占領辞典 

一億人の昭和史「日本占領、2、動き出した占領政策」から抜粋

(ガリオア・エロア基金) 

飢えと焦土の中で決行される占領をスムーズに進めるためのカンフル注射と」て、アメリカが軍事予算から支出した対日援助費。ガリオア(GARIOA)は「占領地救済基金」として占領地の疾病や飢餓からくる社会不安防止のため食糧、医薬品などの緊急物資を、またエロア(EROA)は「占領地経済復興基金」として綿花、鉄、工業機械など経済自立のために必要な生産財を供給した。

 占領期間中に日本が受け取った援助総額は 一八億ドル(日本側の計算)にのぼったが、のちにこの援助は″もらったものか、借りたものか″が問題化。結局、昭和二六年六月、日米間で四億九〇〇〇万ドルを一五年の分割払い(年利二・五%)で返すことが合意された。

〔シャウプ勧告〕 
ドッジ・ラインを税制面から補完するため、コロンビア大学教授C・S・シャウプを団長とする税制調査団が二十四年九月に発表した税制改軍案。一四章十八万字からなる勧告案は①直接税中心主義②資本蓄情のための減税措置③地方財政の再編強化などを骨子とし、二五年度予算から早速実施された。

 これらの改革は戦後の日本税制の基本となったが、とくに「本年末、おそくも年度末まで滞納の一掃」が勧告された二とは、やがて「地田勇人(蔵相)オニより怖い。ニッコリ笑って税を取る」と皮肉られたほど、税金のきびしさを国民に体験させる二とになった。

〔対日理事会〕
 極東委員会とともに、昭和二十年十二月のモスクワ外相会議で設置の決定した連合国の対日占領管理機関のひとつ。米英ソ中の四カ国国代表で構成され、日本占領を実庖する連合軍最高司令官の諮問に応え、また必要な勧告、助言をすることを任せるとした。二十一年四月五日の第一回会議から講和条約発効直前の二七年四月二十三日の第一六四回会議まで、東京丸の内の明治生命ビルで定期的に開催。

 たとえば農地解放については、理事会の英国代表案がGHQ指令の基礎になるといった例もあったが、「(理事会は)最高司令官の日本管理における唯一の権威者たるの責任を分担するものではない」というマッカーサー演説(第一回会議)にもみられるとおり、初めからGHQとこの″助言者″との関係は微妙だった。とくに東西対立の激化につれて両陣営の露骨な宣伝の場と化し、議題のないまま開会即解散というケースも少なくなかった。

(パ一ジ)
 日本に乗り込んだ占領軍は、ポツダム宣言第六項に基づいて、、軍国日本を侵略に駆り立てた各界の責任者をいっせいにパージ(公職追放)した。二一年一月四日の覚書では″望ましからぬ人物″の範囲としてAからGまで七項が規定され、これによって二二年五月までに二〇万三六六〇人が公職を追われた。 だが初め″解放軍″として、共産主義者を含む左翼陣営に寛大だった占領軍も、国際情勢の変化とともに次第に右傾化。やがてパージのほこ先は共産党員とその同調者に向けられることになる。朝鮮動乱(二五年六月一五日)前後からいわゆるしッド・パージが本格化、総計一万一000人が職場を追われた。

〔プレス・コード〕
 昭和二〇年九月一九日のGHQ覚書で示された新聞規約。全部で一〇ヵ条から成り、「一、新聞は厳格に真実を守らねばならぬ」など″真実の報道””宣伝の排除″といったニュース報道の基本的なあり方を規定、同時に「四、連合軍に対し破壊的な批判を加えたり、同軍に対し不信や怨恨を招くような事項を掲載してはならない」など、占領軍に関する報道規制も盛られていた。このため、進駐軍兵士の犯罪報道には″大男の犯行″といった苦心の表現が使われたりした。コードに基づく検閲も厳重であった。

 実際に、重大なプレス・コード違反に問われた例は少なかったが、第一号は二三年五月二十七日付の「日刊スポーー『ツ」。アメリカのヌード・ショー上演に、GHQ貢献課長が関係したという記事が第一項及び第四項違反に問われたもので、軍事裁判の結果、編集局長が重労働一年(執行猶予)、同紙は六ヵ月間の発刊停止罰金七万五〇〇〇円の判決を受けた。

〔ポツダム勅令・政令〕
 昭和二○年九月二○日、勅令第五四二号「ポツダム宣言受諾に伴い発する命令に関する件」が公布され、連合国軍最高司令部の要求を実施するため、必要に応じ命令、罰則を設けることができるようにした。国会の同意を得ずに施行でき、あらゆる法律に優先するいわば超憲法的な効力をもつ法規であった。

