在日コリアンと本国人との対立

 最近発行された『日本の論点2012』(文芸春秋)を購読。

 710~713頁に、梁石日さんの「南北の相克を乗り越える鍵は、在日文化のさらなる創造にある」と題する論文が掲載されています。

 私には疑問のある部分がありますが、それはともかく、在日の現状を記すなかで、本国人との断絶というか、対立があるところに興味が引かれました。

「(東京の)大久保通りと職安通りにいくつもある狭い通り‥‥韓国の飲食店が並び、休日もなると日本の若い女性が飲食にくるのである。飲食店のオーナーも韓国からやってきた者が多く、日本の若い女性たちは、いわば韓国のソウルあたりの飲食街を散策しているような気分になる‥‥二〇年ほど前から職安通りに面した場所で飲食店を営んでいた七〇歳くらいの女店主は、『‥そのころは店が数えるほどしかなかった。ところが今では、韓国からきた連中にみんな取られた』と嘆いていた。この女店主は、自分の経営している周辺は自分の縄張りと思っていたのに、その縄張りを韓国から来た、いわゆるニューカマーたちに土足で踏み込まれたと嘆いているのであった。」(711頁上段~下段)

「昔から暮らしている旧在日コリアンと、数年前から日本にきて生活しているニューカマーとの間には、ほとんど交流がない。」(711頁下段)

「旧在日コリアンはニューカマーを上からの目線で見ているところがあり、逆にニューカマーは旧在日コリアンを、母国語を知らない日本人化した人間として見ているところがある。」(712頁上段)

「在日コリアンが韓国に旅行した場合、韓国語が話せない在日コリアンに対して、韓国人なのに、なぜ韓国語ができないのか?と問われる。そこで在日コリアンは深く傷つき、そもそも在日コリアンとは何か、という歴史的な経緯に対してまったく無知な本国の韓国人に強く反発する。韓国が日本の植民地になったのは誰の責任なのか。その根源的な問いを不問にして、在日コリアンを母国語もろくに話せない非民族的な存在であるかのようにみなす言説は容認できないのが、在日コリアンの立場なのである。」(712頁上段)

「在日コリアンは、いわば歴史のはざまに産み落とされた子供のようなようなものである。その子供が親を求めて彷徨しているのだ。そのことについて本国や組織の人間はほとんど理解していない。(712~713頁)

 このように、梁さんの所論には在日コリアンと本国人との対立について、かなりの分量を割いています。

 在日が、自分たちは韓国人であると名乗るなら、本国の人から、だったら何故韓国語ができないの、という疑問は自然だと思うのですが、梁さんによれば、それは歴史を知らないトンデモナイ言説となるようです。

 梁さんの言う「歴史」を在日が知っていれば、民族の言葉を勉強しようとする熱意は大きくなるはずですが、梁さんによれば在日はどんどん韓国語を忘れていきます。民族にとって極めて重要な言葉がこんな状況ですから、標題にあるような「在日文化の創造」とは一体どういうものなのでしょうか。

 梁さんが論じる「在日文化」とは、国籍は韓国・朝鮮でありながら本国人とは断絶し、中身は全くの日本人が創る文化と言えるようです。彼らの自民族文化へのまなざしは、日本人が異民族文化である韓国文化を見る目と変わりなくなります。

 そして韓流ブームで韓国文化に関心を寄せる日本人が非常に多くなりましたが、こういった人に「在日文化」を宣伝しても、異文化ではなく、日本文化の一つとして捉えられることでしょう。

 本国からも日本からも違いを持った「在日文化」が果たして成立するのか、疑問とするところです。

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/burogu
                         tsujimoto blogから抜粋
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ある在日の体験談

私が中学1年生の時、ハラボジ(祖父)が亡くなりお葬式がありました。
喪主であるアボジ(父)は一世のですので、当然の如く朝鮮人丸出しの葬儀をしました。
次の日、私が学校に行ったときの教室の空気たるや、あれは忘れる事も出来ません。通名(日本名)で生活をしていた私はその時以来、朝鮮人という事がばれてしまいました。まさにこれが「チョンバレ」です。約一年後、我が家はその街を離れました。>

 在日一世は通名を名乗りながらも朝鮮人であることを隠さなかったということです。自らの民族性を隠すという性向は、1950~1970年代に成長期を過ごした二世以降の世代の特有の現象です。彼の体験談はこれを裏付けるものです。 在日が自らの民族性を隠すというのは、一部であって全部ではありません。

「在日」の指紋押捺反対運動は、何も指紋押捺という一般的な意味における問題性を指摘しているのではありません。 15才の子どもが、5本の指にベットリ黒い墨を塗られて一本、一本、ただ、ポンと押すのではなく、側面から白い紙の上に載せて、次の側面までゆっくり回転させながら押していくのです。親指の次は人差し指、その次は中指、薬指、そして小指、白い紙に押捺している所を想像してみてください。そういうリアリティーから、「指紋押捺反対」という声を上げたのです。>

