朴韓国大統領の反日発言

「(日韓関係は)いまだ過去に縛られて未来に進めずにいる」「(日本の首相の靖国神社参拝は)隣国の国民感情に配慮し、他の方法を模索する必要がある」
  (2006年、東京の日本記者クラブでの記者会見で)

「アジアで緊張と葛藤を緩和し、平和と協力が一層拡散するよう米中日露などと厚い信頼を積み上げる」
  (13年2月25日、大統領就任演説で)

「加害者と被害者という歴史的立場は1000年の歴史が流れても変えることはできない」「未来の世代にまで歴史の重荷を背負わせてはいけない。政治指導者たちの決断と勇気が必要な時だ」
  (13年3月1日、「3・1独立運動」記念式典演説で)

「歴史に目を閉ざす者は未来が見えない」 
  (13年5月8日、訪問先の米議会で演説)

「日本の政治家たちが過去の傷を癒やす勇気ある指導力を見せなくてはいけない」  
  (13年8月15日、日本の植民地支配からの解放を記念する「光復節」の演説で)

「慰安婦問題は今も進行中の歴史だ。日本は謝罪どころか侮辱し続けている」
  (13年9月30日、訪韓した米国防長官との会談で)

「最近になって村山談話、河野談話を否定する言動が出てきたので、両国関係の協力する環境をしきりに壊す状況を作っている」「日韓首脳会談は、結果を導き出せるよう事前に十分な準備がなくてはいけない」 
  (14年1月6日、新年記者会見で)
スポンサーサイト

◆元寇の司令官は朝鮮人

◆元寇の司令官は朝鮮人
    歴史通2014年1月号  東洋史家 宮脇淳子

 現在の韓国は、大統領以下、近代現的エリートの筆頭であるはずの裁判官まで、条約無視の反日に狂奔しており、日本人が、彼我の文化の違いを実感する結果になったのは、嘉(よみ)すべきであると思う。
 ことに、朴槿恵大統領が「被害者と加害者の立場は千年変わらない」と演説してくれたので、それでは、千年もさかのぼらないでも、今から七百四十年前の「元寇」では、高麗人も万を超す人数で日本に攻めてきたではないか、と言い返してやろう。
 あれはあくまでもモンゴル軍が主体で、高麗は渋々従ったに過ぎない。船も無理矢理作らされて、水手(かこ)として参加しただけだと弁明するかも知れないが、第一次、一二七四年の文永の役のときの船九百艘はすべて高麗製で、水手六千七百人の他、高麗軍だけで八千人いた。しかも、一万五千の元軍本体の副司令官も、高麗人だったのである。
          