 この緊急勅令に基づいて、さまざまの勅令や政令が出されたが、第一号は二一年二月二三日公布の勅令第一○一号(軍国主義・右翼団体の結社禁止)。この勅令第一〇一号を改正した政令菓六四号(団体等規正令)、国家・地万公務員の団体交渉、罷業権を否認した政令第二○一号(二二年七月三十一日)などがある。講和条約発効後、いずれも廃止された。 

〔極東委員会〕
 日本占領の基本船な政策を決定する最高機関として、昭和二〇年十二月、モスクワで開かれた米英ソ三国外相会議で設置が決められ、二一年二月に発足。米、英、仏、ソ、中、加、豪、オランダ、二ュージーランド、インド、フィリピンの一一力国(のちビルマ、パキスタンが参加)で構成され、ワシントンの旧日本大使館で定期船に会議が聞かれた。 占領政策の最高決定機関とはいうものの、現実にはアメリカの単独占領実施のため、ソ連との間に生まれた妥協の産物で、委員会の決定は米政府を通してのみ連合国軍最高司令官(SCAP)に伝達される間接的な役割しか持たなかった。それでも、マツカーサーが委員会発足前に新憲法草案を日本側に突きつけて、その改正を急がせたのは有名。

(指令・覚書)
 「日本の管理は日本政府を通して行われるが…必要があれば・・・貴官の発した命令を強制することができる」(二〇年九月六日 米政府通達)とあるように、占領政策の実施に当たって連合国軍最高司令官はさまざまの指示・命令を発した。七年弱の占領期間中、その数は大小二五〇〇件にも及んだといわれるから、 一日一件以上の計算になる。降伏調印にともなって発せられた第一号から九月二二日付の第三号までは指令(Drective)とされたが、それ以後は最高司令官覚書(SCAPIN MEMO)として、一定の形式によって日本政府に伝達された。

 このほか、最高司令官声明という形で″命令″の出されることもあった。二十一年三月六日の「憲法改正要綱に関する声明」や二十二年一月三十一日の「ゼネスト禁止声明」などである。また、二五年六月の共産党中央委員追放令のように、吉田首相あての最高司令官書簡という形式をとったケースもある。

〔オフ・リミット〕
 「立ち入り禁止」の意味。占領以来、この標示があちこちに立てられ、日本人にもなじみになった。占領当初、日本側の管理する倉庫に米兵が無断で侵入し、物を持って行く。「Don't enter」と掲示したがさっぱり効き目がない。MPに相談したら「OFF-LIMIT」と表示しろという。以来、ビタッと米兵の無断侵入はなくなったというエピソードもある。

特殊慰安施設で性病が発生すると、直ちにこの看板が出され、店はたちまち閑古鳥が鳴いた。それほど「オフ・リミット」の威力は絶大だった。 米兵向けだけではなく、日本人向けにも各基地などに、この表示が使われていた。

〔RTO〕
 占領後問もなく、国鉄の主要駅に「RTO」の大きな看板が出され、人目を引いた。国鉄もまた占領軍の管理下に置かれ、第八軍の第三鉄道輸送司令部(のち民間運輸局)が担当。その末端機関として置かれたのがRTO(RAILWAY SPORTATION OFFICE)で、各主要駅に陣取って占領軍関係の輸送とサービスに当たった。

 占領軍専用列軍の運行は最優先で、そのため国鉄は大変苦労した。専用客車として、展望車、寝台車、食堂車など九八三両(二十一年十月)が接収され、車体の白帯に「アライド・フォース」と大書した列車が各地を走った。なかでも高官用の特別列車は豪華版で、たとえば第八軍司令官専用の「オクタゴニアン」号は九両編成、食堂車は一一号御料車、展望車は一〇号御料車といったぐあい。満足な窓もないオンボロ列車にスシ詰めにされて旅をする日本人に、ため息をつがせた。

(GHQ)
 占領期を生きた日本人には忘れられない存在である。連合国軍最高司令部(ENERAL HEADQUARTERS  OF THE SUPREME COMMANDERS FOR THE WLLIED POWERS) )の略。対日占領業務遂行の総元締めで、進駐と同時に横浜に開設、二十年九月十七日からは東京・日比谷の第一生命ビルに移転した。

