『軍隊と性暴力 朝鮮半島の20世紀』

■『軍隊と性暴力 朝鮮半島の20世紀』からの一部抜粋
 また、韓国の学者グループによる研究で、2年前に『軍隊と性暴力』
(現代史料出版)として訳出刊行された書物には、朝鮮戦争において、
「ある日、韓国軍情報機関員たちにより拉致され、1日で韓国軍『慰安婦』
へと転落した。」ことが記されており、加瀬英明氏がコラムで紹介しています。

韓国がひた隠しする韓国軍「慰安婦」関連資料
http://www.kase-hideaki.co.jp/magbbs/magbbs.cgi

 韓国の日本叩きは無制限に行われ、韓国に都合が悪い事実はひた隠しに
隠していますので、韓国に都合の悪い事実を一人でも多くの方と情報を共有し
拡散が必要と思いましたので、上記の資料を読んで一部抜粋してみました。

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宋連玉・金栄編著 『軍隊と性暴力 朝鮮半島の20世紀』 現代史料出版
第三部 解放後南朝鮮・韓国の軍事主義と性管理
第七章 朝鮮戦争時の韓国軍「慰安婦」制度について 金貴玉(キム・キオック)(鄭栄桓訳)
1 問題提起
2 国家暴力と韓国軍の軍「慰安所」
3 朝鮮戦争当時の韓国軍「慰安隊」の実態を明かす
4 解き明かさねばならない問題
5 結論

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1 問題提起(p284)
(p285)
 私は、1996年に分断と戦争の犠牲者に関する現地調査を行う過程で、朝鮮戦争当時、大韓民国陸軍が徴集した軍「慰安婦」が存在したことを知った。
だが、この事実を公開するまでには7年の月日がかかった。2002年に韓国陸軍の軍「慰安婦」を扱った論文を発表した直後は日本と韓国の放送メディアや新聞も、目新しさからこの問題を報道したが、またすぐに歴史の闇に放りこまれてしまった。
そして論文発表の直後、韓国の国防部所属資料室にあった韓国軍「慰安婦」関連資料の閲覧は禁止され、ほとんどのメディアも示し合わせたかのように沈黙した。
「日本軍『慰安婦』問題でもないのに……」と言葉を濁らせたのだ。

 この時、私はあることに気づいた。これまで韓国の学会や女性運動は、日本軍「慰安所」制度と公娼制には連続性があるとする主張に対して辛辣に批判してきたが、一方では韓国軍「慰安婦」問題に対しては「公娼」であると断定し、議論の余地のないものとする傾向があるということが見えてきたのである。一部の進歩的な男性たちですら、民族主義の名のもとに私の研究成果を身内の恥をさらすものとみなし、日本の極右の弁明の材料となりうると警告した。

 私もこうした事実の発見を喜んだわけではない。だが1996年に韓国軍「慰安婦」の存在を知り、その後より具体的な事実に触れるにつれ、不快感を隠すことは到底できなくなっていった。なぜあれほど軽蔑した日帝の軍「慰安所」を、韓国軍は朝鮮の地に作ったのか。私はこの問題を解明しなければならないと考えた。

 日本軍と同じように韓国軍が軍「慰安所」を作ったのは、男性の耐え難い生理学的本能が普遍的に存在するからなのか?インドシナ戦争時にフランス軍によって「移動式娼婦村」が作られ、ベトナム戦争当時に米軍専用のベトナム女性の「売春宿」が設けられたように、軍「慰安所」はあらゆる戦争の必要悪なのか?韓国軍「慰安所」設置はこうした普遍的現象の一部に過ぎないものなのか?もしそうならば、朝鮮戦争当時に韓国軍が作った「慰安所」の実態と性格はどのようなものだったのか?誰が作り、何が行われていたのか?そもそも軍「慰安所」の「慰安婦」たちとはどのような人を指すのか?また、韓国軍「慰安婦」たちにこれまで沈黙を強いてきた原因は何か。このような韓国軍「慰安婦」をめぐるさまざまな疑問を提起することから、私はこの問題にアプローチしてみたい。

