中国による紅い統一工作(上中下)

【紅い統一工作(上)】
「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」 暴かれた習近平指導部の計画 「尖閣諸島奪還は2040~45年」

 今年10月、米国で出版された一冊の書籍によって、中国の習近平指導部が準備を進めている「計画」が暴かれた。
 「大規模なミサイル攻撃の後、台湾海峡が封鎖され、40万人の中国人民解放軍兵士が台湾に上陸する。台北、高雄などの都市を制圧し、台湾の政府、軍首脳を殺害。救援する米軍が駆けつける前に台湾を降伏させる…」
 米シンクタンク「プロジェクト2049研究所」で、アジア・太平洋地域の戦略問題を専門とする研究員、イアン・イーストンが中国人民解放軍の内部教材などを基に著した『The Chinese Invasion Threat(中国侵略の脅威)』の中で描いた「台湾侵攻計画」の一節だ。
 イーストンは「世界の火薬庫の中で最も戦争が起きる可能性が高いのが台湾だ」と強調した。その上で「中国が2020年までに台湾侵攻の準備を終える」と指摘し、早ければ、3年後に中台戦争が勃発する可能性があると示唆した。
 衝撃的な内容は台湾で大きな波紋を広げた。中国国内でも話題となった。
 「具体的な時間は分からないが、台湾当局が独立傾向を強めるなら、統一の日は早く来るだろう」
 国務院台湾弁公室副主任などを歴任し、長年、中国の対台湾政策制定の中心となってきた台湾研究会副会長、王在希は中国メディアに対し、イーストンの本の内容を半ば肯定した

 その上で「平和手段か、それとも戦争か、台湾当局の動きを見てから決める」と踏み込んだ。近年、中国の当局関係者が台湾への武力行使に直接言及するのは極めて異例だ。
 10月24日に閉幕した共産党大会で、党総書記の習近平(国家主席)は「3つの歴史的任務の達成」を宣言した。「現代化建設」「世界平和の維持と共同発展の促進」とともに掲げられた「祖国統一の完成」とは、台湾を中国の地図に加えることにほかならない。
 党大会終了後、北京市内で開かれた政府系シンクタンクが主催するシンポジウムで、軍所属の研究者が「中国近未来の6つの戦争」と題する発表をした。
 その研究者は、習近平指導部が隠してきた、中国が主権を主張する領土を奪還するための2050年までの予定表を明かした。台湾統一の時期は20~25年。イーストンの指摘と一致する。
 習近平は、東シナ海や南シナ海、インド、ロシアとの国境周辺などにも版図を広げる心づもりだという。同発表では、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を奪還する時期は40~45年とされている

 心は大中国」台湾軍をスパイ侵略
 中国の情報機関はここ数年、台湾軍の内情を探るため深く潜り始めている。
 「台湾の蔡英文政権が2016年5月に発足して、中国国内の各情報機関の台湾担当部署の予算も人員も大幅に増加した」
 ある中国共産党関係者は、こうした変化も台湾への軍事侵攻に向けた準備だととらえている。
 今年5月、台湾軍中枢の参謀本部ミサイル防衛指揮部(当時)の前指揮官、謝嘉康(少将)が、中国側に重要な軍事情報を漏らしたとして、「国家安全法」違反容疑で拘束された。
 同指揮部は陸上配備のミサイル部隊を統括しており、米国製の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)などの防空網や、上海を射程に収めるとされる自主開発の巡航ミサイル「雄風2E」の情報が漏れた可能性がある。
 謝嘉康を中国側につないだのは退役後、旅行業を営んでいた元上官の男だった。男は、中国の国家安全部門に籠絡されて、その手先となっていた。09年と10年、元上官からタイやマレーシアへの家族連れの無料旅行に招待された謝嘉康は、たくらみに気付かず、誘いに乗ってしまった。
 11年には、陸軍少将の羅賢哲が、指揮通信情報(C4ISR)を統合するシステムの情報を漏洩(ろうえい)した疑いなどで逮捕された。

 羅賢哲は武官として駐在したタイで、歓楽街での買春現場を中国の工作員に撮られて脅された。04年から情報提供を始め、毎回10万~20万ドル(約1120万~2240万円)の報酬を受け取っていた。羅賢哲は12年、無期懲役となった。
 台湾当局はスパイ事件の詳細や判決を公表していない。それ自体が手の内を明かすことになるからだ。
 台湾軍内部には中国側の協力者が数多くおり、明るみに出たのは氷山の一角と指摘する声がある。ある現役将校は「中国側や軍内部の協力者に見せつけるため、逮捕案件自体を選別している可能性がある」と指摘した。
 台湾軍幹部の中には、中国大陸から来た「外省人」とその子孫が多い。特に年齢層の高い退役軍人や高級幹部は「大中国」意識が強い。退役・現役軍人の中には「台湾人意識」を支持基盤とする民主進歩党に反感を持つ者も多く、もともと中国に利用される素地があるという。
 昨年11月には、北京の人民大会堂で開かれた孫文の生誕150周年記念式典に、台湾の退役将官32人が出席した。中国の国歌斉唱時に起立し、国家主席、習近平の演説を神妙に聞き入る姿が問題となった。

