汚名への反論 No6 .7 歴戦の元将校{慰安婦問題を語る

歴戦の元将校 慰安婦問題を語る (上)
軍隊と性の機微を思うべし
   元菊兵団・歩兵大尉 井上咸 (川崎市 86歳)
    (平成四年二月十五日講述)
  昭和史研究所會報 第53号 平成13年9月10日号

 戦争中の日本軍の慰安婦・慰安所の問題で、最近韓国側から非常に激しい、しかも執拗な攻撃を加えて来ております。これに対する日本側の対応は、非常にあいまいで、しかも消極的ですね。先方の全く言い放題という状況で問題が推移している様です。そして日本内部におきましても自虐的な読物、情報が氾濫をいたしまして、これに乗せられたかのように一般のマスコミが踊り、何がどう悪かったのかという問題が凍結したまま問題が感情的にエスカレートしていくというような状況のようです。今までのいろんな事、情報を総合してみますと大体、次の様になっているんじゃないかと思います。非常に極端な事ですけれども、先ず戦争中日本、あるいは日本軍は契約的にあるいは組織的に朝鮮人の若い女を一般人と全く見さかいなく突然襲ってつかまえ、戦地に送った。強制連行していった。そして日本軍の兵隊の性の慰みものにしたんだという、全く天人共に許されざる非人道的扱いをやったではないかと。そうしてそれが戦後になっても国として謝罪らしい謝罪もなければ、一銭の補償もしない。簡単にいうとそういう事が中心の様です。

◆この儘では汚点を残す
 もし彼らの言う通りがそのまま通っていきますと、戦争中の実態を知らない日本と韓国の両方の若い世代が、これを信じ、韓国側はいよいよ日本に対する憎悪の念がわきたつでしょうし、又日本側の若い連中も、何と日本の国はひどい国であったか、又軍隊はひどい事をしてくれたんだという気持ちになりますし、恥づかしい汚点が歴史上に定着してしまうんですね。その事が私は非常に当時の当事者の一人として、恥づかしく、申し訳なくて、いてもたってもおられないような状況で最近の新聞を見ている訳です。
 まだまだ実際に戦争を体験して何かの形で慰安所問題を知っている人間が、数は減ってきていますが、各所におるわけですね。特に我々のような一市民ではなく、その発言に責任と影響力を持っているような国会議員などが、民族の恥になるような問題に対してどうして沈黙を守っているのか、私は腹ただしく思うわけです。こういう問題を語る事は、非常に面倒な側面があり、又自分の恥もさらす事になりかねないので、おそらく皆黙っているのだと思いますけれども、そういう事に僕はいてもたってもおられないような腹だたしさを感じる訳です。そこで私のような非常に声の小さい者ではありますけれども、自分の体験した中の事実関係だけでも伝えて、何かの参考にしていただきたいと思ってこういうテープを吹きこんでおるわけです。

◆満支から南方まで転戦
 そこで、こういう問題については自分自身も恥づかしい面がでてくるので、一般的には匿名にするようですけれども、それでは腰が引けて迫力もなく、卑怯な事と思いますので、簡単ではありますけれど私のだいたいの経歴と立場というものを申し上げたいと思います。 私は、大正四年、朝鮮の京城、現在のソウルで生まれました。私の父が日韓併合当時、伊藤博文たちと共に朝鮮にわたった役人の端くれで、それで朝鮮の各地を点々といたしまして、従って私の兄弟すべて、かの地で生まれて育っております。私自身も二十三で学校を出るまで朝鮮におり、学校もすべて朝鮮ですごしております。昭和十三年に学校を出るとすぐ、確か二十三の時だと思いますが、現役の兵隊として軍隊に入りました。そしてただちに北満の東部国境付近におりました部隊で、初年兵の教育を受けまして、以後幹部候補生に採用され奉天の予備士官学校を出まして、ただちに当時南支派遣軍といっておりましたが、南方の広州辺りに集結しておりました歴戦の部隊に配属になりました。その付近で局地的な作戦あるいは福建省における福州作戦、あの付近の地域におりましたけれども、大東亜戦争が始まると同時にマレー半島に上陸し、それを縦断して、シンガポールの総攻撃に参加いたしました。その後ビルマに行き、終戦までそこにおりまして、終戦を迎えて約一年間の抑留生活をして、日本に帰って参りました。私は歩兵でありましたので常に第一線の戦闘部隊におりました。最初の頃は、小隊長、中隊長、それから情報関係、それから宣撫関係、ある時期におきましては大隊副官として、実際に慰安所の面倒を見たという時期がございます。それから地域的には最初は満洲、それから南支那それから福州関係ですね。それから大東亜戦争後はマレー、シンガポール、ビルマと各地を転々としながら第一線及び後方の状況もある程度知っております。その他途中で戦傷と病気の為に、ある時期には、野戦病院から兵姑病院、陸軍病院と転々といたしました。