 現時点で私は、大韓民国陸軍本部が1956年に発刊した『後方戦史(人事篇)』
(以下『後方戦史』)以外に軍「慰安所」に関する文書を探し出せていない。

2 国家暴力と韓国軍の軍「慰安所」(p287)

(p288) 朝鮮南部においては、老斤里(ノグンニ)事件や居昌(コチャン)良民虐殺事件、大田(テジョン)刑務所収監者処刑事件のような数多くの例に見られるように、相当数の民間人たちが米軍や韓国軍、警察、右翼青年などの国家組織により不法に虐殺された。
民間人による大量虐殺の場合も、それは国家権力の庇護のもとになされている。虐殺の主体が軍隊や警察、民間人のいずれであっても、こうした虐殺は「国家の暴力」といえるだろう。

 しかし虐殺事件だけが国家暴力なのではない。戦時中にほしいままに行われた性暴力もまた、国家暴力のカテゴリーに加えられる。以前私は、朝鮮戦争前後の国家暴力により女性に加えられたさまざまな性暴力を、四種類に類型化したことがある。すなわち、直接的強姦による暴力、性器や女性の身体への虐待及び幼児殺人による母性に対する暴力、軍人の拉致による強制結婚や性奴隷化、拘禁の間の性拷問などである。これらのうち最も蔓延したものは強姦であったが、軍人の拉致あるいは強制結婚や性奴隷化も少なからずあった。

 性奴隷化は個別的なものと集団的なものに分けることができる。一人、あるいは少数の女性たちが軍人により軍部隊へと拉致され、昼には「下女」として働き、夜には「慰安」を強要された。こうした類型に属する軍「慰安婦」も相当広範に認められる。私が1999年にインタビューした、朝鮮戦争に参戦した米国人ポール・フェンチャー (Paul Fancher) が属していた米軍部隊にも軍「慰安所」があった。また、韓国軍により体系的に「特殊慰安隊」が作られ、そこで軍「慰安婦」たちは軍人を「慰安」するよう強要されたのだ。

3 朝鮮戦争当時の韓国軍「慰安隊」の実態を明かす(p288)
(5)「特殊慰安隊」実績統計表(p291)
(p292) 上の実績統計表によれば、一人の「慰安婦」が一日に六回以上「慰安」を強要されていたことがわかる。また、「出動慰安」の場合、一日に20~30回の「慰安」を強要されたものと考えられる。

4 解き明かさねばならない問題(p293)
(p296) 第三に、狭い意味での軍「慰安所」と軍「慰安婦」の性格をどのように見るべきだろうか?『後方戦史』に書かれているように、軍「慰安所」は国家組織により設立・管理される公娼制に基づいており、軍「慰安婦」は軍隊組織にそれまでなかった「第五種補給品」と別に称されもした。一般の公娼制に伴う性病検診についても軍部隊が直接実施した。

 つまり、国家機構であるところの陸軍本部は当時、軍「慰安所」の性格を「公娼」としてとらえていたといえる。公娼制と軍「慰安婦」は自発性において同一であるとみるのは難しいが、一般的に公娼制というと、そこには女性の自発性があるという前提をもって認識する傾向があるだろう。そのような背景のもと、例えば太平洋戦争のころに極少数でも、日本人「慰安婦」のなかには天皇に対する忠誠心と愛国心を抱いていた女性が、自らすすんで「慰安婦」になった場合があったと考えられる。では、朝鮮戦争期の韓国人女性のなかにも、国家への忠誠心と愛国心の発露として軍「慰安婦」になった者がいたと考えられるだろうか。