 危機感を抱いた蔡英文政権は今年7月、改正法案を提出し、退役した軍高官が中国で政治活動に参加することを禁じたが、後手に回っていることは否めない。
 「世界一流の軍隊」の建設を目指す習近平は共産党大会で、20年までの「機械化、情報化の実現による戦略能力の大幅な向上」を宣言した。台湾軍は「内と外」からの脅威にさらされている。
    

 「習近平は中国が領有権を主張する領土を取り戻すことで、歴史的英雄になろうとしている」-。ある共産党関係者が習近平の“野望”を看破した。台湾を紅く染めるため、すでに始まった「一つの中国」への工作の実態を探る。
    

■「一つの中国」 台湾は中国の不可分の一部であり、中華人民共和国が中国唯一の正統政府であるとする中国の主張のことを示す。台湾はこの主張を受け入れていない。中国は台湾の問題を核心的利益と位置付け、米国などに対して干渉しないよう要求。1972年の日中共同声明では、日本は「一つの中国」に対して同意を避け、「理解し、尊重する」との立場にとどめている。


【紅い統一工作(中)】
習政権、台湾孤立へシフト 札束外交で友好国奪取 独立派への暴力「よくやった」

 米大統領ドナルド・トランプがアジア歴訪最後の訪問国、フィリピンに到着した11月12日、中国国営新華社通信傘下の中国紙、参考消息の電子版に短いニュースが掲載された。

 〈中国がドミニカ共和国に8・2億ドルを投資し、水力発電所などを建設する〉

 たったそれだけの記事だったが、台湾の外交関係者は大きな衝撃を受けた。「北京の新しい外交攻勢が始まった」-。

 習近平政権は昨年から、台湾と外交関係のある国を奪い取り、国際社会から蔡英文政権を孤立させる工作をはじめた。

 今年6月には長年の友好国パナマが、中国に奪われた。今や、台湾が外交関係を持つ国は20カ国しか残っていない。ドミニカ共和国はその一つだ。

 「次はドミニカではないか」。警戒する台湾は、7月に外交部長(外相に相当)の李大維を、8月と10月に外交部次長(外務次官)の劉徳立を、相次いでドミニカに派遣。10月下旬には、ドミニカの国防相を台湾に招待し、総額3500万ドルの軍用物資を提供することで双方が合意したばかりだった。

 「最近3、4カ月、中国側に目立った動きがなかったので安心していたのだが…。今思えば、共産党大会とトランプ訪中の準備をしていただけかもしれない」

 台湾の外交関係者がつぶやいた。

 台湾にとって、8億ドルはとうてい払える金額ではない。巻き返す手立てはない。「ドミニカと中国の国交樹立は時間の問題だ…」。外交関係者が顔を曇らせた。

 11月8日に訪中したトランプにとって、米中首脳会談の優先課題は北朝鮮問題だった。それに対し、中国国家主席、習近平がもっとも重要視していたのは台湾問題だ。習近平は会談中、何度も台湾問題について言及し、米国による台湾への武器輸出を牽制したという。

 米中首脳会談後、中国外務省の外務次官、鄭沢光は中国メディアに対し「トランプが会談で、一つの中国政策を継続すると表明した」と語った。大統領当選直後、「一つの中国政策」を疑問視したトランプだが、すっかり中国に丸め込まれてしまった。

 10月24日に閉幕した中国共産党大会で、習近平は「両岸(中台)の同胞と共同で一切の国家分裂活動に反対する」と宣言し、台湾の内政への干渉を公言した。

 党大会後に決まった人事に、その布石がうかがえる。国連大使などを務めた大物外交官で、習近平から厚い信頼を得ている劉結一が、閣僚級の次期台湾事務弁公室主任に内定した。新しい政治局員には習氏の福建省勤務時代の部下が多く登用された。いずれも第一線で対台湾工作に携わった経験者だ。

 「2期目の習近平政権は台湾シフトの政権だ。統一工作はこれから本格的に始まる」。こう証言する共産党幹部もいる。
     ◇
 「台北を中国の一都市にしようとする試みだ」「中国の統一戦線は受け入れない」

 9月24日、台北の台湾大学の運動場に設置されたステージ周辺は、抗議に詰めかけた百人を超す学生や「台湾独立」派の怒号で異様な雰囲気に包まれた。中国・上海市との交流の一環で行われた、中国の歌謡オーディション番組「中国新歌声」の収録現場。激高した学生らがステージになだれ込み、収録は中止となった。だが、騒動は、対抗する中年の男らが現れて4人を棒で殴りつけ、1人が流血する事態に発展した。