◆軍隊国民が一体だった
 その場合にいわゆる戦地における後方基地、大きな町ですね、例えばラングーン、シンガポール、バンコックだとか、サイゴンだとか、そういった町の状況や慰安所の問題も若干は見聞しておりますので、多少の知識は持っておるつもりであります。こういう人間ですからこの慰安所の問題についても若干のことを語っても必ずしも不適当な人間ではなかろうかと思っております。むしろその状況を知っている我々が、早く実態だけでも伝えておくことが一つの責任ではないか、とさえ思っている訳であります。
 前置きはこの位にして話を進めます。慰安所の問題を論ずる場合に先づ注意を要することは、当時とは非常に状況のかわった現在の時点を元にして判断することはまちがいだと思うわけです。戦争に負けた日本ですけれども、だいたい戦争だとか喧嘩だというものは双方に言い分かあるのですが、一旦負けてしまえば、負けた方が何もかも悪いと、全部罪をかぶって悪者になるんですね。敗戦後の日本で、国の悪口、軍隊の悪い所を話し立てれば、飯の種になった。けれども当時はそういうものではなかった。当時は男の子で健全な心身の持ち主であれば必ず、兵役の義務を果たしたわけで、兵隊になった者は一家の名誉、男子の本懐ということで一旦緩急あった場合には一身を捧げて国の為に戦った訳です。
 そういう者に対しては国民が感謝と尊敬の念でしっかりと銃後で支えていた。そういう一体感があった。戦後は徴兵を忌避したことを自慢話に語るいわゆる文化人らしい者がいる わけですけれども、当時としてはとんでもない事だった。
 今丁度二月ですが、二月で思い起こすことは、二月十五日というのはシンガポールが陥落した日なのです。当時、私はシンガポール攻撃軍の最前線におりまして、その日はいよいよ最後の夜襲をやるということで準備していた。私の中隊は、マレー半島に上陸した時は、だいたい二百名前後の者かおりましたが、二月十五日には将校は全部やられ、私が一人残っており、兵隊が四十名程度おりました。その連中はいよいよ今夜は最後の突撃をするんだといってかまえておりました時に幸いなるかな、向こうの方で手を上げた。陥落した。その時の夜の事を思いますと午後から皆、飛び出て、お互い抱きあって涙を流した事を覚えております。後で知ったのですが、内地では、全国津々浦々提灯行列をして陥落を祝ってくれたそうです。そういった時代なのです。軍隊に対する国民感情には、現代とは全く違ったバックグランドがあったんですね。

◆昔売春業は公認だった
 次に、慰安所の問題ですけれども、戦前は好ましいことではないけれども、遊廓という形で売春業が法的に認められた商売だった。これは非常に暗い面を持っていますけれど、それなりに社会的に一つの役割を果たしておった訳です。一般の者はもちろん、軍隊も日曜日あたりは、皆それを利用していた。そういう時代なのです。各国でも何かの形で売春は残っておりますが、当時は日本では法的に認められた商売であったわけです。そういう事が今では忘れられているのではないか。韓国からの訴えをきいておりますと何か、韓国とか朝鮮とかいった外国の人を日本人がひどい目に合わせたというように聞こえますが、当時、朝鮮人はいろいろ問題はあってもれっきとした日本国籍を有する日本人であったと。それは台湾入もそうですけれども、それが今では何か全く異った外国人を日本人が虐待したという感覚で受けとられるような言い方をしておりますね。当時はあくまでも日本人の中の問題でありまして決して外国人との問題ではない訳ですね。植民地ですから、植民地の人間と本国との人間の間に何かしらの差別があったというのは、厳然たる事実でありますけれども、世界全体を見ても植民地と本国が完全な融和をするまでには大変な経緯や、軋轢、それから長い年月を要するものでありまして、日本の場合の三十五、六年間の朝鮮統治が起こした差別問題については一括してすでに戦後行なわれた日韓の基本条約その他で一応のケリはついているわけです。個別の問題として、いま慰安婦の問題が上ってくるということに、別な意味が感じられるわけです。