 『後方戦史』は、「慰安婦」が軍「慰安所」に来ることになった過程や動機について全く言及していない。公開募集をしたという記録も見つけることはできていないが、金喜午の回顧録に、その女性たちのほとんどが、かならずしも器量良しには見えない幼い女性たちであるとしており、戦争前に私娼で働いていた女性だとは考えにくい。

 実際に軍「慰安婦」として働くことになった女性たちの例からは、「自発的動機」がほとんどなかったのではないかと思われる。ある女性は十代後半の未婚女性で、1951年春まで咸鏡南道永興(ヨンフン)郡に住んでいた。ある日、韓国軍情報機関員、いわゆる北派工作員たちにより拉致され、一日で韓国軍の軍「慰安婦」へと転落した。
彼女はこのことに関する証言を拒んだが、拉致した北派工作員二名によりこの事実が証言された。

 すべての軍「慰安婦」たちがこのようであったと推定することは難しい。だが、他の「慰安婦」にされそうになった女性の証言からは、いわゆる「アカ」と疑われた状況におかれたため、軍人に殺されるかもしれないという恐怖心から軍「慰安婦」となることを拒めなかったことがわかる。また、強姦の結果、「慰安婦」とならざるを得なくなったケースもある。戦争による貧困と、家族から保護・扶養されることが難しいという困難な条件が幾重にも重なり、女性たちは「慰安婦」にならざるを得なくなったのかもしれない。
こうしたことを考えてみても、また、朝鮮人女性たちの伝統的家父長制的純潔意識を考慮してみても、朝鮮戦争当時、特に未婚女性たちが自発的に軍「慰安隊」に志願したと判断することには無理がある。

 よって国家の立場からみれば公娼であったとしても、女性たちの立場からみれば韓国軍「慰安婦」制度はあくまで軍による性奴隷制度であり、女性自身は性奴隷であったといえるだろう。そして、何人かの男性の証言にもあるが、1954年3月に軍「慰安隊」が閉鎖されたとき、日本軍と同じように、大部分の女性たちを捨てたに違いないのである。

(p298) 第四に、韓国軍「慰安婦」問題が語られない理由は何だろうか?
いくつかの要因が複合的に作用しているといえる。家父長制イデオロギー、民族主義イデオロギー、そして、反共イデオロギーなどが同時に作用しているのではないか。

 日本軍「慰安婦」問題と比較するならば、被害女性が証言を始めたとはいえ、未だにはるかに多い女性たちが日本軍性奴隷であった事実を隠したり、名乗り出たとしても秘密を守り続けているのでだが、その一方で日本軍による犯罪行為だと認識することにより、「性奴隷」概念が受け入れられるようになった。しかし、韓国軍「慰安婦」問題に関してはどうだろうか。彼女たちは愛国心からというよりも、日本軍「慰安婦」と同じく生存に対する危機感から強制的に「慰安婦」にさせられたのである。朝鮮戦争時に軍「慰安婦」と接した経験を持つ男たちが「韓国軍『慰安婦』は「日本人」とではなく「韓国人」とそうしたのだから、それでもましだろう」という弁明をしているが、この言葉からは、この問題の隠蔽に関して民族主義的イデオロギーと家父長制イデオロギーの双方が同時に作用していることを確認できる。

 また現代韓国の反共イデオロギーが支配的な雰囲気においては、韓国軍の非道を明らかにすること自体がレッドコンプレックスを刺激する可能性があった。
多くの女性たちが「アカ」と疑われることにより軍「慰安婦」となることを強要された状況もまた、反共イデオロギーと韓国軍「慰安婦」問題を分かちがたいものとしている。

 拉致により韓国軍「慰安婦」とされた女性たちに、真実を究明できる時代が来たのだとどんなに言っても、彼女たちは「私にこれ以上連絡するな」という言葉を残して口を噤んでしまう。それは、彼女自身が真実究明により苦痛を負うことを避けたいだけではなく、貧しい息子に軍「慰安婦」の子どもという足かせをかけたくないためでもあるだろう。