 男らは、中国との統一を掲げる政治団体「中華統一促進党」の構成員だ。中国の国旗「五星紅旗」を堂々と掲げ、日本統治時代の銅像やこま犬を破壊するなどの違法行為も平然と行う。一部が「黒道(やくざ)」であることは周知の事実。「党総裁」の張安楽(69)自身が暴力団「竹聯幇」の元構成員で、中国で逃亡生活を送ったことがある。張安楽は事件翌日、メディアの前に姿を現し、「よくやった」と暴力を正当化した。

 事件5日後の台湾紙、自由時報は中国当局が台湾の暴力団を「操っている」と報じた。記事は、中国で対台湾政策を担当する国務院(政府)台湾事務弁公室が福建省アモイに置く出先機関の「外聯弁事処」が、実際には情報機関「国家安全省」の工作拠点であり、竹聯幇などに指示を出していると指摘した。

 台湾当局が中国の関与を疑うのは急進統一派だけではない。1993年に中国国民党からの離党者で結成された政党「新党」もその一つだ。立法院(国会)で21議席を占め「第三勢力」と呼ばれた時期もある。現在は地方議会の2議席にまで勢いは衰えているが、2016年の立法委員選には候補者を擁立した。

 主席の郁慕明(77)は産経新聞の取材に「統一促進党とは目標が同じ。われわれは兄弟だ」と話す。郁慕明は上海生まれで、中台分断で台湾に移った「外省人」。何度も訪中して中国共産党のイベントに参加している。「台湾と中国大陸は運命共同体。中華民族の一員として統一を望まない方がおかしい。政治体制は重要ではない」と語る。郁慕明は20年の総統選に候補者を出す準備を進めている。目的は当選でなく「中台統一の宣伝のため」という。

 郁慕明のような高齢世代の外省人だけでなく、戦前から台湾に住む「本省人」の若年層にも中国との統一を主張する声が出始めている。いわゆる「南京大虐殺」をモチーフにした楽曲で名前を売ったシンガー・ソングライター、張穆庭(38)は3月、政治団体「民生党」を発足させた。統一を目指す理由を「経済のため」と断言する。張穆庭によれば、与党、民主進歩党も野党、中国国民党も大企業重視で、労働者や若者向けの政策を打ち出していない。「台湾経済は中国大陸に頼らなければ立ちゆかない。台湾独立を主張して腹一杯になるなら、独立を主張しますよ」

 民生党は18年末の統一地方選に参戦する方針だ。候補者は40歳以下に限定し「中間票を狙う」。すでに中国の台湾事務弁公室からの接触があるという。(敬称略)

【紅い統一工作(下)】
 クリミア併合を研究せよ 台湾支配へハイブリッド戦争

 7月、中国広東省東莞で開かれた台湾の学生向け就職説明会。約190人のために広大な会場が準備された(台湾誌「商業週刊」)