 副司令官の征東都副元帥(せいとうとふくげんすい)は、洪茶丘(こうさきゅう)と言い、鴨緑江を越えた先の満洲生まれの高麗人二世だった。第二次、一二八一年の弘安の役の際には、洪茶丘は征東都元帥に出世しており、またもや元軍一万五千を率いて日本を攻めた。このときの高麗軍は一万、水手は一万七千人で、総勢四万二千の軍勢である。
これを東路車と言い、南宋からやってきた十四万二千人を江南軍と言う。
 なぜ高麗人が元軍の司令官だったのか、説明のために歴史をさかのぼる。
 モンゴル軍が高麗に侵入を始めたのは、一二三二年のことである。このあと、一二五九年に高麗王がモンゴルに降るまでの三十年近く、実権を握る崔氏一族は、王を連れて江華島に逃げ込み、徹底抗戦を主張した。とはいうものの、民に向かっては「モンゴル軍が来たら山か海に逃げろ」と言うだけで自分たちは安全な江華島にひたすら引きこもった。これを武人政権というのは日本の鎌倉武士に失礼である。江華島は半島から見えるくらいすぐ側にあるが、周囲はかなり潮の流れが速く、モンゴル軍は船戦が不得手だったので手が出せなかった。
 そのためモンゴル軍は攻め込むたびに「出て来い」と言い続けるが、崔氏は出て来ないので、怒ったモンゴルは、六回高麗に侵入して全土を荒らし回り、高麗人捕虜約六十万人を連れ帰って、遼東地方に農耕民として入植させた。
 ちなみに、日本人は遼東というと遼東半島を思い浮かべるが、遼東は遼河の東という意味なので、瀋陽・遼陽も遼東である。
 崔氏政権がクーデターで倒れたあと、第二十三代王の高宗は、太子(のちの元宗)を派遣し、即位前のフビライに忠誠を誓った。元宗はまたの名を忠敬王と言い、元朝を建てたフビライの娘と結婚したその息子は忠烈王と号す。高麗王の称号から、シナ皇帝と格を同じくする「宗」が消え去ったのである。
 このあと、代々の高麗王の世子(太子より格下の称号である)は、フビライ家の娘と結婚して元朝の宮廷で暮らし、父親が死ぬと、帰国して高麗王の位を継ぐのが習慣となった。
 フビライは、多数の高麗人が入植した遼河デルタを統治するため、遼陽行省を設置した。行省というのは、中書省(中央官庁)の出先機関のことで、今の平壌は遼陽行省に含まれる。
 フビライはまた、高麗人コロニーの王として、高麗王の一族を瀋陽王に封じた。瀋陽王はその後、瀋王に昇格するが、場所の名前が付いた王より、一文字の王のほうが位が高い。つまり、元朝から見て、高麗王と瀋王はほとんど同格になったのである。
 元朝支配下で、今の韓国と北朝鮮のように、高麗と遼東という二つの朝鮮人の本拠地ができたことになる。元寇のモンゴル軍は、ほとんどこの遼東の住人で、だから司令官も高麗人二世だったのである。対馬と壱岐の人々を皆殺しにしたモンゴル軍は、みんな朝鮮人だったと言ってもいいくらいだ。
 元寇に際して、高麗人の禅僧がフビライと元軍を讃えた漢詩が残るが、醜い東夷(日本)に掣肘を加える命を高麗が受けたことを誇らしく謳い上げる。
 このあと、瀋王と高麗王は、元朝宮廷の権力争いにリンクして排斥し合い、高麗人で元朝皇帝の妃となった外戚勢力も加わって憎み合ったのは、千年経ても変わらない文化である。

みやわき じゅんこ
一九五二年、和歌山県生まれ。京都大学文学部卒業、大阪大学大学院博士課程修了。学術博士。著書に『真実の満洲史≒真実の中国史』(以上、ビジネス社)、『モンゴルの歴史』(刀水書房)、『世界史のなかの満洲帝国と日本』(ワック)などがある。

 | HOME | 

プロフィール

野生馬 太郎

Author:野生馬 太郎
欧米列強と必死に戦ってきた爺ちゃんたちの名誉のために!

アジアの歴史と各民族性の相違を理解するために!


最新記事


カテゴリ

戦争裁判 (13)
満州開拓団 (2)
戦後処理 (4)
朝鮮半島引揚げの惨事 (4)
終戦直後の混乱 (9)
北朝鮮への帰還運動 (2)
シベリア抑留 (4)
慰安婦 (16)
その他 (7)
未分類 (0)
サハリン(樺太)韓国・朝鮮人残留 (3)
終戦時の朝鮮半島 (1)
韓国軍 (5)
日本人捕虜虐殺 (1)
空襲被害 (6)
海外からの引揚 (9)
日本占領 (1)
ソ連軍の暴虐 (3)
慰霊 (1)
戦場の実相 (8)
在日 (5)
韓国の売春事情 (9)
アメリカ (2)
メディア論 (1)
高級幹部 (2)
負け犬の心理 (2)
中国の不条理 (2)
歴史認識 (10)
北朝鮮 (2)
台湾 (1)
北海道が危ない (6)
満洲 (15)
韓国・北朝鮮の国民性 (2)
国家 (1)
朝鮮人強制連行 (1)
国家の軸 (1)
共産党研究 (1)
政治家のあるべき姿 (1)
中国人とは (1)
日本の伝統文化 (1)
朝鮮総督府 (1)

月別アーカイブ


最新コメント


最新トラックバック


検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QRコード