5 結論(p300)
(p300) 韓国軍「慰安所」が設置され、軍「慰安婦」が存在したことは厳然たる事実である。しかし1991年、金学順が「私は日本軍慰安婦であった」と告白したように、自らが韓国軍「慰安婦」であったことを証言する女性が出てくるかは疑問だ。
周辺の証言により韓国軍「慰安婦」であることがわかった二名の女性も、そうした事実を証言することを拒み、涙と沈黙で答えるのみであった。
韓国軍「慰安婦」問題に接近する過程でわかったことは、この問題が日本軍「慰安婦」問題と別個のものではなく、植民地主義が続く過程で現れたものであるという事実である。

 国家権力や家父長制イデオロギーにより日本軍「慰安婦」や韓国軍「慰安婦」がみな沈黙を強いられたという点で、二つの問題は同一である。だが、民族主義の異なった作用の仕方は、両者に差異を生じさせた。言い換えれば、日帝による軍「慰安婦」問題は、紆余曲折はあったが、加害者日帝に対し朝鮮人が問題提起することは当然であるという共感を得ることができたのに対し、韓国軍「慰安婦」問題については、韓国人だからこそ問題提起できないという情緒が相当に強かったようにみえる。2000年代に入り、韓国では民主主義の認識の成熟とともに過去事整理運動がどの時代よりも急進的に進められている。
国家暴力としての韓国軍「慰安婦」問題も、植民地清算、過去事整理運動の線上で真実が糾明されなければならない重要な問題である。

 人類史、特に近代資本主義の歴史を振り返ると、そこでは常に戦争と性暴力が繰り返されてきた。しかし、国家暴力としての性暴力が発生する動機には、男性の「節制できない性欲」よりも深刻な問題がある。戦時性暴力を通じて、直接的な加害者や国家権力は、他者に羞恥心と屈辱感を刻印して屈服させ、服従させることができる。ひいては純潔イデオロギーを用いて被害者に「汚された体」との意識を持たせ、そうした身体の政治学を通して、国家とは敵対的問題にならないようにした。そして、被害者が国家イデオロギー、反共イデオロギーを受容するように仕向け、国家に忠誠を誓わせる結果を生んだ。

 これまで韓国の国家権力は、数十年間朝鮮戦争期の韓国軍「慰安婦」、すなわち韓国軍性奴隷の問題を隠しつづけ、今でも反省の色を見せていない。
しかし韓国の学校教科書も教えているように、真実は勝利するのである。
韓国の民衆が数十年間、血と汗を流して独裁と闘い、あらゆる犠牲を払ってやっとの思いで獲得してきた民主主義の価値を、自ら投げ捨ててはならないのだ。
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「永遠のゼロ」①感動と憤りの一冊

百田尚樹氏については第10回本屋大賞を受賞した「海賊と呼ばれた男(上下)」の著者で、最近メディアによく出ており、スジの通ったコメントをする人だな程度の知識しかなかったが、私は590ページの大作を感動と憤りに打ち震えながら一気に読んでしまった。
我々が戦史研究をするときにいつも感じるのは勝因・敗因については多角的に分析し、教訓事項を導き出すのが常であり、指揮官の統率力については殆ど批判を許さない雰囲気がある。

 わたしはこれに関していつも不満であった。
戦闘に負けた最高指揮官が更迭または降格されたとか、敗戦の責任を取って切腹したという話は寡聞にして知らない。
しかし百田氏は私たちが日頃不満に思いモヤモヤしたものを、生き残った特攻隊員が吐露する形で完膚なきまで批判している。
私は特攻隊員ばかりではなくこの戦争に参戦した兵士には深甚なる敬意を払うものであるが、兵士を無駄死にさせた指揮官や高級参謀には激しい憤りを感じている。

