は
   十星先から靴の音よ
 私のスーチャン知ってるかい
   粋な陸軍少尉殿
 今日も昨日も弾丸の中
   討伐作戦で苦労なさる

 恐らく、洒落気のある日本の兵隊の誰かが作った、戯れ歌なのだろうが、軍隊で粋なと言えば、上等兵か中尉に決まってるのだが、私へのご愛想だったのだろう。内地なら、早速アイスクリームなど買ってあげる所だが、残念ながら、中国では駅も車中にも売店はない。なお、いろんな兵隊ソングも歌ったし、本場の「アリランの歌」も教えてくれた。
 その後、彼女らは大隊本部のある五台を足がかりとして、何日かずつ、分散警備に就いている四ヵ中隊の拠点を慰問して廻ったのである。勿論警護付きである。八路に捕まれば、日本人は勿論のこと、韓国人とて拉致されるか、虐殺されるしかないのである。それでも商売熱心というのか、使命感に燃えてるというのか、山間僻地であっても嫌がる様子はなかった。ジュン県に帰るときも又私か引率したが、この時は列車が満員で、バラバラに乗る外無かったので、余り印象に残ることはなかった。
 昭和二十年の六月、私は本土決戦の中隊長要貝として、造部隊を離れることになった。ジュン県での送別会の夜、彼女達も和服を着て歓待してくれた。涙を流して別れを惜しんでくれたのが思い出される。
 「聖娼」と題する著書があり、「聖娼」とはバビロニアなど、古代社会に実在した女性で、神殿にいて、そこに詣でる男性と交わった、「聖」と「性」を具現した女性なのだそうである。父権的な価値を中心に置いた社会に移行するに従って消滅する。ユング派の分析家である著者、ナンシー・クォールズーコルベットは、聖娼を無意識の中にある元型と位置づけ、現代人の実際の夢を分析しながら、聖娼が現代においてもつ意味を考察する。そのイメージを豊かに感じる事は、現代人が生命力を取り戻す事だという。同時に強固な父権社会で女性性を回復する事だ、と説いているが、私にとっては、彼
女達こそ聖娼だったに違いないと思えるのである。
 この結語として、戦記作家、伊藤桂一先生の著書、『草の海』に述べておられる文言を引用させていただく。
 【戦場慰安婦とは何だろう。私自身の考えで言えば、日本の帝国陸軍大敗戦のなかに、戦場慰安婦の交じった部分だけが、戦争のなかの「美」であったような気がする。香り高く、価値多き慰安婦たちに対し、私は、衷心から敬礼せざるを得ないのである】とー。

 山西去りて 行く身には
 何んの来練は 無いけれど
 ジュン県城の灯り 何日までも
 吾が思いでの 虹となる

 城壁はるか 霞みゆき
 消えて儚(はかな)い 小夜嵐
 見果てぬ夢と あきらめて
 涙で送る 支那娘

 列車の窓に 流れゆく
 夕暮れ迫る 大行(たいこう山脈)の
 紅染めし 山河が
 燃える瞳に 消え沈む

 さらば峠県よ また来るまでは
 暫し別れの 涙がにじむ
 恋し山西の 山々見れば
 空の彼方に 北斗星
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