 だいたい以上のような事を頭におきながら進めてまいります。最初申し上げましたように最初は韓国から韓国人の慰安婦は日本の為にひどい目に合ったということから問題を発したのですけれども、だんだん問題が拡散していくうちに、何か日本全体の空気をみておりますと、軍隊の慰安所を使ったもの、慰安所そのものがおかした問題だとなりまして、その中で朝鮮人の慰安婦が虐待をされていった、しかもそれは国、あるいは軍隊が直接関与したことが悪いんだと、決して偶発的な、個別の問題ではない、軍の関与そのものが問題であるという話になってきておるようです。この軍隊と慰安所の問題をつきつめていきますと、結局は、戦争と性の問題という大きなテーマにぶつかるわけです。

◆性欲処理は人間の機微
 ご存じのように歴史は見方によっては、戦争の歴史でもあるわけです。戦争といいますと、必ずイメージとして、略奪、暴行がついているわけですね。戦争とそれに関わる人間の性欲の問題は非常に人間的な、暗いけれども人間的な重大テーマです。私が実際に戦争に行ってからの体験談をお話ししますけれども、その前に子供の頃にこういう話をきいた事があります。それは日露戦争の乃木将軍が二百三高地を攻めあぐんでいる時に、どうも兵隊の士気があがらないということで、内地の遊廓の女を貨車いっぱい送れというようなことが言われたとかいう話を子供の頃聞いた。当時は我々、子供がきく位ですから一般の大人の世界では、こういったものが明確な話として、残っておったわけです。現地に私か初年兵として北満のソ連との境を接している小っちゃな部落におりました時に、初年兵ですからあまり深くは詮索致しませんでしたけれども、演習の帰りなどで、小っちゃな部落でしたけれども、赤い敷布団が時々干してあるのがみられた。今に考えれば、ああいう小さな所でも慰安所的なものが、あったんだと思います。
 見習士官になって南支派遣軍に行きました時、先づは着任と同時に、聯隊長が、二十名程いた我々見習士官を前にして訓示した時にこう言った事を覚えています。「お前らは若いからあまり近よるな。しかし我々は(ということは聯隊長クラスですね)性交常習者だ(頭に残るのですがSEXにずっとなじんだ者だということですね)性交常習者はしかたがないが、お前達はああいう所に近よるな」という話を訓示の中でしましたね。非常にびっくりしたわけです。
 それからどんどん前線の部隊に行きました。その時に、新しく内地から着任した大隊長がおりました。今度は歴戦の部隊でしたから広州湾、バイヤス湾を経てきた古い将校を前にして新しく内地から着任したチャキチャキの大隊長はこの連中を叱った。「国軍の将校たる者がこんな不潔な所に出入りするのはけしからん」という様なことを皆の前で訓示しました。それが終りまして歴戦の将校達が三々五々解散していく時に、私はこういう事を耳にしました。その連中は「何だとあの内地から来た青二才。あんな訳のわからん事をいって」と非常に軽蔑の言葉を吐きながら散会していった事を覚えています。

 それからその後日談ですが、これを言ったらその人に申し訳ないんですけれども、実はそれから何年か後でその部隊長の副官をしたことがあります。その大隊長には好かれたんですけれども、驚くことにあんな清潔感を待った部隊長は私か副官をしている時に、非常に私をてこづらせる程、女の問題に関心がありまして、戦地の生活はそんなにも人間を変えるものなのか痛感しました。広東、当時は大きな南支那の町ですけれども、そこを歩いている時に街角である日、日本のかわいい女の子を見かけた。その時に我々を引率していた古い将校が冗談だと思いますけれども、「お前、あんなもんに手を出すなよ。あれは師団長の直接のお抱えだよ」という事を話したのを聞いております。これは事実かどうか知りませんけれども、おそらくそれと似たような事が当時あったのではないかと思われます。それ程戦地における抑圧された性と、その処理をどうするかという問題は、下は一兵卒から部隊長、師団長、軍司令官に至るまで全く同じ切実な問題であったと思いました。