 よく日本人は韓国人を夜郎自大にして事大主義者と批判するが、終戦直後は、
・戦前と打って変わって米軍に媚を売る国民、
・恥ずかしげもなく急展開してGHQの手先になり愛国心を持つことは罪悪であるとしたマスコミと教育界、
・日本は素晴らしい国であると主張した航空幕僚長を呼び捨てにし、クビにしたトキの総理大臣、
・未だにキレイごとのお題目ばかりとなえて靖国神社に参拝もできない政治家たちが日本の主流を占めており、
・外国からの理不尽な要求に対して何も言えず、事なかれ主義に徹した政治家・高級官僚はモウケ主義の財界とつるんで大きな力を持っている。
今まさに寄らば大樹の蔭的な日和見主義がまん延していると言える。
これでは韓国ばかりを批判できないのではないか。
この本は男性ばかりではなく女性にも是非読んでもらいたい一冊でもある。

「永遠のゼロ」② それでも日本人か!!!

それでも日本人か!!!

関大尉 さぞかし無念でありましょう
 シベリアで強制労働に従事させられた57万5000余の日本人の収容所の多くは酷寒の地にあり,栄養・衛生状態が劣悪なうえ高度な労働規準(ノルマ)が課されたため多くの死者・病者を出した。収容所内での私的制裁や〈民主運動〉もひろがり,〈暁に祈る〉〈吊し上げ〉などが行われたという。
これは何を意味するかといえば、同じ民族でありながら同胞を裏切って強者であるソ連側につき同胞に対し吊るし上げをやり、支配者側に媚を売って、自分の心証を少しでもよくしようとする浅まし行為であった。引き揚げ時においても「天皇島上陸」と称し代々木の共産党本部まで行進したという。そんな日本人を信用できますか。

 戦時中は軍の命令で散華した関大尉は軍神として日本中から誉めそやされていたにもかかわらず、戦後一転して戦争犯罪人扱いされ、母親は息子の墓をつくるのも許されなかったという。こんな不条理な話がありますか。
政府の命令で軍に召集され、武器を持って戦った軍人を戦争犯罪人扱いをし、戦死したあとも政府から公式にお参りもされず、戦争中は煽りにあおった朝日新聞・NHKをはじめとするマスコミが、当時国家として存在もしていなかった中国・韓国の情報戦略に乗せられて国を売る行為に熱中している日本はおかしいとは思いませんか。
これが本当に武士道の国なのか・・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「永遠のゼロ」
第7章 狂気 344ページ
 関大尉は軍神として日本中にその名を轟かせた。関大尉は母一人子一人の身の上で育った人だった。一人息子を失った母は軍神の母としてもてはやされたという。しかし戦後は一転して戦争犯罪人の母として、人々から村八分のような扱いを受け、行商で細々と暮らし、最後は小学校の用務員に雇われて、昭和二十八年に用務員室で一人寂しく亡くなったという。「せめて行男の墓を」というのが最後の言葉だったという。戦後の民主主義の世相は、祖国のために散華した特攻隊員を戦犯扱いにして、墓を建てることさえ許さなかったのだ。関大尉の妻は戦後、再婚したと聞いている。

「永遠のゼロ」③ エリートの弱さ

「永遠のゼロ」
第7章 狂気 365ページ
「私、太平洋戦争のことで、いろいろ調べてみたの。それで、一つ気がついたことがあるの」
 「何?」
 「海軍の将官クラスの弱気なことよ」
 「日本軍て、強気一点張りの作戦をとってばかりじやなかったのかな」
 「強気というよりも、無謀というか、命知らずの作戦をいっぱいとっているのよね。
ガダルカナルもそうだし、ニューギニアの戦いもそうだし、マリアナ沖海戦もレイテ沖海戦もそう。有名なインパールもそう。でもね、ここで忘れちやいけないのは、これらの作戦を考えた大本営や軍令部の人たちにとっては、自分が死ぬ心配が一切ない作戦だったことよ」
 「兵隊が死ぬ作戦なら、いくらでも無茶苦茶な作戦を立てられるわけか」
 「そう。ところが、自分が前線の指揮官になっていて、自分が死ぬ可能性がある時は、逆にものすごく弱気になる。勝ち戦でも、反撃を怖れて、すぐに退くのよ」

