ソ連軍の侵略

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貞節を守るために自決した真岡郵便局の「九人の乙女」

 日本帝国の敗戦近しとみて無法にも火事場泥棒的侵略戦争をしかけてきたソ連軍。そのソ連軍が惹き起した大和撫子の悲劇は、満洲国新京の従軍看護婦だけではなかった。
 昭和天皇「樺太にいのちをすてしたおやめのこころおもへばむねせまりくる」と詠まれた真岡郵便局九人の乙女の自決である。

 八月九日、樺太を南北に分ける北緯五十度の日ソ国境線を突如として侵し、海陸から侵入してきたソ連軍は十五日の日本敗戦後も南下を続け、二十日には真岡市街に艦砲射撃を行ってから上陸してきた。

 樺太庁が十六日に発令した緊急疎開命令をうけて、六十五歳以上の老人と十四歳以下の児童幼児そして婦女子の大半は、波荒い宗谷海峡を渡り北海道へ向かっていたが、身の危険を覚悟のうえで残留していた若き女性も市内にはいたのである。
 真岡郵便局では、健気にも「電話交換業務を維持するため」二十二名の女子交換手が、昼夜二交代で非常体制に就いていた。

 疎開命令が全ての婦女子を対象にしていたため、郵便局の電話交換業務は真岡中学の男子生徒にあたらせる方針であったが、熟練を必要とされる任務でもあり、日頃より公務の重要性を自覚していた女子交換手たちは自ら志願したのであった。また電報を扱う電信課の女子教員からも同じ理由で残留志願者がでている。

本人の意志とは別に家族の事情と感情もあり、それまでの一班を十二名とする三班の三交代制から、高石ミキを班長とする高石班十一名と上野ハナを班長とする上野班十名が、最終的に残留と決まったが、二十日のソ連軍上陸時に局内で勤務していたのは高石班である。そして悲劇は起った。

 二十日未明、幌泊にある監視哨からソ連艦隊が真岡に向かっている、との急報をうけた真岡郵便局では非常呼巣でかけつけた男子職員が暗号解読表を焼却するなど、最悪の事態にそなえて慌しい雰囲気に包まれていたが、そこへ沖の洋上に姿を現した軍艦から艦砲射撃が浴びせられたのだ。突然の砲撃に大混乱に陥った市内に、続々とソ連兵が軽機関銃を威嚇発射しながら上陸してくる。

 郵便局にも負傷者が逃げ込んでくるなど極限状態のなか、女子交換手たちは未だソ連車が侵入していない南樺太各地言址の郵便局電話交換台に状況を伝えたのち、次々とかねて用意の青酸カリを呑んで自決したのである。その一人である伊藤千枝が泊居局の交換手に最後の電話言言い遺した>「わたしも乙女のまま清く死にます」の言葉が全てを尽くしている。
 昭和三十八年、北海道稚内市の宗谷海峡を望む公園に旧樺太島民の殉難者を慰霊する『氷雪の門』碑と、真岡郵便局の自決者を鎮魂する『九人の乙女の碑』が建てられた。前掲した昭和天皇の御製は、昭和四十三年にこの碑をご覧になられたおりに詠まれたものである。また香淳皇后もこのように詠まれている。

 樺太に露ときえたるをとめらのみ
 たまやすかれとただいのりぬる


真岡郵便局の「9人の乙女たち」

昭和の戦争記念館 第5巻 名越二荒之助編 展転社から抜粋 

ソ連軍は満州で何をしたか

 日本の人的犠牲と物的被害
 昭和二十年八月九日午前零時を期して行われたソ連軍の満洲、樺太、千鳥に対する侵攻は、あらゆる意味で不当なものであった。 ここではソ連軍が満洲地区で日本人に与えた人的、物的被害を一覧表にして掲出した。 これをご覧になれば、ソ連が如何に無法で悪辣なことをしたい放題していったか、更には、日本の敗戦七日前に突然参戦したスタlリンの狙いもあわせお分かり戴けると思う。人的被害の中で民間人二十数万が死亡しているが、大東亜戦争の戦域でこれほど多くの死者を出し、しかもその多くが終戦を過ぎてからのものである。 このような地域は他に例を見ない。その上に現地人の妻となった婦人や、残留孤児となった乳幼児も数千人をくだらないのである。

 物的被害はこの表でも分かるように、現在の価格にしたら天文学的数字のもので、これらを掠奪同然に持ち帰り、または破壊したのである。一般的に、満洲国の産業施設の四割が撒去され四割が破壊されたといわれている。米国ポlレl委員会の報告は、その意味で大変貴重なものである。

 ソ連のこれらの行為に対し、中華民国は当然抗議をおこなった。満洲が中国領に復帰する以上、満洲における日本の財産と満洲国の遺産は、すべて中国に帰属するのが自然との理由である。この抗議に対するソ連の回答は、 「満洲の施設はソ連の『戦利品』とみなす」というものだった。

 何をかいわんやである。それのみかソ連軍は役務の報酬や資材の買人れに軍票を発行した。
公称九十九億円というが、そのため招いたインフレが日本人難民の困窮の度を一層高めた。日常物資の生産を行いたくともそれらの施設はすべて持ち去られるか破壊されていた。

 ソ連がおこなった占領政策は、大東亜戦争後のどの地域に較べても比較にならないほどその悪辣さが際立っている。そのために蒙った日本人の苦しみは、他の外地引揚者に比して格段に大きかったのである。

ソ連軍侵攻による人的被害(死亡者)一覧
各地の撤去状況

「昭和の戦争記念館 第2巻」展転社 名越二荒之助編から抜粋

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