◆慰安所なき場合の悲劇
 そこで私は率直に軍隊における慰安所そのものを不潔だといって非常に罪悪視するものがおるならば、私は次のことを反論したいと思います。それは、健全な若い肉体を持った兵隊が一身を捧げて国のために前線に戦っている場合、しかもそれが長期にわたった場合に、正当に持つている性欲をどう考えるのかと。そういうものは戦争中は一切持ってはいかんのかと。性欲を持つことは悪いし、そのはけ口を求めることは非常に悪いことなのかということをむしろ反論したいと思いますね。いやそうじゃないのだ、性欲は当然あって然るべきだ、又そういう悩みもあるだろうということを認められれば、しからば具体的にどうしたら良いかということをお尋ねしたいですね。これは本当に真剣に、表には出しにくい問題ではあるけれども軍や国が真剣に考えてやる問題だと今でも僕は思います。

 そういった場合いろいろな方法があると思いますけれど、先ず、強固な意志を持って自制しろという事が一つでしょうね。これは立派な建前ではありますけれども、結局何も具体的には軍や国としてやらないということで委す訳ですね。そうすると凶悪な戦闘下において性欲が暴発するということは止むを得ん事情だと思います。現実にソ連の終戦前後における満洲における暴虐ぶり、これは人々が知ってますね。それから米国の占領軍でも日本に非常にスマートにきたように思っていますけれども、その進駐軍と女とのいろいろな問題があります。それからベトナムの戦線において先日の新聞報道にありましたけれども、米国と現地人の女の捨てられた合いの子が数万人いると言っております。そこでそういった問題に何かしらの手を打たなければいかんだろうと思います。

 その場合現地にある慰安所ならば中国にも(当時支那ですね)現地のいわゆる遊廓みたいなものがたくさんありました。それを利用するということが広東付近で、はやっていたようですけれどもそれが問題ある訳ですね。それは衛生上の問題が第一点、また防諜上、どうしても軍の機密が女の□からもれる訳ですね。もう一つは日本の兵隊が中国の女を買うということはむこうの中国の若者からすると耐えられないということですね。それは反対の立場になってみると分ると思いますが、それでテロ事件がままありましたね。爆弾を投げ込むということが頻発しておりました。そういう問題がある。そして戦争中に相手国の現地の女を強姦するということは大変なことなんで、もしこれをやれば一遍に軍の威信というものは駄目になる訳です。私はある時期に宣撫関係をやりましたが、宣撫の実をあげたと思っておりましてもたった一人の不心得者が現地の女を強姦したという事件がありました時に一遍に宣撫関係はパーになるわけです。それ程深刻な事なんです。現地の女を犯すということは。〈井上咸氏略歴〉大正4年京城に生る。昭和13年京城帝大法文学部卒業。朝鮮殖産銀行人行。同年19一月現役入隊(長崎県大村)、直ちに渡満、関来車第12旅団第46聯隊。15年8月奉天甲種幹部候補生隊卒業(見習士官)。南支那派遣軍第18旅団歩兵第55聯隊へ転属(広州、福州作戦)。16年12月大東亜戦開始と共にマレー半島上陸、シンガポール攻略作戦。17年4月ビルマヘ転身。終戦後ビルマ、雲南諸作戦に参加。21年7月(約一年間の現地抑留後)復員。22年3月大正海上火災(現三井海上火災)保険株式会社。元常務取締役。

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 歴戦の元将校 慰安婦問題を語る(下)
  慰安婦は大事にされていた
   元菊兵団・歩兵大尉 井上咸(川崎市 86歳)
   昭和史研究所會報 第54号 平成13年10旦10日号

 そういう事をあれこれ考えますと当時内地で法的に許されておった公認の商売である遊廓業を業者とわたりをつけて呼んで現地で軍の管理下におくということは危険な所ですから警備、その他の保護も必要ですし、不自由な所ですからある程度の経済的な食糧その他の調達について面倒みるということもありましょうし、それから使用についても、ある程度の基準を設けて規制の下に商売をやらすというのは当然であって、現地に呼んだ場合、軍の保護におかなければ、商売はできない訳ですよ。しかもその商売は非常に危険は大きいけれども儲けは大きい。これは軍がどんどん進駐して調子よく進んでいくに従っていろんな種類の御用商人が先を争って進出したわけですね。その一つとして、遊廓業が現地に行ったわけですから完全に商売なのです。軍が直接女を集めて、管理して、商売するような事はあり得ない。私の経験では必ず業者、親方がついてきて、それを軍が丸抱え、あるいはその他の方法で管理する。
こう見てくると何ら悪くない。一番合理的な方法ではないかと私は今でも思っています。