 「なるほど」
 「弱気というのか、慎重というのか----たとえば真珠湾攻撃の時に、現場の指揮官クラスは第三次攻撃隊を送りましょうと言ってるのに、南雲長官は一目散に逃げ帰っている。珊瑚海海戦でも、敵空母のレキシントンを沈めた後、井上長官はポートモレスビー上陸部隊を引き揚げさせている。もともとの作戦が上陸部隊支援にもかかわらずよ。ガダルカナル緒戦の第一次ソロモン海戦でも三川長官は敵艦隊をやっつけた後、それで満足して敵輸送船団を追いつめずに撤退している。そもそもは敵輸送船団の撃破が目的だったのに。この時、輸送船団を沈めていれば、後のガダル

カナルの悲劇はなかったかもしれない。ハルゼーが言っていたらしいけど、日本軍にもう押しされていたらやられていた戦いは相当あったようよ。その極めつけが、さっき聞いたレイテ海戦の栗田長官の反転よ」
 姉の口から詳しい戦記の話が出てきたので驚いた。相当、様々な本を読んだのだなと思った。
 「なぜ、そんなに弱気な軍人が多いの」とぼくは聞いた。
 「多分、それは個人の資質の問題なのだろうけど、でも海軍の場合、そういう長官が多すぎる気がするのよ。だからもしかしたら構造的なものがあったと思う」
 「どういうこと」
「将官クラスは海軍兵学校を出た優秀な士官の中から皿に選抜されて海軍大学校を出たエリートたちよ。言うなれば選りすぐりの超エリートというわけね。これは私の個人的意見だけど、彼らはエリートゆえに弱気だったんじやないかって気がするの。
もしかしたら、彼らの頭には常に出世という考えがあったような気がしてならないの」
 「出世だってーーー戦争しながら?」
 「穿ちすぎかもしれないけど、そうとしか思えないフシがありすぎるのよ。個々の戦いを調べていくと、どうやって敵を撃ち破るかではなくて、いかにして大きなミスをしないようにするかということを第一に考えて戦っている気がしてならないの。たとえば井崎さんが言ってたように、海軍の長官の勲章の査定は軍艦を沈めることが一番のポイントだから、艦艇修理用のドックを破壊しても、石油タンクを破壊しても、輸送船を沈めても、そんなのは大して査定ポイントが上がらないのよ。だからいつも後回しにされるーーー」
 「でも、だからって、出世を考えていると言うことはないんじやないかな」
 「たしかに穿ちすぎた考えかも知れない。でも十代半ばに海軍兵学校に入り、ものすごい競争を勝ち抜いてきたエリートたちは、狭い海軍の世界の競争の中で生きてきて、体中に出世意欲のことが染みついていたと考えるのは不自然かな。

「永遠のゼロ」④高級幹部は相身互い

「永遠のゼロ」
◆高級幹部は相身互い

第7章 狂気 370ページ
「実は僕も軍隊について調べて気づいたことがある」
「何?」と姉は聞いた。
 「姉さんも言ってたけど、日本海軍の高級士官たちの責任の取り方だよ。彼らは作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった。ミッドウェーで大きな判断ミスをやって空母四隻を失った南雲長官しかり。マリアナ沖海戦の直前に、抗日ゲリラに捕まって重要な作戦書類を米軍に奪われた参謀長の福留中将しかり。福留中将は敵の捕虜になったのに、上層部は不問にした。これが一般兵士ならただではすまなかったはずだ