 日本占領は〟間接統治″だったが、実質的にはGHQが″政府の上の政府″として、二十七年四月二十八日の独立まで二四○○余日の間日本を支配、絶対権力を振るった。大きく分けて軍事面担当の参謀部(GENERAL STAFF)と非軍事面を担当する幕僚部(STAFF SECTION)があり、このうち、民主化推進の中心的な役割を果たしたのがホイットニーの率いる″進歩的な″GS(民政局)だったが、次第に諜報・治安を担当するウィロビーのG2(参謀第二部)との対立が進み、結局両者の地位は逆転、占領政策転換の背景ともなった。ニューディール派のGS次長ケーディスが、G2によって昭電事件や女性関係のスキャンダルを暴露され、職を去ったのはその象徴的な出来事であった。

〔地方軍政部〕
 GHQを本社スタッフとすれば、その出先機関としてラインの役割を果たしたのが地方軍政機構。原則として四八都道府県に置かれた″府県軍政チーム″がこれに当たる。第八軍管轄下に、全国八つの地方軍政部がそれぞれいくつかの府県軍政チームを統括した。(二十一年七月現在)

 府県によって大中小の三ランク(東京、神奈川、大阪を除く)に分かれ、小クラスで中佐以下三十一人、中クラスで中佐または大佐以下四〇人、大クラスで大佐以下四七人といった陣容。二十二年七月現在で、軍政要員は総計二四三九人を数えた。   
     
 占領政策が各地で忠実に実施されているかどうかを監視し、あわせて指導に当たるのがその主要任務。だが軍政スタッフの性格によって、任務遂行ぷりにも差があって、軍政部長自らトラックを指揮して税金滞納の差し押さえに乗り出したり、教員異動にまで関与するといった例(長野県)もあった。

〔ドッジライン〕
 米ソの冷戦が進むにつれ、占領政策を転換して、インフレに悩む日本経済の再建にその力点をおいたGHQは二十三年十月「経済安定九原則」を発表。さらにこの政策を推進させるため二四年二月、デトロィト銀行頭取ジョセフ・ドッジをGHQ財政顧問として招いた。ドッジは日本経済の現状を「米国の援助と補助金という二本の足に乗った竹馬経済」と診断するとともに、
①超均衡予算によるインフレ防止
②行政整理、企業合理化、耐乏生活③一ドル三六〇円の単一為替レート設定などの処方箋(ドッジ・ライン)を書き上げた。

 この大手術は直ちに】二十四年度予算から実行に移されたが、そのため日本経済は深刻なデフレ不況に見舞われ、金詰まり、倒産、失業が続出。銀行では預金が集まらず、嫁入り道具一式などの景品付き、最高三〇万円の賞金付きなどで預金獲得を競い合ったほど。

〔終戦処理費〕
  占領にともなう諸経費の負担については、当初明確な取り決めはなかったというから奇妙な話である。史上初の占領軍を迎えた日本側は、軍票使用阻止の一念で、占領軍に必要な日銀券の提供を約束し、事実、駐留経費を日銀の立て替え払いという形でまかなってきた。

 ところが二十一年四月、日本政府の負担とすることが明確となり、GHQの指示で二十一年度予算から終戦処理費が計上されることになった。調達命令(PD)によって提供される占領軍用の物資や施設、労務など直接占領経費はいっさいこの処理費でまかなわれた。たとえば二十二年度では歳出総額二○五八徳円のうち処理費五八五徳円、実に予算の三割弱を占め、その財政負担は大きかった。資金調達に悩む大蔵省の高官が、最高司令官あて″節約陳情〟の手紙を出したほどである。

 二十八年度まで総計四九六六徳円。このほか、兵器処理や進駐軍犯罪の見舞い金など間接経費も含めると五一三一億円で国民一人当たり六三一三円の負担となった。二十九年度以降は、対外処理費として存続した経費もある。

〔ララ物資〕
 アジア救済連盟八(LARA)が、日本など「アジア地域の生活困窮者を救うため、さまざまの救援物資(ララ物資)を送ってくれた。YMCA、アメリカ救世軍など宗教・労働関係十三団体で組織された大統領公認の慈善機関で、市民の寄付によってカン詰め、小麦粉などの食糧品や医薬品、衣料などを現物供与した。

 ララ物資の第一便が横浜港に到着したのは二十一年十一月二十九日。以来二十七年六月まで総計一万六二○○トン(日本円換算四〇〇億円)にのぼった。配分には日本政府が責任を持ち、各地の孤児・引揚者収容施設をはじめ、災害地や学校給食などにも特別配給された。恩恵を受けた日本人は一四〇〇万人にのぼるといわれ、各地でララ感謝の集いが開かれたほど。いまでも給食で飲んだ脱脂粉乳の味を覚えている世代も少なくないだろう。 
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