 中国の習近平指導部が昨年春、中国社会科学院など複数の政府系シンクタンクや対外交流団体などに、内部指令を出した。
 「ロシアによるクリミア併合を研究せよ」
 中国共産党総書記、習近平(国家主席)とその周辺は、2014年にロシアがクリミアを実効支配した経緯や国際社会から受けた制裁の実態、露大統領ウラジーミル・プーチンの支持率の推移などを、詳しく知りたがった。
 当局指定のプロジェクトであるため、研究には潤沢な経費がついた。研究成果は外部に発表せず、内部資料として党中央に提出するよう厳命された。
 ある中国のシンクタンク関係者は、内部指令に隠された目的を読み解いた。
 「指令が下った時期は、台湾独立志向の蔡英文政権の発足とほぼ重なる。習近平は台湾をクリミアのように併合することを念頭に置いている」
 習近平指導部は、ロシアがクリミア併合で用いた「ハイブリッド戦争」にも高い関心を示しているという。「ハイブリッド戦争」とは、特殊部隊や民兵を駆使し、情報操作や政治工作、経済的圧力など、さまざまな非軍事的手段で相手を攪乱する新しい作戦形態を指す。
 ある台湾の外交関係者は「中国が本格的に台湾にハイブリッド戦争を仕掛け始めている」と指摘し、3種類の実例を挙げた。
 中国は今年5月、世界保健機関(WHO)総会への台湾代表の出席を阻止した。11月18日に閉幕した国連気候変動枠組み条約第23回の締結国会議(COP23)でも、会議事務局に圧力をかけ、台湾の閣僚の参加を阻んだ。
 これらは、政治力を行使して台湾を国際会議から締め出し、孤立させようという外交面での工作だ。
 軍事面での挑発も増えている。中国は1月に空母「遼寧」を台湾周辺で航行させた。中国の軍用機による台湾の防空識別圏への侵入も急増した。台湾の民衆に心理的圧力を加える目的がうかがえる。
 そして最近、執拗に行われているのが、ロシアがウクライナに頻繁に仕掛けたサイバー攻撃だ。
 台湾の「国家安全局」の統計によると、同局が昨年受けたサイバー攻撃は前年の30倍以上の約63万回に上った。そのうち約61万回は、蔡英文政権が発足した昨年5月20日以降に集中している。「蔡英文政権になってから、サイバー攻撃の傾向は情報の盗み出しからインフラ破壊へと変化している」と分析する台湾の専門家もいる。
 台湾は中国の攻撃を防ぐため、国防部(国防省に相当)に6千人規模のサイバー部隊を立ち上げた。6月の編成式典では、総統の蔡英文が「有形の国土を守り抜く。サイバー空間でも決して譲歩しない」と宣言した。
 しかし、中国による台湾へのサイバー攻撃はまだ、実験段階にすぎない。中国人民解放軍のサイバー部隊は少なくとも十数万人とされる。「将来、台湾攻略を念頭に本格的な攻撃を仕掛けられたら、今の力ではとても対応できない」。台湾の専門家の口から悲観的な言葉が漏れた。
就活の費用全額負担で若者懐柔
 台湾の若者への懐柔も中国の統一工作の重要な一環である。
 「私は台湾独立派だけど、中国大陸はチャンスが多い。機会があれば中国で就職したい」
 台北大学4年の葉依●(21)は、あっけらかんと話した。7月に中国広東省政府と中台の起業家らが共同で開いた、台湾の学生向け就職説明会に参加した。副総統などを務めた野党、中国国民党の蕭万長が団長を務め、大学や高等専門学校20校から学生約190人が広東省東莞を訪れた。
 2泊3日で高級ホテルに宿泊。東莞の国際展示場では、家電大手ハイアールや大手銀行、航空会社など中国企業約280社が訪問団のためだけにブースを準備した。滞在中の費用は主催者が全額負担した。
 葉は民主化後の台湾で育ち「天然独(生まれながらの台湾独立派)」を自任していた。台湾人は中国当局や中台統一派が主張するような「中華民族の一員」ではなく、「文化、価値観から生活習慣まで全て異なる、中国人とは別の民族」とまで言い切る。それでも説明会には「心を動かされた」という。
 北京で企業研修を体験した台湾大学4年の李政軒(21)は「中国にいくことにリスクはあるが、能力さえあれば給料が上がるのが魅力的だ」と語り、真剣に就職を検討しているという。
 中国とのサービス貿易協定に反対する台湾の学生らが立法院(国会に相当)を占拠した2014年春の「ヒマワリ学生運動」は、中国当局に衝撃を与えた。学生らを突き動かしたのは、中国一辺倒の国民党・馬英九政権への反発だけでなく、協定で自分たちの就職先が失われるという焦燥感だった。若年世代の反中感情は昨年の政権交代の原動力ともなった。
 これを受けて共産党は今年3月、対台湾工作の重点を「一代一線(青年世代と末端の民衆)」とする方針を発表。10月の党大会前後には、台湾政策を主管する国務院台湾事務弁公室トップの事実上の更迭を明らかにした。総書記の習近平は政治報告で、学習、創業、就業、生活の4分野で「大陸同胞と同様の待遇を提供する」と述べ、中国で暮らす台湾住民の「内国民化」を宣言した。
 台湾のシンクタンク「国家政策研究基金会」の研究員、盧宸緯によると、中国当局は台湾の若者の起業をワンストップで支援する「青年創業基地」を2015年6月から設立し始め、わずか1年間で53カ所まで急増させた。昨年10月には、台湾人の大学入学基準を現地の学生と同水準に緩和。「一つの中国」を認めることを条件に台湾人向けの奨学金も拡充した。こうした優遇策は「(台湾側に)何かを強制する度合いが小さく、台湾社会への影響が少ない」と盧は指摘する。習政権が「ヒマワリ」から学習した成果だ。
 台湾人の若者を「吸収」する一方で、中国は台湾への留学生を減らしている。今年度、台湾の大学に留学を申請した中国人学生は以前と比べ約半分の1千人以下に減った。盧はこうした“輸出超過”が続けば「台湾から優秀な人材が流出してしまう」と懸念する。(敬称略)

 この連載は産経ニュース田中靖人、矢板明夫が担当しました。
 ●=雨かんむりに文の旧字体
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台湾独立の戦い

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地球史探訪: 台湾独立の戦い

「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」
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■1.「とうとう、本当の自分に戻ることができた!」

「昭和36(1961)年4月、羽田空港に降り立った私は、人目がなければ、地面に跪(ひざまづ)いてキスをしたいくらいにうれしかった」 台湾から東京大学に留学した周英明さんはこう思った。翌日井の頭線に乗って渋谷に向かう車中、笑いがこみ上げて、我慢できなくなってしまった。