辻 正信 「兵士には、捕虜になるなら死ねと命じておいて、自分たちがそうなった時は知らん顔するのね」
「高級エリートの責任を追及しないのは陸軍も同じだよ。ガダルカナルでバカな作戦を繰り返した辻正信も何ら責任を問われていない。
信じられないくらい愚かなインパール作戦を立案して三万人の兵士を餓死させた牟田口中将も、公式には責任はとらされていない。ちなみに辻はその昔ノモンハンでの稚拙な作戦で味方に大量の戦死者を出したにもかかわらず、これも責任は問われることなく、その後も出世し続けた。
 代わって責任は現場の下級将校たちが取らされた。多くの連隊長クラスが自殺を強要されたらしい」
 「ひどい!」
 「ノモンハンの時、辻らの高級参謀がきちんと責任を取らされていたら、後のカタルカナルの悲劇はなかったかもしれない」 姉が悔しそうに顔を歪めた。
 「でも、どうして責任を取らされないの?」
 「そのあたりはよくわからないんだけど」とぼくは言った。
 「もしかしたら官僚的組織になっていたからだと思う」
 姉は頷いた。
 「そうかーーー責任を取らされないのは、エリート同士が相互にかばい合っているせいなのね。仲間の失敗を追及すれば、自分が失敗した時に跳ね返ってくるってわけね」
 牟田口廉也「それはあったと思う。インパール作戦で牟田口の命令に反して兵を撤退させた佐藤幸徳師団長は軍法会議にかけられず、心神喪失ということで、不問にされた。軍法会議を開けば、牟田口総司令官の責任問題に及ぶ。だから牟田口をかばうために、佐藤師団長の気がふれたことにして、軍法会議は行われなかったんだと思う。更に言うと、軍法会議になると、牟田口の作戦を認めた大本営の高級参謀たち、つまり自分たちにも責任が及ぶからだ。ちなみに牟田口のインパール作戦を認めた彼の上官、川辺中将は大将に昇級している」
 「最低ね」姉は呟いた。「そんな人たちのために、一般の兵士たちは命を懸けて戦わされたのね」
 「責任の話のついでに言うと、真珠湾攻撃の時、山本五十六長官が『くれぐれもだまし討ちにならぬように』と言い残して出撃したにもかかわらず、宣戦布告の手交が遅れて、結果的に卑怯な奇襲となつてしまった原因は、ワシントンの駐米大使館員の職務怠慢だったって伊藤さんが話したこと覚えてる? あの後、気になって調べたら、戦後、責任者は誰もその責任を取らされていない」
 「たしか上の人たちって、パーティーか何かしてたのよね」
 「そう、送別会で飲みまくって、翌日の日曜日に遅れてやってきたんだ。前日に外務省から「対米覚書」という13部からなる非常に重要な予告電報が送らわていたにもかかわらずそれをタイプすることもしないでパーティーで遊んでいたんだ。翌朝届いた宣戦布告の電報を見て、慌てて「対米覚書」からタイプにとりかかったが、遅れに遅れて、それをハル国務長官に手交したのは真珠湾攻撃開始後だった。宣戦布告の電報だけなら、わずか8行だったのに」
 「懲戒免職もののミスね」
 「それ以上だよ。そのミスのせいで『日本人は卑怯な編し討ちをする民族』という耐え難い汚名を着せられたんだ。それがどれほど大きいものか。たとえばアメリカには原爆を使用したことに関して『卑怯な日本に当然の仕打ちだ』という主張があるんだ。9・11の時も、アメリカのマスメディアは『このテロは真珠湾と同じだ!』と言ったらしい。日本という国にこれほどの汚辱を与えたにもかかわらず、当時の駐米大使館の高級官僚は誰も責任を問われていない。あるキャリア官僚はノンキャリの電信員のせいにしようとした。前日『泊まりこみましょうか』と申し出た人をだ。それを『不要』と帰らせた男が、戦後、彼に責任をなすりつけようとしたんだ」 姉はため息をついた。
 「結局、当時の高級官僚は誰も責任を取らされていないばかりか、何人かは戦後、外務省の事務次官にまで上り詰めている。もしこの時、彼らの責任をしっかりと問うていれば日本人の『卑怯な民族』という汚名はそそがれ、名誉は回復されたかもしれない。アメリカ人も『あれはだまし討ちではなかったのだな』と理解したはずだよ。