 これには重要部分に間違いがあります。「15才」と「5本の指」です。実際は14才で、左手人差し指の一本指だけです。つまりこの体験談には元々リアリティはないにも拘わらず、彼は指紋押捺反対の運動に加わったということです。なお彼自身は間違いを認めました。 私は拙論第47題にあるように、この運動に疑問というか胡散臭さを感じていました。従って彼の間違いの体験談は、私には参考になるものでした。  tsujimoto blogからの抜粋

『在日一世の記憶』

集英社新書『在日一世の記憶』 tsumoto blogからの抜粋

 『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編 集英社新書 2008年10月)という本がでた。新書でありながら、800頁近い厚さの本である。  有名無名の在日韓国・朝鮮人52人からの体験談を記録したもので、なかなか興味深いものだ。いわゆる「身世打令(身世打鈴)」である。
 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/01/507081

 年寄りの体験談なので、勘違いや思い込みなどあって、混乱する部分があるのは仕方ないところである。また後に得た知識で、過去を語ることも少なくない。従って、これを歴史資料とするには、裏付けをとらないといけないものである。

 それはともかく、この本のなかで、ちょっと疑問な点が幾つかある。

 360頁に、朴明寿さんという方の経歴がある。そのなかで

 「石炭採掘鉱業所に就職するが、事故のため二ヶ月で退職」

という部分がある。ところが彼自身の実際の体験談では次のように記されている。

 「次の日からその鉱業所に働くことになりました。 ‥‥わたしの仕事というのは、採炭夫が地の底か運んできたトロッコ一杯分の石炭を、所定のくぼ地に空けるごとに、帳面に印鑑を捺して彼らの仕事量を記録することでした。ある程度仕事にも慣れ、彼らと冗談の一つもいえるほど親密になってきたとき、彼らのなかの一人から“ハンコをもう一つ捺してくれ”と頼まれると、わたしも若かったし同情もしていたので“わかった”と捺してあげました。すると次の人にも“俺にも”ということで、頼む人みんなにおまけのハンコを捺すようになってしまいました。一ヵ月も経つか経たないうちに噂になるし、また捺されたハンコの数と積み上げられた石炭量とがずいぶんとかけ離れていることが明白になったので、事務所に呼びつけられ即刻クビになりました。」(363・364頁)

 要するに不正行為をしたから解雇されたのであって、経歴にあるような「事故で退職」ではない。この間違いはうっかりミスではあり得ず、作為的なものとしか考えようがない。 この経歴は取材者である成大盛なる人物が書いたようだが、どういう意図で、このような虚偽の経歴を作成したのだろうか?

 金徳玉さんという方の体験談に、次のような一文がある。

「アボジは『サンノム クル ペウミョアンデンダ(日本の字を学んではダメだ)』って、そういうの。だからわたしもそれで学校に行かれなかった。」(407頁)

 アボジ(父)の言葉のうち「サンノム」とは漢字で「常奴」と書き、身分の低い男性を指す。日本語では「下郎」「野郎」に相当する言葉である。従ってアボジは、下郎のような奴は字を勉強しなくていいい、という意味で言ったのである。

 これは当時の朝鮮社会の身分差別思想に基づくものであり、特に両班(朝鮮の上流階層)が有していた考えである。

 ところが体験談の執筆者(高秀美)は、これを「日本の字を学んではダメだ」と訳し、この節の小見出しにまでしてしまった。日本の差別語は「ウェノム」であり、朝鮮社会において下層階級を貶めて言う差別語が「サンノム」なのである。下司の勘ぐりかも知れないが、アボジを反日民族活動家に仕立てようとしたのだろうか?という感想を持ってしまう。

 なお当時の朝鮮社会では女性差別が厳しく、女は字を知らなくていい、学校に行かなくていい、とするのが一般的であった。植民地時代でも女性の就学率は1割程度であった。

 この本は、52人の在日一世の体験談を集めたものである。この本の表紙カバーの見返し部分に、一世たちの由来を次のように記している。

「朝鮮半島に生を受けながらも日本の植民地政策に起因して渡日し、そのまま残留せざるを得なくなった人々」

 つまり来日の原因が「日本の植民地政策」であるとしている。ところが、52人のうち下記の方たちは戦後(解放後)の来日である。来日方法も合わせて、まとめてみた。

 3、梁義憲(38頁)1948年以降・「密航」  4、李錫玄(59頁)1946年頃・「闇船」  6、沈孝男(84頁)1950年・「ビザ」取得  10、朴勝子(140頁)1954年頃・「密航」  19、朴進山(277頁)1950年・「密貿易の漁船」  35、朴容徹(505頁)1948年・(前後の文から推測すると密航)  39、金時鐘(571頁)1949年・(前後の文から密航と分かる)  42、高泰成(612頁)1947年頃・「密入国」  46、韓在淑(675頁)1948年・(前後の文から推測すると密航)  49、高基秀(708頁)1951年・「密航」  52、高仁鳳(750頁)1957年・「密航」