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 とうとう、本当の自分、周英明に戻ることができた! もう誰に対しても自分を偽る必要はない。台湾を支配する国民党の連中、ざまあみろ。私はお前たちの手中から逃れて、自由な国に来ることができた。もう二度と、絶対におまえたちには捕まるものか! ざまあみろ。[1, p77]
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 戦後、日本が引き上げた後で、台湾では蒋介石の国民党により恐怖政治が行われた。周さんはそこから脱出してきたのだった。


■2.台湾人の怒り

「遵法観念なし、衛生観念なし、教養なし、文化レベル最低の中国人が警察・軍隊・役所など、権力を全部掌握して、好き勝手なことを始めたからたまらない」[1, p38] これが終戦直後の台湾だった。

 日本統治時代の台湾は米は豊作、一級品の砂糖の生産も盛んだった。その砂糖や米穀を、中国兵のトラックが次から次に運び出して、中国大陸に売ってしまった。軍や政府の上層部が、金儲けのために勝手に持ち出すのである。その結果、飢饉を知らなかった台湾で米不足になり、極度のインフレが生活を直撃した。

 また中国海軍が香港あたりから密輸してきた外国たばこを、元締めから仕入れた台湾人が街頭で売る光景が見られるようになった。国民党政府は専売で売っている台湾たばこの売り上げが落ちるので、これに目を光らせていた。警官が来ると、たばこの密売人は一斉に路地裏や物陰に隠れてやり過ごす。

 1947(昭和22)年2月27日夕方、たばこの密売で生計を立てている未亡人が逃げ遅れて捕まってしまった。「子供がいるんです」「生活に困っているのでどうかお見逃しを」と土下座して懇願するその未亡人から、取締官は密売たばこを取り上げ、ジープで連行しようとした。抵抗する未亡人は取締官に小銃の台座で殴られ、頭から血を流した。

 一部始終を見ていた群衆は、はじめは「許してやれよ」というヤジを飛ばしていたが、それが「やっちまえ」にかわり、危険を感じた取締官は群衆に向かって発砲し、けが人が出る騒ぎになった。

 民衆の怒りは収まらず、翌28日朝、膨れあがった群衆は「発砲してけがをさせた警官を処罰しろ」と専売局前の広場に押し寄せた。2階のバルコニーにいた警備兵が広場の群衆に向かって機銃掃射し、数人の死者が出た。この事件で、これまで我慢していた台湾人の怒りが爆発し、各地で暴動が起きた。


■3.血の海のなかの先輩の遺体 

 この時、周さんは高尾中学1年生だった。周の兄たち上級生は小銃で武装し、「中国人を追い出そう」と演説をして、校舎の守りを固めた。

 数日後、高尾中学は中国軍に包囲された。銃撃戦が起こり、双方で死傷者を出した末に、校舎は中国軍に占拠された。中国軍に追い詰められて最後に残った兄たち数人は、銃を捨てて塀の崩れたところから、かろうじて逃げのびた。

 しばらくして、中学校が再開されることとなり、周が朝、家を出ると駅前広場で黒山の人だかりができていた。なかの様子を窺った周さんは、ショックで顔面が蒼白になった。公開処刑が行われた直後で、3人の遺体が血の海の中で横たわっていた。そのうちの一人は周さんの知っている先輩だった。

 その光景を見た瞬間、周さんの体の中にあった道徳心や勇気、正義感は凍りついてしまった。もう金輪際、政治に関わったりはすまいと心に誓った。その後、高校に入り、台湾大学の受験をめざして勉学に打ち込み、政治に関わることを避け続けた。

 台湾大学に入学し、大学のそばの学寮で生活を始めた。国民党政権によるテロが続いており、少し不用意な発言した人はいつの間にか学校から消えていなくなった。しばらくすると近くの河原で銃殺死体で見つかる。

 大学を卒業すると、1年半の義務兵役が始まった。炎天下に来る日も来る日も演習ばかりさせられた。蒋介石を頭とする一族郎党のために、辛い軍事訓練を受けて、「毛沢東をやっつけろ、それがお前たちの使命」だって? 腹の中では憤懣でいっぱいだった。

 やっとのことで兵役を終えて、台湾大学に助手として戻った。腹の中で膨れ上がる反逆心がいつ爆発するか、もう限界に来ていた。そのころ日本の文部省が国費留学制度を開始した。この道しかない! 周さんは猛勉強して試験に合格し、東京への切符を手にしたのである。


■4.「台湾?」

 東京について、とうとう本当の自分に戻ることができたと舞い上がったが、一ヶ月も経つと別の思いが頭をもたげてきた。

__________
 学者になりたいという道は開け、私は前途洋々である。しかしそれは個人的な問題が解決されただけではないか。・・・
 両親や兄妹、親戚、学友はみんな、今も台湾で苦しんでいる。蒋介石を頭とする国民党政府の圧政は、少しも改善されていないではないか。[1, p78]
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 自分は一体、どうすべきなのか。頭を抱えながら、時間が過ぎていった。そんなある日、留学生会館の図書室で『台湾青年』という雑誌が目に留まった。「台湾?」 台湾と名前をつける事は、反体制・独立を意味することから、台湾国内では絶対にタブーだった。