 それで戦争における前線における性の問題というものは、真剣に考えるべきであって、兵隊というものは性欲なんかないだろうと思うこと自体が人を侮辱した非人間的な問題だと思っております。これは私自身でなくて私の非常に親しい戦友から聞いた話ですけども、彼はビルマの進攻作戦の時にある部隊長の副官をしていたんです。それで一応ビルマの截定作戦が終りまして警備態勢に入った時にその聯隊長が彼を呼びまして、彼は今でも非常にまじめなかたい男なんですが、これからどういう風に部隊を処理したらいいか訊いたそうです。彼はまじめな男ですから「早速兵隊の健康維持、軍紀の厳正、次期作戦の準備に邁進せねばいかん」というようなことを言ったそうです。これは建前としては模範解答だと思いますよ。ところがそれに対して「何を言うか。そんな事じゃない。早速女の手配をしろ」と言われたそうです。これは建前ではなく、今にして思えば実際に戦闘をくぐり抜けてきた人の実感だと僕は思っております。軍の慰安婦というものはそういう性格のものであったわけです。

◆強制連行到底あり得ぬ
 この前の新聞記事にも、かつて朝鮮の慰安婦だった人の告白と称するものが出てまいりますけれども、その中でこういうものがありますね。
「(女が)十二才の時に北鮮のある村にすんでいたが、突然日本の警察官と軍隊が部落を包囲して否応なしに二十人ばかりの若い女を連れ去った。それから個室に入れられて日本人の監督しかも外には日本兵が歩哨に立って監視している。そのまま現地に送られて」ということになっている。おもしろおかしく書き立てて、しかも何がしかの意図をもって書かれた全くのフイクションだと思います。例えば、私は朝鮮人と二十三まで住んでいて、朝鮮人の友達やら学生、仲間も今なお交際している人もいる状況で、しかも朝鮮生れで朝鮮に骨を埋めるつもりでおった人間ですから朝鮮に対してはかなりの理解をもっている人間ですけれども、今言ったような事は絶対ありえなかったと思います。ということはですね、満洲事変以来朝鮮総督府が一番苦労したのは内鮮融和ということであります。どうかして早く一体にしたいというわけで、今言ったような突然警察官や軍隊が村を囲んで有無を云わさず若い女を引っ張っていったという事はあり得ないです
ね。私の父も最初申し上げましたように朝鮮の各地で、今でいう町だとか村その付近の責任者となった場合もありますけれども、朝鮮人の知事も、かなりの高級官吏もおりましたし、警察官もほとんど朝鮮人だったと思いましたけれども、そういう中でそういう無法な事ができる訳がない。又その事が朝鮮総督府として許される事ではないんですね。そんなことが今になって尤もらしく語られること自体に僕は非常に意図的な何ものかを感じる訳です。遊廓業者、売春業者が、女を集める時はいろいろあったと思います。これは朝鮮の遊廓ばかりではなく内地の遊廓業ですね、それ自体は陰惨な暗い面がありましてね、業者と女の間にはいろいろあったと思います。これを今になると皆軍隊のせいにしておりますけれどもこの問題は、遊廓なり、売春業そのものの問題であって軍隊とは関係ないですね。

◆台湾人に威張る朝鮮人
 では現地ではどうであったかといいますと、私の見たところ慰安婦は大事にされました。慰安婦には朝鮮人も台湾人も日本人もおりました。現地現地で募集したのもおりました。それは商売として経営者、親方がついていて、その親方と軍との関係だと思います。私が現地で管理したというのは、朝鮮人の親方がだいたい七~八名の女を連れてまいりました。これはおそらく上の部隊からの割当てだったと思いますが、作戦を終わりましてある期間駐留した場合に割当てが参りました。兵隊は喜びまして下にも置かないようなお客さん待遇で、建物を造り、食糧その他の調達にも走り回ったり、警備の面倒もみておりました。朝鮮人は当時は日本人ですから現地の人にとっては日本の女ということになっておりますし、特に台湾入に対しては朝鮮人の方が本当の日本人に近いという感覚でむしろいばっていたような状況がありました。