 以上の11人の方は、戦後(解放後)に来日しており、うち正規の手続きを経た方はたった一人である。他はすべて不法に来日した方たちである。 こういった方々は「日本の植民地政策に起因して渡日」とは、決して言えないのは当然であろう。しかも52人中11人であるから、かなりの割合である。

 この本の782頁に≪読者の皆様へ≫のなかに次のような一文がある。

「本書には、『京城』『日韓併合』という言葉が頻出します。京城は、1910年から1945年にかけての、いわゆる大日本帝国による朝鮮半島の植民地時代、それまでの首都だった漢城を改めた呼称で、現在のソウルの大部分を示してはいますが、必ずしも同じ都市名ではありません。‥‥‥右に例示した言葉や表現は、歴史事実を曲解させたり、差別を拡大、助長させる恐れがあり、本来ならば使用をさけるべきです。」

 1910年に漢城を京城と改称したのは歴史的事実であり、また解放後の韓国が首都ソウルの市域を拡大していったので、京城とソウルは市域が違うのも当然である。従って「歴史を曲解させ」るという理由にはならない。

 また李朝時代に諺文(ハングル)の「ソウル」を漢字語で言い表すのが「京城」であることは、原田環氏の「近代朝鮮における首都名の表記について」という論文のなかで証明されているし、現在の韓国で発行されている総合雑誌『月刊朝鮮』理事の趙南俊氏も、「京城」は口語で使われる「ソウル」を漢字で書くときに使う文語であることを明言している。
 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuunidai
 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku11dai

 「京城」を「歴史を曲解させ、差別を拡大助長させる」とする考えは、誤りとしか言いようがない。

(参考)http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuukyuudai

 この本は52人の在日一世の体験談とされているが、次の二人は「在日一世」ではない。

 22、平野八重子(315頁~)  50、石梨香(718頁~)

 平野さんは元々日本人で、日本で生まれ育ち、在日朝鮮人男性と戦後の1947年に結婚している。

 石さんも元々日本人で、日本で生まれ育ち、在日朝鮮人男性と出会って5年経て1959年に結婚している。

 彼女らは結婚後は日本人ではなく朝鮮人として生きてきたが、朝鮮の地で暮した事がない。結婚後も生活の場所はすべて日本であった。

 この本では在日一世を「植民地時代から南北分断時代にいたる民族受難の歴史を異国で生き抜いた在日韓国・朝鮮人」(761頁)としている。従ってこの二人が「在日一世」でないことは明白である。

 在日一世でない者を二人も『在日一世の記憶』という本のなかに入れたのは何故なのだろうか? その理由・意図は、この本のどこにも記されていない。

 この本の編者である小熊英二は、「あとがき」のなかで在日の将来について次のように述べる。

「一世たちは、明らかに日本社会における『異物』であったが、現在の三・四世の在日はもはや言語的・文化的に日系日本人と差異はあまりない。日系日本人との通婚率も高くなり、国籍法が男女両系主義に変更していらい、生まれる子供は日本国籍になる可能性も高まっている。したがって、在日六・七世は存在しうるのか、存在するとしてもきわめて少数になるのではないかという疑念はでてきても不思議ではない‥‥‥

わたしは『在日』の存在は今後もなくならないと思う。‥‥

日本社会と『在日』の人びとが『在日』というカテゴリーを必要とするかぎり、どれほど文化や国籍の同化が進もうとも、『在日』は残りつづけるだろう。それは差別対象としてであるかもしれないし、日本社会を批判する足場としてかもしれないし、社会的権利を集団的に求めるためのいわば便宜的団結としてかもしれない。そうした必要がある限り、『在日』の存在はなくならず‥‥」(779~781頁)

 果たして日本社会が在日というだけで彼らを「必要」とすることがあるのだろうか?しかも「必要」というのが、「差別対象」であり「日本社会を批判する足場」としての必要性であるという。こんな必要性を有する日本人は、よほどの偏見に満ちたというか、人間性に問題のある人だ。 日本社会にとって必要な在日とは、日本社会に寄与・貢献してくれる人たちである。そういう存在ならば、在日が「異物」であろうが、「同化」していようが、まったく関係のない話である。

 また在日自身が「社会的権利を集団的に求めるためのいわば便宜的団結」のために「在日」を必要とするとある。 しかし小熊自身が書いているように、在日は日本国籍を取得していくのである。日本国籍を有せば、他の日本人たちと「社会的権利」の差はなくなる。差のないものを「在日」という理由だけで権利を求めることは、それは特権要求でしかない。

 小熊の論理では、「在日」のアイデンティティの源泉は、朝鮮半島や民族文化になく、日本との関係のなかだけにある。しかもそれは被差別・受難・被害という関係である。 小熊は在日を第二の部落問題にしようとしているようだ。




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