 なかを読んで驚いた。口にするのも憚られる「台湾独立」や「蒋介石の独裁体制」という言葉が並んでいる。しかもよく読めば、日本にいる留学生たちが作っているようだ。

 たぶん自分と年格好もそう違わない留学生、ほんの一握りの台湾人青年たちがこんなにも勇敢に戦ってるのだ。その夜、周は興奮して一睡もできなかった。「怖い、怖い」と逃げている自分が、ひどく小さな、卑怯な人間に思われた。

 そして今まで自分が受けた台湾の人々や台湾社会からの恩義を想うと、台湾の最高学府を出た自分が何もしなければ、一体この台湾は誰が救うのか、このままではいけない、という気持ちが高まっていった。


■5.「独立運動に加わろう」

『台湾青年』を読んだ感激を何とか伝えたいと思って、匿名で編集部に投書した。すぐには彼らの仲間にならなかったが、匿名で政府批判の文書を作成し、あちこちに配るようになった。

 ある日、在日中華民国大使館からで呼び出し状が届いた。ギクッとしたが、行かなければかえって怪しまれると思って、恐る恐る出かけて行った。大使館の文化参事官は周さんを家に連れて行ってご馳走し、最後に「いろいろ仕事を手伝ってもらいたい」と切り出してきた。

 毎月、金を支給するので、台湾からの留学生たちがどこで何を言ったか、定期的に報告してもらいたいという。スパイになって友達を売るなどという真似ができない事ははっきりしていた。しかし断れば「政府の言うことが聞けないのか」となるだろう。

 悩みに悩み、そして決心した。「大使館の要請は断ろう。エイ、毒をくらわば皿までだ、独立運動に加わろう。もう自分の心に嘘つくをよそう」

 台湾国内で独立運動すれば命がけ、国外ならパスポート剥奪、親兄弟をはじめ一族郎党がブラックリストに載る運命が待っていた。年老いた父母の顔が目に浮かんだ。 「これで台湾には、帰れなくなります。いろいろ心労をおかけする親不幸をお許しください」と、唇を噛みながら、周さんは心の中でわびた。


■6.「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」

 そんなある日、周さんは会合で紹介された一人の女性に一目惚れした。そばにいた友人に「何者だ」と尋ねると「ああ、彼女はね、大使館の特務四天王だから、あんなのに近づいたらダメダメ! いつも大使館に雇われて通訳をやってるし」と教えてくれた。特務とは大使館の手先として諜報活動するスパイで、その四天王の一人だという。周さんはがっかりした。

 その女性、金美齢さんは通訳をやっているのはアルバイトのためだけで、密かに『台湾青年』を読んでいた。何度か二人で顔を合わせて話をするうちに、金さんは周さんの考え方や話し方から「独立派」との「信号」をキャッチしていた。たまたま二人だけで話す機会があった時、「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」と切り出した。

 金さんは日本統治時代の台湾に生まれ育ち、やはり国民党政権に反発して、ある日本人の助けで日本に留学した。日本では学生運動のまっただ中で、金さんは、若者がこれほど自由に政治的な発言ができることに衝撃を受けていた。

 ある日『台湾青年』という雑誌が届き、みんなが恐れおののいている台湾の政治や社会の問題をはっきり指摘する勇気のある人々がいることに驚いた。やがて得意の語学を使って大使館の通訳を務めるようになったが、仕事は仕事と割り切り、その陰で『台湾青年』の編集者たちと接触していた。

「孫明海ってあなたでしょう」とズバリと指摘され、周さんは「いやー、ハッ、ハッ、ハッ」とごまかしたが、「よくわかったなぁ」と内心、舌を巻いた。そのうちひょんなことから彼女の自宅で食事に招待され、二人だけでずっと話した。

 翌日の朝、周さんは彼女に電話した。「僕と結婚してください」といきなりプロポーズした。「はい」と言う返事が、電話線を通してすぐに戻ってきた。


■7.パスポート没収

 二人が結婚して数ヶ月後、周さんのパスポートが更新時期を迎え、大使館で更新の申請をしたが、その後、いくら待っても連絡がない。独立派と旗幟を鮮明にしたので、パスポートを没収されたのだ。周さんは残念に思うこともなく、国民党政府と縁が切れた事に心からの開放感を味わっていた。

 当時、日本政府は国民党政府と取引して、日本国内の独立運動家一人を引き渡せば、麻薬密輸で捕まった台湾人8人を引き取らせるという密約をしていた。実際に周さんの仲間の一人は大学を卒業して、滞在理由がなくなったので、勾留されて、台湾に送還される事になった。