現地の慰安所が兵隊、軍によっていじめられたとか、むちゃくちゃな待遇をしておったとかいうことは私の経験と見聞の中には出てきませんね。むしろ非常に大切にされたと思います。親方の商売としては、危険だけれどももうけの多い商売だったと思います。私の場合は副官でしたから、慰安所のやり方全部に対して責任をまかされていたわけですけれども、他に軍医が二人いて衛生関係を見ていました。ある時こういう事がありました。当時私は若くて物を知らないといいますか、正義感みたいなものがありまして、調べてみますと親方の取り分か六、四とか、七、三位の程度だったと思います。実際に稼せぐ女が三か四取って六か七を親方が取る。そういう配分だったと思います。今考えるとそれがああいった商売の通り相場だったと感じますけれども、当時私は驚きまして、早速親方を呼びつけて「何だ、実際に働いているのは女ではないか。取り分を逆にしろ、比率を逆にしろ」と云った覚えがあります。その後どういう具合いになったか知りませんがかなり改善されたような気がします。

◆敗走中にも慰安婦稼業
  これは一例ですけれども、その後敗戦の間際に部隊全部が総退却をしてジャングルの中を敗退している時期がありました。その時に昔私達が面倒をみた慰安所の一団が、これはもう親方はついていなかったが、女だけで七~八入が兵隊と前後してジャングルの中を逃げていた。たまたま昔の顔なじみの女かおりましてぜひ連れていってくれと頼まれまして、私は彼女らをかばいながら部隊と一緒に逃げた記憶があります。その時ジャングルの中を部隊がかなり無統制に逃げていったのですが、夜になると兵隊がもうお客さんなんですね、ジャングルの中で。私はその時は本当に人間の性欲の強さというものをあきれる思いで見ました。我々は疲労困億でそんな元気はなかったんですが。逃げていく兵隊をまだ客にとる。その時に、だんだん紙くずになったんですが、軍票を山のように風呂敷に包んで首の上に巻きつけておりましたね。そういうことも今、思い出します。最近、敵の捕虜になって非常にあわれな恰好になった慰安婦の写真がありまして、それらしい説明がつけてありますが、あれは部隊全体が故に包囲されて一緒に捕虜になった時の写真だと思います。私の経験では、だんだん戦況が悪くなりますと慰安婦はまっ先に傷病兵と一緒に後方に下げましたね。慰安婦はそういう具合に皆に大事にされて、当時としては彼女達から恨まれることはなかったと思います。兵隊達は感謝して大事にしていたのが実態だと思います。
 
◆強制は国全体にあった
 この慰安所の差別問題以外に、最近は、強制連行だとか、強制という言葉に強いアクセントをおいて非難がなされている。慰安婦は強制というより業者が女を募集して、一つの商売として稼ぎにやってきた。それに対して軍は戦地の危険なるゆえに警備、衛生管理、防諜、軍紀その他を勘案しながらそういう意味での管理をしていたということであって特別に女のしかも韓国の慰安婦だけを無茶苦茶に扱ったということは絶対にないと思います。当時は非常に戦況が悪くなった末期におきましては、日本全体にいろいろな強制的な措置が取らされた。例えば徴用ですね。これは何も韓国人だけに対してだけでなく朝鮮における日本人、内地における日本人すべてがそうであった。台湾においては高砂義勇軍が出るし、沖縄においては学生その他が第一線に立つ。内地では徴用で工場や炭坑に行き、何も朝鮮人だけが強制的にされた訳ではないんです。徴兵の義務などは最もきつい一つの義務ですけれどもこれは当初、朝鮮人には免除されていたわけです。そういう意味ではむしろ逆差別かもわかりませんね。それを今になって朝鮮人、韓国人という所に、また強制という所だけにアクセントを置いて言ってますけれども、これは日本人全体の問題であって、もし韓国人の慰安婦が問題になれば日本人の慰安婦も台湾人の慰安婦も問題になるし、特に敵国であった日本と激しい戦闘をした中国の女もずいぶん慰安婦になっておりましたが、日本が負けた時にまっ先に中国の方から激しい慰安婦の問題について抗議が申し込まれたはずなんですね。それがそうではない。最近になって韓国がうずうず言うものですからフィリピン、その他の所からも、では俺の方
もという形で出てきている。しかしあまり迫力がない。これは韓国のしかるべき人もあまりやりすぎたという事は知っていると思う。

