中国はモンゴルに何をしたか

中国はモンゴルに何をしたか
静岡大学教授・楊海英

WILL 2014年2月号より抜粋

◆犠牲者は三十万人
モンゴルに関して、ここにとてもショッキングな数字があります。大量虐殺のデータです。
 一九六六年、中国で文化大革命が勃発した時、内モンゴル自治区には百五十万人弱のモンゴル人が住み、一方、長城の南から侵略してきた中国人はその九倍にも達していました。そして、そんな自らの故郷において少数民族になっていたモンゴル人たちは、全員が中国共産党による粛清の対象となり、結果、一九七六年までの十年間に三十四万六千人のモンゴル人が逮捕され、十二万人が身体障害者になって、二万七千九百人が殺害されました。
 ただし、これは中国政府が公式に発表した数です。私は少なくとも十万人が殺害されたと見ています。私だけでなく英米の社会学者、複数の人が複数の地域でサンプリング調査していくと、やはり十万人の殺害という数字になってしまうのです。
 これに「遅れた死」、つまり逮捕されて拷問を受け、何とか家に帰れたものの、のちに亡くなった人を加えると、文化大革命によるモンゴル人の犠牲者は、およそ三十万人に達すると言われています。
 これはとても大きな数字です。先ほど申し上げたように、当時の人目は百五十万人弱ですから、ひとつの家庭から一人が捕まり、十五人に一人が殺害され、「遅れた死」を含めると五人に一人が亡くなったことになります。これら中国に暮らすモンゴル族全体が受難していた凄惨な歴史
を、私たち研究者および当事者たちは、中国共産党政府と中国人が一体となって進めたジェノサイド(大量虐殺・民族浄化)だと理解しています。
 そして、ここが大切なところなのですが、このように多くの人々が殺害された原因が、モンゴル人たちが日本の植民地時代に、日本人と仲良くして「対日協力」をしたということだからです。
 最初に私か、「中国によるモンゴルヘの弾圧を日本で語る意義」と言った意味はこれです。「満蒙時代にモンゴル人は日本と仲良くしていた、これは許せない行為である」。その口実でモンゴル人が大量に虐待・虐殺されたわけです。ですから、私はこのモンゴル人粛清問題をぜひ日本人に知ってもらいたいと思っています。これは日本の人たちにぜひとも考えていただきたい、アジアにおけるもうひとつの歴史なのです。

(中略)

◆悪質で残虐な性犯罪
 中国の文化大革命の間、南モンゴルでいったい何か行われてきたのか。私は実証研究に基づき、できる限り多くの資料を集め、当事者にインタビューしてきました。結果、中国共産党政府と中国人が一体となって、モンゴル人に対する一方的な大量虐殺があったことが明らかになりました。そしてその際、同時にモンゴル人女性に対する極めて悪質かつ残虐な性犯罪が横行していたのです。
 この中国によるモンゴル人ジェノサイドについて、私はいままで五冊の第一次資料を日本で刊行してきました。そして、このうちの第五冊は『被害者報告書』(風響社、二〇一三年)、つまり女性たちが自身の経験した性的被害を記した記録です。これには、被害者たちが誰にいつどのような目に遭わされたかということが、実名で書かれています。
 そのうちの数例を紹介します。 まず、内モンゴル自治区西部のトゥメト地域での実態。 たとえば、四家莞人民公社では共産党書記の白高才は中国人たちを集めて、モンゴル人女性を逆さまにしてその陰部を縄で引き、大怪我をさせた。中国人たちは妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引き出した。中国人たちは、これを「芯を挟り出す」棺芯と呼んでいた。
 また、内モンゴル自治区中央部のチャハル右翼後旗のモンゴル人たちは、次のように回想している。《ドルジサンという女性の牧畜民がいた。ある晩、中国人たちは彼女を裸にしてから手と足を縛った。そして、刀で彼女の乳房を切り裂いてから塩を入れ、箸でかき混ぜた。鮮血は箸に沿って流れ、床一面が真っ赤に染まった。彼女はこのように十数日間にわたって陵辱されて亡くなった》
 このチャハル右翼後旗のあるウラーンチャブ同盟では、計一千六百八十六人のモンゴル人が惨殺されていた。
 もうひとつ、以下はフフホト市に住むモンゴル人の証言。彼女は当時、ウラーンハダ人民公社に暮らしていた。
《私か住んでいた集落は五戸のモンゴル人からなり、九人の女性がいた。一九六八年二月のある日、中国人たちは片手に毛沢東語録を持ち、もう片手で鞭を持って私たちを叩いた。鞭が切れ、梶棒が折れるまで殴られた。親戚の二十代の女性は殴られて流産したが、中国人たちは大声で笑
い、喜んでいた。
 モンゴル人女性は例外なく中国人幹部や解放軍の兵士にくりかえしレイプされた。
 一九六八年の夏のある晩、彼らは私たち五人の女性を丸裸にして草原に立たせた。私たちは両足を大きく広げられ、股の下に燈油のランプが置かれた。すると、無数の蚊や蛾などの虫が下半身に群がってきた。このような虐待方法はその後、何日もっづいた。陵辱されている時、大勢
の中国人たちがまわりでみて、笑っていたのである》