 仲間たちが阻止しようと、羽田空港の歓送迎デッキから飛び降りて、警官隊と大乱闘になったが、奪還できずに、台湾に送られた事もあった。しかし、日本でこれだけの大騒ぎになった事で、台湾では死刑を免れた。

 やがて子供もできたが、強制送還の恐怖は常に身近にあった。二人は万が一に備えて遺書を準備し、死に方を考え、子供の行く先を考えた。その覚悟をもとに、勉強しながら生活費を稼ぎ、子供を育て、独立運動を続けた。

 やがて周は博士号を取得し、指導教授が粘り強くいろいろな大学にあたってくれて、東京理科大学の非常勤講師の職を見つけてくれた。さらに1年後は学科の主任教授や学部長が動いてくれて、常勤の助教授に昇格した。外国人の専任教員は前例がない時代だった。

 それまでは毎年、滞在許可を更新しなければならなかったが、ようやく永住資格を与えられた。二人は台湾には帰れないと思っていたが、台湾独立のために最後までやる覚悟でいたので、日本の国籍はとらなかった。


■8.「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」

 2000(平成12)年3月、李登輝総統の後任として陳水扁総統が誕生した。台湾人で、しかも独立を標榜する民進党から生まれた総統だった。ようやく台湾に帰れるようになった。 8月28日、二人と長女を乗せた中華航空機が台湾の大地に着陸した。周さんにとっては40年ぶりの帰国である。

 前総統の李登輝氏は二人を自宅に招いて温かくもてなし、ねぎらってくれた。周さんは「李登輝総統が勇気を持ってこの民主化、自由化の改革を行われたおかげで、私は生きてるうちに台湾に戻ることができました」と挨拶した。

 日本統治時代に育った李登輝氏は「日本人がその理想をつぎ込んで育成したのが、私と言う人間なのです」と語っている。言わば戦前の「日本精神」が李登輝氏の体を借りて、台湾の民主化と自由化を進めたとも言える。

 「日本精神」とは戦後の国民党政治への不満と恐怖の中で日本統治時代の公正な巡査、教育熱心な先生などの生きざまを懐かしんで生まれた言葉である。その反対が、不公正、無責任、欺瞞、金が万事、を意味する「中国式」である。

 敗戦で台湾を放棄した日本は、中国と国交回復した昭和47(1972)年にも「台湾は中国の一部」との中国の主張を認めてしまった。日本は二度、台湾を捨てたことになる。「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」と金美齢さんは言う。

 そして今、台湾と日本は同じく大陸からの過去最大の脅威にさらされている。蒋介石政権からの「台湾独立」を成し遂げた台湾人から、現代の日本人は「日本精神」を学んで、ともに力を合わせて独立を守らなければならない。
(文責 伊勢雅臣)

台湾人は漢民族ではない

      「台湾の声」編集長 林建良(りんけんりょう)

■台湾人と中国人は同じ民族と見る日本人

 台湾という国を、日本の皆さんは知っているようで知らない。どうせ中国と同じ民族なのだから仲良くやればいいじゃないか、と言う人が少なくない。一般の日本人ばかりでなく、台湾について勉強している学者や研究者でさえ、同じようなことを言う。つまり台湾人は、2%の原住民、13%の外省人(蒋介石と一緒に台湾にやってきた人間)、残85%の本省人(戦前に台湾に移住してきた人間)なのだから、98%はもともと漢民族ではないか、と。

 これは誤解でしかないが、ほとんどの日本人が台湾人は漢民族であると考えている。実は、なによりわれわれ戦後の台湾人が「お前たちはもともと漢民族である中国人なのだ」という教育を受けてきたのだから、日本人がそう思うのも致し方ない面がある。しかし、これは間違いなのである。

 台湾が世界史に登場してきたのはつい最近で、17世紀になってからである。では、それ以前の台湾にはほんの一握りの人間しか存在していなかったのかというと、そうではない。

台湾が歴史に登場したのは1624年で、オランダがアジアとの貿易をするうえでの中継点として登場した。ご承知の通り当時のオランダは、非常に航海技術が優れていて、貿易が盛んだった。今の会社の原型といわれる東インド会社も彼らによってつくられた。当時の彼らは、西洋のものを日本や中国に売り、あるいは東洋のものをヨーロッパに売ったりしていた。オランダはその中継点として、台湾と中国のあいだにある島で、大きさは新潟県の佐渡島の五分の一ぐらいの澎湖島という島を選んだ。

当時の明朝はその島をめぐってオランダ軍と戦い、結局は和解したが、明朝の条件としては、澎湖島は返してもらう、その代わりに台湾をあげるからというものだった。台湾は中国にとって、そのくらい無用のものだった。そして1624年、オランダ人が台湾を統治することになる。それが台湾人が体験した初めての国家としての権力であった。