◆慰安婦20万人の根拠は
 なおかつ、日本側が、どんどん腰を引いてただ謝ればいいと下がっている。この前の総理大臣(宮洋喜一編集部)の談話の中に「耐えきれないような、筆舌につくしがたい、苦痛を与えた事に対しておわびをする」とか言っていますが、商売ですから、別にそんなに大きな苦痛ではないと僕は思いますけど、外交上の儀礼としても向こうの云いなり放題にだんだん認めていくことは非常に恐ろしいことだと思います。要するに向こうの云い放題の証言だとかに対して、ほとんど迫力のあるこちら側の答弁がなされていない。したがって下手をするとそのままが、我々民族の歴史の汚点として、定着してしまうことを非常に恐れる。従って、国会議員のような責任ある地位、しかも発言力を待った人達が、本当に民族の恥になるような事に真剣に立ち上がらないということが腹だたしい。という事です。それからこの問題は日本人の中に向こうの者に無批判に同調しておもしろおかしく騒ぎ立てる連中がかなりいるということと、マスコミもそれに踊らされているというような感じが非常にします。もっと正確なものを集めて、きっちりとしたもので我々を指導するような大新聞の態度があってしかるべきだと思います。
マスコミは最近になって慰安婦は二十万人か三十万人というような事を報道していますけれども、そういったとてつもない数字をどこから割り出したのか。軍隊でも一ヵ師団が二万~三万程度のものだったと思いますけれども、そうしますと二十万~三十万の慰安婦といいますと十ヵ師団の人数なんです。そういう慰安婦が日本の兵隊にサービスしたということになりますけれども、ご承知のように直接敵と接している、第一線はほとんど慰安所は利用できなかった。たまたま作戦で後ろに帰って、しばらく休養している場合とか、あるいは後方基地の兵隊が利用する訳で、そういった人員がどれだけ戦闘部隊を除けてやったのか、そうしますと何十万という慰安婦がどこでどういうふうになったのか想像もつかないような人員ですね。

◆真剣に考えよ軍隊と性
 私か一番いいたいのは、慰安所の問題を考える場合に一番欠落している視点は本当に健康な若い男子の集団が国家の為に一身を捧げて戦っているそういう人達の当然持っている性欲の吐け口を本当に考えているのかと、国や軍が当然真剣に考えて、又一般の方もその付近を充分に考えていかなければいかんということの視点が欠けているということです。例えばアメリカ軍あたりは非常に豊富な軍資金と兵力を持っておりますからしょっちゅう部隊を前線と交代をさせていますね。映画にもでてきていますが交代した兵隊は後ろの基地に帰って非常に楽しい目にあっているわけです。日本はそれ程の余裕がなかったと思いますね。私の個人の事をいって恐縮ですけれども、昭和十三年に初年兵から始りまして昭和二十一年に帰ってくるまで一回も満期の機会はありませんでした。ほとんど前線に釘づけになっていました。時には作戦ごとに後方に下がって若干の期間は準備期間とか次期作戦の準備とか訓練期間がありますけれども、だいたい前線にはりつけですね。ひどい時には十ヵ月位はもうジャングルの中で敵とずっと対しておりました。そういう状況です。非常に期間として長いんです。そういう人間がたくさんおった訳です。そういう人達の性欲のことを考えているのか。私としてはできるだけ自制して自己管理をきちっとしてやっているつもりですけれども何かの時にいろんな形で暴発するのはやむを得ないと思いまずね。最近の報道で、日本人が先頭に立って慰安所問題を国連の人権擁護委員会に提訴しているとかきいておりますが、もし日本軍の慰安所の問題をあげるのならば、もっともっと世界史的に見て戦争史の裏面の虐殺暴行、各国の軍隊と女の問題をもっと深く切り下げる必要があるのではないかと思います。私は最近の日本のように、性の解放が叫ばれ、性風俗の乱れた時代にあって、戦争にたずさわる者の性欲の処理を正面から取り上げる論議がなされないということが奇異に感じられます。この問題についてはもうすでに時期的に遅かったという気がしますが、今からでも遅くない、日本政府は本当に勇気をもって正面から取り組む必要があると思います。そうして本当に謝罪反省すべき点は十二分に謝罪反省していいと思いますが、何もかも向こうの云いなりに認め、ただ謝っていくというような対処の仕方は今後ともまずい。と同時に望みたい事は、韓国側においても感情的に煽られることなく冷静に抑制のきいた節ということを本当に望みたいと私は思います。
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