しかし今に至るも外務省は公式にミスを認めていないから、国際的には、真珠湾奇襲は日本人のだまし討ちということになっている」

「永遠のゼロ」⑤ メディアの罪

「永遠のゼロ」
第9章 カミカゼアタック 423ページ

「空母は恐ろしい殺戮兵器だった。我々が攻撃したのは、そんな最強の殺戮兵器だ。
しかも、特攻隊員たちは性能の劣る航空機に重い爆弾をくくりつけ、少ない護衛戦闘機しかつけて貰えずに出撃したのだ。何倍もの敵戦闘機に攻撃され、それをくぐり抜けた後は凄まじい対空砲火を浴びたのだ。無防備の貿易センタービルに突っ込んだ奴らとは断じて同じではない!」
 「しかし、信念のために命を捨てるという一点において、共通項は認められーーー」
 「黙れ!」
武田は言葉を封じた。
 「夜郎自大とはこのことだ---。貴様は正義の味方のつもりか。私はあの戦争を引き起こしたのは、新聞社だと思っている。日露戦争が終わって、ポーツマス講和会議が聞かれたが、講和条件をめぐって、多くの新聞社が怒りを表明した。こんな条件が呑めるかと、紙面を使って論陣を張った。国民の多くは新聞社に煽られ、全国各地で反政府暴動が起こった。日比谷公会堂が焼き討ちされ、講和条約を結んだ小村寿太郎も国民的な非難を浴びた。反戦を主張したのは徳富蘇峰の国民新聞くらいだった。その国民新聞もまた焼き討ちされた」高山は「それは」と言いかけたが、武田はかまわず言った。
 「私はこの一連の事件こそ日本の分水嶺だと思っている。この事件以降、国民の多くは戦争賛美へと進んでいった。そして起こったのが五・一五事件だ。侵略路線を収縮し、軍縮に向かいつつある時の政府首脳を、軍部の青年将校たちが殺したのだ。話せばわかる、という首相を問答無用と撃ち殺したのだ。これが軍事クーデターでなくて何だ。ところが多くの新聞社は彼らを英雄と称え、彼らの減刑を主張した。新聞社に煽られて、減刑嘆願運動は国民運動となり、裁判所に七万を超える嘆願書が寄せられた。その世論に引きずられるように、首謀者たちには非常に軽い刑が下された。この異常な減刑が後の二・二六事件を引き起こしたと言われている。現代においてもまだ二・二六事件の首謀者たちは『心情において美しく、国を思う心に篤い憂国の士』と捉えられている向きがある。いかに当時の世論の影響が強かったかだ。これ以後、軍部の突出に刈向かえる片はい心くなった。政治家もジャーナリストもすべてがだ。この後、日本は軍国主義一色となり、これはいけないと気づいた時には、もう何もかもが遅かったのだ。しかし軍部をこのような化け物にしたのは、新聞社であり、それに煽られた国民だったのだ」
 「たしかに戦前においてはジャーナリストの失敗もあります。しかし戦後はそうではありません。狂った愛国心は是正されました」
 高山は胸を張って言った。
 武田の妻が再び夫の腕をそっと押さえた。武田は妻の方を見て小さく頷いた。それからまるで呟くように言った。
 「戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することは罪であるかのように。一見、戦前と逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は、まったく同じだ。
その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない」
 そして高山に向かってはっきりした声で言った。
 「君の政治思想は問わない。しかし、下らぬイデオロギーの視点から特攻隊を論じることはやめてもらおう。死を決意し、我が身なき後の家族と国を思い、残る者の心を思いやって書いた特攻隊員たちの遺書の行間も読みとれない男をジャーナリストとは呼べない」


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Author:野生馬 太郎
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