 著名な統計学者である沈建徳氏の著書『台湾常識』によれば、当時の台湾の人口は50万人だったという。今から10年ほど前までは、台湾では原住民のことを「山胞」、つまり山に住んでいる民族と呼んでいた。しかし、確かに三分の二は山でも、三分の一は平野である。住みやすい平野に人が住まなくて、山にばかり住んでいるなどというおかしなことはない。実は、当時の台湾人のうち20万人は山に、30万人は平野に住んでいたのである。

余談だが、当時の台湾でいちばんの資源は鹿だった。台湾産の鹿の皮がとても綺麗だったので、日本の武士は好んで兜の飾りにしていたという。

■台湾に来たがらなかった中国人

 オランダ人は台湾を統治するために、中国から労働者を輸入する。その数は7千人から8千人で、50万人の中の8千人だ。人口の1.6%にすぎない。

 鄭成功が清に負けて台湾に逃げてきたのが1661年であるから、オランダの統治は38年間続いたことになる。今、台湾人が中国人の子孫であり後裔であるという根拠は、鄭成功がたくさんの中国人を連れて海を渡ってきたことに求められている。しかし、1661年の台湾の人口は62万人であり、中国からやってきた鄭成功一族と彼の軍隊はその中のたった3万人なのである。

 その一族が台湾を統治したのは22年間で、清朝によって滅ぼされた。当時の台湾の人口は72万人になっており、そのとき清朝が連れてきた軍隊はほんの数千人だ。なぜ中国人が台湾に行きたがらないかというと、当時の台湾はまさに瘴癘の地だった。瘴癘とは風土病のことだが、マラリアをはじめ猩紅熱、腸チフス、百日咳など、ありとあらゆる伝染病が台湾に蔓延していた。「台湾に10人行けば7人死んで1人逃げ帰る。残るのはせいぜい2人」という中国の諺が残っているほどだ。

 実際、清朝は2百年のあいだ台湾を統治するが、その間、統治者は3年交替だった。3年交替の統治者で生きて中国に帰れたのはほんの数人、10人を超えていない。もちろん統治者としてやって来るわけであるから、いちばん良い食事、いちばん良い環境、いちばん良い住まい、つまりいちばん良い衛生状況を保てたはずだったが、その彼らがほとんど台湾で死んでしまうほど台湾の風土病は怖かった。

 そして、1895年に日本が台湾を領土としたときの人口は250万人だったが、清朝出身者のほとんどが中国に引き揚げている。だから、このように歴史をたどってみれば、われわれ台湾人が漢民族であるという認識の間違っていることがよくわかるのである。

■税金のために漢民族になろうとした原住民

 清は、いろいろな階級に分けて台湾人を統治した。漢人、つまり漢民族しか苗字を持っておらず、原住民のことは、野蛮人を指す「蕃」を使って「生蕃」「熟蕃」と呼んだ。この戸籍制度は、日本の統治時代まで使われた。

熟蕃というのは漢民族と一緒に住んでいる、人を殺さない野蛮人を指す。山に住んでいる台湾人は首を狩る。そのことを我々は「出草」と言う。自分が一人前の男であることの証明として人の首を狩り、狩った首はお飾りとして自分の家の前に棚を作って並べておく。この首の数が多ければ多いほど立派な男ということになる。私のなかでときどき血が騒ぐのは、その遺伝子のせいかもしれない。

 生蕃には重税が課せられ、熟蕃はやや軽い。漢人はいちばん軽い。そうすると、熟蕃は競って漢人になろうとする。そこで、当時の清朝は「では、あなたの名前は林にしましょう。あなたは王にしましょう」と苗字を与えた。苗字のない原住民は競って苗字のある漢民族になろうとしたのである。生蕃もできるだけ熟蕃になろうとした。だから、台湾人は漢民族であるというのは統治者の政策によってつくられた虚像でしかない。要は名前を漢人風にしただけのことであり、表面だけを見て漢人と言っていたのである。

■血液学からも証明

 台湾の人口は、1624年の50万人から1945年にはざっと6百万人になった。環境などを考慮すると、その成長率は非常に合理的な数字である。清朝統治の2百年間には、台湾に渡るなという禁止令があった。それは、台湾が非常に長いこと海賊の巣になっていたので、人が増えることは好ましくなかったからで、できるだけ台湾に渡らせないようにしようというのが清の姿勢だった。

日本が統治した当時の人口は250万人で、もちろん日本統治の50年間に中国から台湾に移住してきた中国人はほとんどいなかった。正常な人口の成長で、50年間で6百万人になった。1945年に台湾から引き揚げた日本人が40万人いたから、総数としては640万人ということになる。その中にもし中国人がいたとしても、ごく僅かなのだ。

血液学的調査にもそうだし、台湾の馬偕記念病院の血液学の教授である林媽利先生は人間のリンパ球の遺伝子を調べて、すでに台湾人と漢民族の遺伝子がまるっきり違うことを証明している。

台湾人は漢民族ではない。

『台湾の声』 http://www.emaga.com/info/3407.html


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