ハイグレードな日本人の暮らし…水戸黄門「格さん」一家3代の夢

【満州文化物語(1)】2015.7.5 産経新聞

■東西の十字路・大連
 戦前の大連(だいれん)は、西洋とアジアが交差するクロスロード(十字路)だった。

 日本からヨーロッパへ向かう鉄道の出発点であり、逆方向からは外国人が大連を通って日本、アメリカへと旅立ってゆく。このエキゾチックなムードをたたえた美しい国際都市に、かつて、東京や大阪よりもハイグレードな「日本人の暮らし」があったことを、現代人たちは知らない。

 都市計画でできた街に並ぶヨーロッパ風の荘厳な建物。トイレは水洗、電話の自動交換機の導入は内地よりも早く、大連が一番だった。男性は子供も洋服。自由港のおかげで舶来のカメラや時計も安く手に入る。世界最高級を誇る満鉄の特急「あじあ」は大連駅から発車、食堂車では青い目、金髪のロシア人ウエートレスの少女が乗客に笑顔を振りまいていた。

 戦後は、「戦争」「侵略」といったネガティブなイメージでしか語られることがなくなった満州の、玄関口の街に確かにあった独特の香り。新天地に可能性を求めた農家の次男や三男坊、あるいは広い世界で一旗揚げたい野心家にとってそこはキラキラと輝いて見えたに違いない。

 明治の終わりから終戦にかけ、満州を目指し、海を渡った日本人とその子孫は、最盛期に155万人(軍人、軍属を除く)を数えた。

■祖父はハーレーの販売業
 テレビの人気時代劇「水戸黄門」の格さん役で知られる俳優の横内正(よこうちただし)は昭和16(1941)年7月、大連に生まれている。愛媛県から大陸へ渡ったのは祖父、政太郎(まさたろう=昭和10年、61歳で没)の代だ。

 政太郎は、大連でアメリカの大型バイク、ハーレー・ダビッドソンの販売業を始める。店のバイクを駆って満州の大地を走り回っていた息子の澤二(さわじ=横内の父、51年、74歳で没)は音楽の道に進み、バイオリニストになった。

 「祖父は新天地で一旗揚げようと大陸へ渡ったんでしょうね。オヤジ(澤二)は『カミナリ族』のはしり、というのかな。ハーレーに乗って競争に明け暮れていたらしい。音楽は当初、クラシック志向だったけど、そのうちにダンスホールのオーナー兼バンドマスターになったんです」

 昭和13年~15年ごろの大連の街を再現した地図にその“ダンスホール”は「バーカジノ」の名で残されている。大連の銀座というべき繁華街・浪花町(なにわちょう)から北の吉野町(よしのちょう)に挟まれた通りの角地。ジャズミュージシャンや流行歌の歌手がステージに上がり、生演奏を聞かせ、ダンスもできる大きなバーだったらしい。

 店には一流の人気歌手、ミュージシャンが出入りしていた。ブルースの女王、淡谷のり子、“直立不動”の東海林(しょうじ)太郎、和製サッチモ(ルイ・アームストロング)のニックネームで呼ばれた日本人ジャズトランペッターの第一人者、南里(なんり)文雄らである。
「食客のような人たちが大勢いたらしい。戦後『お父さんに世話になりました』といろんな人が訪ねてきて、父の人脈に驚いたことがある。母(静子、平成20年101歳で没)は淡谷さんと仲が良く、僕が俳優になって共演したとき『カジノの息子です』とあいさつしたら、『おー、そうなの』って、とても喜んでくださいましてね」

 当時の大連は、アジアでは上海に次ぐ、「ジャズの聖地」であった。

■引き揚げで奪われた名器
 戦争が激しくなってからも大連は別世界だった。内地では物資や食糧が不足し、生活や文化に対する当局の締め付けが厳しくなってゆく中で、空襲もめったになかった大連へ、新京(現中国東北部・長春)、奉天(同瀋陽)、ハルビンへ、と芸術家、文化人が流れてゆく。

 すべてを打ち壊したのが突然のソ連軍(当時)侵攻である。昭和20年8月9日、ソ連の大軍は日ソ中立条約を破って満州へなだれ込む。そして、日本人が築き上げてきた営みを蹂躙(じゅうりん)し尽くした。

 横内の幼い記憶に残るのは、地下に大きなホールがあった「バーカジノ」が避難所として使われていたこと。ソ連軍の戦車が轟音(ごうおん)を響かせて大連の街に入ってきた姿だ。一家の引き揚げは翌21年。そのとき、父、澤二は命にも等しいストラディバリウスのバイオリンをソ連兵に没収されてしまう。

 「終戦後、父は食いぶちがなくて、キャバレーを回ったり、無声映画の伴奏もやった。浮き沈みが激しいからと、息子たちが芸能の世界に進むのには大反対。でもいざそうなってみると、一番喜んだのは父だったなぁ」
戦後、俳優になった横内。兄の章次(しょうじ)と弟の弘(ともに故人)はジャズのギタリストになった。後に章次は、やはり大連でジャズに目覚めたドラマーのジョージ川口(平成15年、76歳で死去)らと何度も共演することになる。

 「そのルーツはね、やっぱり(大連の)『カジノ』にある気がするんですよ」

=敬称略、隔週で掲載します。

◇日本が満州に関わったのは約40年間、昭和7(1932)年の満州国建国でより深く関与してからなら、わずか十年余に過ぎない。短い期間に華やかに咲き乱れ、うたかたのように消えた日本人の足跡を戦後70年の年に振り返ってみたい。(文化部編集委員 喜多由浩)



 ■大連 現・中国遼寧省大連市。明治38(1905)年、日露戦争に勝利した日本が租借地(関東州)とした遼東半島にある港町。ロシアが描いた青写真をもとに日本が都市計画を行い、インフラ整備を行った。最盛期の日本人人口は約20万人。
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