◆文化大革命は平時だ
 近年、いわゆる「従軍慰安婦」を「性奴隷」(Sex Slavesjと見なす宣伝が活発化しています。これを人類の歴史のなかで見るならば、様々な議論があるでしょう。たとえば、そういう
システムを作らなければ民間の女性がレイプの被害に遭うのではないかとか、また日本軍だけじゃなく他国の軍隊もやっていたとか、「従軍慰安婦」を「性奴隷」と位置づけるアメリカも韓国も同様のことをやっていたではないかとかーそれぞれ主張はあるでしょう。
 しかし、私か申し上げたいのは、それらはあくまで戦時の出来事であり、戦時における性の問題です。つまり、戦争という非日常における軍隊と性の関係なのです。
 ところが、文化大革命というのは戦時じゃない。あくまでも平時なのです。これが第一の大きな問題です。
 そして二つ目は、虐殺もレイプもそうですが、中国政府は然るべき処置を何ひとつしてこなかったということです。これだけの性犯罪を含む残虐行為があったにかかわらず、誰一人逮捕もされず、ですから当然、処刑もされていません。
 南モンゴルでの虐殺を指示していたのは藤海清という中将で、毛沢東の部下です。南モンゴルでは彼を逮捕して裁判にかけるべきと求めましたが、毛沢東と周恩来は「彼は革命のために貢献した人だから」と一切の罪を問わず、無罪放免にしました。
 そして、もうひとつが先に例を挙げたように、その残虐極まりない暴力です。これはもう「従軍慰安婦」を「性奴隷」と呼ぶ以前の問題です。

◆中国の傍若無人な乱開発 
 中国はいま、国をあげて西部大間発という計画を進めています。内モンゴル自治区と新疆ウイグル自治区など、歴史的にずっと遊牧民たちが住んできた地域を経済的に発展させようという川家プロジコクトです。
  かつて日本人が満州から撤退したあと、中国人(漢民族)たちは現地の自然環境を無視して遠慮なく開墾し、多くの土地を砂漠化させました。
 現在、黄砂が遠く日本列島にまで飛んで来るのはそのせいです。彼らはなぜそんなことをしたのか? そこには、農耕と工業は遊牧よりも遥かに先進的で「立ち遅れたモンゴル人」は中国に同化すべし、という思想があったからです。
 それが二十一世紀から始まった西部大開発ではさらに強まっています。いま中国人が狙うのは、モンゴルやウイグルにある豊富な地下資源です。主に石炭と天然ガス、そして石油。レアアースにウランもあります。すべて彼らが手放したくないものばかりです。
 大量の中国人が移住し、傍若無人な乱開発が進められています。中国政府は、そこを「新天地」だと吹聴しています。西部人開発は「文明的な漢民族」が大量に移住して、「野蛮人のモンゴル人とウイグル人」を文明社会へと「助ける行為」なのだと宣伝しているのです。
 こうした背景のなか、二〇一一年五月には、内モンゴル自治区中央部のシリーンゴル草原にて、一人のモンゴル人遊牧民が殺害されました。
その付近では石炭の露天鉱が発見され、連日、昼夜数百台のトラックが殺到。漢民族による圧倒的なトラック隊は草原を無秩序に走り廻って、脆弱な植被を壊して土地を砂漠に変え、家畜を蝶き殺しても弁償もしませんでした。
 遊牧民たちは政府に陳情したものの無視されたため自発的に立ち上がり、環境に配慮した石炭発掘を求めます。しかし、漢民族は「モンゴル人を殺しても四十万元(約五百万円)払えば事は済む」と暴言を吐きながら、トラックの前に立ちはだかった三十代の男性を衆人環視の前で故意
に蝶き殺したのです。当然のごとく、その直後から内モンゴル各地で抗議デモが発生しましたが、すべて政府によって鎮圧され、多数のモンゴル人が逮捕されました。そう、歴史はまた繰り返されようとしているのです。
 中国が今後も大国になっていこうとするならば、これら少数民族の故郷に対する傍若無人な開発は続くでしょう。なぜならそこに埋蔵されている豊富な地下資源なしに、中国の継続的な経済発展は望めないからです。これはもう自治ではなく、植民地支配です。
 そしてこの帝国主義化はモンゴル、ウイグル、チペットに留まらず、その他の東南アジアの小さな国にまで広がっていく危険性もあるかもしれない。日本に対しても今年五月、中国共産党機関紙人民日報が「沖縄は日本により簒奪されたもの」であり、「琉球処分問題は歴史的に未解決」と伝えたではありませんか。
 繰り返して申し上げます。中国の民族問題は国際問題なのです。そしてこれは、日本とも決して無縁ではないのです。

著者 楊海英(ようかいえい)
 一九六四年、内モンゴル自治区(南モンゴル)生まれ。モンゴル名はオーノスーチョクト、日本に帰化したあとの日本名は大野旭、「楊海英」は中国名。北京第二外語学院大学日本語学科卒。一九八九年に来日し、別府大学の研究生、国立民族学博物館、総合研究大学院大学で文化人類学の研究を続けた。中京女子大学助教授、九九年に静岡大学助教授。二〇〇〇年、日本へ帰化した。○六年、静岡大学教授に就任。
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